商店街のアーケードは、いつものようににぎわっていた。 いや、にぎわい自体はいつもとそう変わらないのだが、クリスマスも近いせい で普段よりもにぎやかな、そんな雰囲気がある。 だが、その中を歩いているディルクセンにはそんなことはどうでもよかった。 それよりも、頭の中で繰り返している公式をしっかり覚える事の方が彼にとって は重要なのだ。 年が明ければ受験はすぐ目の前だ。だから、日曜日の今日も彼は学校の図書館 に行くべくこうして出てきたのだった。 本当はもっと早い時間に学校につく予定だったのだが、昨夜から今朝にかけて 雪が降り、ここまで来るのにも一苦労だったのだ。 そんなにたくさん積もったわけではないのだが、神戸育ちのディルクセンには 少しきつい。 校門に通じる転送装置までは、このアーケードを抜けてから更に歩かなければ ならない。それを考えて、ディルクセンは軽く溜息をついた。 何気なく、アーケードに並ぶ店に目をやる。開店からは少したった時間である。 そろそろ客足も多くなってくる頃だろう。 と、ちょうど通り過ぎようとしたおもちゃ屋の中から、見覚えのある顔が出て きた。不意の事に、思わず足が止まる。 出てきた方も、ディルクセンに気づいてはたと足を止めた。両手に大きなビニ ール製の袋を持っているその少女は、眼鏡の奥の瞳を丸くした後、そそくさと店 の中に戻っていった。 そういう行動をされると気になるもので、自然とディルクセンの足は彼女を追 いかけていた。 店に入ると、少し早足で店の奥に向かう彼女の姿が見えた。ディルクセンも早 足で後を追う。 「──保科!」 少し大きな声で呼びかけたディルクセンの声に、彼女──保科智子はぴたっと 足を止めると、くるりと振り向いた。「しまった」という顔をしている。 「……どうして逃げる」 追いついて、ディルクセンはきいた。 「……別に逃げたわけやない。買う物忘れてただけや」 「それにしては不審な態度だな」 「なんや、不審な態度て。私は普通に歩いてただけや」 「そのわりにはずいぶんと急ぎ足だったな」 「い、急いでたんや。先輩こそ、なんで後つけてくるん?」 「お前が俺の顔を見て逃げたから、不審に思っただけだ」 その言葉に、智子はむっとした顔をした。 「だから逃げてへんて。人のこと不審不審て、先輩私のことなんだと思っとんの」 そう言われると、ディルクセンとしても黙ってはいられない。 「俺は風紀委員として、学園生徒の不審な行動を見逃すわけにはいかんと思って だな」 「だから、なんやの不審て! 私はちゃんとお金出して買い物したんや、不審呼 ばわりされる筋合いない!」 「なら、なぜ逃げる!」 「だから逃げてない言うてるやろ!」 ほとんど一触即発な雰囲気になった時。 「……あの、すみません。申し訳ないんですが、お話なら外でなさっていただけ れば……」 店員が遠慮がちに声をかけてきた。その言葉にはたと周りを見ると、客達の好 奇の視線が2人に注がれていた。 さすがに気まずい。 「……あー、保科、それで買い忘れというのは……」 「……もういいわ。行こ」 智子は言ってディルクセンをうながした。智子の荷物の量では、ディルクセン の脇を抜けて外に出る事はできないのだ。 「……あ、ああ」 それを悟って、ディルクセンは先に店の外に出た。智子もその後をついてくる。 「あー、もう。先輩のおかげでいらん恥かいてもたやないの」 しばらく歩いてから、智子の口から容赦のない言葉が飛び出した。 「……だから、お前が逃げ出すから」 「だから……あーもー、しゃあないなあ」 さすがに堂々巡りだと思ったのか、智子は溜息をついた。 「……逃げたわけやない。ただ、……ちょっと恥ずかしかっただけや」 「恥ずかしい? 何がだ?」 「いい年しておもちゃ屋からこんな大荷物持って出るなんて、ちょっと恥ずかし いやない」 憮然とした顔で言う智子の言葉に、ディルクセンは納得した。 ディルクセンだって、おもちゃ屋などという子どもの行く場所に寄る気はさら さらない。まして智子は女の子である。恥ずかしいという気持ちは分からなくも ない。 「なのに、ディルクセン先輩があんなとこにいるもんだから、びっくりして……」 「なんだ、やっぱり逃げたんじゃないか」 「…………」 むすっとした顔で黙ってしまった智子に、ディルクセンはやれやれと苦笑した。 ちょっと勝ったような気がしないでもない。 「で、一体その荷物はなんだ?」 「八希くんが必要やて言うから、買いにきたん。ちょっと急ぎの仕事で、みんな 手が離せないから」 「工作部がらみか」 きいたディルクセンに、智子はうなずいた。 「先輩も学校やろ。しゃあないから一緒行こ」 「ん、ああ」 そう言った時にはアーケードも終わり、行く手には雪の積もった道路が待って いた。 2人はその道を一緒に歩き出した。とはいえ、智子が両手に大荷物を持ってい るので並ぶわけにもいかず、ディルクセンが数歩先を行っていたが。 「初等部でクリスマス会があるんやて。その時のアトラクションに使う大道具を 頼まれたんや。これがまた注文が多くてな、時間かかってん」 「ほう。あの工作部がてこずる品なのか?」 「というか、パーツが多いんやな。八希くんが中心になってやってるけど、大変 そうで」 「パーツ?」 「ゾイズて知ってる?」 「? 知らん」 「恐竜やら動物やらを模したメカのプラモデルみたいなもん。AI入ってて、自 分で動くんや」 「……ああ、なんとなくは知っている」 それはたぶん、ディルクセンが子どもの頃からあったおもちゃだろう。同級生 が持ってきて自慢していた覚えがある。 確か、来栖川系列のおもちゃ会社のものだったか。 「一応1つ1つセットになってるんやけど、パーツに互換性があって、改造でき るようになってるんやて。もっとも、あまり違いすぎるときにはAIは対応でき ないんやけど」 「……まあ、そうだろうな」 「で、それの大幅な改造をして、大きなのを組み立ててるん。美加香ちゃんと誠 治さんはAIの方改造するのにかかりっきりやし。ちょっとした修羅場状態や」 「日曜だというのに大変だな。しかし……大丈夫なのか、菅生は」 ふと気になって、ディルクセンは尋ねてみた。 「何が?」 「あいつも受験なんじゃないのか? そんなことしていていいのか」 「大丈夫なんやないの? 誠治さんなら」 あっさりした答えが返ってきた。 「……余裕のある奴はいいな」 つい愚痴のようなことを言ってしまう。 「ま、あの人は機械いじるのが息抜きみたいなもんやし……っ」 不意に言葉が途切れたかと思うと、ドシャッという音がした。 「きゃあっ」 「保科?」 ディルクセンが振り向いた時には、智子はその場にしりもちをついていた。 「……いたた……うー、もうなんやの〜」 眉をしかめる智子。どうやら、凍っていた上を歩いてしまったらしい。 「大丈夫か?」 「まあ、なんとか……」 言いながら、智子は立ち上がった。 「あーあ……コートが雪まみれやわ……」 困った顔をして雪をはらう智子に、ディルクセンは溜息をつくと、雪の上に投 げ出された荷物に目をやった。 「よかったな、袋がビニール製で」 「ほんとや。紙袋だったら中までぬれてたわ」 「……そっちを持ってやるから、こっちを持て」 そう言って、ディルクセンは自分のカバンを智子に渡した。 「……ありがと」 カバンを受け取りながら、智子は小さく微笑んだ。 それを見てから、ディルクセンは雪の上に転がっていたビニールバックを拾っ た。見た目に反してそれは案外と軽かった。 「軽いな」 「プラスチックやからね。かさばってるだけで」 「なるほど」 そう言うと、ディルクセンは歩き出した。智子も後ろについてくる。 「……どうなん、調子」 きいてきた智子に、ディルクセンは小さく溜息をついた。 「まあ……なんとも言えん。とにかくベストは尽くさんとな」 「そやね」 それからしばらく、2人は黙って歩いた。 商店街アーケードを出て少し歩いてから道を折れ、公園の前を抜ければ転送装 置はすぐだ。 「……クリスマスが終わると、すぐ冬休みやね」 「そうだな」 「先輩は、休み中も勉強しにくるんやろ?」 「ああ。……なんでそう思った?」 「それくらいは読めるわ。それに、受験の時にはたぶん私もそうするし」 「……関西の大学はやめたんじゃなかったのか?」 「だからって勉強しないでいいわけやないでしょ。どうせなら主席で入るくらい の気概は持たな」 「なるほどな」 いかにも負けず嫌いの智子らしい。ディルクセンは思わず笑みを浮かべた。 「先輩も神戸人なら、そのくらい気合いれていき。……先輩なら大丈夫や」 その言葉に、ディルクセンは思わず智子を振り返った。智子は穏やかな微笑を 浮かべていた。 「……そうか?」 すぐに顔を前に戻して、ディルクセンは言った。 「うん」 「…………」 ディルクセンはこのところ、少し気をとがらせていた。受験に備えて毎日勉強 して、毎日そのことを考えて、自分を追い込んでいた。 だが、今智子に大丈夫だと言われたことで、そのとがった部分が和らいだよう な気がした。ふっ、と気分が落ち着く。 我ながら現金だと思う。たった一言なのに。 たどりついた転送装置に、2人で入る。少しして扉が開くと、そこはもう校門 の前だ。 「学校にも積もっとるね」 「そうだな。またすべらないように気をつけろよ」 「大丈夫や」 話しながら、校門に向かって歩く。 いつものにぎやかさはないが、学校はやはり学校の雰囲気だ。 「……昂河くんがな、神岸さんに美味しいいれ方を教わったいうて、近頃部活の ときみんなにコーヒーいれてくれるんよ」 「……ほう」 「そろそろみんなも休憩する頃やから、たぶんまたいれてくれると思うん。…… よければ、一緒に飲んでいかへん?」 その言葉に、ディルクセンは一瞬考えた。 「……いや、俺は遠慮しよう。邪魔になっても悪いしな」 「邪魔になんかせえへんよ。どうせこれから図書館にこもるんやろ。息抜きして から勉強した方が頭に入ると思うけど」 ディルクセンは、智子の方を見た。 「……息抜き、か」 「そや。な?」 軽く小首を傾げてみせた智子に、思わず微笑して、それから慌ててコホンと咳 払いをする。 「……まあその、なんだ、菅生もいるのか」 「おるよ」 「今日復習する予定だったところで認識が浅いところがあったからな。菅生なら 得意なところだろうし、まあ、きいておくのは悪くないな。どうせこの荷物を置 きに寄らんといけんだろうし──」 「つまり、来るんやな」 「……まあ、そういうことだ」 そう言って前を向いたディルクセンの耳に、くすくすと笑う声が聞こえた。 「……なんだ?」 「なに? なんも言ってへんよ」 そう言った智子の声はちょっと笑っていて、ディルクセンは内心舌打ちすると 歩を早めた。 「ちょっと先輩、早いわ」 「ぐすぐすしていると、時間はすぐに過ぎるぞ。もったいない」 「すべって転んでもしらんよ」 「お前じゃあるまいし」 言い合いをしながら、それでも足をゆるめる。 吐く息が白い。頬に触れる冷気は真冬のものだ。 確かに、少しばかり暖まっていってもいいだろう。 そう思いながら、ディルクセンは軽く息をついて、足を工作部に向けたのだった。