夏は暑い。 白く光る太陽が照りつけ、吹く風も気だるい熱を持ち、それらを象徴するかのよう にせみの声が響き渡る。 空気がなまぬるく、涼しげとは言いがたい。 夏は暑いのだ。 それは、ここLeaf学園でも変わらない。 ここの設備は、学園内を一年中常春にすることもできるのだが、やはり四季折々を 楽しむのが日本人の醍醐味である。 というわけで、学園にも四季はある。 そして、暑い夏の学校での楽しみといえば当然── Lメモ涼風譚6話「水飛沫は白い弧を描く」 Case1. 「──というわけで、今日の体育はプールに決定した」 教師の言葉に、教室中はワッとわきたった。 今日は朝から蒸し暑く、生徒達もダレていたところにこの知らせだ。 「突然決まったので水着がない者もいるだろうが、第二購買部でも売っているから、 そこで調達するように」 教師の言葉を聞いているのかどうか、生徒達は各々冷たい水に思いをはせている。 そんな中、青い顔をしている者がひとり。 「プールって……どーしよ……」 昂河晶は、小さくつぶやいた。 みんなにとっては降ってわいた幸運であっても、昂河にとってはそれは災難以外の 何物でもなかった。 実はカナヅチだとか、水が恐いとかいうわけではない。昂河だってプールや海は好 きだ。 暑い中、冷たい水の中で遊ぶのは、さぞかし気持ちがいいことだろう。 しかし、昂河にとってそれは大きなリスクをともなうことでもある。 そう、昂河は実は男として生活している女なのである。その事実が悟られないよう に、彼は毎日を慎重に過ごしているのだ。 だが、プールの存在はその努力を一瞬で無にしてしまう可能性を秘めている。 安易に想像できることだが、プールに入るときの男子の格好は、海パン一丁である。 昂河にはその格好はできないのだ。普段はシャツの下にさらしを巻いてフォローして はいるものの、彼の体はれっきとした女性である。プールに入るためには、いつも以 上のフォローと準備が要るのだ。 以前にも同じような災厄に見舞われてちょっとばれそうになったこともあるが、そ の時はなんとかやりすごした(佐藤昌斗さんの「試立LEAF学園の日常──熱きプール の戦い・学園で一番暑い日の弐の巻」参照)。 しかし、今はまた状況が別だ。 生徒達はわらわらと着替えのため、あるいは水着を調達するために教室を出て行く。 「どうした、昂河?行こうぜ」 座って動かない昂河に気付いて、藤田浩之が声をかけた。 「いや、あの‥‥僕は‥」 ぎこちなく浩之を見上げる昂河。 「なんだ、浮かない顔して」 「いや、その‥‥」 「せっかくのプールだぞ。お前だって今日は暑いって言ってたろ?」 「そうなんだけど‥‥」 冷や汗たらたらの昂河。 「昂河君、顔色悪いよ?」 そう言ったのは、佐藤雅史だ。 「あ、そ、そうなんだよ‥‥ちょっと悪寒がしてさ」 「大丈夫か?保健室行った方がいいんじゃないか?」 浩之の言葉に、昂河は心の中で「よっしゃ!」と叫んだ。 本来こういう嘘をつくのは苦手なのだが、なんだか自然な流れでこうきた上、特に 嘘を言ったわけでもない。 ここは、浩之の言葉に便乗すべきだろう。 「うん、そうだね。ちょっと保健室に行ってくるよ」 「おう、無理はしないで休んどけ」 「浩之の水着姿は、しっかりと僕が見ておくよ」 「なんでそうなるんだよ‥‥」 脱力する浩之とにこにこしている雅史を後にして、昂河は廊下へ出た。 (さてっと……なんとか逃げ出せたな) 真面目に保健室に行ってもいいのだが、なんとなくそういう気にはならない。とは いえ保健室に行くと言った手前、そちらに向かって歩かざるをえなかった。 (……保健室の辺りまで行って、それから屋上にでも行くかな) 思いながら歩いていると。 後ろから、ガシッと肩をつかまれた。 「どこへ行く〜?」 その言葉に振り向くと、そこにいたのは小柄でこめかみに傷のある少年だった。 「よ、YOSSY?」 「そっちは確かにポイントだ……だけどな、抜け駆けはいかんぞ、抜け駆けは」 「へっ?」 彼、YOSSYFLAMEの言葉に、昂河はきょとんとした。 「というわけで……さっ、一緒にパラダイスへGO!」 そう言うと、YOSSYは昂河の腕をとって、さっさと歩き出した。 「ちょ、ちょっと待て!なんなんだよ一体?」 「またまた、分かってるくせに」 ニヤリ、と笑うYOSSY。 (なんだ……はっ!まさか、ばれてるとか……) 一瞬、昂河の脳裏に正体をネタに難題を押し付けられる情景が浮かんだ。 (い、いや、YOSSYがそんなことするわけ……あるかも……) どーいう目で見てた、昂河。 YOSSYはそんな昂河の様子を意にも介さず、ずるずるとひっぱって行く。 「しかし、お前よく見つけたなぁ、あそこ。さては、下見を怠らなかったな?」 「え?下見って……」 「だーかーら、隠し事はなしだって。お前も、覗きのポイントとして目をつけてたん だろ?」 「……のぞき?」 きょとんとする昂河。 YOSSYはニタリと笑みを浮かべた。 「プール用の女子更衣室覗くのに、あそこの窓は実にいいんだよなあ。あんなとこか ら見えるなんて、誰も思わないからな」 「……なるほど。よーするに、覗きに行く途中だったのか、よっしー」 「なんだよ、お前もそうだろ?」 「僕は、保健室に行こうとしてたんだよ」 昂河の返事に、ぴたりとYOSSYの動きが止まる。 「…………」 「…………」 「……くっくっく」 YOSSYは、口元に笑みを浮かべて昂河を見た。 「聞いてしまったからには昂河、お前も同罪だ。抜けることは許さねえ」 「ってゆーか、君が勝手に白状したんだけど」 「くっくっく、青い青い。お前も、男と生まれたからにはこの誘惑に身を任せてだな、 青春をエンジョイしてみろ」 「リスクが高いよ」 「ほう?リスクが高い?」 YOSSYは目をキラリと光らせた。 「お前だって、覗いてみたい娘のひとりくらいいるだろーが」 「……まあ、いないわけじゃないけど……」 「だろ?なら、己の身の危険と引き換えにでも覗くのが男ってもんだ」 「うー……」 「悩むな、悩むな。一緒に行こーぜ。本当はひとりで堪能するはずだったんだが、今 回は特別だ」 さて、どうすべきか。 昂河は思案した。 実際、昂河も興味がないわけではなかった。精神的には男だし。 自分の体が女性なのは分かっているが、そーいう対象にはならない。だが、他の女 子は対象になるのである。 昂河は視線を天井に向けてしばらく考えていたが、やがて、にまっと笑った。 「分かった。一緒に行くよ」 「おお、同志!そうこなくっちゃな」 YOSSYが満面の笑みを浮かべたその時。 「あんたは、なに悪事を広めてんのよ!」 その台詞とともに、YOSSYの腕が後ろにひねられた。 「いででで、あいででっ!!」 「まったく、油断も隙もありゃしないんだから」 仏頂面でYOSSYの腕をつかんでいるのは、広瀬ゆかりである。 「なんだ広瀬、男のロマンを邪魔するなっ……いでぇ!」 足まで踏んづけている。 昂河は冷や汗が額を伝うのを感じた。 「さてと、プールが終わってみんなが次の授業の支度を済ませるまでの間、反省房で プリントでもやっててちょうだい」 「横暴だって!俺はまだ何もしてないっ!」 「これからやるとこだったんでしょ!」 ゆかりはそう言うと、昂河に目をやった。 「……そういう意味では、同罪よね?」 「……了解。おとなしく一緒にプリントやるよ」 「物分りがいいわね。というか、昂河君ってよっしーなんかとつるむ人には見えない んだけどねー。ま、見逃すわけにはいかないから」 「分かってるよ。お手柔らかに」 「さ、行くわよ」 ゆかりがYOSSYの腕を持ったまま、廊下を歩き出す。 「だから痛えって!」 「自業自得よ!」 やり取りしながら歩く2人の後について、昂河も歩く。 (……まあ、これで今日のプールには入らなくて済むし、いいか) 楽天的に考える。 でも。 (後で、覗きのポイント、一応聞いておこうかなー……) なんて考えたりもしているのだった。 Case2. 今日の体育はプールである。 しかし、事前に分かっていたので、今日の昂河の準備は万端だった。 「……昂河君」 長瀬祐介が、遠慮がちに声をかけてきた。 「ん?」 「……その格好……なんだい?」 「水着だけど」 「…いや、そうだけどね…」 祐介は力のない笑みを浮かべた。 昂河が今着ているのは、来栖川の系列会社に特注した体格補正水着だ。胸を押さえ つけ、なおかつウエストのくびれも隠す、ナイスな内部構造になっている。 その仕様は女子の水着に似たタイプ、つまり上半身まで覆われているものである。 スクール水着の半そでという感じだ。知っている方は、昔の水着を思い浮かべてもら うといい。その上に、半ズボンタイプの海パンをはいていたりする。 「なんで、そんな格好なのかなって……」 言葉を続ける祐介に、昂河は小さく笑みを浮かべた。 「ん、まあ……ちょっと見られたくないんだよ、上半身は」 「そうなんだ……」 あいまいな昂河の言葉を、祐介は言及しなかった。その代わり、まじまじとその水 着を見る。 「でも、どうしてそんな柄なんだい?」 「さあ。僕も知らない」 なんというか、見事に横じまなのである。しかも赤と黄色。もちろん海パンも。 「すごく目立つよ」 「うん。僕もあまり好きじゃないんだけど。目立つほうが安全だからって、ずっとこ れなんだ」 「ずっと、って?」 「小学校の頃からこれだよ」 「そ、そうなんだ」 祐介はひくついた笑みを浮かべた。肩ががっくり落ちている。 ちなみに、周りの目も無論昂河に集中していたりする。 だが昂河は別段気にしていない。これで目立ってしまえば、逆に多少の不都合があ ったところでごまかせるものなのだ。 「……でも、あれだね」 なんとか立ち直った祐介が、言葉を続ける。 「そういう格好してると、女の子みたいだね」 「え?」 ぎくっとする昂河。 「お‥‥女みたいかな?」 「男でそういう格好する人はいないよ」 「ま、まあそうだけど……」 口元をひきつらせる昂河を気にせず、祐介はにこやかに笑った。 「大丈夫、みんな昂河君が男だって分かってるんだから、女の子と間違えられること はたぶんないよ」 「そ、そうだよな。「実は女かも」なんて思う奴いないよなっ」 「いないと思うよ」 「うん、それならいいんだ。あはは」 ぎこちなく笑いながら、心で冷や汗をぬぐう昂河だった。 Case3. ある日のプールの時間。 YOSSYFLAMEとデコイは、仲良く2人で低木の茂みからプールを見ていた。 デコイは写真を撮るため、YOSSYは女子更衣室の覗き未遂で再び反省房へ送ら れるところだったのを、なんとか逃げてきたのである。 2人で女の子批評をしながら見ていたのだが、どうにも赤と黄色のしま模様が目に 付く。 「……いつ見ても、女みたいなかっこ……」 赤と黄色のしま模様の水着を着た昂河に目をやりながら、YOSSYはつぶやいた。 「どうにもまぎらわしいよなぁ」 「そうだなぁ……」 ファインダーを覗きながら、デコイが相槌を打つ。 「ああやってみると、昂河ってわりと女みたいな顔してるんだよな‥‥」 「だーかーら、まぎらわしいっての。どう見ても男って顔だったら目に入らねーのに」 いまいましげに言うYOSSY。 「おまけに、割とスタイルいいっつーかさ」 「うん、確かに割と均整はとれてるな。あれで胸があったらいい感じなんだけどな」 「そーだよなー」 デコイの言葉に、YOSSYはうんうんとうなずいた。 「あの身長なら、わりといい感じの胸の大きさになると思うんだよなー」 「それに、こうやって見ると全体に丸みがあるし。女に見えないこともないんだよ」 相変わらずファインダーを覗きつつ、デコイは続ける。さすがにその観察眼は鋭い。 「そうだな。ちょっとこう、あのうなじの辺りなんか女っぽいよなー」 「案外、ちゃんと女物の水着着せたら似合ったりして」 「あ、なんかそんな感じだよなー」 なんだか盛り上がる2人。 「割とこう、可愛らしくワンピースとかよさげ」 「いやいや、身長もあるし、ここは見ごたえのあるビキニとか」 「それとかTバッグとか」 「そうだな、胸があってメリハリしっかりしてれば、ほんといいセンいくのになぁ」 「そうだよなー」 2人は同時に昂河に目をやり、同時にため息をついた。 「‥‥でも、男なんだよなぁ」 「そー。男なんだよなぁ」 「…………」 「…………」 「……なにを男の話題で盛り上がってんだ、俺ら……」 「さあ」 がっくりと肩を落とす2人。 「……女だったらねぇ」 「……女だったらなぁ」 こと女性に関しては鋭いYOSSYFLAMEと、被写体に対する観察眼は最上級 のデコイも、先入観と来栖川の補正水着には勝てなかったようだった。 Case4. ここ数日のプールを、昂河は休んでいた。 「なんだ昂河、今日も見学か?」 浩之が声をかけてきた。 「うん‥‥そうなんだ」 「調子が悪いのか?」 「うん、まあ……」 歯切れの悪い昂河の言葉に、浩之はにやりと笑った。 「ふーん、昂河、ひょっとしてあの日か?」 言って、いっひっひ、と笑う。 もちろん親父ギャグだ。 しかし。 「…………」 一瞬言葉に詰まる昂河。 そして、しばらくの間。 「あ、あれ?」 「‥‥な、なに冗談言ってんだよ、藤田」 ぎこちなく昂河は口を開いた。 「なんだよ、今の間は」 「君が妙なことを言うからだよ。‥‥そ、そんなわけないじゃないか」 「そりゃそーだろ。マジにとってどうする」 「あ‥‥あはは、突っ込めばよかったかな」 「おいおい、ノリ悪いぞ、昂河」 「あははははは‥‥じ、じゃっ、僕はこれで」 そそくさと逃げるようにその場を離れた昂河を、浩之は首をかしげて見送った。 「なんだ、あいつ‥‥」 「あまりいいネタじゃなかったんじゃないのか?」 その様子を見ていた八塚崇乃が口をはさんだ。 「うーん、ちょっと通じにくい冗談だったか」 ポリポリと頭をかく浩之。 「けど、なんか慌ててたよなぁ……まさか、本当にそうだったわけじゃねえだろうな」 「そんなわけないだろ」 「だよなぁ」 明るく笑う浩之と崇乃だった。 Case5. プールでの自由行動の時間。 男女入り混じって、それぞれに色々とやっている。 真面目に泳ぐ者、ビート板を使って遊んでいる者、ぼーっと水に浸かっている者な ど、様々だ。 昂河はプールサイドに上がって、みんなの様子を眺めていた。 「……やっぱり、女の子の水着っていいよな……」 目じりが下がっていたりする。 Leaf学園では、特に水着の種類は決められていない。公序良俗に反するもので なければ認められるのだ。 そのおかげで、プールはまるで花が咲いたように華やいでいる。 「昂河ちゃんは、水着着ないの?」 不意に声をかけられた。 振り向くと、やはり水着姿の月島瑠璃子がいた。 「瑠璃子ちゃん……」 瑠璃子は白いスクール水着を着ていた。なんだか可憐だ。 ついついその姿にみとれていると、瑠璃子は目を細めて言葉を繰り返した。 「昂河ちゃん、水着着ないの?」 「え?今水着着てるけど、僕」 「女の子の水着がいいんでしょ?」 うっすらと微笑む瑠璃子。 「は?いや、僕が着るわけじゃなくて」 「昂河ちゃんなら、似合うよ」 「どーして(汗)」 「え?なに?昂河君、女子の水着着るの?」 突然横から声がした。 見ると、プールの中から長岡志保がにまにまと笑ってこちらを見ている。 「な、長岡さん!違うってば」 「違うのぉ?でも、案外似合いそうなんだけどぉー」 「そんなことないよ」 そんな会話をしていると、周りにいた何人かが寄ってきた。 「なんの話してんだ?」 口をはさんだ浩之を見て、志保は肩をすくめてため息をついた。 「ヒロには、似合うわけないわねぇ」 「なんだよ、なんの話だよ?」 「昂河君に女装させようって話」 「そんな話してないよっ!」 慌てて否定する昂河。 「へー?コスプレするんだ、昂河君」 城下和樹がにこっと笑って昂河を見た。 「しないよ」 憮然として答える昂河。 「えー、しないの?俺のコスプレ衣装貸してあげようと思ったのに」 「却下」 「えー、絶対かっこいいと思うんだけどな。聖乙女とかどう?」 「…………絶対却下。そもそもどっから出てきた、そんな発想」 「ええ〜、普通に出てくるけどなー」 そのやりとりにくすくす笑ったのは雅史だった。 「普段は気がつかないけど、昂河君もけっこう綺麗な顔してると思うよ。女の子みた いに見えないこともないよ」 「佐藤は人のこと言えないだろ」 「そうかなあ?」 昂河の言葉に、首を傾げてみせる雅史。 「よし、じゃ今度雅史と昂河で女子の水着でも着てみるか?」 「浩之……僕のスクール水着姿が見たいんだね」 「いや、そーゆーわけじゃねーぞ」 うるうると瞳を潤ませる雅史に、浩之が思い切り引く。 それを少し離れて見ていた崇乃が、ため息をついた。 「……なんだかなぁ」 「すっかり遊んでるね」 祐介がそれに答えて笑みを浮かべる。 「もう、しょうがないなぁ、みんな」 その言葉のまま、「しょうがないなぁ」という表情であかりが微笑んだ。 せみの声は、相変わらず高らかに、空に向かって突き刺さっていく。 白い雲は遠く、大きな塊となって地上とつながる。 熱を帯びた風がゆるやかに通り過ぎる。 夏は、まだ当分の間、Leaf学園に留まる様子を見せていた。