重ねる日々、もしくは埋没する日々。 (1/3) 投稿者:希亜

 オカ研、部室。
 学園祭も近づいたある日の昼休み、先輩である神海からの招集で希亜はオカ研に来てい
た。
 学園祭の出し物について実験する。そう聞いてはいるが、具体的にどう言った事を行う
のか、そこまでは知らされていなかった。
「早く済ませて、お昼ご飯に行きたいんですけど。どうかなぁ」
 そうぼんやりと呟いて、呼び出した神海がいないか辺りを見渡すが、ここから見える部
室内には見あたらない。
 先ほど一度本棚の方を覗いたが、神海の姿は見受けられなかった。
 お昼ご飯をまだ食べていないため、時間を気にしながら待っていると、いくつかある小
部屋の一つから神海が出てくるのが見えた。
「こっちですよ、希亜君」
 すぐに彼は希亜に気づき、そう言って手招きをする。そこでふと神海の笑顔に、希亜は
嫌な予感を感じた。
 よく見ると、周りの部員たちの視線に乗る色も、どこかおかしい。
 さらに注意してみると、幽霊部員達も希亜の様子をうかがっている。
 感じるのは、生け贄を見る色、獲物を見る色。
 希亜自身があまり思い出したくない、ここ試立リーフ学園に来る遠因となった、過去の
いじめられた記憶が、けたたましく警告を告げた。
 無意識のうちに、ふわりとほぼ一歩の距離を下がる。
「ダメだよ、逃げたりしたら」
 その声と同時に後ろから希亜を羽交い締めにする東西。よく視たら幽霊部員まで希亜に
まとわり憑いている。
「って、幽霊部員までグルかぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…………」


 そんな叫び声が途絶えて数分後。
 希亜は儀式用の部屋の中で、椅子に縛り付けられていた。ご丁寧に目隠しや猿轡、そし
て覆面まで被せられている。
(これは、面倒な事にならなければいいのですが〜)
 取りあえず辺りの様子を調べようと、精神を集中し魔法を発動させる。
(あれ?)
 普段ならこのまま魔力を圧縮して行くのだが、なぜか魔力が思うように流動しない…
 魔力を集中、圧縮して行くのは、彼がもっとも安定して魔法を使うための手段だ。空を
飛ぶこと、またそれに関連する項目に特化した魔力の持ち主のためなのか。それ以外の魔
法を扱うのには、膨大な魔力を使用する事が必要だった。
 その膨大な魔力を圧縮し爆縮させ、効果へと至らせるのが彼の普通の魔法の使い方であ
る。ちなみにその場合の魔力対効果は、他の魔法使いなどに比べる必要も無いくらい低い
と断言できる。
(これは、封じられた?)
「あー、悪いけど魔法は封じさせてもらいましたよ」
 そんな神海の、落ち着いた声が耳に入ってくる。
 確かに希亜はお人好しかもしれないが。何の説明も無いのに、抵抗もしないまま身を任
せる程までにはお人好しでもないし、達観もしていない。
(retry.  Over limit sequence start. wake up RVR-75.)
 自身にそう宣言し、強引に魔力を流動、圧縮してゆく。
 魔力封じを施されているにも関わらず、ゆっくりとは言え魔力を制御できるのは、師で
あるグエンディーナの姉妹から指導を受けた成果であった。
「あまり抵抗しなくても、危ない事なんて無いから大丈夫だよ」
 そんな東西の言葉に耳を貸さず、魔力の圧縮を続ける。
 だが唐突に、それまでの物より更に強制的に、同時に複合的に魔力の圧縮が止められる
のを感じた。
(複合多段階の魔力制御!? と言うことは、この行動は予測されてた訳ですかぁ…)
 これ以上はどうしようもなくなった希亜は、仕方なく魔力を霧散させる。
「ようやくおとなしくなりましたか… あ、芹香先輩、準備が出来ました!」
(何とか、なるかなぁ…)
「術者は芹香さんだし、比較的簡単な物だから、安心して身を任せるといいよ」
(何とかなると、いいなぁ……)
 そんな希亜の不安など関係なく、芹香が魔法陣の前で術式を始める。
 儀式魔術と言われるこの手法は、古来より在る魔法で、その系統樹の中で根っこに近い
種類に分類される。
 一番の根っこは諸説あるので触れないが、儀式魔術というのは「魔術」と言うワードで
最も想像しやすい物だと言えよう。
 部屋の真ん中に描かれた魔法陣の中央で、椅子に縛り付けられ覆面までかぶせられた希
亜。
 暗幕により光が遮断された部屋は、魔法陣の上と周りに規則的に置かれた蝋燭によって
のみ照らされ、ゆらゆらと揺らめく炎が部屋を幽玄の時へと誘っていた。
 その傍らで本を片手に、芹香は言葉を紡ぐ。
 呪文と呼ばれるそれは、世界の中心、そう呼ばれるものに必要な効果を得るために干渉
する手段の一つである。儀式魔術は厳格な手順と、厳密な呪文の詠唱によって、それらを
成し得る事を中心とした物だと言えるだろう。
 蕩々と続く呪文の流れに引き寄せられるかのように、蛍のような光の粒が魔法陣の中を
一つまた一つと現れ、ゆらゆらと希亜の周りを回り出す。
 その小さな光の粒達はだんだん増え、いつしか部屋はその光によって照らされ、ついに
は希亜を包み込んでいた。
 そして、芹香が呪文の詠唱を終えた直後、その終わりに呼応するように光は消え、希亜
を完全に包み込んだまま闇の固まりへと変質した。
 ただ蝋燭の炎だけがゆらゆらと時を刻む。そんな静寂の空間に戻った室内で、立ち会っ
た全員が事の推移を見守る。
 時を刻む音もない部屋で、ゆらゆらと揺れる蝋燭の仄かな幽玄の明かり。
 再び唱え出した芹香の呪文だけが、ゆらゆらと揺れる炎のように時を刻む。
 部屋の真ん中で希亜を完全に包み込んでいる闇は、ゆらゆらと揺れる仄かな明かりすら
飲み込み、その様は見る者に芹香の呪文すら飲み込む様相を思わせた。
 それは二度目の呪文の詠唱が終わった直後だった。卵に亀裂が入るような音と共に、中
からあふれ出る真夏の陽光のような光が闇を切り裂く。
 次の瞬間、ガラスを叩き割ったような音と共に、全てを真夏の陽光に染めるような、目
を眩ませるばかりの光を部屋にばらまいた。

 魔力の自身への干渉が終わったのを希亜は感じた。術式が終わった、少なくとも希亜は
そう思った。
 自身以外の魔法に自分が干渉されるのは、あまり好きではない。だがなんとなく懐かし
い気がして、結局魔力の干渉に全てを任せていた。
(ん〜、変わったところがあるとは思えないけど。成功したのかな?)
 とは言え、希亜は椅子に縛り付けられ、目隠し猿轡に覆面、さらに魔力を強力に封じら
れている。その為くぐもった音以外には、辺りの様子など分かるはずはなかった。

「みんな、終わったニャー。取りあえず成功ニャー」
 エーデルハイドの声に、辺りで術式が終るのを待っていた部員達がようやく動き出す。
とは言え、未だ目が眩んでいる者が大半ではあるが。
「すごい光でしたね」
 サングラス片手にした神海が、暗幕を開き外からの光を取り入れる。部員達からその眩
しさに悲鳴が上がるが、そんな事はお構いなしである。
 椅子に縛り付けられた希亜の背中には、二対四枚の折り畳まれた小さな翼が、淡い空色
の光を帯びてふよふよと浮いていた。
 東西が近づいてその翼に手を伸ばすが、その手はそれに触れる事は叶わずにすり抜ける。
「実体がない。 …それにしても、ここまで分かり易いとなかなか楽しいかな?」
「そうは言っても、この力の映像化は出し物としては使えませんね」
「どうしてですか? 神海先輩」
「例えばオカ研部員の、魔法使いや魔術師にこれを使ったとしても、あまり客が寄せられ
るほどのインパクトにはならないと思いますよ」
「あ……」
 言葉の本意に気付いた東西に頷いて、神海は言葉を続ける。
「そういう事です。ここまで分かり易い力の持ち主が、他にあまりいませんからね」
 なるほど、とでも言うように芹香も神海の言葉に頷く。
 確かに人型に翼があれば、それは空を飛ぶのだろうと子供でも容易に思い浮かべるだろ
う。
 そこまで考えて、東西は一つの疑問をぶつけることにした。
「……分かっているなら、どうして実験を?」
「それはもちろん、見たかったからですよ」
「え!?」
「好奇心です。言ってみれば、術の結果が詳しく知りたかったからですよ」
 東西は神海の言葉を聞いて、ある意味は納得するのだが、
「分かっているなら、先に言って欲しかったですよ先輩」
 そう言ってワカメ涙を流すのだった。
「…え? 取りあえずあの子の縄を解きましょう?」
 コクコク。
「そうでした、忘れるとこだった」

 覆面が取り払われ、先程よりはクリアーになった聴覚が周囲の様子を脳髄に運ぶ。術を
続けるには騒がしいことから、既に全てが終わったのだろうと希亜は一安心した。
 そう思っている間に猿轡や目隠し、魔力封じの枷等々と、順に外されて行く。
(両腕、全翼、両脚、動作と感覚は正常… 別に変わったところなんて無いですね。さっ
き力の映像化って言ってたけど何だったんでしょう)
 色々と関節を曲げたりして、自身の様子を動作確認した希亜は、椅子に縛り付けていた
ザイルがほどけると、ふわりと立ち上がり服装を正す。
 そこには、学園指定のブレザータイプの制服をきちんと着こなした、淡く空色の光を広
げる、四枚の幻影の翼を持つ少年の姿があった。
「特に危害を加える魔術じゃなかったでしょう?」
「そでしたねぇ」
 神海にのほほんと答えながら、希亜はふと時計を見る。そろそろお昼を取らなければ、
次の授業に差し支える時刻になっていた。
「では、これで。私はお昼まだですので」
 言いながら浮き上がると、希亜の背中の、外側一対の翼がゆったりと伸びる。あまりに
も自然なその様子に一同が目を奪われている間に、彼はすり抜けるように窓から外へと出
て行った。
「ああっ! 解除せずに行ったよ…」
 東西が飛び出した希亜を追いかける様に窓から外を見上げる。
 その東西の背中に向かって神海は言う。
「まぁ、実害はないだろうから大丈夫ですよ」
 何せこの学園では少々奇抜な格好をしていても、珍しい事ではないからだ。


 学園内、部活棟廊下。
 ふよふよと、ちょうど歩く程度の速度で希亜は漫研へと進んでいる。
 背中の翼は羽ばたくでもなく、その外側の一対二枚が、まるでそよ風になびくかのよう
に自然に伸ばされている。時折廊下の壁や柱を透過してしているのを見る分には、やはり
翼は実態を伴っていないのだろう。
 反対に小さく折り畳まれた内側の一対の翼は、伸ばされた翼の内側で、僅かに見え隠れ
している。
 そして希亜は漫研の戸を開く。
「戻りましたぁ〜」
 いつものようにのほほんとそう言って、希亜は漫研の部室に入った。
「あーーー……、オカ研で実験台にされたんスね」
 入ってきた希亜を一目見るなり、哀れむような、どこか悟ったような表情で、しみじみ
と言う軍畑。
 軍畑の言葉を不思議に思ったが、希亜はそのまま自分の机の前に降り立ち、置いてあっ
た鞄の中から細長いパン屋の袋を取り出す。すると先ほどまで自然に伸ばされていた翼が
折りたたまれ小さくなってゆく。
「なんや? 背中の羽どないしたん?」
「かわいい羽ですのー」
 新しい玩具でも見つけたような由宇と、希亜の背中の羽にそう感想を述べるすばる。
(……どうして『背中の羽どないしたん?』なんだろぅ。それに軍畑さんの言葉、背中の
翼が珍しいわけでもないでしょうに……)
 そう内心呟きつつ、それぞれの言葉に強い違和感を感じた希亜だが、取りあえず自分の
席に着く。
 足下に自分の鞄を起き、机の上のバスケットの中で眠っている、使い魔の様子をのぞき
込む。
 そうして、ふと視線をあげた。
「…なんか、変ですかぁ?」
 そう言った希亜の背中を見る一同。そこにある翼は折り畳まれ小さくなって、希亜の背
中で静かに浮かんでいるように見えた。
「結局オカ研で何があったんスか?」
「なんでも、力の映像化らしいですよ」
「あー、だから弥雨那ちゃんの背中に翼があるんスね」
「え?…」
「だから、弥雨那ちゃんの背中の羽ッスよ」
「この翼は…」
 元からあった物と言おうとして、記憶をたどった。同時に希亜の背中、内側の一対の翼
が広がる。
 違和感を全く感じなかった背中の羽は、希亜が思い起こせる全ての記憶、そして希亜が
触れられる全ての事象で該当するものはなかった。


 オカ研。
「え? 暗示もかけていたのですか?」
 コクコク。
「今頃、気付いているんじゃないかな」
 芹香の言葉を反芻した神海に、ペットボトルの紅茶を片手にした、東西が言った。
「え? かもしれません? 元々は自分の様子に違和感を感じないようにするための暗示
だったのです?」
 反芻する神海に、芹香は頷いて答える。
「だったら、暗示は無い方が良いと思いますよ。だって、それまでの自分と、能力を映像
化した自分の差が、楽しめないと思いますから」
 神海の言葉にしゅんとなる芹香。
「それにしても、翼が四枚って、空を飛ぶ能力だけでああなる物なのか?」
「…他にも力があるのでしょう?」
 芹香の言葉を反芻した東西が、指を折って知っている限りの希亜の能力を適当に挙げて
行く。そして似通った力を纏めると…
「グエンディーナで系統だった魔法を使う事、こっちで系統だった魔術。そう分けると、
良く目に付く空を飛ぶ事はどちらだろうか」
「それでは3つですね」
「これ以上纏めるとなると。上位の事項を持ってきて、魔法使いで一つになる」
「ただ単に、その力が4枚の翼として現れたとも考えられますよ」
 神海がそう仮定を述べた所で、芹香がすっと手を挙げ意見を述べる。
「…それだと、飛び出した時に、小さくなったままの翼の意味が分からなくなります? 
なにより力の映像化ですから、系統で分ける物ではないと思います?」
 コクコク。
 芹香の言葉を反芻しながら、神海はもう一度希亜の力について考え直してみる。
「見た目で考えるなら。浮かび上がるときに大きくなった方の一対は、飛ぶ事に関係して
いるんだろう」
「そうすると、もう一対の翼は?」
 鋭く指摘する神海。
「気になるなー」
 希亜が飛び出してゆく瞬間を思い出しながら、東西はそう呟いた。
「え? …明日までには効果が解けますから、それまでに分からないと永遠に謎です?」
 コクコク。
「楽しそうですね、芹香先輩」
「え? 今日は良いことがありそうです?」
「そう言えば、今日の六時限目は芹香さんも休講でしたね」
「はい? 久しぶりに大成功しましたから?」
 コクコク。
「「大成功?」」
 芹香の言葉をもう一度反芻した神海と、驚いてハモってしまった東西。
 二人はお互いに顔を見合わせながら、思わぬ事が希亜に起こらないかと、想像せずには
いられなかった。


 漫研。
「今日は、備品の買い出しは良さそうですねぇ」
 取りあえず、いつものように備品の在庫を確認した希亜は、そう言ってハーフサイズの
バゲットをかじる。
 ちなみにこれが今日の希亜のお昼ご飯である。いつもなら綾芽と一緒にお昼を取るのだ
が、今日はオカ研の用事のために、漫研で遅い昼食を取っているところだ。
 薬缶のお湯が沸くのを待ちながら、のんびりとバゲットをかじっていると、声がかけら
れた。
「背中の翼。スケッチしたいんですけど、よろしいですの?」
「あ、じゃあ少し待って下さいね」
 そう言ってすばるの申し出を快く引き受けると、希亜はふわりと浮かび上がり、伸びを
するようにゆっくりと二対の翼を広げた。
「優しい翼ですのね」
 すばるの言うとおり、翼は包み込むような優しさを持って、空色の淡い光を広げていた。
その姿には一片の力強さもなく、彼自身ののほほんとした様相が、そのまま翼に現れたよ
うだった。
 すばるに背を向けたままの希亜は、のほほんとお湯が沸くのを待ち。すばるはそんな希
亜の翼を見ながらスケッチを進めて行く。
「そう言えば、トゥスクルの人たちにも羽を持った方がいましたの」
「へぇ〜」
「今度、スケッチのモデルをお願いするのも良いかもしれませんの」
「ですねぇ」
 希亜はモデルで、お昼ご飯のバゲットを食べながら。すばるは鉛筆を走らせながらに会
話は続けられた。


 五時限目直前、某講義室。
「遅いよ希亜。って、……あれ?」
 隣の席に荷物をおいた希亜に気付いて振り向いた綾芽が、希亜の背中の羽に気付いた。
「なんですか?」
「背中の羽、どうしたの?」
「これが、オカ研での魔術の結果ですよぉ」
「ふーん、まるでトゥスクルの人みたいだね」
 隣で授業の用意を鞄から取り出す希亜と、その背中の羽を交互に見た綾芽は、希亜が特
に変わった様子を見せないのを安心して、視線を戻した。
「すばるさんもそんな事言ってましたね」
「すばるさんって?」
「漫研の部員ですよ、さっきのその人からって… そんな怖い顔しなくても〜」
 希亜の言葉に鋭く反応した綾芽に、希亜が説明をする。だが綾芽の視線は希亜に突き刺
さっていた。
「希亜君って、女の子の知り合い多いよねー」
 ジト目でそう言う綾芽。
 とは言え本気で希亜を睨んでいるわけではない。綾芽とすばるとでは、格闘部に顔を出
す相手同士で面識はある。ただ本人が意図するよりも、希亜に向けられた綾芽の視線は鋭
かっただけのことである。
「ううっ、機嫌なおして下さいよぉ」
「じゃあ放課後に、商店街の笙青堂で手をうってあげる」
 そう言いながら綾芽は商店街の甘所、笙青堂のメニューを脳裏に浮かべていた。
 だが希亜は放課後にと言われ、今日がスフィーとリアンの姉妹に、魔法を習いに行く日
である事を告げようと思った矢先、綾芽もそれに気付いたのか言葉を続けた。
「あ、今日は行くんだよね? だったらこの土曜日にね」
「はい」
「おはぎとかもいいなぁ」
「円、あったかなぁ」
 既に甘所のメニューが頭にある綾芽と、財布の中身を心配する希亜だった。


 六時限目前、部室棟。
 五時限目が終わり、二人は希亜の使い魔、クラムを迎えに漫研に寄ったところだった。
 漫研から出てくる二人と一匹。使い魔である子猫のクラムは、希亜の肩にへばりつくよ
うに乗っている。
 この後に授業がないこともあって、毎週の今日は綾芽は初等部での紙芝居に、希亜は師
であるグエンディーナの姉妹に魔法を教わりにと、それぞれに放課後を過ごすのが、いつ
ものことになっていた。
「じゃあ、わたしは準備して、初等部に行っているから。希亜はしっかり勉学に励むんだ
よ」
 Rising Arrowに跨った希亜に、綾芽はそう声をかけて手を振る。
「じゃあ、行って来ますね。また明日ぁ〜」
「うん、また明日ー」
 希亜も手を振り返し、この場から飛び立って行った。
 綾芽は離れて行く希亜の背中に浮かぶ外側の一対の翼が、風を切るわけでもなく空に伸
ばされているのを見ていた。
(翼で飛んでいる訳じゃあないんだよねぇ、希亜の場合は)
 そんなことを考えながら、良く晴れて深く澄みわたった空の中へと、吸い込まれるよう
に飛んで行く希亜の姿を、綾芽はしばらく見上げていた。
 やがて小さく点としか認識できなくなった希亜に背を向け、
「さて、わたしも行こうかなー」
 そう自分に言い聞かせる。
(さぁ、希亜もがんばっているんだから。私もはりきって行こー)
 取りあえずオカ研に置かせてもらっている荷物を取りに、綾芽もこの場から歩き出すの
だった。


 学園の敷地から離れ、なだらかな丘に沿って広がる住宅地を越える。
 希亜はいつもの箒であるRising Arrowに跨ったまま、商店街上空にさしかかっていた。
 向かっている五月雨堂は、宮田健太郎が切り盛りする骨董品店である。
 希亜がグエンディーナ系の魔法使いであることもあって、そこに居候しているグエンデ
ィーナ出身の姉妹を師と仰ぎ、今日も魔法を習いに向かっているところだった。
 ふと、後ろへと視線を動かす。視界の端に淡く空色の光を放つ翼が見える。
 それが自分本来の物だと認識した直後、漫研での翼に対するやりとりが思い出された。
(…… もしかして… 暗示かかってた?)
「む〜〜…」
 そう唸って、翼のある自分の姿を考える。
 翼がある姿を街の人たちに見せるのは、あまり良くないと判断した希亜は、
Rising Arrowの舳先を五月雨堂の裏側、つまり住居側の玄関前へと舳先を向ける。
(一応、視覚的にも意識的にも分からないようには、なっているんですが…)
 頭の片隅に儀式魔術による翼があることを意識しているためか、いつもの様に隠蔽効果
のあるフィールドを張っているにもかかわらず、心細さを感じていた。
 翼が見られると色々面倒な事になりそうだなと思いつつも、頭の何処かで「みんな慣れ
ている事だから」との言葉が聞こえる。
 確かに学園近辺の住民は事実そう言った事に慣れている。だが希亜は無い事に超した事
はないと思い、出来るだけ自身の魔法使いとしての側面が人目に付くのを避けるのだった。
 アーケードの上を通り過ぎ、幾つも民家の屋根の上をゆっくりと高度を下げながら進む。
そうしてゆっくりと宮田家の玄関前へと降りようとした希亜の視界に、部屋から庭へと続
く戸が開いているのが見えた。
(これは。 …入ってしまった方が見つかる可能性が低くて良いかな)
 言い訳するように内心でそう呟きながら、希亜は箒の舳先を開いている戸の方へと向け、
滑るように室内へと入る。
 中から戸とカーテンを閉め、外からは見えないようにして、ようやく希亜は靴を脱いで、
Rising Arrowから降りようとした。
「誰ですか!?」
 廊下から一切の妥協のない、凛としたリアンの声が希亜の耳に届く。
 一人と一匹は思わず驚いた物の、それぞれに一度深呼吸して、希亜はその問いに答える。
「故あって、静かに上がらせていただきましたぁ」
「その声は希亜君?」
「ちょっとありまして、町中をこの姿で出歩く訳には行きませんので」
 両手に金属バット、頭には鍋を被ったリアンがおっかなびっくり出てくる。
 左手にRising Arrow、右手に脱ぎたての靴を持った希亜は、それらを持ったまま両手を
あげ降伏のポーズを取りリアンを迎えた。
 リアンは希亜のそんな行動よりも、背中に見え隠れする翼に気付いて口を開いた。
「えっと。それは翼ですよね、それも魔力による」
 確信を持って放たれた言葉が希亜の脳裏に到達する。
 希亜はそのリアンの言葉に対し、肯定と否定のそれぞれの思考を同時に並べていた。前
者は来栖川芹香の魔術の結果による翼である事を再認した記憶からの判断。後者は無意識
に自分本来の物だと言う暗示からだった。
 希亜は少しの間その両者を分析し、その差に整合性を付けるのに時間を要した。
 リアンからは希亜本人は迷っていたように見えていたのだが、彼の背中の翼が一対、伸
びゆくように広げられる様子に、見とれてしまった。
「これは〜オカ研の実験の結果なんです。ちょっと暗示がありまして、自分本来の物だと
勘違いしてしまうんですよぉ」
 やや戸惑いながらではあったが、希亜はそう答えた。
 淡く優しく、その空色の光を辺りに広げる希亜の翼に見とれていたリアンは、希亜の言
葉を理解するのにやや時間を要した。
「少し調べても良いですか?」
 リアンのその申し出と、彼女の瞳を彩る好奇心を感じ、希亜はすぐに「はい」と答えた。
 じっと部屋の中程でRising Arrowを左手に、靴を右手にしたまま、ブレザータイプの学
園の制服を着こなし、背中に淡く空色の光を広げる翼を持ち、宙に浮く少年。
 その希亜の周りをくるくると回るようにして、リアンは食い入るように注意深く施され
た魔術の様子を観察する。
「あまり強力な暗示ではないようですね」
「そですか」
「希亜君もすぐに気付いたくらいですから」
「それは、一度学園で気付かされましたし、それから何度も気付く羽目になりましたから」
「そうでしたか。だとしても、暗示は強力な物ではないですね。むしろこの四枚の翼の方
がすごいです」
 言いながらリアンは希亜の背中にある、折り畳まれ小さくなった二対の翼をじっと観察
する。
「そんなに強力なんですか?」
「強力と言うよりは、精巧というべきでしょうか。希亜君の能力を見事に表現して、さら
に体の一部として認識されています」
 リアンの言葉を、今の自分の状態と照らし合わせながら聞いた希亜は、改めて術者であ
る来栖川芹香の力量に感嘆する。
「なるほど。そう言われてみると。さすが、と言うべきでしょうね」
「術者はどなたですか?」
「オカ研の、来栖川芹香さんです」
「お名前は伺ったことありますが、面識はないですから…」
「だったら、会いに行きましょうか」
「え?」
「放課後すぐになら、オカ研にいると思いますから。それなら案内できますよぉ」
「良いんですか?」
「…リアンさん、それは私の台詞ですよぉ。私は今日もあなたに魔法を教わるために来た
のですから〜」
 リアンの期待の交じった言葉に、希亜はため息混じりにそう言った。
 その言葉にリアンが我に返る。
 好奇心に駆られて、同時に希亜に乗せられるままに、弟子である希亜に対しての師事を
疎かにするのかと、思わず自問する。この辺り、リアンの性格が現れていると言えようか。
「…そうですね」
 迷いの乗った言葉がリアンの口から紡がれる。
「でも、たまには好奇心を満たすのも良いと思いますよ」
 希亜の言葉にリアンは頷く、どうやら今日は好奇心に身を任せることにしたようだ。
「そうですね、ではそうしましょう。希亜君、案内して下さいね」
「はいな」
 笑みを浮かべてそう言うリアンに、即答したところで希亜は気付いた。彼女がまだお鍋
を被ったままだと言うことに…
(つまりはこのまま始めていたとしても、今日は気になって魔法の練習どころではなかっ
た。と言う事ですかねぇ)
 そう内心呟きつつも、自分がまだ靴を手にしていることには気付いていない希亜だった。


 十数分後、オカ研。
「失礼しますぅ」
「お邪魔します」
 一応は部員である希亜の、のほほんとした声に続いて、オカ研では見慣れない人物であ
るリアンが部室に入って来た。
 二人に気付いた東西が希亜に声をかける。
「希亜君、その人は?」
「私の曾祖母と同じ世界の方です」
「初めまして、リアンと呼んでください」
 そう言って彼女は丁寧にお辞儀をして答えた。その上品な仕草に、つられて東西も頭を
下げる。
「それより来栖川芹香さん、まだおられますかぁ?」
「ああ、そっちの部屋に来栖川さんとこの娘と一緒にいるよ」
「綾芽さんも来ていたんですか。では失礼しますね」
 希亜はそう言って、軽く会釈をすると、そそくさと指された小部屋の方へと歩き出した。
「では、私も失礼します」
 リアンも慌てて希亜の後を追うのだった。
「リアンさん、来ていたんだね。挨拶でも思ったけど…」
 本棚から出てきた神海が、小部屋に入って行くリアンの後ろ姿に気づいてそう言った。
「知っているんですか? 先輩」
「ああ。ほら五月雨堂か、結花さんの喫茶店の方で会いますから」
『主… 前に言っていたグエンディーナの方ではないんですか?』
 声と共に、空間からはじけるように妖精が姿を現した。東西に憑いている、命(みのり)
という精霊だ。命はそのまま彼の頭の上にちょこんと座り込む。
「どうしてそうなる?」
『雰囲気があの希亜という子に似ているんです。たしか、彼の曾祖母はグエンディーナの
出身だったと思いますが』
「そう言えばそうだ。箒乗りって言うイメージが強くて、忘れてたよ」
『しっかりして下さい』
 ため息混じりに紡がれる命の言葉に、東西は苦笑いを浮かべる。
 精霊が姿を現しているが、仮にここがオカ研でなくとも、この学園では特に珍しいこと
ではない。


 その奥の小部屋。
「失礼しますぅ」
「お邪魔します」
 間延びした声と共に部屋に入って来た希亜の後ろから、綾芽の見たことのない人物が入っ
て来た。
 背は小柄な希亜より少し背が高いくらいだろうか、年は高校の上級生くらいに見え、眼
鏡をかけ落ち着いた雰囲気のある女性だった。
「希亜君、そちらの方は?」
 そう問いかけた綾芽の隣で座っていた芹香は、その相手を見て席を立ち、リアンに正対
する。
 芹香に釣られるように、雰囲気のにまれ立ち上がった綾芽を確認して、希亜は芹香とリ
アンの間で紹介を始めた。
「私が魔法を教わっている姉妹の一人で、Rian=er=Atwaria=Crierさんです」
「リアンとお呼び下さい」
 そう言ってリアンは芹香に、上品な仕草でお辞儀をする。
「こちらが、来栖川芹香さん。学園では有名な魔術師です」
「…………………………」
 芹香も紹介されて、やはり上品な仕草でリアンにお辞儀をした。
 ただ、希亜と綾芽には芹香が何を言ったのか聞き取れたが、リアンには芹香が何を言っ
たのか聞き取れなかったようで、リアンはとまどい視線を希亜の方へと移していた。
「あ。芹香さんは、声が小さいので」
「そうですか」
 希亜の言葉を聞いて納得したのか、リアンは綾芽へと向き直る。
「えっと、悠綾芽です。よろしくお願いします」
 慌てて挨拶をする綾芽に、リアンはやはり丁寧に挨拶を返す。
「希亜君から聞いたとおりの方ですね」
「ええーっ! 希亜っ! わたしの事なんて言ったのよぉ」
「希亜君からは、可愛い人だと。あとここから先は伏せておきますね。いずれ本人から聞
くことになるでしょうから」
 リアンの口から「可愛い人」と言われ、綾芽は希亜を見たまま顔を紅くしていた。
 対する希亜も顔を真っ赤にさせたまま「意地悪です、リアンさぁん」と、そう言うのが
精一杯だった。
 芹香がその様子に仄かな笑みを浮かべつつ、リアンに席に座るように促す。
 その様子に気付いた希亜は、ふわりと三人に背を向け、
「お茶菓子でも用意しましょうかぁ」
 そう言ってやや足早に部屋から出て行ってしまった。
「今日は何かなー」
「え? この前はカステラとダージリンでしたから、今日は和菓子だと思います?」
 コクコク。
「希亜君は良く持って来るんですか?」
「はい。たまーに、とてもすごい物を、持ってくる時もありますけれど…」
 リアンに答えながら、綾芽の視線がゆっくりと外れて行く。
「すごい物?」
「よく熟れたドリアンとか…」
「あの生ゴミのような匂いがする果物のことですか?」
「え? あの時はしばらく部室にいられなくなりました?」
 コクコク。
「本当にあの時はすごかったよねー」
 コクコク。
「美味しかったけど。 …本当にすごかった」
 しみじみと語る綾芽と頷く芹香。その様子にリアンはただ苦笑いを浮かべるしかなかっ
た。