『……お前さ、空を飛びたいと思った事あるか?』 言葉が頭の中によぎった。 以前に悠朔さんが私に言った言葉だった。 突発ショートショートL5「空と…」 放課後、部室棟の屋上で綾芽さんを待っていた。 夕焼けの赤と、風に舞い降り行く雪の色が、紅の空を淡く白く彩っていた。 頭の中でもう一度繰り返す。 『……お前さ、空を飛びたいと思った事あるか?』 「本当はね、空を飛びたいんじゃない。 空と共に在りたいんだ」 そう言ってぼんやりと、空を見上げる。 雪はいつの間にか牡丹雪から粉雪に変わっていた、空の中で群れをなして飛ぶ鳥の ように風に舞い、そして地表へと降り落ちてくる。 ぼんやりと空を見上げながら、意識を視界から思考へと移す。 生身で空を飛んだ事があるのなら分かるかもしれない。 空がいかに頑なに生物を拒むかを、鳥でさえ空に在り続ける事はできない事を。 見上げる者は多分、気付く事はない。 幼い頃に、空が寂しがっているのを想ったからかもしれない… あの時、見上げた空はどこまでも深く、どこまでも蒼く、そしてどこまでも続いて いた。 そう言えば、いつの頃からだろう。 空が寂しがっていると、思うようになったのは。 小さな頃は、飛ぶ事で精一杯で、空の狭さを意識していなかった… その頃はまだ、見上げれば悠久まで広がっている、そう感じていた。 ああ、そうだ。 家出をした時だった、見知らぬ土地へと逃げ出した… あの時飛んでいた快い闇の中で、ふと思ったのがきっかけだったんだ。 闇の中、ふと周りにそら以外何もいない事に気がついた。 その時は海の上を飛んでいた、いくつもの雲の中を駆けるように… 生き物は、ぼく以外には、存在していなかった。 見上げると満月。 吸い込まれそうな月夜だった。 ぞっとした。 空が独りぼっちだと、思うようになったんだ。 あの後から、私の空に対する感情は変わってしまった。 たった数十qの空気の層、この星の表面をたまごの殻よりも薄く、だがやさしく包 み込んでいる空。 そのちっぽけな空より更にちっぽけな私はただ、この空と共に在りたいと思ったん だった。 寂しがっている、そう感じた空が少しでも寂しくないようにと… 淡く深く広がっている空を見上げたままの、希亜の側まで来た綾芽。 いつも通りに緋袴姿で鞄を背負っている。 冬なのに寒くないのかなと言う思考は、いつもこの姿を見ている希亜にはあまり無 かった。 「希亜君、こんな寒い中に独りで立っていなくてもいいのに」 「雪の舞を見ていたんです」 「なにか考え事していたんでしょ」 「ええ、まぁ …幼い頃、空を見上げていたことを〜、思い出していました」 「ふぅん。 希亜君の小さい頃ってどんな子だったの?」 「あの頃はまだ 箒も使えなかった。 家の中以外では飛ぶこともありませんでした から〜、普通とは少し違う子供として、空にあこがれながら、普通に毎日を過ごして いました」 「いつぐらい?」 「まだ幼稚園くらいでしたね。 広島でマンションに住んでいた頃で、お向かいの部 屋にいた女の子と一緒に幼稚園に行ってました」 「ふうん、広島にいたんだ」 「ええ、新幹線がよく見えるマンションに住んでいまして、よくその子の家にあがっ て、一緒に遊んでいました」 懐かしそうに、昔を語る希亜。 その希亜の過去に思いを馳せながら、思い出しえ ない自分の過去を寂しく思ってしまう綾芽。 綾芽の表情が沈むのを視覚以外で見取り、 「中に入りましょうか〜」 「…うん」 落ちては解ける雪を踏みながら二人は中に入る。 帽子に着いた雪を払う希亜の視線が綾芽に向かう、 「これからを…」 「?」 「これからを作る手伝いは、私にも出来ます。 無理に笑みを浮かべてもらおうとは 思いません、でも笑顔は良い物ですよ」 「心配してくれるんだ」 「当たり前ですよぉ」 「ありがと、お姉さんはうれしいよ」 うれしそうにそう言いながら、くしゃくしゃと希亜の頭をなでる綾芽。 「と、とりあえずカフェテラス。 そこでお茶にでもしますか」 「おごり?」 「あう… 少しなら」 「行こ」 図書館カフェテラス。 「ところで… 希亜君は、やっぱり日本茶なの?」 「まぁ、専門は日本茶ですけど。 そうでもありませんよ〜、チャイとかもいれたり しますから」 「チャイ? …ええと…」 必死に思い出そうとしている綾芽を楽しそうに見つめる希亜。 その希亜の視界に一人のウエイトレス、確かがこちらに足を進めようとして、その 足を止めた。 それを不思議に思う暇もなく、 「いらっしゃいませ」 「はぁう!」 背後からではなく、真横からかけられた声に、驚いてしまった。 些細な事かもしれないが。 希亜にとって全くの不意に、そして何も感じさせない ままにであった。 もちろん声を掛けたウェイトレス、電芹も希亜を驚かせようとしたわけではない。 「希亜君?」 希亜の様子を不思議そうにのぞき込む綾芽。 「なんか、驚いてしまいました…」 げんなりした表情の希亜。 「希亜君って、驚いた後って悔しそうにするけどどうして?」 「それはですね…」 今まで忘れ去られていたのか、 「あの、ご注文をお願いします」 困ったような表情の電芹は、とりあえずさっさと仕事を済ませようと割入った。 「あ、そですね」 そう言った希亜の視線が綾芽の方に向けられる。 「えっと… チャイを」 「では私は、ストレートで」 「チャイ、ロイヤルミルクティーとストレートティーを一つずつですね」 「はい」 「かしこまりました。 少々お待ちください」 そう言って電芹は離れて行く。 そして綾芽は再び希亜に視線を向けた。 「どうもだめなんです、視界の外にいると、HMを認識できないんです」 「…普通は、見えなきゃ分からないよぉ」 「いえ、そうではなくてですね。 いつも人物を雰囲気というか匂いというか、もし かしたら心の有無でかもしれませんが、そういうものでとらえているものなので…、 どうもマルチとか、ちびまるとか、セリオタイプのMHとかのそう言ったモノが感じ られない者は、視界の外にいると全く感じる事が出来なくて…」 「心を感じてるの? 魔法で?」 「どちらかといえば癖です」 「…よくは分からないけど、希亜君がその心みたいな物を感じる事が出来ないから全 く分からない。 そう言う事で良いのかな」 「はい、ほぼその通りです。 でも不思議とマルティーナはなぜか分かるんですけど ね」 「ふうん」 「でまぁ、結局いきなり声を掛けられて驚いた訳です」 「そうなんだ …じゃあわたしは、どんなふうに感じるのかな?」 「えっ? 綾芽さんですか?」 「うん、興味あるなぁ」 思わず言葉に詰まる。 イメージとしてはすぐに浮かぶのだが、言葉というレベルに落とす事と、希亜の持 つ想いがそのイメージを、劣化し歪めてしまう。 「…うまく、言葉になりません」 綾芽の視線の先のそれは、悔しさと迷いが入り交じった顔だった。 「どうしたの?」 「イメージはすごく明確にあるんです。 でも、言葉にならなくて…」 希亜の脳裏に浮かぶ綾芽のイメージは、水の小鳥、その身にいろんな想いを溶かし て… だがそれさえも希亜の願望が多分に入ってる事に希亜自身気付いていた、だか ら言葉に乗せなかったのだ。 「うーん、じゃあパパは?」 「あの人ですか? あの人は… 猫ですよ」 「猫?」 「はい、あまり執着はありませんし、本人が自覚していないだけで何かと首をつっこ んでいますしね。 そして表だけはペシミストにもかかわらず、誰かにかまってもら える事を渇望している」 こういう時の希亜は、綾芽の目にも希亜に魔女のイメージを感じさせた。 もっとも身近な魔女をイメージさせる人物、来栖川 芹香の持つ雰囲気とは、若干 の差異はあるものの、目の前の希亜は彼女にも似た何かを綾芽に感じさせていた。 「私が彼について感じるイメージを、言葉というレベルにまでに引き下げてますから 若干の違いはありますけど… もしかしたら、彷徨う最後のサーベルタイガーなのか もしれませんけどね」 「サーベルタイガーって?」 「遙か昔に滅んだ虎のようなもので、犬歯が非常に発達していた動物の事です。 一 説にはその牙の長さ故に滅んだとも言われています」 「ふーん」 「あの人は〜、自分でも自覚している牙と、無自覚の牙を有します。 だから〜そう 言うふうに感じるのかもしれません。 そして、渇望は自分に近い者を求めていると、 まぁそんな感じです」 「何となく分かるけど…」 「まぁ、ハムスターって形容もあるにはあるんですが、そっちの方は容姿が釣り合わ ないのでパスしました」 「確かに、似合わないね。 でも希亜君って、いろいろ見ているんだね」 「これでも魔女の系譜の者ですから〜」 「じゃあお姉さんが悪さしないように見ていないとね〜」 「必要であれば、します」 希亜の透き通った言葉に、綾芽が一瞬言葉を失う。 「き、希亜君?」 「必要があればですよ、あなたが朔さんに害をなす相手を看過できないのと同じです」 「希亜君は極楽鳥だね」 「そんなに、鮮やかなものではありませんよぉ。 せめて真昼の十六夜ぐらいになり ませんか〜?」 「だーめ」 「はう …でも何で極楽鳥なんですか?」 「飛び続けるって言われてたんだよ、昔は。 これ、芹香さんの受け売りだけど」 「それは本国に剥製を送り届けたときに足が失われていたから、そう言った誤解が生 じたんですよ。 確か大航海時代のイギリスの話だったと思います」 「…大英博物館かな? 剥製とかだと」 「確かその関連だったと思うんですけど… そのあたりは記憶が曖昧で」 「ふーん、地に足をつけないところは、結構にてると思うんだけどなぁ、極楽鳥」 「あ」 「ん?」 電芹が希亜の正面の方から歩いてテーブルに近づく。 「お待たせしました」 その歩いてきた方向からして、話を聞いていたんだなと、申し訳なく思う希亜。 寮生であるというのもあって、少しは知っていたから、と言うものあるが。 そこ まで親しい間柄でもなかったため、あまり気にはしなかった。 「こちらチャイ、ロイヤルミルクティーにストレートティーになります」 そんな希亜の目の前に、二つのティーポットと二つのティーカップが置かれる。 「では、ごゆっくりどうぞ」 その言葉に乗る色は、希亜には認識できなかった。 行ってしまった彼女の背を一瞥し、視線を綾芽へと戻した。 「希亜君、少しいい?」 「何ですか?」 「ミルクティーが出てきたんだけど」 「ええ、そうですよ。 いろいろ言われますけど、大まかにはチャイはミルクティー です」 「そうなの?」 「ええ、まぁ私がいれる時は牛乳を直接火にかけるんですが、まぁそれは良いでしょ う」 狐につままれたままの表情の綾芽に、希亜は言葉を続ける。 「そですね、インドの方のいれ方をするのがチャイと一般に呼ばれるものです」 「…そうなんだ」 不承不承、とでも言うのだろうか、綾芽は何となく程度に納得したようだ。 それからしばらく、いつものようにとりとめのない会話が続く。 ふと、綾芽が袖の下から携帯を取り出した。 メールが届いていたのだろう、少し操作し読んでいる。 その顔が、視線が上がり、 「ごめん希亜君、先に帰るね」 「分かりました。 ここは私が持ちますゆえ、行って下さい」 「じゃあ、また明日!」 「はい」 何があったかは知らないが、綾芽は慌てて駆け出して行った。 行ってしまった綾芽の後ろ姿に手を振りながら。 「ちょっと残念ですね」 そう言って、もう片方の手でティーポットから紅茶をつぎたす。 そのまま、注がれた紅茶の水面をぼーっと眺め、意識を思考へと沈めて行く。 例えば… そうでない者がそうでありたいと思って時を行く、だがふと決してそうはなれない と気付かされる。 その者は何を選ぶだろうか… 或いは… そうでない者がそれに近くありたいと思って時を行く、そうはなれないと知ってい ながらも。 その者は、何を見つけるのだろうか… 私は… 空と共に在りたいと願って時を行く、だが私とて永久ではない。 だから、私も何かを選ぶのだろう… 後は… 魔法使いではなく、男のくせに魔女を追い求める、超音速の箒乗り。 我ながら変な趣味も持っているが… しかし、私はどこへ向かっているのだろうか… 何度目になるか、無意識に口にカップを運ぶ。 それが既に空になっている事に気付いた、注ぎ足そうと思いティーポットの中を見 るがそれも既に空であった。 仕方なく、意識を思考から時計に持って行く。 「そろそろ帰ろうかなぁ…」 ゆっくりと立ち上がる。 まだカフェテラスには何人かの客がいた。 レジまで行き伝票を渡す、淡々と作業をこなす電芹。 少なくとも希亜はそう感じた。 多分自分には、彼らの細かな心の機微など感じる事は出来ないのだろう、そんなあ きらめと同時に… 「ありがとうございました」 そんな声を背にカフェテラスから出て行く。 「私は残酷な人間かぁ〜」 ため息のようにそう言って、希亜はカフェテラスを後にした。 『ねぇ、弥雨那君はどうして魔法使いなのに魔法が使えないの?』 「…どうしてだろう」 『ねえ、どうして弥雨那君は飛べるのに羽がないの?』 「…それは」 あの時のままに一瞬口ごもった希亜だが、 「それは、私が空と共に在る魔法使いだからだよ」 今はもう、どこに住んでいるかも分からない思い出の子に、そう返すのだった。 朝、寮。 軍畑&希亜の部屋。 幼い頃のあの子の言葉が、はっきりと思い出せたのは、懐かしい夢を見ていたから だろう。 覚醒する感覚、全身で感じる朝の匂い。 窓からは朝日がレースのカーテン越しに部屋に入ってきていた。 その柔らかい光のシャワーを浴びるように、その光の中へふわりと飛び出す。 「弥雨那ちゃん、おはようッス」 「おはようです」 いつも元気なルームメイトの軍畑にそう挨拶を交わし、ベランダに出た。 「今日も… ふぁ〜、良い天気です」 教室。 「おはよう、希亜君」 「おはようです〜、綾芽さん。 今日は良い天気ですね」 授業前のまだ比較的早い時間に、隣同士の席に座る二人。 「ねぇ希亜君、どうして空を飛ぶの?」 それは彼女から初めて聞かれた言葉、そしてよく聞かれる言葉。 「そうですねぇ…」 言葉は紡ぎ出される、彼の持つ空への想いが。 その想いと同じように、教室の外に広がる空は青く深く高く晴れ渡っていた。