校舎から出てきて、まだ少し夏の面影を残す日差しにその身をさらす軍畑。 「おや?」 急に影が差したのに気付いて空を見上げる。 視線の先には金属で空飛ぶ箒のオブジェクトを表現したようなRising Arrowに、クーラ ーボックスを抱えて腰掛けている、今丁度こちらに気付いたルームメイトの姿があった。 「弥雨那ちゃん」 そろそろ季節はずれになりつつある、夏場の主力商品カチワリをメインに売り歩いてい る軍畑の姿を希亜もとらえる。 「軍畑さん、か…」 そのまま彼の前に降りて行く希亜は、クーラーボックスから一包みのホットケーキを取 り出し。 「丁度良かった〜、どうですホットケーキでも」 「ホットケーキっスか?」 「はい、ちょっとありまして… あ、作ったのは結花さんですから」 寮のおさんどんでもある結花のハイキックの姿を、思わず思い浮かべてしまった軍畑。 食堂の暴動鎮圧のために、何度か餌食になっている記憶が蘇っていた。 ま、そんな事はさておいて。 「どうです?」 「幾らっスか? 弥雨那ちゃん」 「え?」 思わずそう聞き返してしまう希亜、売る事なんて頭の中に微塵もなかったのだから、仕 方のないことなのだが。 「お金は取ってませんでした」 「『でした』って事は、何人かに配ったんスね?」 「はい」 特に何を思うことなく希亜は返事を返し、丁寧に包まれたホットケーキを軍畑に手渡す。 「暖かいッスね」 「ええ、紅茶が欲しくなります」 ホットケーキにかぶりつく軍畑、その表情は曇ることはなかった、さすが結花のホット ケーキと言うところだろうか。 その様子に安堵しつつも、クーラーの中にまだまだいっぱいあるホットケーキを見て考 え込む希亜。 「どないしようかなぁ」 「売り物にすれば良いッスよ、弥雨那ちゃん。」 「そないゆーたかて… 私はそういうつもりで配ったわけではありませんから〜 それに、 お金を取るほどの事ではありませんよ〜。 とりあえずは、結花さんのホットケーキを食 べていただく、それ以上の必要性は排除しましたから」 「弥雨那ちゃん、お金を取る気はないって本当にいいんスか?」 「ええ、それで何か良いアイディアはないかと思いまして」 クーラーボックスの中身を軍畑に確認してもらい、保温のため閉める。 「そうっスねえ、オイラが一緒に配るってのはどうっスか?」 「構いませんけど、早く配らないと冷めちゃってしょうがないですよ。 あ、じゃあ手分 けして半分お願いできますか?」 「分かったッス弥雨那ちゃん」 気前よく返事した軍畑に、希亜はクーラーボックスを開ける。 希亜は軍畑のこういう ところを好いている、ちょっと頼りないけれど、希亜にとっては年上の頼れる先輩である ことに代わりはないのだ。 「今まで配ったのは〜、途中でお会いしました雛山さんです、雛山さんは数人分… って 軍畑さん?」 希亜の言葉に、とりわけ軍畑の想い人である雛山理緒の名前が出たことに、少なからず ショックを受けているようだ。 「あの〜? 軍畑さん?」 「弥雨那ちゃん、今は一人にしてッス。」 そう言って、ふらふらと歩き出す軍畑。 行ってしまった軍畑に、ここにいても事態の進展が望めないと思った希亜は、 「む〜、失敗しました… とりあえず南さんの所にでも行ってみますか」 そう言って、Rising Arrowに再び腰掛け、この場から飛び出して行った。 学務課。 ブレザーの上に濃紺のマントのような物を羽織って、唾の広い帽子を片手にしたまま、 反対の肩にクーラーボックスを引っかけ、眼鏡の尻尾頭の男の子が入って来た。 比較的カウンターに近い席にいる南は、誰か来たことに気付いて振り向く。 視線の先には、 「あら希亜君いらっしゃい、今日はどうしたの?」 「お裾分けです〜」 そう言って希亜はカウンターの上にクーラーボックスを置き蓋を開いた。 南は中をのぞき込み、山と入っているホットケーキを見ると。 「あらあら、でもこんなにどうしたの?」 「ちょっとありまして。 暖かいうちに配ろうと思いまして、ご協力お願いします〜。」 そう言って、ふと希亜は視界に入った時計が指している時間に気付き、もう一言付け加 えることにした。 「そろそろおやつ時ですし、どうです皆さんで?」 そういえば、とでも言うようにふわりと時計を見て。 再び希亜の方へ振り返った彼女 は、 「そうね、いただくわ。 お幾ら?」 静止する希亜の時間。 とりあえず希亜はため息を付き、 「…南さん、私さっき『配ろうと思いまして』って言いませんでした?」 「あら?」 そう言ってとぼけたままの南さん、その彼女の後ろから声が掛けられた。 誰かと思った希亜は少し横にずれる、そこには学務課付きのセリオタイプのHMがいた。 「南さん、お皿と飲み物をご用意しましょうか」 希亜の瞼が普段より僅かに開かれる。 希亜とって入学してから何度も見ている彼女だが、彼には少しずつ彼女の様子が変わっ てきているように思えた。 「お願いしますね」 南は自然に答えると彼女は希亜の前に来て。 「では希亜さん、クーラーボックスをお借りします」 言い終えてから、希亜の僅かな肯定のジェスチャーを確認した彼女は、クーラーボック スを持ち上げ奥の方へとこの場から離れてゆく。 希亜はクーラーボックスをもって行く彼女の背中を見送りながら、 (入試に来たときは結構ロボットロボットしていたのに… 何でも来栖川何とかのテスト に使われているとか聞いたけど、そう言うことなのかな。 それともただのデータの蓄積? まぁ私は技術者じゃないから。 ゆーてもコミュニケーションは重要やし、そう言うこ となのかな…) そんな事をぼんやりと思うのだった。 「ところで、希亜君は今度のこみパには何か出すんですか?」 そんな問答から始まった他愛のない会話。 希亜にとって特に暖めているような作品も ないが、書きたいお話はあるという。 それについてまだ見ぬ作品の完成を楽しみに思う 南と、そのうち書き上げると安請け合いしてしまいプレッシャーをかけられる希亜だった。 ふと希亜の視界に、先程のセリオタイプのHMがクーラーボックスを抱えて戻って来る のが見えた。 彼女は希亜の前にそっとクーラーボックスを置いて、 「必要数だけをいただきました」 そう比較的フラットに、だがごく自然に言った。 希亜は一度クーラーボックスの中身を確かめ、 「分かりました、では失礼しますね」 そう言って希亜は、目の前の二人にぺこりと頭を下げ、クーラーボックスを抱えてこの 場から、つまり学務課から出て行った。 彼女は、希亜が十分に離れたことを確認して、 「では、ホットケーキを用意しますね南さん」 出て行った希亜に丁度手を振るのを止めた南にそう言い、また奥の給湯室へとこの場を 離れて行くのだった。 幾分か軽くなったクーラーボックスを肩に掛けたまま、希亜は部室棟の中を歩き、漫研 部の札が掛かっている部屋の戸に手を掛け、 「こんにちわ〜」 言いながら部屋に入った、何人かがそれぞれに作業している。 入り口近くに並んでいる中古の事務机の上に、書きかけのまま放置されている原稿が乗 っているのを見て、いつも使う窓側の机の上にクーラーボックスを置いた。 「誰の原稿かな〜?」 と、その書きかけのまま放置されている原稿をのぞき込む。 「由宇さん…」 そのラフのタッチを見て一目でそう言った、同時に疑問も… 「どうして、漫研で?」 「それはやなぁ希亜」 「わあっ!」 すぐ側で声を掛けられたので慌てて飛び退いてしまう希亜。 「なんや、そないに驚かんでもええのに」 天井に張り付くようにしたまま、まだちょっと驚いて固まっている希亜を見上げる由宇。 「びっくりしますよぉ」 そう言って降りて来る希亜だが、未だにドキドキいっている心臓の鼓動を押さえつける ように、その左手は胸を押さえていた。 「ん? なんやこのクーラーは」 「あ、それはですねぇ」 彼女は希亜の言葉半ばにクーラーボックスを開ける。 「ホットケーキやないか、こんなに沢山どうするんや?」 「ちょっとありまして、暖かい内に皆さんでと…」 「ほな、お茶が欲しいな」 そう言って考え込む由宇。 だが唐突に、 「ちょっと待っときや、今えーもん呼んでくるから」 そう言うなり彼女は部室から出て行った。 「えーもん? なんでしょう…」 しばらくして、ドアの向こうから声が聞こえてきた。 「お待たせ」 「ったく、何で俺が」 「まぁ、そう言いなや。 美味しいホットケーキが紅茶の到着を待っとるでー」 開けられた戸から由宇と悠が入ってくる。 「悠さん」 なんと無しに、ばつの悪そうな希亜の顔を見た悠は。 「なんだお前か、今度は何をやらかしたんだー?」 「こう言う事なんですが…」 言いつつ、希亜はクーラーボックスの中味を見せる。 「そーゆー事や、道具もあるし頼むわぁ。 あ、拒否権は認めへんからな」 一瞬光った由宇の眼鏡に、悠は何か悟ったようにしつつも視線を希亜に向けた。 「何か弱みでも握られたんですか?」 「ぐっ!」 どうも図星らしい。 「あ〜、まぁ良いことも悪いこともありますよ〜」 希亜は自分でも何を言っているんだろうと思いつつ、 「紅茶、お願いしますね」 そう言う希亜に、悠のため息が答えた。 「まったく」 漫研部の小さなキッチンを見る悠。 彼の視線には、食器乾燥機に小型冷蔵庫、電子レ ンジに… 「おい!」 「は〜い、なんですか?」 横からの返事に、答えを返す人物が居ることを確認した悠は、目の前に見える色々な台 所用品に視線を向けたまま、 「これは何だ?」 「キッチン」 即答だった、 「いや、だから…」 言いかけて相手に気付く悠。 そこにいるのは希亜だった。 (ああ、そうだった。 此奴はそう言う奴だった…) 気を取り直して、聞き直す悠朔。 「何故こんなに台所用品がそろっているんだ?」 「ここは漫研ですから、深夜早朝は関係ありません。 そんな訳で台所用品は一式そろっ ていますよ。 元々は由宇…」 解説を続ける希亜の声を耳に通しながら、流しの下を開けやかんを取り出す。 「…そんな訳で、現在に至っているんです。 あ〜、聞いてました?」 「ああ」 特に興味をそそられたわけでもないので聞き流していた悠だが、 「良いですよ、いつものことですから」 どうやらそれはばれていたようである。 「そうか」 とりあえず気にすることを止めた悠は蛇口をひねってやかんに水を注ぐ。 特に会話もなく、やかんは火にかけられた。 「紅茶はこれです」 悠は神戸紅茶と書かれた立方体の缶を差し出す希亜の後ろに、幾つかの名前もラベルも ないモノが並んでいるのに気付き、ついでに質問してみる。 「じゃあその後ろに並んでいるのはなんだ?」 「今入っているのは右から、京番茶、静岡の緑茶、八女の玄米茶です」 (…日本茶ばかりだな) 「はい。 ええと、八女って言うのは九州の方にあるんですよ〜」 (気のせいにしておこう…) そう考えつつ、希亜に視線を向け… …た事を何となく後悔する悠朔だった。 視界に映る彼の表情は、お気に入りのおもちゃを見つめる老人のようだったから… やかんの注ぎ口から湯気が慌ただしく昇る。 辺りを見回し時計を確認した悠朔は、先程希亜に用意させたティーポットに少し湯を注 ぎ込みそれを一度捨てた。 「何で捨てるんですか?」 「紅茶は高い温度で蒸らす必要がある、だから予め容器を暖めておく必要があるんだ」 説明しながらも悠朔は手を止めない。ティーポットに必要な分量を小分けしていた茶葉 を注ぎ込むと、すぐに湯を注ぎ入れる。 「手早いですね〜」 「ああ」 湯を注ぎ入れ終えるとすぐにティーポットに蓋をした。 「これから、少し時間をおいて蒸らしに入る。 蒸らしというのは紅茶の主成分を抽出す るために置く時間だと考えればいい」 「詳しいんですね〜」 「そう言うわけでもないが。 まぁ好きだからな」 ちらりと時間を確認した悠は言葉を続けた。 (まぁ、こんな日もあります) そう思いながら、悠の話す紅茶の淹れ方に耳を傾ける希亜。 やれジャンピングはどう だとか、葉の大きさによって蒸らし時間が違うだとか… 「…しかし、難しく考える必要はない。結局当人が美味しく楽しく飲めれば、それがbest だ。 この学園にはストレート至上主義も居るようだが、俺に言わせれば楽しみの幅を狭 めているだけだな」 話が終わると同時に、悠の両手は紅茶を注ぎ終えていた。 ティーカップを一つ取り、 香りを確かめ口に含む。 (悪くはない) カップを置いた悠は、傍らにいた希亜に視線を向ける。 だが先程まで彼がいた場所には、 「もう出来たんやな」 いつの間にかそこにいた由宇、彼女はそう言ってカップを手に取り、口に含みその中で 紅茶をころがし味を確かめ、鼻に近づけ香りを確認している。 (順番逆じゃないか?) 等と口に出ない悪態を抱えつつ、視線の先の由宇が口を開く。 「ゆーさく、おおきにな。 まぁ何もない所やけど、ゆっくりしてってや」 「ああ…」 (呼びつけるときは湯たんぽで脅しておいて、今更それは… まぁいい) そんな事を考えつつ部室の中へと視線を走らせる悠。 視界の中では希亜が部屋の奥の 方の部員たちにホットケーキを振る舞っている、平皿に割り箸ではあるが。 その彼がこちらに戻ってくると、悠の前にホットケーキを差し出した。 「いいのか?」 「はい」 ややぎこちなく受け取った悠に、希亜は満足したように。 「では」 そう言って離れて行く。 まだ彼は部員全員に配り終えていないのだから… 「たまにはこんな時間も良いものですね〜」 「ああ」 二杯目の紅茶を啜る悠と、濃ゆく淹れた八女の玄米茶を啜る希亜。二人とも既にホット ケーキを食べ終えている。 「しかし、誰も紅茶を淹れられないのか? これだけの道具があって」 「所詮道具はただのハードウェア、ソフトウェアサイドにあたる人物がいなければそう言 うものです。 あ、私は日本茶の方がメインですから」 ほとんど即答だった事と、やや楽しそうな表情の希亜を見た悠。 「なぁ。 お前、いやな奴だって言われないか?」 希亜は視線を悠の瞳の奥をのぞき見るようにしたまま、 「あなたは、かわいい人ですからね」 希亜はそう言って、すぐに興味でもなくしたように視線を手元の玄米茶に戻し、静かに 啜りはじめる。 「あー…」 (私にかまうとは、物好きな奴だな) そう思いつつも、どこかで「かわいい人」と言う言葉を否定したい悠だった。 蛇口から注がれるお湯を止め、手拭きで手を拭う。 「ふ〜、片付けも終わりました〜」 辺りの様子を確認しながら、希亜の言葉は広がる。 「あれ? 何か忘れているような… 備品チェックはしたし、クーラーボックスは洗った し。 他には…」 頭の中に何かがつっかえているような気分に、 「う〜 ま、後で思い出すでしょう」 この件に対しての思考を諦めるのだった。 振り返り、部室を見渡す。 何人かが作業をしたりしている、あれから既に1時間は過ぎていた。 既に悠朔も由宇も此処にはいない。 祭りの後の静けさを快く感じ。 「帰りますか」 そう言って部室を後にするのだった。 校門前。 「おう希亜、おんしも今帰りか」 「はい。 …蛮ちょさん、今日も追いかけていたんです、か?」 いつもよりも、制服の損傷の具合が少ないのに気が付いた希亜、彼の言葉は疑問形に変 わっていた。 「途中まではそのはずじゃったんじゃが…」 珍しく言いよどむ蛮次、その表情は思い出してはいけない物を思い出さないようにして いるというか… よく見ると手をふるわせている。 誰が言い始めたかは知らないが、今 平坂の体では巨乳拒絶症の発作が起き始めているのだった。 「あ〜、え〜と…」 何か話題を変えて気を逸らした方が、と考えたのも遅く。 「うおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーーーーー!!」 震えている右手の手首を、左手でがっちりと押さえ込むように掴み、そのまま走り出し て行ってしまった。 「あ〜、行ってしまいました… また、魔樹さんにでもからかわれたのかな〜」 言いつつ、不意に思い出してしまう希亜。風呂場でからかわれた事を… ふと鼻の中を伝って落ちてくるモノが、 「う… 鼻血がぁ」 相手が相手だけに非常に情けない気分のままに。素早く手で押さえながら鼻血を啜りつ つ、ポケットからティッシュを取り出し鼻に詰める。 少しばかり手に付いた自分の血が目に入った。 (儀式は好きじゃないけど、一度使ったなRising Arrowに… !) 「あっ、そうだ夢の話!」 不意にというのはあるものである。 「とりあえず、姉ちゃんにでも聞いてみましょう」 そう言って寮へ向けて飛び出した希亜だった。 キャスト(登場順) 軍畑 鋼 牧村 南 学校事務のHM-13 猪名川 由宇 悠 朔 平坂 蛮次