Lメモ外伝「風上日陰過去編―黙って一発殴らせろ!(前編)」 投稿者:風見 ひなた
 この作品は過激な表現、暴力シーンを含みます。
 ご注意下さい。

 気弱そうな少年が泣いていた。
 声を出さずに、目に涙を浮かべて。
 年の頃12、3。
 髪を短く切り、赤いバンダナを巻いている。
 頬にさした赤みの映える少年で…中性的な印象。
 学生服がなければ内気な少女、と見るものさえいたかもしれない。
 彼の瞳はいつでも気弱そうにおどおどしていたし、自分の感情を表に出すのを嫌ってい
た。幼い頃から他人に自分の感情を示すのが恐いのだ。
 或いは自分の内に眠る存在の発露に怯えていたのかも知れないし、或いはただ単にいじ
めのコンプレックスであったかもしれない。
 少なくとも彼の容貌はまだ精神的に成熟していないこの年頃の他人には揶揄されるべき
…中学一年あたり、急激に成長する年頃には「未熟」であることが一種の罪とされる。肉
体的に成熟していない場合迫害される事が多いが、迫害する側は自らの精神が未熟である
ことには気付かないものだ…対象ではあった。
 そしてその境遇が彼の生来の性格と組合わさったとき、彼の内面に潜む存在の成長を助
長していたであろう事は疑いない。
 今日、彼は体育倉庫に閉じこめられ、瞳に涙をためていた。
 両手両足を壁にくくりつけられたロープで固定されている。
 抵抗する素振りも見せない。
 束縛が強すぎるためでもあり、また反抗してもどうにもならないという諦観があった。
 彼にとってこの…「儀式」は逃れ得ぬものであった。
 望んだわけではないが、周囲の強制力は内気な彼には到底あらがえぬものなのだった。
 いつも通り彼をくくりつけた少年達の一人がサディスティックな笑みを浮かべる。
「今日は、これをやってみようか?」
 そう言って取り出したのは金属バットだ。
 彼はにやにやと笑いながら、それを倉庫前のドブにつっこむと水を滴らせ、彼の前に近
づけた。
 嫌がって彼は顔を背ける。
 別の一人が彼の胸ぐらを掴んで恫喝を掛けた。
「歯をぶち折られたくなかったら言うとおりにしたほうが利口」
 それだけで彼はひくっと体を振るわせ、目に浮かぶ涙の粒を一層膨らませる。
 彼は屈辱と憤慨に心を振るわせながら、ゆるゆるとバットに顔を、唇を近づけてゆく。
 「儀式」とはつまり、そういうことだ。
 性に目覚め始める頃…ポルノグラフィを読み始める頃の少年達が陥りがちな妄想…それ
は或いはレイプで、或いはSM…いずれにしても現実にはあるわけもないが…を実証する
べく、実験を行う。
  だが本物の女子にやるわけにも行かず…そこで気弱で、中性的な男子をいじめることで
それを行おうというのだ。
 その点彼は不幸にも彼らの歪んだ実験の対象としては最適と判断されてしまった。
  なにより彼の親が子供とは疎遠というのが大きかった。苦情はこない。もし来たとしても、それは学校側の手でもみ消されてしまう性質のものだった。
 これまで彼が受けた虐待は縄跳びでぶたれたり跳び箱の中に入れられて四方から跳び箱を叩かれたり、そういう類のものだった。
 そういう点で今日のこの実験が一番屈辱的だといえるかも知れない。
 彼はそろそろと観念し、舌を突き出す…。
 少年達の一人がごくっと喉を鳴らした。
 そのとき、開くはずのない倉庫の扉が蹴破られた!
「てめえら、ようやく見つけたぞっ!ひなたを虐めやがって…ぶっ飛ばしてやる!」
 それは彼の…風見ひなたの待ちわびたヒーローのものであった。
 やーみぃは倉庫前で見張っていた不良の一人を倉庫の中に投げ飛ばした。
 不意を付かれた不良の一人に近付くと、その腹を強打する!
 不良はたまらずげぇと鳴くとかがみ込んだ。
 その顔を容赦なく蹴り潰すと、素早く振り返ってまた別の不良の腕を捉えた。
 差し込める夕日にキラリとナイフが凶悪な光を帯びる。
「光り物だとぉ…」そしてナイフの光に負けないほどの残忍な光が彼の目に宿った。「て
めぇら、こいつでひなたをどうするつもりだった…!言え、言いやがれクソがっ!」
 だがやーみぃに聴くつもりがないのは明らかで、彼はその言葉が終わらない内に異常な
までに早い鉄拳でその顔を叩きつぶした。
 さらに追い打ちを掛けて蹴りを入れ不良を吹っ飛ばして違う敵にぶつける。
 そしてそいつめがけて一撃を喰らわす。
 やーみぃの虐殺は続いた。
 ひなたはきらきらと光る眼で親友の活躍に見入った。
 その体を固定していた縄がすっと解かれる。
 振り返ると、ウィンクした智子がいた。
「智子姉さん…」
「アホやねぇ、あんたは。虐められたらはよ言いってゆうたやんか」
 はっと突然智子は振り返る。
 不良の一人が智子の姿を見てひっつかまえようとしたらしい。
 だが智子はそれくらいで怯むような玉ではもちろんなかった。
「なめんときやっ!」そう叫ぶと智子は転がっていた金属バットを捉えるとそれで不良の
向こうずねをぶっ叩いた。
 一瞬声もなく不良はへなへなと倒れ込む。
 後ろからやーみぃの怒りの一撃が彼を襲い、不良はそのまま白目をむいて気絶した。
 やーみぃはふっと息を吐くと再びひなたに背中を向けた。
 仲間をやられて怒りに燃える親玉格がこちらを睨み付けている。
「てめえ、どうなるかわかってんだろうなぁ!」
 そう吼える親玉に対して、やーみぃは冷静に、だが怒りをはっきりと感じさせる口調で
言った。
「それはこっちのセリフだな。俺の大切な親友を痛めつけたその罪…貴様らごときゲスの
命100掻き集めても購えねぇと知りな!」
「ぬかせぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
 激昂した親玉格の剛拳がやーみぃに繰り出される。
 さすがに巨大な体躯だ。親玉格の巨体は倉庫の天井に頭が着くかどうかと言うところだ
った。若年層の社会ではこういった男が優遇される。
 やーみぃもそれなりに背は高くはあったが、さすがにそれほどまではない。
 親玉格の一撃は軽くやーみぃを粉砕するかに見えた。
 だが、やーみぃはそれをするっと避けた。まるで強風の前の羽毛のように。
 すかされた親玉格の一撃は倉庫の壁に巨大な穴を開けた。
 それで動けなくなるかと思いきや、倉庫の壁をそのままレースのように切り裂いて振り
返る。
「…さすがに威力だけは並ではないな」とやーみぃが呟く。
「次でしまいだよぉっ!」親玉格は拳を振り下ろした。
 やーみぃは冷徹に目を光らせると、右手を突き出した。
「甘いんだよ、でくの坊」
 ぎしっ!とコンクリートの床が軋む。
 親玉格の顔が恐怖にひきつる…
 やーみぃは悠々と彼に近付くと、拳を一度腹に合わせて、動けない彼に言った。
「汚らしいクズどもが俺の大事な友に触れるなんざ、おこがましい…ましてや虐めるなん
て、許される行為じゃねぇよなぁ!」
 しゅ…と空気をこする音。
 俊速の拳が親玉格を倉庫の壁の果てまで吹っ飛ばしていた。
 所詮ただの人間が、彼の重力制御の前にかなうわけもない。
「…地獄に行く前に裁きを下してやったんだ、ありがたく思うんだなゴミどもが」
 そう呟くやーみぃの顔は夕日に照らされてとても美しかった。
 ひなたはそんなやーみぃに飛びつくと、ぎゅっと彼を抱きしめた。
「やったねやーみぃ!さっすが強い!」
 無邪気に喜んでいるひなたを見て、やーみぃはこりこりと頭を掻いた。
「まあな、一生恩に着せてやるからありがたく思うよーに…」
 そう言いかけてやーみぃは口をつぐんだ。
 自分の胸に染みてゆく熱い液体を感じたからだ。
(ひなた…泣いてるのか…)
 やーみぃは後ろ手に彼の頭へそっと手を伸ばすと、その頭をゆっくりと撫でた。
 ここ数日、毎日のように傷ついてひなたは帰宅した。
 不思議に思った親友のやーみぃと幼い頃から彼の世話を焼いてきたお姉さん格の智子は
放課後になったら姿を消すひなたを探し回った。
 そしてついに、今日体育倉庫に監禁されているひなたを発見したのだ。
 危ういところだった、とやーみぃは内心で汗を拭った。
 もう少しでひなたの最後のプライドまでずたずたにされてしまうところだったようだ。
「やーみぃ…」
「…何だ?」
 ひなたは顔を上げぬままで呟く。
「僕、強くなりたい。誰にも負けない力が欲しい」
「…お前が無理する必要はない。お前は俺が守ってやる。お前はこのままで…」
 純真なままで…それで、いいんだ…。
 横を見れば、智子も頷いていた。
 智子姉さんも自分と同じ腹づもりのようだ。
 ひなたはぶんぶんと顔を振った。
「いやだ…僕は自分を守りたい。それから、誰かを守って上げられるような強さが欲しい
…」

 ひなたはわざわざ明るく振る舞うと、三人の内の先頭に立っていた。
 それを見て智子は胸を突かれるような気がしたものだが。
 やーみぃはひなたに聴かれないように、側の智子に囁いた。
「…なんとかいじめは撃退したが、これからが心配だ…」
「そやね。きっと、また復讐に来るで。そのときあの子に自分が守れるとは思えへん…」
 と智子も応じる。
「あいつに直接来たら、俺がまた守る。だがそれ以外の報復で来たら…」
「それが心配や。何か陰湿な手口で仕返しされそうな気がするわ…」
 ぴたっとひなたが立ち止まり、やーみぃに笑いかけた。
「あ、もうここまで来ちゃった。じゃあやーみぃ、智子姉さん、またね!」
 二人も笑い返し、手を振ろうとする。
 はたと気付いてやーみぃはひなたににやっと笑った。
「そうそう、今日は一家勢揃いでお前の帰りを待ってるぜ!」
「えっ!?」ひなたの顔がぱっと明るく輝く。
 ひなたは家族が好きだ。
 いつもは仕事が忙しくて構ってもらえず、幼い弟の世話をしているが、それでも彼は一
家を愛していた。
「本当!?」
「ああ。早く帰って久々の一家団欒過ごしてきな!」
 ひなたはぱと身を翻すと、いつもの彼とは思えないような俊速で走り出していた。
 やーみぃと智子はその背中をじっと見つめる。
「…過保護かな、俺?」
「ちょっとな。でも、放っておけへん子や。あたしも好きやで、あの子。ええ子やし」
 くすっとやーみぃは笑った。
「智子さんは一歳しか違わないのに姉さんみたいな口をきいてくれるな」
 それに憮然として、智子がやーみぃに白い眼を向けた。
「あたしから見たらあんたもひなた君も同じや。ちっさいころから面倒見させられとるん
や。…損な役回りやで。この問題視どもは…」
 やーみぃはあらぬ方を向いてこほんと咳払いした。
 そのとき、けたたましくサイレンを鳴らしながら消防車が彼らの横を通り過ぎていった。
 いつもなら「火事や」で済んだかも知れない。
 だが、このとき彼らはお互いの顔を見合わせ、駆け出していた。
「火の手はどっちだ!?」無意味なやーみぃの叫び。
「わかっとることをっ!進行方向の空が妙に赤いやろっ!」焦れるような智子の声。
 二人は心の中で少年の名を絶叫した。
 走る、走る。
 二人はひたすらに走り続ける。
 ひなたの家が見える。
 狭いながらも一応は一戸建て、父の苦労の結晶が見える。
 今やそれは自らの腹の内の燃えさかる炎の海に飲まれんとしていた。
「ひなたぁぁぁぁぁぁぁあーーーーーーーーーーーーーーーー!」
 やーみぃの絶叫。

 風見ひなたは呆然と目の前の惨劇を見ていた。
 上半身のみ彼の足下に横たわる父、買ってきたケーキの上にのっかっている母の手首、
頭を爆風に割られて呼吸を停止した祖父、ガラスの破片で眼どころか脳を突き破られ、ひ
くひくと痙攣する祖母。
 そして泣き虫な彼の弟はこの状況にあって涙一つ流さず、どころか言葉を一つも発さな
い。当たり前だ、喉をガラスの破片が掻き切っている。
 同居している、小学校低学年の従妹。まだ八つだ。勝ち気でいつも従兄を叱咤する彼女もまた、声を出さない。最後まで彼に優しかった彼女は従兄を庇って背中から爆風を喰ら
った。守るべきは自分だったのに。
「みんな…嘘だろ?死ぬはず、ないよね。みんなが僕を置いてくわけないよね…」
 返事はない。
 下半身をなくした父は息絶えている。
 母は単なる肉片になってしまった。
 祖父は呼吸すら出来ない、返事なんてできるわけない。
 脳をやられたんだ、生きていても祖母にはまともな返事は出来なかったろう。
 弟は何も言わない、今は彼の神経に障る声さえ聴きたい。
 従妹は眼を閉じて苦悶の形相のまま固まっている。
「嘘だ。これは嘘だ。僕は夢を見ている。さもなきゃ妄想の、僕の書いた小説の中のシー
ンなんだ…」
 誰も答えない。
 返事なんて、あるわけない。
「誰か、何か言ってよ…。これを、否定してよ。みんな嘘だって、夢だって、言ってよ…」
 ただ、火の粉の燃える音。
 灼熱の舌が、次第に広がって彼を飲み込んでゆく。
「ねえ、誰か」
 うめき声。
 それは初めは木のはぜる音に紛れて聞こえなかった。
 だが、それが自分の抱えている者の声と気付き彼ははっと自分の最愛の従妹を見た。
「ひなたちゃん、無事だったんだ…よかった」
 そう言ってにっこりと笑って、死んだ。
 心の芯から身を震わす、絶叫。
 耳をつんざく音が自らの悲鳴だと知ったとき、ひなたはこの世から淘汰された。
 ただただ心の中を従妹の顔が埋め尽くす。
 追慕の念が、彼を壊してゆく。
 なれるものなら、自分が従妹に、風上日陰になりたかった。
 日陰になって、彼女の代わりに死んでやりたかった。
 炎の舌が彼を包んでゆく。
 だが彼は既に死んでいる。心の火を吹き消されている。
「日陰ちゃん、僕は…僕は、君になりたい…」
 狂気の扉が、開く。


 突然、家が消滅した。
 この世から、文字通り消えてなくなったのだ。
 今そこにあるのは、ただのクレーター。
 強烈な殺気を感じ、やーみぃと智子はクレーターの中央を凝視した。
 何かが見えたような気がした。
 だが彼らがそれを確認するより先に、そいつは闇を抜けて飛び去っていった。

 やーみぃと智子が新聞で不良グループの家が同じようにクレーターに消えたと知ったの
は、次の日の朝のことであった。


             第一部、完