Lメモ外伝「風上日陰過去編―黙って一発殴らせろ!(後編)」 投稿者:風見 ひなた
 少年は腕組みしてため息をついた。
 遅い。遅すぎる。
 いや、彼らが遅いのは今に始まったことではない。
 町に出ればいつもこれなのだ。そしてハイドラントが怒られるのだ、世話はない。
 人はうたかたにして消えてゆく者…ならば限られた時間をせいぜい浅ましく生きねばな
らないのは世の理である…と言った古人がいた。
 が、とりあえずそんな分かったような分からないような一銭の得にならない哲学なぞい
らない。あったところで役に立たないのだから。
「久々野の奴、帰ってきたら半殺しにしてやる。いや、晩飯をかっさらうのも良いな」と
独りごち…その全てが全く意味のなさないものであることに気付き、ため息をつく。
 それは実際実現不可能であったし、もし出来たところで柏木教師に粛正されるのは疑い
ない。あり得ない夢は正しい価値判断を狂わすだけだ。その意味で、全く有害であるとす
ら言って良い。
 だがやはり少年、ハイドラントはぶつぶつと呟くのを止めない。
 彼にそれほどの文句を言わせるほどに久々野という男は優秀な生徒だったし、また不可
分であり未知の因子であった。
  ハイドラントごときがうらやんでも、届かないのだ。
 もし久々野自身が自分を単なる一生徒と認識し、梓や綾香たちが彼を酷評したとしても
やはり彼の未知数の力はハイドラントにとって羨望であった。
 その点で言えばルーン…やはりハイドラントと同教室であったが、彼の力はハイドラン
トにとって手が届くものに思われた。久々野のように底が知れないのではない。やはり彼
もまた優秀な生徒である。だが、決して不可分ではない故にハイドラントのライバルたる
に充分であると、そのときの彼には思われたのだ。
 もっとも…ハイドラントには本来ライバルなど必要のないものなのだが。
 彼はあくまでも「消火栓」なのだから。発火する消火栓などあるわけがないのだ。
「遅いな、本当に」ハイドラントは何十回目の呟きを漏らした。
 再び彼が久々野に復讐する手段を…まあたいていは久々野が気付く前に梓か綾香が止め
るものだが…それでいつも彼は二人の女性に酷い目に遭わされるのだ…考えようとした。
 その矢先のことだった。
「くすくす…」
 降って湧いた笑い声に、ハイドラントはどきっとした。
 ハイドラントはきょときょとと辺りを見渡した。
「上だよ、上。降って湧いたんだから、当然でしょ?」
 そこには、膝までもある長い髪をした少女が木の枝に座っていた。
 自分の髪を敷物にしている。
「あんた、んな座り方してっと髪痛めちまうぞ」とハイドラントは呆れて言った。
 少女は悪戯っぽい笑いを顔中に浮かべ、笑った。
「へー…意外。心配してくれるんだ」
 年の頃はハイドラントとあまり変わらない。
 巷では中学生だろう。それも、一年か二年だ。
「悪いか?」とハイドラントが訊く。
 少女はふるふると首を振った。
 髪がつん、と張って少女がびくっと震え、尻を上げる。
「いったーい…」泣き声を上げた彼女を見て、ハイドラントは吹き出した。
「だから言っただろうが。髪は座るもんじゃない、魅せるものだ」
 それを聴いて、また少女はけらけらと笑った。
「さっきから、何がおかしい?」真顔で訊く。
「だって、あなたが女の子の髪の心配するなんて意外だったんだもん」
 その答えに、ハイドラントは憮然として顔をしかめた。
 …失礼な奴だ。
 どことなくボーイッシュな感じで、長い黒髪。ちょっといいなと思ってしまっただけに
ハイドラントは余計にむかついた。
 少女はそれを見てちょっと心配そうに言った。
「…あ、怒った?」
 ハイドラントはしばらくじっと彼女を見ていたが、やがてぽつりと
「ああ」と呟いた。
 少女はわたわたとびっくりしたように暴れて、木の枝から落ちそうになって危うくバラ
ンスを取った。
「怒らないでよぉ…ちょっと失礼だったかなとは思ったんだけど…」
 思うんなら初めっからいうな!
 少女にはっきりと反感を抱いたハイドラントはついとそっぽを向いた。
「お前みたいな失礼な奴とは喋りたくもないな」
 …………………。
 静かな沈黙。
 黙っているが、しかし気配は消えない。
 まだいるのか………。
 ハイドラントはちらっと振り向いた。
 少女は手を組んでぶつぶつと何か唱えていた。
 ……………………………………………?
 なにしてんだ、こいつ。
 無視すればいいのだが、何か見過ごせないものを感じてハイドラントは訊いた。
「お前、何やってんの?」
「見てわかんない?」
 わかるか馬鹿女。
「何やってんだ?」とハイドラントはもう一度訊いた。
「あたし、あなたに嫌われちゃったでしょ?」
「ああ」
 嫌みったらしい奴だな、とハイドラントは思った。
「だから、消しちゃおうかなーって…」
「ふーん」
 ………………………………………。
 興味なさげにまたそっぽを向いたハイドラントだったが、すごく気になって振り向いた。
「消すって、何を?」
 日陰は無邪気な笑いの中にわずかながらもハイドラントを戦慄させるに足る凄みを感じ
させながら、言った。
「あなたを含めたこの町全部」
「ちょっと待て」
 ハイドラントはこめかみを押さえて制止した。
「お前、自分が何言ってるのか分かってるか?」
「うん」少女はのほほんと答える。「むかつく奴はみんなまとめて皆殺し☆」
 誇大妄想狂か?と思いながらも、何故かハイドラントは突っ込んでしまった。
「お前なぁ…出来るわけないだろが」
「どうして?」と不思議そうに日陰が訊く。
 ハイドラントはちょっと迷ったが、この小生意気な少女を驚かせるのも良いかと思い言
った。
「お前は知らないかも知れないけど、この町はエリートSS使いを育てる「塔」のお膝元
なんだぜ。まあかくいう俺もSS使いなんだけどな。お前はみたとこSS使いじゃなさそ
うだし、もしそうだったとしてもこの町を消すなんて不可能だね。…「塔」の力はハンパ
じゃない」
 少女はおーっとハイドラントを見て驚いたような声を漏らした。
 ちょっとリアクション不足かと思いつつも、ハイドラントは内心得意になった。
「というわけで、はったりは大概に…」
「はったりじゃないよ。だって、あたし…」

「魔王だもん」

 たっぷり一分。
「何だって?」とハイドラントは訊き直した。
「だから、あたし魔王の幼体なのよ。今はほのぼの美少女だけど、あと五年もすればリミ
ッターも外れてこの世を灰燼に帰すことが出来るわ」
 この女、マジで頭おかしいな…。
 そう思いながらも、ハイドラントには一笑に付すことが出来なかった。
 このとき彼は既に少女の属性に共鳴していたのかも知れない。
「この世を灰燼に、ねぇ…」ハイドラントは挑発するように反復して呟いた。
 少女はにこにこ笑っている。
「疑ってる?」と笑いを消さずに少女は訊いた。
 顔も目も笑っているが、真剣を喉元に突きつけられたような殺気を感じる。
 ハイドラントは、いや、と否定した。
「そうか。魔王か」
 少女は殺気を消してにこにこと笑い続ける。
「そう。『運命大典』って知ってる?アレに出てくる破壊の使徒があたしなの。あたし、
異界の破壊者なのよ」
 知るわけない。
 ハイドラントはもちろん知らないが、これは後に彼が通うことになるリーフ学園の図書
館司書、まさたが厳重保管している禁書である。
 馬鹿らしいとは思ったが、ハイドラントは少女の言葉の中の「破壊」に何故か強く心惹
かれた。
「破壊か…だが、いくら魔王とはいえただ一人で全てを滅ぼすのは難しかろう?何なら俺
が手伝ってやっても良いぞ」
 なぜそんな言葉が出たかは分からない。ハイドラントは反射的にそう呟いていた。
 少女は眼をきらきらさせて木から落ちてきた。
「本当!?あたしと一緒に世界を滅ぼしてくれるの!?」
「ああ、本当だ。だけど、その場合お前は『魔王』じゃなくて同士だな」
 こくん、と少女は首を傾げた。
「どゆこと?」
「俺が破壊対象をお前に告げ、お前はそれをこの世から消滅させる。まあ、俺が指揮して
お前がそれに従うといった感じかな」
 少女はんー、と考えていたが、やがてうん!と頷いた。
「いいよ!この世界にはモンスターもペインちゃんもストーンもないからどうしよっかな
って思ってたんだ!形がどうあれ滅びちゃうならみんな同じだしね☆」
 なんだか訳の分からない単語が出てきたが、ハイドラントは聴かなかったことにした。
「んじゃ、世界を滅ぼす組織の名は『ダーク十三使徒』、俺のことは『導師』と呼ぶよう
に!」
 少女はうん!と同意した。
 ハイドラントはそれを見て(可愛いな)と思ってしまった。
 この時点で世界一安い買い物をしたことに彼は気付いていない。
「ところで、お前なんて言う名だ?」とハイドラントは訊いた。
 少女はんー、としばらく考えるような顔をしていたが、やがて
「…日陰」と呟いた。
「ひかげ?」とハイドラントが確認する。
「うん、日陰。風上日陰。この体の元の持ち主の従妹の名前なの。この姿だってその子の
十三歳の姿なんだよ」
 ハイドラントは舌の上でその名を転がしていたが、やがてうん、と頷いた。
「いい名前だな。俺の名はミラ…いや、ハイドラント。お互いに偽名というわけだ」
「ん☆」日陰はにっこりと笑った。自称魔王とは思えぬ笑顔だった。
 ところで…ハイドラントは、妙に気になって訊いてみた。
「おまえ、どうしてこんな木の上なんかにいたんだ?」
 日陰は初めて気が付いたように木の枝を眺めていたが、さあ、と首を傾げた。
「なんだかとってもいらつくことがあって、その原因がこの近くにいたからだと思うんだ
けど…わかんないや。そのうち思い出すかもね」
(改めて、変な奴…)ハイドラントは呆れた。
 しかしハイドラントはいつしかこのボケボケした少女に好感を抱いていた。
 さらに何か話題を探そうとしたとき、ハイドラントは肩を叩かれた。
 振り返ると、にやっと笑った久々野が立っていた。
「ふーん、人が買い物してる隙にナンパ…やるじゃないか」
 さーっとハイドラントの顔から血の気が引く。
(この男…っ!)
「綾香に告げ口してやろうかな〜?」
 代わってハイドラントの額にくっきりと血管が浮いた。
 メラメラと心の中に殺意の嵐が吹き荒れる。
 だが、その拳を振るう代わりにハイドラントはぺこりとお辞儀した。
「ごめんなさい俺が悪かったです何でもしますからそれだけは〜」
 情けない…。
 久々野はちらっとハイドラントの肩越しに少女を見て、ふーんと感心する。
 ハイドラント、なかなかやるな。
  またまた意地の悪い笑みを浮かべる。
「あっ、おーい梓〜!」
「わー、わー、わーっ!」本当に泣きながらハイドラントがばたばたと腕を振り回す。
「なんちゃって、嘘だけどな」
 久々野の趣味の悪い冗談に本気でハイドラントは殺意を覚えた。
 とりあえず、これ以上墓穴を掘る前にここを離れた方が賢明だと思い返す。
「ごめん、日陰ちゃん!俺たちもうこれで行くけど…またな!」
 日陰はにっこりと笑って、手を振った。
「はーい、導師、さよなら〜!またあいましょうね〜!」
 久々野が怪訝そうに「導師?」と呟く。
 ハイドラントは慌てて久々野の背中を押してその場を離れていった。
(風上日陰、か。可愛かったからお茶くみに使ってやってもいいな)
 そう考えて、戯れに提案した組織の構成員のことを考えている自分に苦笑する。
(何考えてるんだ、俺は…)
 彼は気付いていなかったが…
 その苦笑する思考こそが彼の中で戯れになろうとしていた…。


 その晩、ハイドラントは綾香に叩き起こされてとんでもないものを見てしまうことにな
る。
 それは「塔」の中庭で炎上してゆく、高橋教室の生徒達だった。
 梓が顔をしかめて久々野と相談している。
「ショウ、どうもこいつら…」
「柏木教師に聞いたよ。民間人の殺戮で実習を行っていたようだな…」
「ああ…自業自得だね。被害者の中には幼い子供もいたんだってさ」
「当たり前だろう!?俺は…」
 久々野は拳を握った。
 妹のことを思いだしているのか…。
 梓はその拳をそっと握ってやった。気の強い彼女の見せる、せめてものいたわりだった。
「…済まない、興奮した」
 梓はかすかに首を振った。
 久々野も黙り込む。
 ハイドラントはその死骸を観察した。
 それにしても残酷な殺し方だ。
 手足の指は一本残らず折られているし、歯は砕かれている。
 中には腕の関節が反り返っている者もいる。
 だが強烈だったのはその死骸全ての者の腹が破裂して、内蔵が吹き出している点だろう
か。これは外からではなく、内から体を崩壊させている。
 そして、彼らの火傷もまた体の内から炭化していっている。間違いなく、彼らを焼き尽
くさんとする炎は体の内側から発生したのだ。
 「塔」の者の仕業ではあり得ない。
 これは楽しんで殺戮を行っている。「塔」の暗殺技術とは相反する。
 綾香がうっと口を押さえた。
 だが、不思議とハイドラントはその不気味なオブジェ達に美を感じ、そしてその創作者
に畏敬の念を感じた。
(それでもやはり、もっとスマートに殺す方が美しいな…)
 そう考えて、ハイドラントははっとした。
(俺は、何を…!?)
 おかしい。昼間、あの少女に出会ってから何かが自分の中で変わりつつある。
 ハイドラントが頭を振って我を取り戻そうとしたとき、絶叫が聞こえてきた。
 はっとしてそちらを振り向く。
 見覚えのある男がよろよろとこちらに這ってきていた。
 ぷんとした異臭が鼻を突く。男は失禁していた。
 高橋教室の男だ…。
 確かあそこでは爆発物に関する研究を行っていたはずだが。
 いや、むしろ爆発物による人の殺し方の研究か…。
「逃がさないよ」
 そんな平坦な声が聞こえ、長い髪の少女が空から振ってきた。
 それを見るなり、男は怯えきった声を上げる。
 少女はにっこりと微笑むと、指を空に掲げた。
「ゆ、許してくれっ!俺が悪かった…だ、だから殺さないでくれぇっ!!」
 少女は首を傾げた。そして、
「いやだよ。不公平じゃない、そんなの」
 と無慈悲に言い放ち…指を鳴らした。
『永久(とわ)の煉獄に消えよ』
 男の最期の絶叫が上がり…男の腹が膨れ上がり、爆発する。
 辺り一面に内蔵をまき散らし、腸から漏れた糞が胃液とミックスされて花壇にまき散ら
される。そして男は腹から吹き上がる火炎に包まれて、炭と化していった。
 少女は頭を掻くと、嘆息した。
「これって被術者の罪の深さに応じた爆発が体の一部から起こるんだけど…この人かなり
の極悪人だったみたいね」
 ハイドラントはその少女に見覚えがあった。
「…日陰!」
 だが、彼は驚いてはいなかった。
 こうなる予感はしていたのだ。魂が共鳴していたのか。
 日陰はゆっくりとハイドラントを振り返った。
 にっこりと無邪気で、それでいて昼間と違った迫力を感じさせる。
「導師、ここの人だったんだ」
 ここの、という部分に悪意がこもっている。
 彼女にすれば「塔」の住人は全て真っ先に滅ぼすべき対象なのだろう。
「何故だ、日陰…何故、こいつらを殺した?」
 日陰は悪びれもせずに笑った。
「この人達、日陰ちゃんの家に爆弾投げこんだんだよ。それで日陰ちゃん死んじゃった…。
だから、初めにこの人達を滅ぼそうと思ったんだ。やられたらやりかえさなくっちゃね」
 この場合の「日陰ちゃん」とは彼女の元になった人物のことだろう。
 ハイドラントは理解した。高橋教室が標的に…恐らくはランダムに…選んだ家に、起こ
してはならない者が棲んでいたのだ。
 彼らは冬眠中の熊の住処に爆竹を投げ込んだ子供だ。殺されても文句は言えない。
 綾香がぎりっ!と歯ぎしりして進み出た。
「あなた…こんなことして、ただで済むと思ってるの!?」
 日陰はうってかわって剣呑な目を向けた。
 本能的に自分とは相反する属性だと感じていたのかも知れない。
「あたしと戦う気?いいよ、別に。滅びるのが五年早まっただけだし」
 そう言うと、日陰はすっ…と手を突きだした。
「素人魔術師が…「塔」の実力を見せて上げるわ!」そう言うと綾香は魔術の構成を編み
上げ始める。
「綾香、やめろっ!今のお前じゃこいつには絶対に勝てない!」ハイドラントの制止の声。
 しかしそれは綾香には届かなかった。
 勝てるわけがないのだ。「魔王」の使う技が人間の編み上げた構成などにかなうわけが
ない…。ましてや半熟の魔術師などには。
 こいつに勝つにはもっと超越的な…そう、例えば柏木教師とかでなければ…。
 それらのハイドラントの思惑は空振りしたまま、綾香を止められない。
『我は呼ぶ…』
『暗黒の重圧に沈め』
 一瞬早く日陰の構成が編み上がった。
 瞬間、「有」元素…この世界にない、異界の概念だ…が消滅した空間に入りこみ、大爆
発を引き起こす。
 貪欲な「無」が綾香の周囲一面を地面ごと食らいつくしてゆく。
 やがて現れたクレーターを見て、一同は息を呑んだ。
 その空間にあった物体全てがこの世から文字通り「消滅」した。
 ビッグ・バンをかわされて日陰は不機嫌そうな顔をする。
「どうして、その女を庇われますか、導師?」
 綾香をとっさに引っ張ったハイドラントは、綾香の靴底がえぐり取られたように消えて
いるのを見て蒼白になった。
「日陰、まだ…まだ殺すな!お前が目覚めるときは今じゃない…」
 そしてハイドラントは、額を地にすりつけるようにして土下座した。
「頼む…今は…今は、引いてくれ…」
 日陰はそんなハイドラントをじっと見ていたが、やがてふっと息を吐いた。
「わかりました、導師の命とあらば…」
 はっとしてハイドラントが顔を上げる。
 日陰は再び邪気のない笑顔を浮かべていた。
「よかったですね、貴方。寿命が五年ほど延びましたよ☆」
 綾香は激昂して掴みかかろうとしたが、必死に梓が止めた。
 ハイドラントはほっとして日陰に再び頭を下げようとした。
 だが、日陰がそれを制す。
「導師は部下に頭を下げちゃ駄目。魔王のマスターはもっと居丈高じゃないとね☆」
 ぎょっとしてハイドラントは固まる。
 日陰はじーっとハイドラントを見て、にやっと意味ありげに笑った。
「それではさようなら、導師。またいずれ世界に滅びを与えに参りましょう…」
 そしてハイドラントの顔に軽く口付けて…日陰は掻き消えた。
 後には呆然としたハイドラント、綾香、梓、久々野が残される。
 ぱん、ぱんという音がして彼らの後ろから一人の少年が現れた。
「ハイドラント、君には訊かなきゃいけないことがあるようだね」
 だが、ルーンのその言葉にもハイドラントは反応しなかった。
 ハイドラントは頬を押さえ、自嘲するように笑った。
「なんてこった、死神よりたちの悪いモンに好かれちまった…」
 だが、その表情が少し楽しそうだったのは…一同には分からないことである。

 以後ハイドラントは吉川教室に移籍。
 その原因には諸説あるが、この謎の少女とのコンタクトと信じる者もいる。
 もっとも、高橋教室自体が不祥事の発覚により記録より抹消されたのでこの噂はあくま
で記録部を出るものではなかったが…。


 少女はすたっと空き地に降り立った。
 その前にいたのは、風見ひなたの親友、やーみぃ。
「あたしを…呼んだかしら?」と日陰はふてぶてしい口調で訊いた。
 やーみぃはこくりと頷く。
「魔王…お前を封じ、親友の魂を取り戻してやる!」
 日陰はウィンクすると、ちっちっと指を軽く振った。
「魔王なんて無粋な…風上日陰。そう呼んで欲しいわね」
 やーみぃは目を細めた。殺気が周囲に満ちる。
 風上日陰は親友最愛の従妹。そこまでこいつはひなたを侮辱するというのか…。
(わかってるわよ、やーみぃ。あなたが思い込んでいること位…だけどね)
 日陰はすっと手を突き出す。
 ビッグ・バンの構え。
(あなたには分からないでしょう。あたしもまた…)
「いくぞ、日陰っ!」
「来なさい…正義の使徒!」
(風見ひなたの望んだ者だということを!)

 二人の技がぶつかり合った。
 魔王と正義の使徒の闘いは、周囲の空間を揺るがせるものであった。

「………やーみぃ?」
 彼は目を開けた。
 親友は体のあちこちの無数の傷から血を流していたが、ひなたの顔を見ると優しく笑っ
た。
「おう、気が付いたか…」
「やーみぃ、僕…」
 すかさずやーみぃはひなたを制した。
「いうな、悪い夢だ」
 それを聞いて、ひなたは少し迷ったが…やがて、やーみぃの制止の手を振り払う。
「僕、全部覚えてる…あいつがどんな姿を取って、何をしたのかを…」
 それを聞いて、やーみぃはうなだれた。
「あいつ、泣いてた。自分は僕に求められて生まれたのに、誰も愛してくれないって泣い
てた。…おかしいだろ?あいつ、魔王なのに」
 やーみぃははっとした。
 それでは自分は勝たせてもらったのか…。
 覚醒前とはいえ、自分に魔王を倒せるなどおかしいと思っていたのだ。
 魔王は、再び眠りに就きたかったという事か…。
 ひなたは何も言わないが、おそらくそうなのだろう。
 ぽつりとひなたが言った。
「僕、強くなる。強くなりたいんじゃない。なるんだ。強くなって、もうみんなを泣かせ
ない」
 やーみぃはひなたを見据えて、頷いた。
「もう、誰も泣かせない。これ以上日陰を泣かせない…日陰のせいで悲しむ人なんて見た
くない」
 そうだ、強くなるんだ。もう二度と日陰を表に出さなくなるように。
「僕がどれだけ悔やんでも、日陰はもう…還らない」


 二年後、風見ひなたは西山に弟子入りし、鋼の外道意志を手に入れる。
 そして狂気の扉の封印を行い、以後日陰を表に出したという事実はティーナの結婚式を
除いて公式文書には記されていない。
 「悪魔殺し」やーみぃは、その力を封印し自ら「Hi−Wait」と名乗るようになる。

 「魔王に魅入られし者」ハイドラントと「魔王を内に封じる者」風見ひなたが後にエル
クゥ同盟・格闘術競争で二重に相対するのはまさに運命の皮肉であった…。

                完