Lメモ外伝「電子の迷宮に竪琴は響かない」(3)  投稿者:風見 ひなた

 神は死んだ、とニーチェは言った。
 自然科学と啓蒙運動がそれまで世界に君臨した神を殺し、人間を死の恐怖に直面させた。
 だがそれが何だというのだ。
 元から死は人間の目の前に在り、これからも在り続けていくのだ。
 誰もその鎖から逃れることは出来ない。いや。
 それを鎖と考えることが神を神たらしめた理由だ。
 死は恐怖ではない。
  逃れることが出来ないのならば、逆にそちらへ向かって勇気を持って立ち向かえ。
 それがニーチェの言う『運命を乗り越える者』、すなわち『超人』だ。
 美加香は虚無主義と呼ばれる彼の思想を支持している。
 神秘の完全否定は少しばかり戴けないが、死への考えは全く正しいと思っている。
 ただ祈ってばかりでは何も良くはならない。清教徒のように励行してもまだ足りない。
 神は現世において祈る者を全て救うことが出来るほど暇ではない。
 故に格言に曰く『神は自ら救く者を救く』。
 その真の意味は自らの事は自ら努力せよ、その達成こそが神の与え給うた恩寵である。
 少しでも良く活きたいのならば死を恐れるな、そこから目を背けるな。
 亡者は何も語らない。生者のみが死について思考することが出来る。
 死は常に私の背後にあり、生は常に私と共にあるのだ。


 Lメモ外伝「電子の迷宮に竪琴は響かない」(3)


 どこだろう、ここは。
 随分遠くまで歩いてきた気がする。
 だがそれにしては疲れもないし、飽きても来ない。
 ただ同じ風景だけが何度も何度も繰り返されて周囲を回っているだけのこと。
 そう、全ては自分の周囲で回っているのだ……。
 我のする事は全て徒労であり、罪は贖われず夢は永久に叶うことはない。

「……それがシシューポスの心情と言ったところでしょうか」
 マールは哀しそうな呟きを交えて、山の頂上近くまで岩を転がす男を眺めやった。
 男はある程度まで岩を転がしていく。馴れた手つきだ。
 先ほどと同じように。
 三人が見守る中で、男は手を滑らせて岩ごと転落していく。
 だがそれでも男は何事もなかったかのようにまた岩を転がそうとし始めた。
 その目にはしかし不屈の意志は宿っていない。ただ諦観と絶望、惰性があるのみ。
 痛々しい光景だった。
「ゼウスの罪を暴いたシシューポスは冥界の最奥タルタロスへ幽閉され、そこで一生岩を
転がし続ける運命を背負いました。岩を山の頂に運べば刑は終わりますが、その岩は常に
途中で転がり落ち決して刑は終わりません。まるで『賽の河原の小石積み』みたいな話で
すけど、シシューポスは世界が終わるまで永遠にああして岩を転がし続けるのです……」
 マールの説明にルーティは義憤の怒りを見せた。
「そんなの酷すぎるよ!!あたし、断然ギリシアの神様が嫌いになった!!いくら神様で
も人間を何だと思ってるんだ……あたしならそんな話納得できない!!」
 ああ、そういえば。
(美加香さんも同じ理由でギリシア神話が大嫌いだって言ってましたっけ……)
 マールはそんな事を思いながら、ルーティに小さく頷いた。
「そうね……でも、世の中の全ての人間はあのシシューポスと同じく無償の努力を積み重
ねているんだって主張した哲学者もいたのよ。サルトルの親友アルベール・カミュはその
著書の中で『世の中の全ての人間は目隠しされたシシューポスの如くひたすら無償の努力
を繰り返している。そんな中でその無償性に気付き、その無償性への努力を続けることが
人間の尊厳を保つことになる』と言ってるのよ」
「そんな理論もおかしいよ!!いくら正当化しても、無駄は無駄じゃない!!」
 ルーティは必死に食い下がった。常に前向きなルーティには、無駄を認めることが堪え
切れない負荷に感じられるのだろう。
 てぃーくんはそんなルーティを横目で見て呟いた。
「無償性を……受け入れちゃダメなんだよ、きっと」
「でもいくらやってもその無償性を解決できないと分かっているとしたら?」
 マールの追撃に、ルーティはきっぱりと言い放った。
「それでも、諦めちゃダメだよ。いくら見苦しくっても足掻く努力をやめちゃいけないん
だ。だからシシューポスは『亡者』なんだ。……それで冥界にいるんだよ」
(この子らしい解釈ね……)とマールは思った。
 自分には出来ない解釈をやり遂げようとするルーティは非常に好ましいと感じる。
 一方でマールはシシューポスを見上げながら呟いた。
「でも《冥王》がシシューポスをここに置いた理由はそうじゃないんですよ。多分彼は、
こう言いたかったんだと思います。『お前達のやろうとすることは無駄だ。それでもお前
達は我が元へ行こうとするのか?』……と」
「当然じゃない!」ルーティは即答した。
「どーせ引き返せないルールになってるのに、今更帰りたいなんて女々しい事言い出すと
思う!?ハッタリのかまし方が姑息なのよ!!」
 てぃーくんもニッと笑いながらそれに同調した。
「折角タルタロスまで来たんだ。あと一歩、ここで引き返す手はないね!!」
 マールはそんな二人を交互に頼もしそうに見やった。


「……いい事言うじゃない」美加香は苦笑しながらモニターを見ていた。
「ルーティったら、私は何も言ってないのに私と同じ事考えるんだもんね」
「やっぱり『親子』だからかな?」
 誠治は背後からくすくすと笑いを漏らしたが、美加香は眉を顰めて呟いた。
「まさか……血を分けた親子でも考え方が違ってケンカするのにですか?」
「『親子』って括り方は嫌いかな?」
「……悪くはないですね」
 そう言って美加香は改めて顔を綻ばせた。
 誠治はそんな副部長を見て優しげな光を目に浮かべたが、不意に厳しい表情になって扉
の外を見た。
「『ソフィーの世界』じゃないんだ、ゆっくりと隠喩を解説している暇はない。外の連中
は相当苦戦しているみたいだ。長くは保たないぞ」


「ぐっ!!」
 手に握られた最後の武器を吹き飛ばされ、しかもその衝撃が関節が軋む。
 風見は痛恨と衝撃の二つが入り交じった悲鳴を上げた。
 これで武器は完全に失われた。得意の爆弾トラップも相手を破壊できない以上は仕掛け
ることは許されない。
 Dマルチは未だ健在であり、無表情にステップを踏みながらこちらの隙を窺っている。
 暗器もパートナーもなしでは、最早風見に残された手は一つしかない。
 エルクゥ同盟が一、キング・オブ・エディフェルの紋章を解放すること。
 それはつまりSS不敗流元次期後継者風見ひなたの覚醒。
「……止むを得ませんね」
 呟きながらバンダナへと伸ばされた風見の手が……びくりと止まる。
 手首の関節を痛めてしまっている。これでは本領発揮は難しい。
(だが、このままなぶり殺しにされるよりはマシか)
 風見は苦々しい表情のまま、バンダナを引きちぎろうとした。

「うわあああああああああっ!?」

 鋭い絶叫に背後を振り返ると、ゆきのビームモップが破片を振りまきながら砕け散って
いくところだった。
 その正面にはDガーネットが身じろぎもせずに立っている。
 ついにビームモップが超硬質ブレードとの競り合いに堪えきれず壊れてしまったのだ。
 ジンはDセリオと死闘を繰り広げていて、全く余裕がないようだ。
「ゆきちゃん!!」
 振りかざされたDガーネットのブレードを見て、風見は慌ててゆきの元へ跳んだ。

「くそ、くそ、くそ、くそ、くそぉぉぉぉぉぉッッッ!!」
 ジンは高速の連打ラッシュを畳みかけるように打ちながら叫んでいた。
 だが肝心のDセリオには一発も当たらない。全て回避されている。
 まるでジンの動き全てを読んでいるかのように。
「何で当たらねえっ、俺の行動を計算しているってのかよ!?」
「……質問に回答します」
 初めてDセリオは口を開いた。
「何!?」ジンは驚きの声を挙げる。
 そこに生まれた隙をついて、溜めに溜められたDセリオの蹴りがジンに命中した。
「ぐうっ!?」
 キリのない連打で崩れ掛けていたジンのバランスはその一撃で粉砕された。
 威力の乗った蹴りはジンを吹っ飛ばし、地面へと叩きつける。
 それを見下ろすようにしてDセリオは無表情にジンの元へと歩み寄ってきた。
「……感情に縛られるありとあらゆる人間の動きはパターン化されています。理論のみで
構築された攻撃パターンと違い、感情に影響される行動の予測は非常に計算し易い。特に
ジン・ジャザム、貴方は現在感情に流され経験からの戦闘パターンに頼っています」
「………ぐ………」
「貴方は私、Dセリオ=ロゴスには決して勝てない」
 Dセリオは無表情に宣告した。いや……無感情、というべきなのか。  
  ジンはぎりっと強く強く奥歯を噛みしめ、怒りに燃える目でDセリオを睨み付けた。
「やってみなけりゃ……分かるかよぉぉぉぉぉぉ!!!」
 そう言いながらジンはロケットパンチを打ち出した。
 その視界にゆきを庇ってDガーネットとDマルチ二体の前に立つ風見の姿が見える。
(負けたな……これは)
 ジンはそう思っていた。

 Dガーネットのブレードが、Dマルチのワイヤーが意志持つ獣の如く風見を威嚇する。
 武器を失ったゆきは緊張に堪えきれず後ろで震えている。
 やはり丸腰の風見は悲壮な笑みを浮かべながら二つの武器を見つめていた。
「……参りましたね。ここまであっさりとやられるとは」
 武器が牙を剥いた。

「万事……休す、ですか……」
 一部始終を見守っていたまさたは悔しそうに呟いた。


「な、何!?何なんだ、こいつらはっ!?」
 極度のパニックがてぃーくんを襲っていた。
 周囲をぐるりと取り囲む、巨大な芋虫達。
 ぬるぬるとした粘液に覆われた淫靡な触手を蠢かせてこちらの様子を探っている。
 その赤い不吉な色をした口の中に浮かぶ、未消化の亡者の手や顔や足のパーツ。
 グロテスクな形状をした彼等は、今小さく肉の柔らかそうな侵入者を捕食しようとして
いた。否応なく嫌悪感と恐怖心を刺激するフォルムだ。
 どこから現れたものやら、いつの間にか三人は完全にこいつらに包囲されていた。
 肩の上のマールが苦々しい声で呟いた。
「プログラム・ワーム……迷宮内を動き回り侵入者を駆逐する防衛者達」
「……にしてはエグいかたちをしてるじゃない」
 ルーティは顔を顰めながら拳を握った。
 てぃーくんは慌てて攻撃しようとしたが、マールが制止する。
「ダメです!刺激すると一斉に襲いかかってきます!!」
「でもこのままじゃ!!」
「それでも下手な攻撃は即、死に直結します!!」
 マールが叫んだとき、最も大きな芋虫の触手口に変化が起こった。
 ぶぢゅ、ぶぢゅると気味の悪い音を立てながら触手の間に灰色の塊が現れる。
 そいつは見守る三人の目の前でみるみる姿を変え、やがて楽しそうな声で言った。
『やあ、オルペウスにしてソフィーである侵入者の諸君。楽しんで貰えてるかな?』
「あなたが《冥王》……いえ、そのメッセンジャーなんですね」
 《冥王》は人間の男の顔をしてはいるものの、その顔はぼやけて判別が出来ない。
 彼はくっくっとくぐもった笑い声を上げて続ける。
『いかにも私が館で待つ《冥王》の魂だよ。どうだい、《死》をモチーフにした数々の
アトラクションは?自然死という概念のない君たち『HM』や『傀儡』にとっては斬新な
演し物が一杯だっただろう?』
「趣味が良いとは言えませんね。……それに」マールは《冥王》を睨み付けて言った。
「それは貴方にとっても同じ事なのでは?」
『いいねぇ……実にいい。母君の影響かな?それとも……』
「私は無駄話をしにここまで来た訳ではありません」
 マールは冷たい顔で《冥王》に言った。
 それはてぃーくんの知る限り、マールが見せた最も恐ろしい表情だった。 
 《冥王》はまた勘に触る笑いを上げ、マールに言う。
『君の聡明は認めよう。だが、利口ではないな。軍事コンピュータの雛形として設計され
た君とも思えぬ行動。まさか自ら妹機を救いに乗り込んでくるとは何たる愚行何たる稚気!
そこの理論的思考から縁遠い欠陥品の妹に任せておけば良い物を、情に流され危険を冒す
とは実に非論理的!それではそこの妹と変わらぬ愚昧さだ!!』
「私の妹を悪く言うなッ!!」
 マールが絶叫した。
 生まれて初めての憎悪に燃える叫びだった。
「貴方に私の妹を貶す権利なんてない……ルーティにもティーナにもそれぞれの価値観が
あり、正義がある!!ルーティの心、真っ直ぐで諦めない正義は私の誇りです!!」 
『はははははは!!似ている、実に似ているよ君は!!君の開発者である赤十字美加香も、
くだらない《感情》のために非効率的な行動を取る類の人種だっけねえ!?愚かだ、実に
愚か!!人道、倫理、道徳、愛、友情、義理、そんなものが何になる!?モニターの前で
見ているんだろう赤十字君、君は科学者として唾棄すべき落ちこぼれだ!!』

「………やっぱり、こいつ………!」
 美加香は凍り付いた表情でモニターを見つめた。
「みかちょん……君の考察は正しかったみたいだね」
 誠治の呟きに美加香は小さく頷いた。
「そうでなければ良かった物を……!」

『倫理は流動する!喩え現在倫理に反していたとしても時代が変われば合法になる。君達
マルティーナシリーズの開発者たる赤十字君はそれを知りながらも技術を闇に葬り去ろう
とした重罪人、科学に魂を捧げた信奉者にとっての背約者!いや、そもそも彼女はその師
長瀬源五郎共々科学に忠誠を誓ってなんていやしなかったのさ!!』
 《冥王》の糾弾は続く。
 そんな彼を静かに見つめながら、マールは呟いた。
「……それで?」
『何?』
「だから何なんです?貴方が美加香さんに怨みを持っていることはよくわかりました。だ
けど、それがティーナを捕らえたこととどう関係があるのです?ましてや、何の関わりも
ない笛音ちゃんまで巻き込んで!!」
 マールは怒っている。
 妹のみならず、笛音に迷惑を掛けたことに対して真剣に怒っている。
  《冥王》は歪んだ笑みを浮かべて答えた。
『君のことだ、分かっているだろう?重罪を犯した赤十字は裁かれねばならないのだよ。
私は《冥王》、全ての咎人に裁きを与える者。古代市民社会では風紀を乱す者は一族郎党
揃って死刑になったものだ!!君たち娘の苦しみは母である赤十字の苦しみなのだよ!!』
「こいつ……」てぃーくんは唇を噛みしめて《冥王》を睨んだ。
「それで、笛音ちゃんはどう関係するんだ?」
『さて、な。そこのマール君は分かっているだろうが……まあ、友人だから………とでも
言っておこうか?ははははははははは!!』
 ルーティは無言で《冥王》を睨み付けた。
 その手は固く握りしめられている。
 《冥王》は得意そうな表情のまま続けた。
『そうそう、ついでに私の兵隊……Dシリーズを使って邪魔なエルクゥ同盟の面々も痛め
つけさせて貰ったよ。その中の風見君は……はは、そろそろ死んでる頃かなぁ!!』
「ひなたさんまで……」マールは憎々しげに呟いた。
 ルーティの握られた拳は更に固くなる。
 ついに堪えきれなくなったてぃーくんは怒りの声を挙げて《冥王》に拳を突きつけた。
「いい加減にしろよ、にーちゃん!!」
 勢い良く放たれたてぃーくんのビームは、しかし《冥王》に届く前に弱々しく消滅した。
『ふん、おまけの分際で……。所詮攻性プログラムの修行もしていない付け焼き刃の魔法
存在がマール君の力を借りたところで、私に通用するとでも思ったか?』
「そんな……掻き消された!?」
 これまで無敵を誇ってきたてぃーくんは、自らの攻撃が通用しないことを知って愕然と
した。
 《冥王》はふんと詰まらなさそうに鼻を鳴らしててぃーくんとルーティを見る。
『そこのルーティ君も無駄だよ。自ら7歳児の枷を填めた君風情がいくら頑張っても意味
がない。それに、私は論理的思考が出来ない愚か者が大嫌いなんだ』
 にたり、とした笑み。
『マール君とティーナ君で私の用は足りる。君には死んで貰うよ』
「……………………」
 ルーティはそれでも沈黙して《冥王》を睨み付けていた。
 《冥王》はずるるっと芋虫の奧に入り込み、叫んだ。
『さあワーム共、ルーティとてぃーくんを殺せ!!ただしマールには傷を付けるなよ!!』
 マールはひきつった表情でルーティとてぃーくんを見て叫んだ。
「二人とも………ダメ、逃げてーーーーーーーーーーーっ!!!!」

 ルーティはただ《冥王》を睨んでいる。


「みかちょん………」
 誠治は気の毒そうな表情で美加香の背中を見つめた。
「残念だけどもう二人は助からない。諦めてマールちゃん達を取り返す次の機会を……」
「……けるな」
 美加香はぼそりと呟いた。
「え?」 
「ふざけるな……高橋っ!!」
 美加香は椅子を蹴って立ち上がると、思い切り机を殴りつけた。
「私ばかりかみんなにまで手を出して…タダで済むと思わないで下さいね!!」
 そう叫んで美加香は素早く誠治の方を振り向いた。
 その目のあまりの鋭さに気圧されて、誠治は立ちすくむ。
 最早美加香の目は誠治の知っている美加香の目ではなかった。
 『塔』に所属する全ての生徒に共通の瞳、暗殺者の冷徹な目。
「誠治さん!とーるくんの解凍と状況設定は終わってますね!?」
「そ、それは大丈夫だが……どうする気だい?現在ケーブルは凍らされて、電脳世界には
一切の干渉が……」
 美加香は誠治の言葉を背中に受けながらキーボードに触れた。
 誠治は目を見張った。
 超高速で文字列が下から上へと流れていく。
「ギリシア神話が出てきた時点で怪しいとは思ってたんです……やっぱりあの人だったん
ですね……!!」
「みかちょん……その高橋って人はどんな人なんだ?」
 誠治の質問に、美加香は吐き捨てるように答えた。
「天才ですよ。まさに天才としか言いようがありません」
「……天才?」
 誠治の声に美加香は頷いて、キーボードを目に見えないほど素早く叩きながら言った。
「ですが天才と呼ばれる科学者には二種類がある……とご存じですか?」
「二種類?」
「一つは無から有を生み出す天才。ゼロから初めて完成品を生み出してしまう、人類元型
から外れた存在。もう一つは有を作り替える天才。他人が作った物からオリジナルよりも
さらに進んだ技術を生み出す天才!!高橋という男はそんな男です、自らは何も生み出さ
ず、他人の作り出した技術の上に胡座をかく人種!!」
 だがそれは誠治には非難できない。
 全ての科学者は多かれ少なかれ他人の生み出した技術を経験として学習し、それを研究
して技術のリレーを行っていくものだからだ。
 いや、人類の進化とはつまり文化のタッチリレーに他ならないのだ。それを批判すると
いうことは、すなわち人類の進化を否定することでもある。
 美加香もそれは分かっているのだ。だが、高橋という男は「行きすぎ」ているのだろう。
『PASSWORD?』
 キーを尋ねてきたモニターに向かって、美加香は事も無げに入力した。
『唯我独尊』
 ロックはあっさりと解除された。
「なるほど……パスワードを変えてないって事は私が助けるのを見越しての事ですか?
でもね、高橋先生。貴方の弱点はまさにそこにあるってことに気付いていますか!?」
 美加香はモニターに叫んでから、誠治を振り返った。
 誠治は既にルーティとペアになったインターフェイスを付けさせていた。
「とーるくん、助っ人お願いっ!!」


 天から雷が降り注ぎ、三人はひっくり返った。
『ふぅん……四人目か』と《冥王》は唇を歪める。
 雷と共に舞い降りた少年は、ニッと笑って叫んだ。
「任務了解です、お母さん!!」
「とーるさん!?」
 マールの声に、とーるは軽くウインクしてみせる。
 《冥王》はそんなとーるに不敵な笑みを見せて叫んだ。
『君も殺すつもりだったからね……そっちから来てくれるとは手間が省けて助かるよ!!
それにしても赤十字もこれでワーム達に勝てると思ったのか……ヤキが回ったね!!』

 ルーティはそこでようやく拳を静かに前へ突き出した。


「みかちょん!!とーるくんを投入したことで回線が不安定になったぞ!?」
 誠治の悲鳴に美加香は凄絶な笑みを浮かべた。
「それが狙いだったんですよ……今ならこれが通用する!!」
 叫びながら美加香はモニターに文字を打ち出していた。
 そしてそのコードを叫びと共に冥界の奧へと送り出す。
 かつてない怒りに震えるルーティの元へと。
「全ての科学者にはこんな素敵な言葉が用意されているんですよ!!」
 美加香は誠治を見ると、頷いて同時に叫んだ。
「『こんな事もあろうかと!!』」
 コードがルーティの元へと届く。
 そして長らく封印されてきたマルティーナシリーズの力の一端が『解除』される。
 美加香は満面に笑みを浮かべながら叫んだ。
「さあルーティ!!私が許す、キレなさいっっ!!」


 ルーティは再び降り注いだ雷撃に打たれ、天高く拳を突き出して叫んだ。
『人間は生まれながらにして病を背負っている!!』
『何だ!?』《冥王》は予想外の事態に戸惑った声を挙げた。
 とーるもてぃーくんも驚いてルーティを見つめている。
 ただ一人、マールだけが何が起こっているのかを悟り悲鳴を上げた。
「その言葉は『封印解除』のキー!?美加香さん、貴方はまさか!?」
『闘争という名の病が人間の身を焦がしている!!』
 ルーティは続けた。
『その悲鳴を我等が背負おう!!我等とはつまり闘う為に生まれた戦乙女なれば……!!』
「美加香さん!!ルーティを本来の目的に使われるというのですか!?」
『リミッター解除、戦闘モード《ヴァルキュリエ》……起動!!』
 ルーティの身体が光に包まれる。
 四肢がしなやかに伸びる。子供のそれから乙女のそれへと。
 髪が美しく映える。短く活発に切られた髪が腰までも伸びてゆく。
 数年分の記録を早送りにするようにルーティは成長していく。
 やがて伸びきったその身体を勇ましい北欧風の甲冑が包み、ルーティは目を見開いた。
「黙って聞いていれば人の事を馬鹿だの愚昧だの……」
 ルーティは硬直する《冥王》を睨んできっぱりと言った。
「ぐだぐだぐだぐだうっさいのよっ!!あんたの御託なんて聞く耳もたないわねっ!!」
『なっ……』《冥王》は事態を把握しきれずに口ごもった。
「ル……ルーティちゃんが姉ちゃんに変身した……」
 てぃーくんは呆然と啖呵を切るルーティを見ている。


「みかちょん……これは一体!?」
「これが本来次世代戦闘機体として開発されたHM−712Bに搭載されていた、バトル
モード《ヴァルキュリエ》……!HM−212B、つまり7歳児モードのボディでは制御
しきれない戦闘能力を潜在意識下に圧縮凍結しておいたもの!!」
 誠治の声に美加香が答える。
「そんな……大丈夫なのか!?いきなりこんなのを出して自我崩壊でもしたら!!」
「今のルーティは電脳世界の住人です、ボディ不適合の問題はクリアしています!!元々
ルーティはこのバトルモードに堪えきれるように仮想領域をプログラムされていますから、
充分堪えきれるはず……さあ、ルーティ!!やっちゃいなさい!!」


 17歳くらいに成長したバトルモードのルーティは不敵な笑みを浮かべると、《冥王》
の入ったワームに向かって指を突きつけた。
「よくも今まで好き放題人をオモチャにしてくれたわね!!行くわよっ!!」
 ルーティが何かを握るように両手を前方に突き出すと、その手の中に青白い光が生まれ
た。バチバチとスパークを上げながらそれは周りの空間を引き裂いて行く。
 マールは驚いて目を丸くした。
「ちょ、ちょっとルーティ!?こんなところでその技を使ったら……」
「木行奥義っ!!木辰雷覇斬っっ!!」
『うわああああああああああああああああああああっ!?』
 ルーティの手に握られた雷の刀が周囲を一閃する。
 ワーム達はその刀身に触れるまでもなくその余波で消し飛んでいく。
 最後にマールの叫びが響く。
「不安定な電脳世界じゃそれだけの雷撃には堪えきれ――」
 世界はひび割れ……そしてその座標は消失した。


「……みかちょん……」
 呆然とする誠治の呟きに、美加香は冷や汗を流しながら硬直していた。
「……確かに凄いけど……えらいことになっちゃったぞ……」
「………経験が………足りてなかったようですね………」
 美加香は何とかそれだけ呟いた。


「殺られる―――――!」
 ゆきの絶叫が響いた。風見は目を閉じて最後の時を待つ。
 ……だが、その時はいつまで経ってもやってこなかった。
「目を閉じるとは……風見君もまだまだ修行が浅いな」
 代わりに聞こえてきたそんな声に、風見はうっすらと目を開いた。
 丸太ほどもありそうな巨大な筋肉の塊が超合金の刃を受け止めている。
 もう片方の塊にはボンレスハムのように無数のワイヤーが巻き付いていた。
 だが、それだけだ。それだけで攻撃は止められていた。
「痒い。実に痒いなあ……そんなもんじゃ俺は止められんなぁ!!」
「秋山さん!?」
 風見とゆきの声にちっちっと秋山は舌打ちした。
「俺のことは兄貴と呼ぶんだよっ!!」
 腕にブレードが刺さり出血しているにも関わらず、秋山の強引な蹴りがDガーネットを
吹っ飛ばした。
 あまりの事態に思考停止に陥っていたDマルチはそれで自分の優位を思い出し、腕から
出ているワイヤーを巻き取ろうとする。何しろワイヤーを引くだけで秋山の腕を切断出来
るのだから。
 しかしDマルチがそうするよりも早く、秋山は空いた手で自分の腕に巻き付いたワイヤ
ーを握って『何と』それを思いっきり引っ張った。
 軽量級のDマルチは予想外の行動に対応できず、秋山の方へと引きずられてしまった。
 すぐ側へと来たのを見計らい、秋山は豪快な踵落としをキメてDマルチを沈めた。
「ははははははは、甘い!!甘過ぎるぞDシリーズ諸君!!この俺の筋肉を甘く見たのが
運のツキ……とでも言わせて貰おうか、はーっはははははははは!!!」
「あああああああああああっ、秋山さんっっっっ!?」
 ワイヤーをほどいている秋山に向かい、風見は驚愕醒めやらぬ声で言った。
「秋山さん、単なる筋肉達磨と思ったらそんなに強かったんですか!?」
「兄貴と呼べと言ってるのに……」秋山はそうぼやきながら言った。
「風見君、君は奴等の弱点が分かっていなかったようだな」
「弱点!?」
「そう!!連中は論理的思考をもって完璧な動きで対応する!!すなわちっ!!」
 秋山は分厚すぎる胸を張って堂々と答えた。
「相手がハナっから予測できない行動を取ってやれば対応しようがないのだあああっ!!」
「筋肉の勝利かぁっっ!?」
 そりゃ相手が筋肉で超合金の刃を止めるような非常識な行動を取るとは思うまい。
 Dセリオの攻撃を受けまくって平気なのだから予測してしかるべきなのだが。
「はっはっは、受けた傷も俺の筋肉をすればほらこの通り」
 秋山がふんっと腕に力を入れると、みるみる傷が塞がっていった。
 常人ではない。
「忍びたる者苦を持ってその悦となすべし、さすれば刃の下の心もいかで辛くあらん……
ってとこかな。まあ修行の成果と言って貰おうか」
「あなたの場合曲解してるんですよ……まあいいんですけど。それより、何でもっと早く
来てくれなかったんですか!?」
「そうだよ!!僕達、危うく死ぬところだったんだから!!」
 風見とゆきが非難の声を挙げると、秋山は肩を竦めて言った。
「おいおい、自分の危機は自分でなんとかしろよ。……遅れたのは他でもない」
「え?」
「あいつらを捜してたんでな!」
 秋山が言うと同時に、その影から二つの人物が躍り出た。
 ジンにトドメを喰らわそうとしたDセリオは、予測しない方向からその背中に凄まじい
一撃を受けて飛ばされた。
「D芹……なんだってこんなことを!!」
 一人はへーのき=つかさ。来栖川警備保障所属、別名Dセリオの監視役。
「排除対象増加を確認……排除開始します」
 立ち上がったDセリオがへーのきの顔面に向けて機銃を突き出した瞬間に、その横顔に
向けて勢い良く闇の塊が叩きつけられた。
「ダーク・ミスト!!」
「……視界妨害されました」
 来栖川警備保障バイト、OLHはDセリオを睨み付けながら呟いた。
「D芹……お前に怨みはないが、ティーナと笛音を守るため!!邪魔だてさせて貰う!!」
 虫の息寸前だったジンはよろよろと身体を起こし、秋山に向けて毒づいた。
「……ち、これから逆転劇だったのによ……邪魔しやがって」
「馬鹿言うなよ、今回のヒーローはお前じゃないんだ」
 そう答えて、秋山はへーのきに視線を移した。
 へーのきは拳を握ってDセリオを見つめている。
「D芹……どうやったらお前を止めることが出来るんだ……」
「……排除、再開」


「とーるさん、起きて!起きてってば!!」
 ゆさゆさと身体が揺さぶられている。
 眩暈を感じながら、とーるはうっすらと目を開いた。
「う……うーん?」
「あ、とーるさん!お早うっ!!」
 目を開くと17歳くらいの見知らぬ女の子が自分を見下ろしていた。
 ダークブラウンの長髪と瞳が色彩感覚の薄れていた認識回路に印象深い。
 なかなか美人だ。凛々しい顔立ちだが、微笑めば可愛いだろうとぼんやり思う。
 頭がはっきりして来るにつれて、とーるはその女の子に見覚えがあることに気付いた。
 どこで見たのだったか。だがその髪と瞳の色には覚えがある。
「……ルーティ?」
「え、何?」
 ルーティは小首を傾げて訊いた。
 それで頭がはっきりと冴え、とーるは身体を起こした。
「ルーティ!?本当にあのルーティなのか!?」
「本当に……ってが気になるけど、ルーティ以外の何者でも……あっ」
 そこでようやくルーティは自分の姿に気付いたように言った。
「そういえば今のあたし、バトルモードだったんだよね。すっかり忘れてたよ」
「……呑気な」とーるは呆れて呟いた。
 ルーティはぽんぽんと頭を叩きながらてへへ、と照れ笑いして見せた。
 どうやら姿と能力は成長しても精神年齢は変わっていないらしい。
 気絶する前にルーティがしたことを思い出して、とーるは頭痛を感じた。
「そういえばさっき座標が壊れたが……よく平気だったな」
「うん、あたしもびっくりした。まさかあそこまでバランスが崩れてるとは思わなくて」
 ルーティはてへっと笑って、言った。
「あたしととーるさんはペアのインターフェースを使ってるから一緒にここに飛ばされた
みたい。きっと姉さんとてぃーくんもペアでどっかにいるよ」
 マール達は無事だという前提は全く揺るぎないようだ。それだけ姉を信じているのか。
 単にそこまで考えが回らないだけ、という可能性は敢えて考えないことにした。
「それにしても……」とーるは成長したルーティの身体をちらちら見ながら言った。
「大きくなったら全然違うもんなんだな」
「そうかな?あたしは違和感ないんだけど……」
 ルーティは不思議そうに言った。
 自分が女性としてどうとかは全然考えていないらしい。
 これがティーナなら自分が魅力的か、などと訊く所なのだが……。
 ルーティらしいと言えばらしいと思う。
「その成長モード、やっぱりマールとティーナにもあるのか?」
「うーん、どうなんだろ?あたしの場合は戦闘モードの負荷に身体が堪えきれないから
封印してるんだけど……姉さんはスパコンと接続したときに十分に操るためのモードが 
あったんじゃなかったかな?ティーナは……知らない」
 やっぱりティーナのことだから料理の鉄人モードでもあるのだろうか。
 ティーナの事を考えて、とーるはそもそもの目的を思い出した。
「そうだ、ここはどこだ!?俺はティーナ達を助けないと……」
「大丈夫……だって《冥王》の館は、ほら」
 ルーティは指で木々の向こうを指して見せた。
 そこには巨大な館が鎮座して、二人の前にそびえ立っている。
「目と鼻の先だな……」
「うん……とーるさんが目覚めるのを待ってたんだ。さあ、行こう!!」
「ああ!!」

 本来の力を呼び覚ましたルーティは、とーると全く遜色ないスピードで木々の間を疾走
して館の前に辿り着いた。相当な速度だ。
「初めからそのモードを使ってれば良かったんじゃないか?」
 とーるが言うと、ルーティは苦笑して首を振った。
「回線がブロッキングされてあたし達にアクセス出来なかったんだよ。とーるさんが来て
くれて、ようやく回線のバランスが崩れてあたしまで届くようになったんだ。それにこの
モードは来栖川のトップシークレットに触れるらしいし……何より美加香さんが嫌うんだ、
このモードは」
 とーるは美加香がマールとルーティを本来の目的……つまり、軍用コンピュータと戦闘
用HMとして扱いたがらないことを思い出した。なるほど、美加香にとってはこのモード
はまさに禁忌以外の何者でもないだろう。
 だが……逆を言えば、今回の敵は禁忌を破らなければならないほどの相手ということ。
(美加香母さんがそこまで警戒する相手……何者なんだ?)
 とーるの目の前でルーティは扉を開いた。
「行くよ……大体の予想はついてるけど、何があっても驚かないでね」
「ああ、当然だ」
 二人は館の奧へと入っていった。
 そして……大広間。
 扉を開けたルーティは、硬直するとーるを背後にしてホールの奧を見つめた。
 対になった白い玉座の内、后の椅子に座るのは笛音。
 そしてその前で黒いスーツに黒いマントを羽織り、不敵な笑みを浮かべているのは……。
「ティーナ。やっぱりあなただったのね……」
「遅かったね。てっきりマールお姉ちゃんが来るかと思ってたんだけど」
 そう言ってティーナは……いや、《冥王》はくっくっと笑った。
 やはり17歳に成長し、美しく成長したティーナは男装を纏い玉座の前に立っている。
 とーるはショックを隠しきれない表情で立ちつくしている。
「馬鹿な……ティーナ、君が《冥王》だったなんて……」
「あれ?気付かなかったの?……嫌だなあ、まさか外から《冥王》なんてハッカーが操作
してるとでも思ったの?このリアルタイムに干渉力の大きさ…どう考えても中枢内部から
『同類』が話してるに決まってるじゃない?……でもま、気付かなかったなら改めて……」
 ティーナは深々と一礼して、言った。
「我が名はティーナ。この冥界を統べる《冥王》に御座います……くっくっくっ」
 後半の笑い声を振り切るように、ティーナは雷撃のブレードをティーナに向けて言った。
「そこまでだ。製作者である美加香さんの名誉に掛けて、あたしが……お前を葬る!!」
「親孝行な事ね。でも……あなたにボクが斬れるかな、姉さん!?」
「お前があたしを姉と呼ぶことは許さない!!」
 実の妹に向かって牙を剥くルーティを見て、とーるは悲鳴を上げた。
「ルーティ!?まさか本当に……」
「あたしは本気だ!!さあ、覚悟なさい!!」
 ルーティはブレードを構え、ティーナに叫ぶ。
 冥界にとーるの叫びがこだましていた。

「ルーティ!!」

                   つづく

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どうも長々とすみません。
まだ続いてしまいます(汗)