ジグムント・フロイトの言うことには全ての人間には元型(achetypes)があるのだとい う。ありとあらゆる人間の根底には種としての共同意識があるのだという。 世界各地に伝わる民話に類似点が数多く見られるのはそのせいだと言うのだ。 赤十字美加香はそんなわけがないと思っている。 遺伝子的な性格基型はあっても、種としての意識などあるわけがない。 それを認めてしまうならば、全ての人間は大きな種意識の織りなしたプログラムと云う 名の予定調和の上で踊る駒に過ぎないではないか。 美加香は『運命』なんて大嫌いだ。決められた運命なんて絶対にない。予定説は嘘だ。 さもなければ自分達は、啓蒙の時代から続いてきた科学者達の必死の努力、神からの 逃亡は一体何のために存在したというのだ?認めるわけには行かない。 それを踏まえて民話に類似点が数多く見られる理由を考えるなら、それは二つしかない。 一つには交易によって貿易商人達や従者達の口から説話が膾炙したと考えること。 フロイトはこの点を全く省みない。書物ばかりでなく語り部達の口へと伝わるのが、 古来よりあった地域交流ではないか。それを鑑みないばかりか、却ってこれを自説の補強 とする彼の意見は全く疑わしい。……これにあてはまらず似ているとしたら。 そのときはこう答えるしかないだろう。 『偶然の一致』或いは『人間の考える事なんて所詮似たような物ですね』。 無論それをこそ元型と呼ぶのだが。 Lメモ外伝「電子の迷宮に竪琴は響かない」(2) 「……と美加香さんは主張する訳なんです」 「そうすると美加香さんはイザナミイザナギもオルペウス神話も偶然の一致として済ます つもりなんだね」 てぃーくんの台詞に、マールは苦笑をもって応えた。 「でもそんな細かい理屈抜きでも、『みんな考えることは同じだね』で済ませばいいよう な気もするんですけどね」 「科学者も大変だねー、色々考えなくちゃいけないし」 ルーティは全く話に入れない。 ただひたすらマールとてぃーくんが話し込んでいるのを聞きながら歩くだけである。 二人の話がようやく一段落したのを見計らって、ルーティはおずおずと訊いた。 「あのさ……そのイザナ……なんだっけか……と、オルなんとかって何?」 「知らないの!?」てぃーくんはびっくりして聞き返した。 てっきりこれは一般常識だと思っていたのだ。 「仕方ないですよ、ルーティは遊ぶのに忙しいんだから」 マールはてぃーくんのあまりの驚きように苦笑しながら続けた。 「あのね、ルーティ。イザナミイザナギ神話っていうのはね………」 昔々、未だこの小さな島国が国造りの神様に作られたばかりで誰も住んでいなかった頃。 天津ヶ原という神様の世界からイザナミイザナギという夫婦の神様がやってきました。 この二人は初めはヒルコという奇形の子供を産んで海に流したりといった失敗もしたの ですが、後には沢山の神様を生んで世界を賑やかにしていったのです。 ところが火の神様を生んだとき、あまりに元気すぎて火の神様はお腹の中からイザナミ を焼き殺してしまいました。 大いに悲しんだイザナギはイザナミをこの世に連れ戻すためにあの世に侵入を図ります。 ところがイザナミはあの世の人々と共に食事をしてしまったためにこの世に帰れません。 そこでイザナギは「この世に連れ帰るまで妻に自分の手を掴ませて、決して振り返らな い」という契約を立てて妻を連れていきました。 途中様々な困難がイザナギを襲いましたが、彼はそれにめげずに進みます。 ところが出口まで後一歩と言うところでイザナギは後ろを見てしまいました。 契約を破ったイザナギの眼に入ったのは、見る影もなく化け物と化した妻の姿。 イザナギは慌てて逃げ出します。 怒ったイザナミはイザナギを追いますが、逃げられてしまいます。 そこでイザナミは冥府の神となり復讐に「一日百人を殺す」と呪いました。 するとイザナギはそれを返すため「一日千人を生む」と祝福をかけました。 こうして人間は夫婦神の呪いと祝福を受け、生死の輪廻が始まったのでした。 「……簡単に言えばそういう話でしたっけね」 「神様の癖に死んじゃうの?」 ルーティが不思議そうに聞くと、マールは平然と頷きました。 「全ての親である偉い神様でさえ生き返らせる事は出来ない、まして人間には不可能だ… ということなんですよ」 「ふうん……」 「それで、オルペウス神話というのは……」 昔ギリシアに神様がいた頃、オルペウスという竪琴の名手がおりました。 彼は木の精エウリュディケと恋に落ち結婚しましたが、式の途中で彼女は毒蛇に噛まれ て死んでしまいました。 深く悲しんだオルペウスは冥府に行ってエウリュディケを取り戻すことにします。 そのために冥府の門をくぐり5つの川を渡り冥府の王ハデスの館へ行き、竪琴をかき鳴 らしてハデスとその妻ペルセポネを取り戻すことが出来るよう懇願しました。 あまりの素晴らしさに心打たれた二人は「太陽の下へ出るまでは妻の方を振り返っては いけない」というルールを付けてオルペウスにエウリュディケの手を握らせました。 喜んだオルペウスは妻の手を引いて現世へと戻ろうとします。 ところが歩いている内に何度も振り返らせようと冥府の悪霊達が首筋に息を吹きかけ、 囁き、騙そうとします。そうこうしている内に疑心暗鬼となった彼は、出口間際で本当に これが妻の手なのか不安になってしまいました。 そこでちょっとだけならいいだろうと妻の方を振り向くのですが……。 それがバレてしまい、妻はたちまち地獄の底へと引きずり込まれてしまいました。 最早何をしても妻をこの世に戻すことは出来なくなって悲観したオルペウスは、竪琴を 残して死んでしまい妻の元へと向かったのでした。 残された竪琴は主神ゼウスの手で天に昇り、それがこと座になったということです。 「……そんな話ですよ」マールはそう言ってお茶を濁した。 本当はこの後オルペウスはニンフや女神に言い寄られたがそれを断り、怒った彼女たち に石を投げられ絶命し、八つ裂きにされて海に投げ込まれる……という話になる。 だが真っ直ぐに育っているルーティにはこの話はしない方が良いだろうと思い、敢えて マールはそこの部分を適当にはしょってしまった。 ルーティは哀しい話を聞いて眼をウルウルさせている。 「このお話はあまりにも有名で、マルセル・カミュ監督により現代にアレンジされた作品 は1959年のカンヌ映画祭でグランプリに輝いていたりするんですが……」 マールはそれを強引に無視して話を進めた。 「……この中で今私達に大事な情報は、『冥府の門をくぐり5つの川を渡り冥王の館へ』 というくだりです。これはゲームなんですよ……彼にとっては」 「ゲーム?」 「そう……まさにゲーム」美加香はモニターの前で腕組みして誠治に答えた。 「馬鹿な……これほど大規模なハッキングをして、ティーナと笛音ちゃんを人質に取り、 天空の劫火で俺達を脅しておきながらそれがただのゲームだっていうのか!?」 誠治の叫びは哀しいかな事実のようだった。 「《冥王》にとっては私と、その作品達へのゲームの誘いなんですよ……。敵は明らかに 私とマルティーナシリーズを標的に据えています。目的は……私達の破壊」 「みかちょんを……?」 「ふざけた真似を……っ!」 美加香は軽く唇を噛んで、顔を伏せた。 もう一度顔を上げた頃には冷静な顔になっている。 だがそれは美加香の表情ではない。少なくとも誠治は美加香のその顔を知らない。 それは……『塔』時代、冷徹な暗殺者にして研究者であった頃の顔。 「敵の提示したゲームの勝利条件は、冥王の館に捕らわれた人質の解放。道しるべは…… 危険な罠として設定されています。迷うことはありません……後戻りは出来なくなってい ます」 「後戻り不可能?何故だ?」 「さっきマールが言ったでしょう? 『振り返ったオルペウスは二度と妻を取り返せず』。 少しでも後戻りしたら永遠に電子情報の迷宮に閉じこめられるルールなんですよ!」 「………何て悪趣味な敵だ」 誠治は吐き捨てるようにして呟いた。 だが美加香はまだ続きがある、という表情をしている。 「まだ神話が足りていない……きっとその神話は……ペルセポネの神話なんですね……」 「う、うわっ!?」 ゆきは手にしたビームモップをDマルチのワイヤーに巻き取られて悲鳴を上げた。 危うく獲物を盗まれそうだ。風見がぴんと張られた超硬質ワイヤーに向かってトマホー クを振り下ろそうとすると、Dマルチはあっさりとワイヤーを引き上げた。 代わりに風見の背後から襲ってきたDガーネットの超硬質ブレードをゆきが弾く。 風見は素早くDマルチの方へ走り抜けながら、ゆきに向かって叫んだ。 「ゆきちゃん!長モノにワイヤーで来られたら不利です!!僕がDマルチと闘うから、D ガーネットを上手く捌いてください!!」 「そ、そんな……無理だよひなたちゃん!!」 ゆきは半泣きになりながらもDガーネットを正面にしてモップをかざす。 神速で繰り出される容赦のないDガーネットの突きの力の方向を逸らし、ステップで かわして何とか渡りを付けていく。 やれば無理そうでも何とか出来るのである。 それを横目で見ながら、風見はバランスの悪いトマホークを捨てカタールを両手に装備 した。これで小回りが利く。 「さあて、行きますよ!!」 「……………!!」 風見はDマルチに飛びかかっていった。 「よし、あっちはあいつらに任せとけば安心だな……」 ジンはDセリオを睨み付けながら呟く。 「さあ、俺達も行くぜD芹。せいぜい楽しませろよ」 「…………………………」 Dセリオは喋らない。 ただ、感情の宿らないカメラアイをジンに注ぐのみ。 その視線を気分悪そうに受けながら、ジンは吐き捨てた。 「すっかり操られやがって……さあ、正気に戻してやる!!覚悟いいな!!」 「…………………排除開始!!」 「みんな……勘違いしないで下さい」 まさたは心配そうに三人を見ながら呟いた。 「あなた方の仕事はDシリーズを食い止めること……彼女達に勝つことではないのですよ」 そして今から語る物語が今回の事件中一番のキー。 『ペルセポネの神話』なんです。二人とも、よく聞いていて下さいね。 オルペウスの神話よりも更に昔。まだ冥王に妻がいなかった頃でした。 冥王ハデスはゼウス・ポセイドンの兄弟と共に父神クロノスを放逐した後、地底の国を 治めておりましたがある時妻を娶りたいと思い、兄であるゼウスに相談しました。 するとゼウスは農耕の女神デメテルと自分との間に生まれたペルセポネがよいと言い、 デメテルが嫌がるだろうから実力で奪えと弟を唆しました。 そしてハデスは言うとおりに水仙の花園に出てきたペルセポネを、自らの馬車に引きず り込んで地底に逃げ去ってしまったのです。 突然消えた娘を捜してデメテルはあちこちを捜しましたが、ゼウスの差し金で誰も冥王 の凶行を教えてくれません。見かねた太陽神ヘリオスがそっと教えるのですが、真相を知 ったデメテルは怒りに震えるあまり地上に大凶作を起こしてしまいました。 さすがに困ったゼウスは部下ヘルメスに命じてペルセポネを迎えにやらせました。 一方、無理矢理妻にされてしまったペルセポネは母を想って毎日のように泣いています。 ハデスはあの手この手で機嫌を取ろうとするのですが、ペルセポネはただただ泣くばか り。ペルセポネもハデスが嫌いというわけではないのですが、別れも告げぬまま離ればな れになってしまった母が心配で仕方ないのでした。 ハデスは見かねて、地底一美味しい12個のザクロを食べさせました。 そんな折にようやくヘルメスがゼウスの伝言を持ってやってきます。 妻が可愛いハデスは、デメテルにも済まないことをしたと思っていたので地上に返すこ とを許しました。ところがそれにはルールが付いていました。 地下の国でザクロを食べたペルセポネは、既に地下の国の住人となっており完全に地上 人に戻ることは出来なくなっていたのです。 ペルセポネがその時までに食べていたザクロの数は4つ。 そこでペルセポネは一年の内12の月の中で、4ヶ月だけは地下に戻ることになったの です。デメテルもそれに納得し、ペルセポネはやっと公認のハデスの妻となりました。 そんなわけで今でもペルセポネが地上にいる8ヶ月は作物が育ち、地下にいる4ヶ月は デメテルが悲しんで冬の季節がやってくるようになったということです。 「……古事記と似てるところが妙に多いけど、まあそんな話です」 マールは神話を三つ語ったところで息を吐いて、ルーティを見た。 「敵は自らを《冥王》になぞらえ、ティーナ達を《ペルセポネ》になぞらえています。さ しずめ美加香さん達は《デメテル》、私達は《オルペウス》ってとこでしょうね」 「ああ、だからさっきから姉さんは面白くなさそうな顔をしてたんだね」 ルーティは納得して頷いた。 姉であるマールはこういう「見立て」が好きではない。元々の美しい神話を汚す悪趣味 な行為だと見なす志向があるのだ。マールが好きなのはオリジナルの知識なのである。 無論今回マールが怒っている理由はそれだけではないのだが。 「人質まで取った上に人を馬鹿にして……絶対に許せません!」 (珍しい……姉さんが真剣に怒ってる) ルーティはちょっと鳥毛だった肩口をさすりながら、そろそろと歩みを早くする。 悪寒の元凶を肩の上に乗せているてぃーくんはちょっと歩き方がぎこちない。 普段滅多に怒らない人物が怒ると恐い、というのは事実だと思う。 水仙の花園を何となく無言で歩き続けていると、不意に視界が開けた。 目の前を広大な川が流れている。 日本の河川にはありえない雄大な流れを持っているようだ。 しかもそれは目の前に5つも広がっているのだった。 「……三途の川かな?」 「違いますっ!」 てぃーくんのボケにマールは律儀にツッコんだ。 「さっきの話を覚えてるでしょう?これが冥王さんが作り出した第一関門、5つの川です。 神話では亡者は『憎悪(ステュクス)』『アケロン(悲嘆)』『コキュトス(号泣)』 『レラ(忘却)』『ピュリプレゲトン(火炎)』のうちいずれかの川を通り冥府の門へと 行き着くのだそうです。その川を渡っている最中に亡者は現世の出来事を思い出し、川の 名に応じた清算を済ませるのだとか」 「あ、ホントだ。一番向こうの川燃えてる」 ルーティが指さす川を見れば、確かに火炎の川はオイルを流してそれに火を付けたかの ように勢い良く燃え盛っていた。あれならどんな亡者の罪も燃やし尽くすに違いない。 マールはきょときょとと周囲を見渡した。 「この川を渡るには冥府の川の渡し守……カロンさんに渡して貰わなくちゃならないそう なんですが。どこにいらっしゃるんでしょうね」 「どうせなら憎悪の川あたりを渡して欲しいなあ……泣いたり忘れたりしてる場合じゃな いもんね」てぃーくんは同じように首を巡らせながら捜している。 敢えて火炎の川に付いては言わないところが、無言の拒絶を表していた。 三人はしばらくうろうろと捜していたが、やがて不意に目の前にボートが現れる。 木製のボロい舟で、如何にも頼りなげな感じだった。 その上には黒い衣を着込み、不機嫌そうな顔をした骸骨がいる。勿論表情はないのだが。 「すみません、この川を渡していただきたいのですが」マールは丁寧にお辞儀して言った。 だが、カロンはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。どうやって鳴らしているのか不思 議で仕方がないのだが。 「嫌だね……ここは遊園地じゃないんだ坊や達。大人しくおうちにお帰りな」 「そこを何とか……」 「ダメだ」 頼み込むマールにむげな態度をとり、カロンは三人の要求をはねつけた。 ルーティはちょっとムッとしてカロンを睨んだ。 (姉さんが丁寧に頼んでるのに……なんて失礼な奴) 当のマールは困った表情でなおもぺこぺこと頭を下げる。 「お願いします、妹と友達を助けに行かなくちゃならないんです!!」 「だったら尚更のことだ。主人に逆らって敵を運ぶような馬鹿がいると思うかね?」 「もういいよ姉さん!こんなトコで押し問答してる場合じゃないでしょ!!」 ルーティは早々と我慢を放棄して啖呵を切った。 「そんなに渡したくないんならこんな骸骨なんかに渡して貰わなくたっていいじゃない!」 「ちょ……ルーティ!?」 「ああっ、折角マールちゃんが穏便に収めようとしてるのに!?」 マールとてぃーくんは悲鳴を上げたが、ルーティは平然としてカロンを睨んでいる。 「ほぉう、良い度胸じゃないか嬢ちゃん?俺の舟がないとこの川は渡れないぞ。どうする 積もりなんだね?」 「こうするの!」 ルーティは言うが早いか思いっきり素早い動きで飛び上がり、がすっとカロンの顔面に 跳び蹴りを喰らわした。 いきなりの不意打ちにカロンはよろめき、追って仕掛けられた蹴りを受けて舟から転落 してしまった。慌てて手を伸ばすが間に合おう筈もなく、たちまちカロンは川の中に引き ずり込まれて行った。 「な……そんな馬鹿なあぁぁぁ!?」 「勝利のぶいっ!!」 ルーティはカロンの立っていた場所でガッツポーズを取り、櫂を拾い上げた。 高速で繰り広げられたアクションに後ろの二人はついていけず、ただ呆然としている。 「……仮にも死神をあっさりとやっつけますか、普通?」 「こういうときは話し合いで何とかするもんじゃ……」 ルーティはそんな二人にちっちっと指を振って、胸を張り堂々と答えた。 「そんなめんどくさいコトしてる暇なんてないっ!」 「ああ、我が妹ながらなんておおざっぱな子……」 「姉さんはいつも深く考えすぎだよ。ほら、無理が通れば道理は引っ込むって言うし!」 それもまた世の中の一面ではある。 マールには到底想像も付かない領域だが。 (やっぱり私達三人は互いに補って一つなんですね……) そう思うと捕らえられたままのティーナの安否が忍ばれ、マールはちょっと辛そうな顔 になった。だが、悩んではいられない。 ルーティはてぃーくんにもう一つ櫓を渡した。 「さ、てぃーくんもコレ持ってね!」 「うん!」 「じゃあ行くよっ!!」 ルーティはそう言って勢い良く舟のロープを切り離した。 舟は初めはゆっくりと、やがてだんだんスピードを出して進み始める。 子供達は第一関門を無事通り抜けたのだった。 「無茶するねえ、ルーティちゃんは……」誠治は呆れたように呟いた。 「でも手っ取り早いですよ。私、見ていて胸がすっとしました」 そう言う美加香の顔は嬉しそうだ。 (……やっぱり親子なんだなぁ) 誠治は改めて納得してしまった。 美加香はまた真剣な顔に戻り、画面に浮かんだ文字の羅列を見ている。 風景の一部で、破壊された情報に当たるものだ。冥界は学園中枢の元々のデータを破壊、 再構築することで組成されている。 だがそこには必ず粗が出る。所詮お城を作っていたブロックを積み替えて砦を作った所 で、全てのブロックが使用されるわけではないのだ。必ず余りは出る。 その余りを敵は残すことなく粉砕しているのだ。そこに付け入る隙が出る。 「ふうん……やっぱり、このクラッシュパターンは見覚えがありますね……」 美加香は眼を細めて呟いた。 見る者が見れば、クラッシュされた情報からその特徴を読みとることが出来る。 ブロックを砕いたのはハンマーかドリルか……その程度までしか判らないが。 だが、その凶器が世界にただ一人しか持っていない特殊なモノであれば事情は違う。 誠治は美加香の後ろに立ち、眉を顰めた。 「やっぱりさっき言ってたみたいに、君の知人なのか?」 「……知人とさえ呼びたくない人種ですけどね」 美加香は吐き捨てるように呟いた。 「高橋……!死んだハズでしょ、貴方は……!」 金属が割れるとき特有の高い音を立てる。 風見は舌打ちして粉砕されたナイフを放り捨てると、素早く次の獲物を取りだした。 Dマルチは全く無駄のない動きで手にしたワイヤーと共に死の舞踏を続けている。 「くそっ……何だ、この動きの良さは……。Dマルチの動きか、これが!?」 風見の目の前にいるDマルチは普段親しまれている思考暴走ロボではなかった。 ありとあらゆる物を切断し、ひたすらに踊り続ける美しき殺戮者だ。 しかもその動きに全くムラがない。論理だけで攻めているようにすら思える。 来栖川警備保障へーのき=つかさはDシリーズには感情はないと主張する。だが、それ が今となっては全く信憑性のない主張であることは周知の事実だ。 現在学内でDシリーズに感情が存在すると考えている者は決して少なくはない。 へーのきは元々彼女たちには感情回路が存在していないと言うのだが……。 ならばDセリオがジンと闘うときのあの楽しそうな顔は。 生徒に愛されるDマルチやDガーネットの無表情ながらも打ち解けた様子は。 一体どう説明が付くというのだ? 風見の見たところではDシリーズは戦士として不十分だと思われていた。 感情がなかった頃は感情のない戦士など戦士に非ずと思っていたし、最近は最近で感情 が技のキレを揺るがせていると考えていたのだ。特にDマルチは思考暴走のためか動きに 無駄・偏りが多いと判断していた。 だが今のDマルチは殺戮マシーンだ。そして……強い。 今度は感情をもって闘っている風見の方が理詰めで襲ってくるDマルチに引けを取る。 しかしこれは明らかにDマルチ本人の動きではないのだ。 喩えDマルチが理詰めで攻めてきたとしても、攻撃パターンが普段のDマルチとは違っ ている。まるで誰か違う人物の攻撃パターンをDマルチが理詰めで再現しているかのよう だ。Dマルチの外見に騙されると大変なことになる。 最初、風見はDマルチに危うく腕をぶった斬られそうになったのだ。 初めに来るだろうと想定したものとは全く違う方向からワイヤーが迫ってきた。 嫌な予感を感じて様子見していなかったら今頃は隻腕になっていただろう。 今でもDマルチは的確にこちらの武器を狙い、破壊を続けている。 また一つオシャカになった暗器を捨て、風見は舌打ちして叫んだ。 「こいつ……強い!!」 ゆきもまた苦戦していた。 尤もゆきはただひたすら敵の攻撃を弾いてしのぎ続けることを狙っているから、未だに 死にそうな状況には陥っていない。 だがDガーネットの攻撃にはやはりムラがなく、しかもゆきが弱いところを的確に狙っ て攻めてきている。 「……くっ」 ゆきは何度目かの苦渋を漏らした。 「D芹……てめえその攻撃誰に教わった?」 ジンはぺっと血の混じった唾を吐いてDセリオを睨み付けた。 意外にも最もダメージを喰らったのはジンだった。 いつものじゃれ合い通りに攻撃を仕掛けたジンは、予想もしなかったタイミングからの 爆裂パンチを顔面に受けてしまったのだ。 いつもの癖でDセリオとの戦闘に熱中しすぎてしまったのが裏目に出たようだ。 「先制攻撃に成功……Dセリオ=ロゴス、続けて攻撃に移ります……」 Dセリオは小さな声でぶつぶつと呟いている。まるで誰かに報告しているかのようだ。 「……ロゴス?それが今のお前の名か、D芹」 「排除します」 Dセリオは淡々と呟きながら、突然サウザンドミサイルを放射した。 常に必殺技の名前を叫ぶのが不文律になっている二人の間では反則と言っても良い。 だがジンは素早く地面に転がってその攻撃を避けながら叫んだ。 「ロゴスだろうがタコスだろうが何だっていいんだよ……!D芹、俺はお前の姿をした奴 に負けるわけにはいかねえんだっ!!」 「排除失敗、続いて攻撃に移ります」 呟きを聞きながらジンはぎりっと奥歯を噛んだ。 足に仕込まれたロケットを噴射して超高速でDセリオの懐へと飛び込む。 Dセリオは全く表情を変えない。だが、ジンの攻撃には対応し切れていない。 「解らねえかっ、ライバルにでかい顔されたくねえってんだよっ!!」 ジンは叫びながらDセリオのボディにロケットの推進力を乗せたパンチを喰らわせた。 さすがにDセリオもこれだけのダメージを受けては吹っ飛ばずにはいない。 ……しかしDセリオはすぐさま立ち上がると、何事もなかったかのように無表情にジン を捕捉して呟いた。 「攻撃を受けました。反撃を開始します」 ジンは苦い表情で呟いた。 「ちっ、気持ち悪ぃ……お前との戦いでこんな気分になったのは初めてだぜ……」 「うわあ」 門を見上げたルーティはどこか間の抜けた声を漏らした。 まあこんなに非常識なものを見せられては驚くなという方が無理がある。 冥界タルタロスに続く冥府の門は、文字通り雲を突き破らんばかりにそびえ立っていた。 「すごいなあ……下手なビルよりは断然高いよね」 「現実では自重の問題からこんな門は存在し得ないんですけど……さすが電脳世界ですね」 マールも呆れたように門を見上げている。 てぃーくんはその門の前で蹲っている物を見て、ちょっと怯えた顔つきになっている。 こちらを睨み付けているその不気味な獣には三つの犬の頭、首には無数の蛇の頭が生え 緑色がかった不気味な息を吐いている。その胴体は獅子で、尻尾にはまた蛇が生えていた。 明らかに自然な生物では有り得ない。 「ケルベロスだ……」 てぃーくんはごくりと息を呑んでその醜悪な門番を見つめた。 だがルーティは全く臆した風もない。 「犬さん、ゴメンね。ちょっと通してくれる?」と言いながらてこてこと近付いていく。 あまりに無茶な行動を見て、てぃーくんは思わず立ちすくんだ。 「ル、ルーティちゃん!?いくら何でもシャレになんないよっ!?ほら、マールちゃんも 何か言ってやって!!」 「心配要りませんよてぃーくん。大丈夫です」 マールはてぃーくんとは対照的に平然とした口調で言った。 先ほどの困惑ぶりは微塵もない。 「大丈夫って……」 てぃーくんは困ったようにルーティを見た。 案の定ケルベロスは凶暴な顔つきでルーティを睨み付けている。 『汝冥界に眠る亡者の安息を妨げるか?番人たる我を冒涜するか?』 「わ、喋った。別にあたしは死んだ人はどうでもいいんだけど……ただちょっとあなたの ご主人様の所へ行きたいだけなんだけどな」 そう言うと、ケルベロスは牙を剥いて体勢を低く取った。 『それは許せぬ!汝万死をもってその不遜を正すがよいわ!!』 「……言うと思ったよ!!」 てぃーくんはやりとりが決裂したのを見て叫んだ。 「危ない、ルーティちゃん!!」 だが当の本人はあっさりとケルベロスの吐き出した火炎のブレスをかわしてしまった。 しかも逆にケルベロスの頭を飛び越えて背後に回り、炎を纏った拳を繰り出している。 「火行奥義、火辰烈鳳!!」 『ごがああっ!?』 ケルベロスは軽々とルーティに吹き飛ばされた。 更に追い打ちでルーティは手から気にも似たビームを打ち出している。 「水行奥義、水辰輝砲!!」 『げふぅぅぅぅっ!?』 そこでようやくルーティはてぃーくんの方を振り返り、叫んだ。 「何してんのてぃーくん!さあ、一緒に追い落として!!」 「あ、ああ!」 ルーティのやろうとしている事を察して、てぃーくんは一緒に攻撃を繰り出す。 「水辰輝砲!!水辰輝砲!!水辰輝砲っっ!!もういっちょオマケに水辰輝砲っっ!!」 「把っ!椰っ!倒っ!烈ぅぅぅっっっ!!」 『うっぎゃあああああああああああああああ!!』 二人の連続砲撃を受けてケルベロスはどんどんと吹っ飛ばされて行く。 『ガ、ガキ共……舐めるなよ、俺は頑丈だ!!こんなもの如きで……』 どぼんっ。 情けない音を立て、ケルベロスは火炎の川へと転がり落ちた。 その身体はたちまち火炎に包まれて、骨までも燃え上がって行く。 『ひぎゃあああああああああああああああああああああああっっっ!!』 断末魔の声を挙げてケルベロスは倒された。 「……あれ?えーっと」 あまりのあっけなさにてぃーくんは我が事ながら呆然とした。 マールはくすくすと笑いながらそんな彼を見ている。 「てぃーくんは勘違いしてますよ。本物の冥界ならいざ知らず、ここは所詮はハッカーが 作り出した電脳世界。来栖川の技術力を結集して作られた私達が負けるわけないじゃない ですか。こと電脳空間でなら、私達は文字通り神なんですから!!」 「あ……そっか。紛い物なんだっけ、これ……」 カロンもケルベロスも、結局敵が作り出したただのプログラムに過ぎないのだ。 あまりにもオカルトに親しんでいるため、てぃーくんはついついここが本物の冥界かと 錯覚してしまっていたのだった。 「あ、ほら門が開くよ」 ルーティの示す方を見れば、なるほど番人が消えて門が開くところだった。 なかなかに壮観な眺めだが、今のてぃーくんには虚構に見えてしょうがない。 一歩踏み出して門の中を見ると、赤い記号が見えてちょっと嫌な気分になった。 「あれ?何かペンキで書いてあるぞ?」 ルーティは平気な顔で『ペンキ』と言った。 言われて見ればその通り、一瞬血文字かと見まごうたそれは赤い塗料で書かれた文字に 過ぎなかった。 だがそれを見て、ルーティも嫌そうな表情になる。 「うわ、趣味が悪いなあ……『この門をくぐる者、汝一切の希望を捨てよ』だって」 「……怖いね」 てぃーくんとルーティは顔を見合わせてげんなりした表情になった。 だがマールは冷静な顔で呟いた。 「陳腐なハッタリです」 一刀両断である。 マールは先ほど神話の話をしたときと同じくちょっと面白くなさそうな顔で言った。 「元ネタは『倫敦塔』……数々の聖人を呑み込んだまま生涯そこから出すことのなかった ロンドンのある塔を訪れた主人公が、門に刻まれたその文句を見て思案するというくだり が夏目漱石の小説に出てくるんです。その文句をそのまんまコピーしただけですね」 「え、そうなの?」 「ネタが割れちゃえば何も怖い事なんてないでしょう?……却ってこの冥界という場所の 本質が見えてきます。この冥界と名付けられた電脳空間は、早い話が……」 マールは意地悪な笑みを浮かべて断言した。 「チープなお化け屋敷なんですよ!」 「あっ」 ルーティとてぃーくんはずっと抱えていた漠然とした不安の正体をあっさりとした形で 指摘され、愕然とした顔になった。 マールは門を見上げながら呟き続ける。 「こう考えてみると《冥王》さんの人格が浮き彫りになるでしょう?あの人は子供なんで すよ。だから私達にゲームを持ちかけ、私達が怖がったりパニックになったりするのを見 て楽しもうとする。……そんな趣味の悪い挑発になんて誰が乗るものですか」 まさに竹を割ったような感想だった。 てぃーくんようやくは怒ったような顔になって言った。 「そうか……《冥王》は僕らをからかってたんだな!?くそっ、すっかり騙されてたっ!!」 「そうと分かればもう何も恐れることはないねっ!」 ルーティはがんっと門を殴りつけて元気良く言った。 「さあっ!とっとと奧に行って《冥王》の横っ面にビンタ喰らわせてやるぞっ!!」 『おーーーっ!!』 てぃーくんとマールも勢い良く同意する。 そして子供達は門をくぐり抜けた。 「やれやれ……ようやく揶われていたことに気付いたか」 《冥王》はひきつったような笑みを口の端に浮かべて呟いた。 横に座す妻の顔に手を這わせ、その感触を楽しむ。 「だがな、幼きオルペウス達よ。お前達は知らないだろうが…世の中には分かっていても どうしようもないこともあるのだよ」 目の前のモニターにはジンや風見達の苦しむ顔が映し出されている。 いずれも視点は一方的……戦っている者の目を通して映し出されている。 「理……ロゴスに従って築かれた我が結界は誰にも崩すことは出来ない。それが死の厳粛 なる掟だ。死とはこの世で唯一絶対的な掟なのだよ。……呪うべき、な」 《冥王》はくっくっと喉の奥で笑いながら苦しみ続けるジン達を眺めている。 「オルペウス達よ。お前達も彼等のように苦しみ、死を待つが良い。彼等もDシリーズを 壊す覚悟ならどんなことも出来る。だが、情けがそれを阻害し、自らの死を招いている。 愚か者共めが、情によって死んでしまえ!!それが貴様等には相応しい!!」 《冥王》は漆黒のマントをはためかせて高らかに笑った。 《ペルセポネ》は魂の籠もらない瞳でそれを見つめ続けている。 「くっくっく………はーーっはっはっはっ!!」 いかにも楽しくて楽しくて仕方がないというように……。 冥界には《冥王》の哄笑が轟く。 つづく ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― とゆーわけで文体を元に戻しました。 kosekiさん、ご意見ありがとうございます(笑) すみません、長いですけどもうちょっとおつきあい下さいね(汗)