雨月悲恋鬼譚<修羅> 其の一 投稿者:風見 ひなた



 序事

 行ったはずのない場所での光景が頭の底に残ってたまらない。
 我はそこがどこであるのか知らぬ。何某の屋敷であるのか、それが何時の事
であるのか、何故我がそこにいたのかすらも。
 しかし我の心は確かに軋みを上げ、苦痛の声を上げるのだ。
 紅金色の凶々しくも美しき舌が、屋敷の虚飾を舐め取って行く姿を我は嘆き
をもって見つめている。心はあの炎の海へと飛ぼうとする。
 だがそれに反して我の身体は微動だにせず、ただ立ち竦むばかりである。
 そこでは我は炎に包まれた屋敷を呆然と眺めるほかには、何も出来ぬのだった。 

 その場所には憎々しい奴等が巣食っているはずであった。何度殺してやりたいと
思ったことか、挙げて数えることも出来ぬはずである。
 しかし我の中に満ちる感情は歓喜でも開放感でもなく、ただ落胆と絶望のみ。
 涙すら零す事も許されず、我は立って居たのである。
「良く燃えることよな……」
 くくっと我の横で声がする。我はようやくそこに居たもう一人の人物を思い出す。
 女だった。高貴なる装束を身に付けた女が笑っていた。
 だがその笑いは優しくはない。まるで獲物を食む蛇のように残酷で酷薄な笑み。
 我は蛇に身竦められ、身動きも出来ずにただ硬直する。脂汗が背を伝って落ちる。
 女は笑うだけ。美しく残酷に笑うだけ。
「その目に焼き付けるが良い。あれがお主の憎み続けた栄光の最期なれば……」
 我は動けない。心の命ずるままに心は動いてはくれない。
 女が笑う。心より楽しげに冷たく、嘲笑う。

 我はその声を聞きながら、再び深い深い闇の淵へと呑み込まれる。
 なれどその闇は我が故郷の闇にあらねば、我はただ苦しむのみ。
 無意味の連鎖の中、繰り返される言葉だけがゆるゆると我を壊してゆく。

《ああ、酷く悲しい。嗚呼。嗚呼》


「……行き倒れ?」
 青年を見下ろし、静かにそう呟いた。
 このご時世に行き倒れは全く珍しいものではない。貧農が税から逃げようとして
死ぬも、商人が山賊に襲われそのまま朽ちるも、落ち武者が深手を負ったまま息絶
えるのもよく聞く話だ。特に後の二つは『この地域では』事欠かない。
 いずれこちらにしても余裕はなく、喩え息があっても見殺すか、楽にしてやって
祟らぬように埋葬してやるかしか出来ない。特に埋葬は商売柄得意だった。
 だがそうすることを躊躇わせたのは、主に青年の身なりによるところが大きかった。
 青年の身につけた防具自体には大した特徴はない。薄手の帷子に履き古した伽半、
全体的に軽装で武人の旅装束としてはやや物足りない気もするが、それを除けば只
の落ち武者の行き倒れである。この山で落ち武者の亡骸に出くわす事はさほど珍し
くはない。……山賊や『奴等』の討伐に失敗し、逃げ帰る途中で死ぬのはよくある
事である。だから防具は敢えて注目すべきものではない。
 彼女の目を捕えたのはむしろ、その側に落ちていた大振りの太刀であった。
 大振り、といえば一言だが目を引く点は多かった。
 まず大きい。長さはおよそ4尺におよび大太刀というよりは長太刀、所謂野太刀
の部類に入る。常識的に考えて白兵戦で振り回すための長さではなく、騎馬戦での
使用を前提にしているはずなのだが、目の前の青年の背にはこれの対となっていた
と思しき大きな鞘が背負われている。しかも青年はこれ以外の武器を持っていない
らしい。
 ということは、それは青年がこの野太刀を武器として使用していたことを意味す
る。無論青年は実際にはただの刀持ちで、騎馬隊の人物の野太刀を運んでいた…と
いう可能性もある。むしろそちらが真相だと判断すべきだろう。
 事実目の前に倒れる青年は男性としては小柄な部類に入り、彼がこの野太刀を振
り回すとは俄かには信じがたい。だが、よくよく見ると青年は確かに小柄ながらも
かなり締まった体躯をしているのが分かった。只の刀持ちとは思えない。
 彼女は僅かに迷ってから、そっと青年の側に転がる野太刀に手を伸ばした。
 手にとってしげしげと観察してから、彼女は改めて思う。
 白い。真っ白だ。
 野太刀は奇妙にも純白に輝いていた。最初は白銀で装飾を施しているのかと思っ
たが、良く見れば太刀自体が何か白い物質で構成されているようだった。
 非常に硬質で、かつ太刀自体が発光しているかのようによく輝く。
 ここは薄暗い山道のはずなのに、それでも太刀はぎらぎらと光を受け煌いていた。
「……この人、何者なの?」
 彼女は太刀から目を離して、ぽつりと呟いた。
 その眼差しが驚愕の色に染まるのにはさほどの時間もかからなかった。
 彼女は慌ててその近くに落ちていた『右手』へと走り寄った。
 ごつごつした筋肉と鋼のような剛毛に覆われ、無数の金属質に近い鋭い爪が生えた
『奴等』の『右手』だ。見間違えるはずもない。
「『鬼』……!?」
 傷口はまだ新しく凝固しきってはいないようだ。
 これが奇妙な太刀を携えた青年の側に落ちているということは、とりもなおさず
この青年が『鬼』の右手を……恐らくは戦って、切断したということを意味する。
 ゆっくりと倒れたままの青年を振り返った。彼が起きてくる様子はない。
 彼女はしばしこの青年を村に連れ帰った場合の危険と利益について考えを巡らせた。
 それから彼女は白く輝く太刀を青年の背に収め、渾身の力を込めて持ち上げる。
「う……」
「大丈夫…今すぐ村に運んであげるから」
 意識ないまま呻く青年に向かってそう呼びかけ、彼女は歩きだした。
 ふと青年の表情を見た彼女は、まだ少年みたいな顔だと思った。

 そして、三つの鬼の物語が静かに幕を開ける――。



 雨月悲恋鬼譚<修羅> 其の一



 長い夢を見ていたと思う。
 そこで自分は赤く燃える炎の中に立ち、見知らぬ女と会話していた。
 内容は覚えていない。あの場所がいつ、どこだったかも分からない。
 しかしその印象だけは非常に強く脳裡に焼き付き、故に目を開けて最初に見た仄暗く
僅かにくすんだ色の天井との差異は大きく、青年はふと己がいる場所が夢なのか夢だと
思っている場所こそ現実なのか分からなくなる。
 何度も目を瞬かせるうちにそこがどこかの建物の中である事を認識し、青年はともか
く自分がここにいる理由は分からずとも、自分が屋根の付いた場所で布団に寝かされて
いるという状況だけは判別した。
「……何故俺はこんな場所にいる?」
 青年はぽつりと自問した。当然答えが出るはずもなかったが。
 自分は確か森の中をさ迷っていたのではなかったか。
 空腹と疲労で意識を失ったとしても、目覚めれば未だに森の中のはずだ。
 ならばこれは幻覚か。はたまた狐狸に化かされているとでもいうか。
「……どちらにしたところで変わらんな」
 幻覚でも幻術でも、いずれは覚めるもの。なるように任せればなんとかなる。
 そう考えれば青年の緊張は途端に安らぎ、忘れていた空腹感を思い出した。
 我ながら現金なものだと青年は苦笑する。
 とりあえず起きあがろうとして、青年はつつっと呻き声を上げた。
 身体の節々が妙に痛む。疲れた身体で突然柔らかい布団を宛がわれたのだから仕方の
ないことなのかもしれないが。
「これじゃ思うようにも動けないか……」
 青年が呟いたとき、障子の向こうに一つの影が見えた。
 ずっと前からそうしていたように、青年の身体が勝手に身構える。
 だがよく考えればこちらを狙ってくるのなら寝込みを襲えば良かったわけで、青年は
苦笑しながら構えを解いた。大体、障子の向こうに見える影は女性のものである。
「あ、気付かれましたか」
 障子の向こうから落ち着いた声が聞こえ、カラカラと音を立てて障子が開く。
 そこにいたのはやはり女性だった。それも年の頃十五、六の若い娘だ。
 焦げ茶色の長い髪に、やや切れ長だがどこか物憂げな色を浮かべる髪と同じ色の瞳。
 肩の具合から何か武術をやっているのだろうかと漠然と思う。
 だがその武芸者らしき印象と共に、どこか儚げな印象をも感じる事も出来た。
 それから身につけた服装は……巫女装束。
 娘は優しい笑顔を浮かべて青年に話しかける。
「随分と疲れていらしたのですね、良く眠っておられました」
 その笑みは青年が思っていたものよりもずっと柔らかく、青年は少しどきりとした。
「あ、いや……俺はどうして?」
「森でお倒れになっているところを、私が見つけてここまで運びしました」
「君が?」
 青年は一瞬この娘が自分を背負ってきたのかと思ったが、すぐにそんなわけはないな
と思い直した。幾らなんでも女手一つで自分や荷物をここまで運んでくるわけには……。
「あっ! 荷物……ぐうっ!?」
 青年は慌てて起きあがろうとして、身体の痛みに悲鳴を上げた。
 娘はさっと青年の枕元から例の野太刀を取り出して見せる。
「これのことですね? 大丈夫です、どこも欠けてはおりません」
「ああ、これも運んできてくれてたのか……重かったろうに」
 太刀を受け取った青年が恐縮したように言うと、娘はいえと小さく微笑んだ。
「私一人で運んだわけではありませんから。……その刀、随分大事にされてるんですね」
「ん?」
 青年は白い太刀の鞘を撫でながら、少し思案するように首を傾げる。
「大事…というよりは、身体の一部だな。そんな気がする」
「物を大事にするのは良い事だと思います。特に生命に関わる道具は……失礼ですが、
貴方様はその太刀を振るわれるのですか?」
「振るうのか…って」
 青年はしばし沈黙した。
 どうだったろうか? 自分にはこの太刀は必要なものだ。だがこれを振るうために
練習していた、という記憶はないような気がする。――気がする?
 何故、曖昧なのだ? 自分は森に入り込んで、そこで太刀を振るった。確かに上手
く振るえていた筈だ。まるで太刀を自分の手足のようにすら感じた事を覚えている。
しかしそこまで熟達するまでの過程は? 自分は……。
 そこまで考えたとき、頭の中で白い閃光が弾けたような気がした。
「……どうなさいました? まだ頭が痛まれるのですか?」
「ん……」
 青年は手を振ってなんでもない、と答えた。
 次に首を上げたときにはもう大丈夫だった。自分の過去や経歴がはっきりしている。
 まるで天啓を受けたかのように頭の中がすっきりとしていた。
「ああそうだ。俺は京から来た武芸者で……この太刀一本に命運を賭けて世を渡って
きた。山を越えるために森に入ったのだがそこで運悪く食物も水も尽き、危うく死に
かけていたところだったんだ。……ありがとう、世話になったな」
 青年はそうすらすらと澱みなく説明した。答えが最初から用意されていたものであ
ったかのような簡潔な内容である。
 娘は突然の説明にきょとんとしていたが、元来利発な娘のようですぐに青年の説明
を理解し、更なる質問を投げかけた。
「山を越えて……ということは、やはり雨月山に……?」
「……そうだ」
 青年は一瞬自らの言葉に戸惑ったようだったが、やがて力強く頷いた。
「雨月の山に巣食い住民を苦しめる悪鬼共……。奴等を退治するために俺はここまで
やって来たんだ」
「そう……ですか。ではやはりあの右手は……」
 娘はぽつりと呟き、しばらく思案しているようだった。
 一方の青年はどこか居心地悪そうな表情で唇を噛んでいる。
 やがて娘は顔を上げ、先ほどとはうって変わって凛々しげな表情で青年に向き直った。
「武芸者様…厚かましい申し出が御座います」
「うん?」
 青年は娘の表情に気圧されるようにして返事した。
 そのくらい彼女の表情は真剣だった。
「どうか……どうか私に力をお貸し下さいませんか?」
「力? 俺に何をしろって?」
 青年の言葉に、娘は強い調子で口を開いた。
「私と共に……鬼と」
「お客さん、ご飯だよーっ!!」
 突然障子の向こうから元気の良い声が響いてきて、娘は口を噤んだ。
「稲穂!! 露姉様は今お客様と大事なお話の最中なのよ!!」
「あーん、だって早くしないと折角のお雑炊が冷めちゃうもの」
 先ほどの声とは別の声がたしなめるが、あまり効果はないようだった。
 娘は間の悪そうな表情をしたが、呆気に取られている青年の顔を僅かに見てふうっと
ため息をついた。青年の耳元に口を寄せて、囁く。
「あとで、その太刀を持って庭に出てきて戴けますか?」
「ああ。別に構わないが」
 青年の言葉にほっと安堵の息をついて、娘は障子の向こうに向かって呼びかけた。
「いいわ。入って来なさい」
「はーい!」
 元気な声が響き、障子の影からひょこりと小さい鍋を持った童が顔を出した。
 年の頃は十一か十二、いかにも元気盛りといった感じの少女だ。
 青年を見て、しげしげと品定めするような視線を送ってみせる。
「ふうん……ほんとだ、お兄ちゃん面白い色してるね」
「何だって?」
 青年が聞き返そうとすると、童の後ろからもう少し大きい娘が現れて童を叱った。
「稲穂! お客様に失礼でしょう!!」
 この娘は十四くらいか。どこか奥ゆかしい態度が伺えるが、同時に聡明な雰囲気も
感じ取れる。服の着こなしにも相当気を使っていると見えるが、宮中の女性のように
それをひけらかそうとはせずそこが上品な感じだ。田舎の村娘とはとても思えない。
元気の良い童と顔立ちが似ているが、姉妹なのだろうか。
 そう思っていると、少女はこちらを振り返って深々とお辞儀した。
「初めまして。私は三姉妹の次女、つぶらと申します」
 挨拶も堂に入っている。
 その点その妹はざっくばらんで、明るく笑いながら手を上げてみせる。
「あ、私は稲穂だよー。よろしくね、お兄ちゃん!」
「もう、稲穂ったらお客様に失礼でしょう!! 露姉様、叱ってあげて下さいな」
 そこで初めて娘はぽん、と手を打って苦笑してみせた。
「そういえば私も名前を名乗り忘れておりましたね」
「姉様まで……どこか抜けていらっしゃるんだから」
 つぶらの呟きに照れながら、娘はゆっくりと辞儀をした。
「改めまして名乗り申し上げます。私は三姉妹の長女にして、この社を預からせて
戴いている巫女で、露と申します」
 ああ、やはりここは神社なのか。
 青年は納得しながら頷いた。
「俺は灘……いや日向(ひゅうが)だ。字はなく、只の日向」
「日向様ですね。今後よろしくお願いします」
 露が頭を下げたのに恐縮して、日向はああと生返事を返した。
 言った後で気付いたように、露に向かって問い返す。
「……今後?」
 だが露はそれには敢えて応えず、稲穂から受け取った雑炊を日向の横に置いた。
「さあ、雑炊が冷めてしまいます。どうぞお召し上がりください」
「あ、ああ」
 日向はしっくりしない表情で頷く。
 そんな二人を見て、稲穂はくすくすと笑った。
「露姉様ったら可笑しいの。いつもはもっと適当な言葉使ってるのにね」
「稲穂! 余計な事は言わないの!」
 つぶらは稲穂を小突いて諌める。
 その中で、露は心なしか恥ずかしそうな顔をしていた。


 しばらくして、日向は言われた通り太刀を持って庭に出た。
 食物を腹に入れたらたちまち歩けるようになったのだから、つくづくいい加減な
身体だと実感する。自分の身体なのだから言ってみても仕方がないのだが。
 庭に立ってみると、確かにここは社なのだと思う。先ほどまでの建物は奥の離れ
だったようで、ちゃんと目の前に本殿が存在している。小さい村にしてはかなりの
大きさだ。少し離れた所に拝殿と鳥居が見えるが、これはさほどの大きさではない。
「露さん、ちゃんと出て来たぞ。どこにいるんだ?」
 日向が声を掛けると、本殿の端の方からこちらです、と返事が返ってきた。
「お手数をお掛けして誠に申し訳ないのですが、一寸こちらまで出向いて戴けませんか?」
「ああ、分かった」
 言いながら日向はどうも居心地の悪いものを感じていた。露の馬鹿丁寧な言い回
しがどうにもしっくりこないのだ。昔誰かがあんな喋り方をしていたのを思い出し
そうになって、日向はその度に頭の芯がえずくような不快感に囚われる。
「ここか?」
 本殿の角を曲がった日向は、そこで少し呆気に取られた。
 丸太に藁を巻いて麻縄で縛った人形の「的」……それが無数に並べてあるのだ。
「ああ、いい時期でした。丁度準備が出来あがったところです」
「露さん…これは?」
 日向の言葉に、露は腰の鞘から白い煌きを取り出して笑った。
「勿論、剣の的です。日向様のお手並みを拝見させて戴こうと思いまして」
「剣の的って……露さん、何で刀なんて持ってるんだ?」
 すると露はきりっとした表情になり、三尺弱のやや細身の太刀を的に向けて言った。
「これが…私の仕事ですから」
 その言葉と同時に露の両腕がぶんっと空気を割り、煌きの筋が二陣三陣と的に向かって
放たれる。その動きは実に鮮やかで、しかもいずれも急所となる部位を的確に狙っていた。
明らかに実戦、しかも敵を確実に倒すための太刀筋である。
 露の動きが止まったとき、的はずたずたに切り刻まれていた。
 ふうっと息をつき、露は日向に向き直る。
「さあ、日向様。貴方様は先ほどの時間で何体を葬れますか?」
「………」
 お前もやってみろということか、上等だ。この腕を見せてやろう。
 日向はそう思いながら太刀を握ろうとした。
 その腕が止まる。……この長さの太刀、どう操れば良いのだったか?
 おかしい。思い出せない。
 日向は強張ったまま汗を垂らした。
 自分は武芸者であり、この太刀を使いこなしていたはず。なのに何故分からないのか?
 今はまだ露も精神集中だと思っていてくれているだろうが、それにも限度がある。
 いくら思い出そうとしても全く思い出せない……いや、知らない?
 初めから……知らないのか?
「……馬鹿な」
「え? 日向様、如何なさいました?」
 露は自分が太刀を使いこなす事に全く疑問を持っていないようだ。
 それが日向を一層焦らせ、錯乱を引き起こさせる。
 太刀を使えないのなら自分は一体……何物だ?
「ぐっ…また…!?」
 そう思ったとき、再び頭の中に白い閃光が弾けた。
 一瞬思考が暗転し、徐々に整理された思考が頭を満たす。
(そうだ……)
(考えなくていいんだ……)
(身体が覚えていてくれてるから……)
 日向の顔が自然に笑みを形どった。ただしその笑みは暗黒に属する類の物であったが。
「もし、日向様? もしやまだお身体の調子が……」
「黙っていろ」
 心配の色も顕わに話しかける露に言い放ち、日向は野太刀を引き抜いた。
「俺ならこうする」
 ぽつりと小さな呟き。
 次の瞬間巻き起こる、白刃の織り成す嵐。無限とも思える剣閃の一片ずつが集まり、
光の風となって的の間を駆け抜けてゆく。嵐の中の風一枚が的を撫ぜ、端から端へと
瞬く間に通過する。
 露はその光景の異様さに魅了され、茫と心を奪われていた。
 とてもではないが、人の業とは思えなかった。
 最後に響くたん、という音。
 それは全てが終わり日向の足が地を踏み鳴らした音であり、そして斬られた的が真中
からその半身を地へと落とした音であった。
 全ての的の内およそ八割五分を叩き切り、更にその落下を全て同時に揃えている。
「凄い…この方なら、きっと」
 我に返った露はごくっと喉を鳴らし、日向の元へと駆け寄った。
「日向様!!」
「え?」
 日向は露の声にはっと正気に戻った。
 自分が今何をしたのか理解できなかった。的を斬って捨てたことが、ではない。
 一体何をどうやってあんな人間離れした所業をやってのけたのか分からないのだ。
 分かっているのは只、今の一刻の間は己が己の範疇を超えていた、ということのみ。
 不気味ではない。己を超えた己もまた、己であるという認識があるからだ。
 只、不思議な気分だ。さっきの流れに従う事が正しいのだと、根拠のない確信がある。
 日向は小さく頭を振って、まだぼんやりとする頭をはっきりさせた。
 露はそんな彼の元へと駆け寄り、輝く目で彼を見つめた。
「本当にお見事でした。やはり貴方様にお願いするしかなさそうです」
「願い……さっきもそんな事言ってたな。一体何だ?」
「日向様……」
 露はさっと地に手をつき、平伏して鋭い目つきで日向を見上げた。
 そしてそのまま突然の事に戸惑う日向に向かって、訴えかける。
「無理を承知でお願い申し上げます、私と共に『鬼』を討って下さいませ!!」
「鬼を!?」
 日向の頭の中に、雨月山の鬼のことがよぎった。
 雨月山の鬼は暴れはするが、山からは決して出ないという。
 ならばここに出没する鬼とは何物なのだ?
 日向の考えを読んだように、露は平伏したまま頭を振った。
「鬼とはいっても雨月山の鬼ではありません、この近辺を荒らす賊の通り名です」
「賊…しかし、何故君と共に戦わねばならん?」
「私は巫女です。ただし、只の巫女ではありません……外敵から社を守る『戦巫女』です。
私達の社はこれまで周囲の村の保護によって存続してきました……しかし、『鬼』により
村々は滅ぼされてこの村の警護団もほぼ壊滅、戦うことが出来るのは既に私しか残っては
いないのです。次に襲撃されれば……村も社も、全て滅ぼされてしまうのです」
 日向はふん、と頷いた。
「そんなに社を守りたいのか?」
「はい。この社は神代の時代より私の祖達が代々守ってきた、一族の命。既に一族は絶え
私しか残ってはおりませんが……せめて一族が滅びるのなら社と共に、と」
「君一人? だがつぶらと稲穂は……」
「……あの子は血は繋がっていません。滅びた村の生き残りを引き取りました。それでも
本当の姉妹以上のもの、大事な家族と思っています」
「家族、か……」
 日向はぽつりと呟いた。それはとても大事な言葉だったような気がする。
 だがそれだけのことだ。自分には使命がある。雨月山の鬼を討つという使命が。
 目先の人情劇のために大義を曲げる事は出来ない。
「お願いします……私はあくまで巫女、死霊や魔を祓うことは出来ても生者には十人並の
力しか持ちません。どうか……どうか……」
 最後の方は涙声だった。いざというときに何も出来ない己が呪わしいのだろう。
 だからといって一度決めたことを覆すわけにはいかない。
「悪いが、俺は先を急ぐ……」
 そう言いかけた日向は、頭の中にとてつもない激痛を感じてのけぞった。
 話し掛けてくる。先ほどの己を超える己が、さざなみのように小さく無数の波状となった
囁きを投げかけてくる。それが己の心とぶつかり合い、痛く痛くとても痛く瑕を付ける。
(戦うがいい)
(戦うがいい)
(汝は戦うべきだ)
(鬼を僭称する者を皆殺しに)
(そうすれば己は――)
 ああ、そうだ。俺は戦わねばならない。それが正しいことなのだから。
 敵を殺して殺して殺して、戦わなくてはならないのだ。
「……ああ、そうだな……」
 日向は小さな呟きを漏らした。
 その言葉がまるで魂の抜けた虚ろなものに聞こえ、露は驚いて涙に濡れた顔を上げる。
 しかし日向の目は先程と同じ、生気に満ちたいきいきとしたものである。
「ほら。いつまでも地べたに座っていると服が汚れるぞ」
「あっ……」
 露は無理矢理日向に引き起こされて、軽い悲鳴を上げた。
 そんな露の頭を立ちあがりざまにぽん、と叩いて日向は少しだけ笑って見せる。
「君の願い、聞いてやるよ。及ばずながら俺も力を貸してやる」
「ほ…本当ですか!?」
「まあな。だからもう泣くなよ、女の涙は虫唾が走るんでな」
「は、はいっ!」
 照れ臭そうに言う日向の言葉を受けて、露はごしごしと服の袖で目尻を拭った。
「本当にありがとうございます……あの、報酬はさほどのものは差し上げられませんが
全てが片付いたら必ず金品なり穀物なり差し上げますから……」
「ふん、そんなものは別にいらん。金が目当てじゃないからな」
 日向が興味なさそうに呟くと、露は強い表情できっぱりと言った。
「いえ、そんな訳には!! 村にあるものは何でも持って行って構いませんからね!!」
「何でもって……また大きく出たな」
「大丈夫です、どうせ『鬼』に盗られるものなんですから。本当に何でもいいですからね」
「まあ、考えておくさ。ところで……」
 日向は躍起になる露の顔を指差して、意地悪く言った。
「さっきから口調が変わってるんだが、それが稲穂の言う『いつもの姿』なのか?」
「あっ!」
 露は口元を押さえ、かーっと真っ赤になって頭を上げた。
「も、申し訳御座いません。つい気が緩んで粗相を申し上げました」
「いや、俺はそっちの話し方の方がいいけどな。無理はしなくていい」
「いえ…別に無理とかそういうのではなく、時々口調が無意識に堅苦しくなったりくだけ
たりするのです。私の一族はみんなそうだったらしいのですが…統一しましょうか?」
「統一するのが無理なら、しなくていい。無理はするなって言っただろ」
 日向がぶっきら棒に言うと、露はほっと息をついた。
「ではそう致しますね」
「ああ。俺も自然に話す」
 この人は時々無愛想な物言いをするけど決してこちらを嫌っているわけではないらしい。
 露はそう判断して、日向との距離の取り方を一つ身につけた。
「――ああ、それと」
「はい?」
 思い出したように日向は露を見て、突然怒鳴った。
「家族が大事ならちゃんと言え! 家族を守るのに社とか一族とか変な理屈を付けるな!!」
「はっ、はいっ!?」
 露はどきりとして飛びあがった。今度は怒っている。しかもかなり本気で。
 日向は露の頭に手を置いて、言い聞かせるように言った。
「本当に守りたいのは社でも村でもなく、妹達なんだろが……素直に言えよな」
「あっ……」
 この人は解ってくれてる。怒ってるけど、ちゃんと私の事を理解してくれてるんだ……。
 露はどきどきと胸を押さえながら、何度も頷いた。これは驚いたからどきどきしてるんだ、
と自分に強く確認させる。
「……はい!」
 これでもう大丈夫。完全に落ち着いたから。
 日向はん、と頷くと、すっと踵を返した。
「そんじゃ俺は帰って寝るかな。明日からはどうすればいいのか指示してくれよ」
「はい。…お休みなさい」
 露は風見の後ろ姿にそっと声を掛けた。


 離れに入って露が見えなくなってから、日向は舌打ちした。
 また頭の中に声が聞こえる。
(そうだ)
(それでいい)
(そのままずっといけば)
(そうすれば己は――)
「……分かってますとも」
 日向は呟きながら奥へと向かう。
 最後に聞こえた呟きを頭の中で繰り返しながら。

(そうすれば己は――鬼になれる)



 森の中。うっそうとした黒緑の中、窒息しそうな植物の臭いが夜の闇と共に侵入者を押し潰
そうとしている。そんな中でも彼は倒れず、ただ立ち続けるのみ。
 虚無僧である。深い笠を被り、錫杖を携えた長身の僧が只一人立っている。
 しかし彼が僧ではない証拠に、その身体から圧倒的な殺気が沸き立っている。抵抗力のない
者ならばその毒気に当たるだけで倒れてしまいそうなまでの濃密な気配。
 それは無数の者を殺めたが故に身に付いた、凶々しい気配。だがそれが彼自身の望んだ結果
だということにはならない。彼の目は澄んでいた。風のない湖水の水のように静かな色を湛え
ていた。
 その彼の目の前には巨大な獣が倒れている。否、獣ではない。鬼である。
 雨月の山に巣食う鬼である。
 虚無僧の右手は赤く塗れている。それは目の前の同族を殺した証である。
 彼もまた鬼である。だが優しく気高い鬼である。
 ――ちりん。
 錫杖が鳴った。
「許せ…仕方がなかったのだ」
 虚無僧は呟いた。その言葉を呟く事こそ、彼が優しい鬼である証拠だ。
 彼は目の前の鬼の前にしゃがみ込んだ。こいつは明らかに手負いだった。それを殺したとい
う事実は、彼の良心と闘士としての誇りに大きな瑕を残していた。
 やがて彼は気付く。かつての同朋の身体に刻まれた重軽無数の傷と、綺麗に切断された右腕
の断面に。これではろくに戦えなかったはずだ。彼が戦いを挑んだ時には既に瀕死の一歩手前
だっただろう。そしてこの傷を負わせたのは同族ではないということに。
「刀傷……馬鹿な、我々の身体に致命傷を与えることが出来る人間がいるのか?」
 信じ難い事だが事実だ。しかもこんな山をたかだか一つ超えた場所――彼等にとってはすぐ
近くに。人間の討伐隊ではない。奴等は全滅させたはずだし、襲ってきた方角が正反対だ。
 討伐隊でも何でもない、ただの人間の中に恐るべき存在がいる。しかもそれは鬼に重傷を負
わせた上に、まだどこかに潜んでいる。どうすべきか。
 彼はしばらく悩んだ後、これは却って好都合ではないかと気がついた。その人間に奮闘して
貰えば、自分の手でかつての同朋を殺すことも減るはずだ。
「そのためには……ふむ、やはりそれが誰なのかを知る必要があるな」
 彼はそう呟いて、苦笑した。都合のいい理由付けだ。
 本心は彼もその者にあってみたいのだ。鬼を屠る人間とはどんな者なのか知りたい。
「まあはぐれもあと三匹……早く決着を付けたいものだな……」
 ちりん、ちりん、と錫杖を鳴らし。
 僧形の鬼が森を行く。

                   続く

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稲穂の次回予告ー♪

第一話を読んでどこがLメモだと思ったそこの貴方、それはそーだよごもっとも!!
だってこのお話は過去編なんだもんっ!! そーです過去です痕です!!
雨月の山で鬼さん達とメークミラクルだよっ!! え? お前本編のシリアスぶっ壊し!?
そんなのは気にしちゃ負けだよドーントマインド大体この本編って最初は形式ばってた
けどどんどんキャラくだけていって結局ラブでコメなんだもんっ!!
こら姉貴カマトトぶってんじゃないぞーとか言ったら後が怖いから言わないけどまーそゆこと
あゆことあゆあゆだようぐぅ!! なんだかシリアスの反動がこっちきてるよーな気がして
るけど気にしちゃ負けだよあさっきも言ったか!! ちなみにこの次回予告はエクセルサーガ
次回予告っぽく読んでっていうか読むべしっ!!
ちなみに次回は村にやって来た日向兄さんが斬ったり狩ったり訓練したりって別に進展ないよ
あははーって次回予告これだけっ!? まあいーや気にしないドントマインドって同じボケは
三回まで!! 何で室町時代のキャラの私がこんな言葉知ってるかはつっこまないでねって
ワケで次回雨月悲恋鬼譚<修羅>其の二に続くんだよっ!!
あ、そうそうこのお話はめちゃめちゃ長いから初めから読まないと途中からじゃ理解出来ない
からそのつもりでよろしくねっ!! そんじゃこれまたまった見ってねー!!

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ひ「何ですかね、上のアレ……?(笑)」
み「上でおバカさんが何か言ってますけど、気にしないで下さいね(笑)」
ひ「それにしても第二話はいつ出来るんだろ(苦笑)」
み「気長に待っていてあげてくださいね(笑)」