それはひとつの事件だった。 平穏とは言い難い学園の中では些細な事件に分類される、その程度の事ではあったが。 だがその事件を境に、少年は不機嫌になった。 それは彼が属する組織で起こした、ひとつのデモンストレーション。 それは、いい。 彼自身にしても、生徒指導部の復活による生徒達の行動への規制など愚かの局地だと 思っていたし、生徒指導部の正当性をPRするなど論外でもあった。 だから反逆の意志を示したことは評価すべき事だ。 そのせいで騒動に巻き込まれもしたが、それもどうでもいい。 だがたったひとつ。 どうしても見過ごせない問題があった。 それは彼にとって度し難い事であり、そして背約であった。 そう。 不機嫌などという生易しいものではない。 彼は怒り、憤っていたのだ。 その組織の実質的指導者といえる少女に対し。 だから放課後、週に2〜3度行われる恒例の部会が始まった時、彼はこう宣言した。 「現在副部長兼幹事を務める長岡志保を、部の指導者として不的確と判断し、部長権限 ならびに顧問の意向により幹事職を剥奪する」 『聖戦』 「メディアの正義の重要性」 「ちょ、ちょっと! いきなり何言ってんのよ!?」 やり玉に挙げられた少女が椅子を蹴倒して自分の席から立ち上がる。 が、部長職に就いている少年は平然としたまま、言葉を紡いだ。 「理由は前回発行した会誌だ。……そう言えば理解できるな?」 この学園には今年の春に結成された情報特捜部という部活がある。 大層な名前が付いているが、活動内容を簡単に説明しようと思ったら校内新聞部とい う言葉で事足りるだろう。 発起人にして部長の悠朔。 部の結成と同時にクーデターを起こし、部内の実権を握った副部長兼幹事の長岡志保。 形式的にはこの二人を代表とし、実際には志保の独裁政権で、大きな問題を起こす事 も無く部は活動して来た。 二学期が始まるまでは。 『ディルクセンヅラ疑惑』 締まりの無い事件名ではあるが、これほどわかりやすいネーミングもないだろう。 要するに生徒達に圧政を強いようとする生徒指導部の指導者たるディルクセンに対す る、明確な嫌がらせ行動。 常に胃潰瘍に悩まされている彼の心労は、ついに毛根にまで影響を与えたのだ。とか なんとか……そんな記事を書き連ねていたのが前回の会誌だ。 その記事に激昂したディルクセンが授業中にも関わらず、情報特捜部の面々を追い回 したのは記憶に新しい。 結局その場はうやむやのうちに終結し、さんざん追い回して気が済んだのか、生徒指 導部が特捜部をその後執拗に目の仇にするなどということもなかった。 少なくとも表面上は。 つまりはこの件で責任の所在などが問われる事はなかったと言う事だ。 だが部長は、今敢えてその責任を問おうとしている。 「根拠の希薄な噂話を流す分には私はとやかく言う気はない。あまり誉められた事では ないとは思うが、その情報を面白がっているのが居るのは確かだからな。記事にする前 にシッポや和樹達が出来る限り下調べをしているのも知っているし、そのおかげで記事 に対する信用度が上がって来ているのも知っている。……だが今回の件は明らかにそれ とは違う」 そこまで言った時点で、朔は志保を睨み付けた。 その眼光に気圧されてか、志保が一歩後ろに退く。 「何故デマを捏造した」 言葉自体はむしろ落ち着いたものだった。 だがそれが、朔の怒りの深さを皆に思い知らせていた。 「だ、だってそれは……」 「名誉毀損」 言い訳しようとした志保の口上を遮って、朔が告げる。 「う……」 「情報化社会だのなんだのと言われているこの世の中で、学園のレポーターを自負する お前が情報の重みを知らない訳じゃないだろう。私とシッポのリサーチの結果、ほぼ完 全に特捜部の冗談として認識されているのが確認されたが、それでもディルクセンが鬘 を使用しているという話を信じている者が居ないわけでもない。お前がやったのは明確 な犯罪だ」 「………………」 志保は俯いたまま、もう反論しようとさえしなかった。 「確かに生徒指導部のやり方は誉められたものではないが、それを糾弾するなら堂々と それを記事にしろ。……私からは以上だ。何か質問は?」 スッ、と手が上がった。 「なんだシッポ?」 「副部長から幹事職を剥奪する、というのは決定事項ですか?」 「そうだ」 「では部長の責任はどうなるんです? 部長という肩書きがついている以上は、同罪だ と思いますが……」 たとえその肩書きが飾りにすぎないとしても。 言葉にはしないが、シッポの瞳はそう言っていた。 失った権限を復活させ、朔が部の統治者となるには、確かに絶好の機会だ。志保に総 ての責任を負わせて返り咲こうとしているのではないか? と、シッポがそう思うのも 無理はない。 だが朔は最初からそんなものに執着していなかった。 「生活指導を担当されてる教諭とディルクセン本人への謝罪を行い、誌面での謝罪文を 私の名前で掲載する。文化会への報告はこのあとで行う予定だ。私への処罰は文化会で おそらく会議が開かれるだろうからその結果に従う。……他に必要だと思う事があった ら聞いておきたいが?」 部員達を見渡すが、特に意見が出る様子はない。 「なにか付け足して行動が必要だと感じたら、いつでも言うように。……他に質問はあ るか?」 「二つ目の質問が」 「聞こう」 「幹事職の明確な仕事と、その職業を引き継ぐ人の選出方法を教えて貰えますか?」 「幹事という言葉通り、部の事務員だ。報告書の作成。幹事会への出席などが主な仕事 になるが、うちの部ではもうひとつ極めて重要な仕事がある。部費の管理だ」 「……つまり、実質上の最高権力者ってことですね」 シャロンの言葉に、部員達のあいだから苦笑が漏れる。 冗談でもなんでもない。 実際問題として、半分事実である。 「まあそうなるな。部の備品を確保する費用。会誌の出版時の印刷代などの確保には必 ず幹事の了承が必要になる。これまで志保の独裁で部が運営されて来たわけだが、その 行動に監査がかかると思えばいい」 「なるほど……。それじゃ、その幹事を務めるのは誰なんですか?」 城下和樹の問いに、朔は自分の斜め前。 生徒達と少し離れた位置に座る顧問、澤倉美咲へと視線を向けた。 それに応えて美咲はひとつ肯く。 「私と美咲先生とで協議した結果、一人推薦することにした。立候補があればそちらを 優先的に尊重するが……先に言っておく。恐らく、命に関わるほど危険な仕事になる」 「!?」 言われたほぼ全員が意味を捉えかねた。 それはそうだろう。たかが部活だというのに、命に関わる危険など何処を探せば見つ かるというのか。 「今の特捜部と生徒指導部の関係は、言うなれば一昔前のジャーナリストと新興宗教だ。 部の責任者は陰湿な攻撃を受ける確率が高い」 その言葉に、わずかに志保の身体が震えた。 それに気付いたのはたったの一人。 シッポの奥歯に、それまでより多くの荷重がかかった。 そんな二人を余所に、朔は話を続ける。 「無論これは現状のまま生徒指導部に逆らい続けた場合だ。お前達がどう思っているか 知らないが、特捜部の影響力っていうのは恐ろしく大きい。 この学園は自由がウリだからな。取り締まるのも自由。それに反抗するのも自由だ。 だが取り締まる側には正義だという後ろ盾が必要だ。大多数の賛同が得られなければい ずれ瓦解してしまう。さて、その正義を全うしようと思えば……どうすればいい?」 「民衆の支持を受けようと思ったら、情報を統制すればいい。昔から独裁者が好んで使 う手法ですね」 かつてヒットラーは「民衆は賢明ではない」と明言している。事実民衆の望む言葉を 言い続けたチョビ髭伍長は、演説時の派手なアクションと民衆へ甘言。そして当時発言 権を握っていた将軍に取り入った要領の良さだけでドイツという国の代表になり得たの だから、その点に関しては彼の言い分が正しいのは歴史が証明しているという事になる。 もし生徒指導部ではなく、第三者である情報特捜部が「生徒指導部の活動は正義だ」 と報道したらどうなるだろう? もともと日常茶飯事的にドタバタの起こる、その事を踏まえた上で学園へ通っている 猛者達とはいえ、小競り合いで破壊を撒き散らし、ささやかな労力で生徒を扇動、混乱 させるSpecial Skill User――SS使い――には、多かれ少なかれ 恐怖感を持っているはずだ。 数の上で言えば、決してSkill Userは多くない。極めて少数派だ。 人望。 恐怖による威圧。 思想の共感。 彼らが学園において迫害されないのは、つまりはそういったものが作用してのことだ ろう。 だが、『学園の治安を守るために、敢えて"多少"厳しい罰則を用意した』と報道すれ ばどうなるだろう? それが『延いてはSS使いの行き過ぎた活動を制限する』と言わ れれば? もともと恐怖を胸に抱いていた生徒達は諸手を挙げて賛同し、数の暴力を振るう暴徒 と化すだろう。 いや、もうすでにその傾向は出始めている。 ここが分かれ道だ。 『過激な取締方法と、多少どころか厳し過ぎる罰則』を報道するか、それとも『SS 使いの活動を制限する事に繋がる』という事実に目を向けるか。 特捜部はどちらも選ぶ事が出来る。 どちらが正しいかと言う事ではない。 どちらも事実なのだ。 ただどちらにより重きを置くか、というただそれだけの事に過ぎない。 「そういう事だ。――シッポ」 「はい?」 「それらの事を鑑みて、私達はお前を幹事に推薦する。自衛能力も事務能力も、お前な らどちらも申し分ない。実際幹事職の仕事の大半は、今まで志保の代わりにお前がこな してきた訳だしな」 しばし沈黙が空間を支配した。 「……わかりました。お受けします」 「今なら立候補があれば受け付ける。それが無い場合、今後幹事の選出に当たっての議 論はすべて破棄するからそのつもりで考えろ。……ないな?」 異論は出なかった。 「それではシッポ。幹事としてあとの部会の進行を任せる。私から提案する議題は、生 徒指導部を叩くか支持するか。今後の活動方針をどちらに向けるか、だ」 ――腐ってもジャーナリストの卵達という事か……。 一人も退部を願い出る者が居なかったのは、正直驚きだった。 今日の会議、生徒指導部の傘下に入る事を条件に庇護を求める。そういう方向に進む と思っていた。 そうなった場合、朔はさっさと特捜部を廃部にするつもりだった。それだけの覚悟を 決めていた。 お飾りでありながら、部長を務めて来たのにはまがりなりにも訳がある。 ――所詮は部活だ。楽しめない部活に、どんな意味がある? 彼はずっと、そう思っていた。 それは部活動というものを軽んじての思いではない。 むしろ逆だ。 ――部員達は思い切り好きな活動をすればいい。責任は自分が負えばいい。たとえそ れで、休学や謹慎。最悪退学という処罰を受けたとしても。 そのためのトップであり、そのために部長は居るはずだ。 ずっとそう思っていた。 彼自身は報道する側の喜びなどというものとは縁遠い。 だが、その喜びを感じながら活動する部員達の姿を見るのは嫌いではなかった。むし ろ羨んでいたと言ってもいい。 だから、組織に飼われる犬に成り下がるなら、そんな部活は必要無い。そんな部活の 名が、自分達が設立したものと同じだなどということはあってはならない。 そうまで思っていたのだが、結局それは杞憂に終わった。 無論、今後退部願いを出す部員が出る可能性が無い訳ではない。朔の言葉は今はまだ 憶測の域を出ていないし、人は悪い話は信じないものだ。攻撃を受ける可能性を実感し ている者は僅かだろう。 以前からシッポとシャロンに部員達の――特に女子部員への――護衛を頼んでいたが、 それもどこまでカバー出来るものか……。 会議は朔の望んだ方向。 すなわち指導部を叩く方向に進んだが、だからと言って"指導部が提唱する正義"の正 しさが失われた訳ではない。 威圧を受けて変節する者も出るかもしれない。 暴力に対して己が定めた報道の正義を全うする事は、非常に困難と言わざるを得ない。 「なら、こちらに喧嘩を売るのがどれほど割に合わないかを思い知らせるてやるしか、 ないだろうなぁ」 廊下を歩きながら、朔は口元に邪悪な笑みを浮かべて呟いた。 その日ディルクセンは内心は上機嫌で、だが不機嫌そうな表情を顔に貼り付けたまま、 教員棟リネットの最上階の廊下を歩いていた。 上機嫌の原因となるもの。 それは広瀬ゆかりからの、一枚の手紙だった。 『内密に話し合いたい事がある』 そんな内容だ。 これが上機嫌にならずにおれようか。 今更話し合う事などあるはずが無い。 どうせ向こうが提示して来るのはこちらの活動――生徒への取り締まり――に対する 緩和案くらいのものだろう。それか風紀委員会会長として、下部組織である生徒指導部 部長に対する、やり過ぎだという"注意"か。 どちらにしたところでゆかり派の基盤がゆらいでいるという焦りをこちらに知らせる に過ぎないはずだ。 そうとも。 俺は間違っていない。 学園がこれ以上混乱に陥れば、生徒達が持つその"力"が何処に向くかわかったもので はない。誰かが手綱をとらなければならないのだ。若さにまかせた行動ではなく、理性 的な行動を生徒全員が己に律するために。 監査部からの令達ならともかく、ゆかり個人を恐れる理由は何一つない。 ――我々は必要なのだ! そんな確信を胸に抱きながら、勝利感とともに指定された教室のドアをノックし、返 事を待たずにドアを開けた。 「……遅かったわね」 その非礼を責めもせず、ゆかりは席に座ったまま、ぽつりと呟いた。 教室を見渡してみれば、彼女の周りに風紀委員会副会長貞本夏樹。風紀委員会顧問の 西村。それにゆかりの個人的な手勢の筆頭、田中の姿も見える。 ――フン。人数でプレッシャーをかけるつもりか……。くだらん。 いろいろと肩書きが付いているが、三人ともがゆかり派――より正確にはゆかりが独 自に運営する組織の部下――であるのは周知の事実だ。 ディルクセンは臆することなく歩を進め、長方形に並べられた机の、ゆかりの正面に 位置する席へと腰を下ろした。 「それで、今回の呼び出しはどういった用件なの?」 ゆかりのその言葉に、ディルクセンの口がポカンと開く。 「……呼び出したのはお前だろうが」 「冗談は顔だけにしてよ」 結構酷いことを、サラリと口にする。 実際にはディルクセンの容貌というのはそれほどマズイものではない。インテリ型の、 そこそこには整った顔立ちをしている。そこはかとなく漂う嫌みな雰囲気が、それを台 無しにしてしまってはいるが。 「私こう見えても多忙なの。だって女優ですもの。レッスンなんかのスケジュールって 組みなおすの結構大変なんだから……。無駄な前置きは無しにして欲しいわね」 ため息混じりにそんなことを言って来る。 困惑しながらディルクセンは、今日昼休みに自分の机の上に届けられた手紙を懐から 取り出した。 無言のまま、ゆかりの方へと放る。 「……確かに私の筆跡みたいだけど、書いたのは私じゃないわよ」 「なら誰がこんなことをしたというんだ?」 「予想は付いてるけどね。私が言うほどのことでもないんじゃない? こっちも呼び出 されたクチなんだし」 「フン……。つまらん悪戯か。なら帰らせて貰うぞ」 「私は構わないけどね……」 「それは困るな」 ディルクセンの言葉に答えたゆかりの言葉に、居るはずのない第三者の声が重なった。 ゆかりの側近、夏樹、田中、西村らが、動揺しながらも身構える。 気付かなかった。 『草』として、『シノビ』として厳しい修行を受けた彼らが、声を掛けられるまでそ こに人が立っていることにさえ気付かなかった。 「せっかく手の込んだ招待状を出したのに、用件を済ませる前に帰られては困る」 「情報特捜部が風紀委員会に何の用かしら?」 「風紀委員会……には大した用はない。厳しいスケジュールに穴を空けてしまって悪い がな。用があるのはディルクセン、貴方だよ」 「お前……何処から入ってきた?」 喘ぐように呟くディルクセンに、朔は冷笑を向けた。 「最初からこの部屋に居たが? 気付かなかったか?」 気付かなかった。 誰も気付いていなかった。 ただ一人、それを聞いてクスクスと笑うゆかり以外は。 「手の込んだ招待に手の込んだ登場ね」 「気に入って頂けたか?」 「まあまあね」 ――完全に気配を殺して待ってるなんて、悪趣味だとは思うけどね。 悪趣味だとは思うが、確かに気に入った。 虚を衝かれてうろたえるディルクセンなど、なかなか見れるものではない。 「それはなにより……。さて、用件は情報特捜部からディルクセン個人へのものだ。前 回の部の会報の中に、貴方への不当な誹謗中傷が含まれていた事で、その謝罪をしたい。 ……申し訳ない。すべて部長である私の監督不行き届きが原因だ」 朔がディルクセンに向って頭を下げる。 そこでディルクセンの心に、ようやく余裕が生まれた。 「フ、フン! なかなか殊勝な態度じゃないか。プライドだけは一人前のお前が、わざ わざ頭を下げに来るとはな」 「こんなものを下げるだけで済むならいくらでも下げてやるが……そうもいかないんだ ろうな?」 「当たり前だ」 「だろうと思って、こちらで今回の記事の責任者にも処罰を下す事にした。詳しい事は これを読んでくれ」 ディルクセンが差し出された封筒を受け取り、中の手紙を一読する。 ――これは……マズイ。 それが彼の率直な感想だった。 文化会からの部長への処罰がまだ未定だとか、誌面に謝罪文を掲載するとか、そんな 事はどうでもいい。 ・・・・・・ 問題は、志保が『副部長兼幹事』からただの『副部長』に成り下がる事だ。 「少し厳しすぎはしないか? なにもこれまで務めて来た職を剥奪する事はないだろう」 そのセリフを言わせたのは、油断。 あるいは慢心だったか。 ――かかった! 表面は鉄面皮のまま、朔は心の中で快哉を上げた。 今どれほどディルクセンの基盤が盤石であろうと、敵は少ない方がいいに決まってい る。監査部に席を置く長岡志保とはどう考えても協力し合える訳が無いが、志保が持つ 特捜部副部長の肩書きは、ただ捨てるには惜しい。加えて彼女は報道部にも席を持ち、 その活動の中心人物となっている。 今のようにプレッシャーをかけて黙らせておくだけにするのは惜しすぎる。抱き込ん で味方に付けた時の利益は計り知れないものになるはずだ。 そう目論んでいくつか活動――暗躍と表現する方が的確か――だったというのに、こ こで部の責任を負う者が拡散しては、それが水泡に帰してしまう。 なにより、最新鋭戦闘機を三機も保有するような人物が部の監査を務めるなどという 事になれば、今後の活動がやり難くなるのは確実だ。 シッポが生徒指導部の思想に共感してくれるというのなら、これは歓迎するべき事だ。 だが彼はこれまで志保とともに生徒指導部に逆らう行動を取ってきたではないか。この まま敵対的な行動を継続する可能性は高い。 それは即ち、何らかの権限を有する敵が一人、確実に増える事を意味する。 だからディルクセンはここでこう言ってしまったのだ。 『志保を幹事職から引き降ろすのはやり過ぎではないか』 と。 「……どうやら処罰に関しては満足頂けたようだな」 「いやそれはちが……っ!」 「その報告書は一応決定事項でね。部会で話し合って、全員が納得している。……確か に少々厳しすぎる罰かもしれないが、厳しくなければ罰とは言えないだろう? まぁ貴 方のご寛恕も頂けたようだし、こっちは肩の荷が下りた」 そう言って朔はため息を吐きつつ、肩を竦めて見せた。 肩の荷が下りた、というのは本音だった。 勿論朔はディルクセンにそのセリフを言わせるための布石を、まだまだ用意してあっ た。最初の一球目で引っかかってくれたのに少々拍子抜けしてさえいる。 ――やられたっ!! ディルクセンは己の失言を悟った。 ――こいつ……。うちの貸しを帳消しにした上で、こっちの目論見を叩き潰しやがっ た! まさかすべて計算ずくか!? 目立った実績を上げるでもなく、やる気のなさげな態度でなんら実権を持たずに部活 に参加する部長。部員達の信頼をは副部長と、そして副部長を影で補佐するシッポにあ った。 悠朔をマークせねばならない理由はほとんどなかった。 所詮は刀を振り回すだけの、脳味噌まで筋肉の詰まった体育会系だ。 今でなくとも、いつでもどうとでも料理できる。 そのはずだった。 そのはずだったのに。 動揺するディルクセンと、それを見て冷笑する朔。 この件では第三者であるゆかり達には、それは随分奇妙に見えた事だろう。 「結局、貴方が期待する風紀委員の仕事はなんなの? 生徒指導部に服従した情報特捜 部を見て歯噛みする……じゃなさそうね?」 「出番はまだもう少し先だな」 「まだ様子を見ていろって事?」 「そういう事だ」 「何をするつもり? 事と次第によってはこっちも容赦しないわよ?」 「……見ていればわかるさ。少なくとも貴方の損にはならないはずだ」 朔はゆかりとの会話を切り上げるとディルクセンへと視線を戻した。 「さて。記事に関しては謝罪した訳だが……これは私個人の見解になるが、あの時の生 徒指導部の行動には疑問を覚えた」 「なに?」 「何故生徒指導部が動いた? それを聞きたいんだが、答えてもらえるか?」 「風紀良俗に反する行為だったからだ。綱紀粛正こそ生徒指導部の務めだ」 「綱紀粛正とはまた……大きく出たな」 言って鼻で笑う。 「その綱紀とやらは相当立派なものらしい。たかだか一個人に対する中傷だけで生徒を 追い回し、過度の虐待を加えるんだからな。いつから生徒指導部はディルクセンの私兵 になったんだ?」 「………………」 「あの時お前が取るべき行動は個人として特捜部を訴える事だった。だが実際にはお前 は与えられた権限を濫用し、私達を追い回した。……行動のレベルが猿山のボス猿並み だな。それか頭に血が上ったヤクザかマフィアといったところか……。血は血を求め名 誉は血を求める、だったか? 度の過ぎた力を持ったのをいいことに、自制もせずその力を好き放題に使う。お前の 言う"学賊"とやらとお前がやっている事の何処が違う?」 「貴様……」 朔の言葉遣いは平坦だったが、毒舌は痛烈で容赦がなかった。 「それで綱紀粛正だというのだから笑わせる。一度辞書を引き直したらどうだ? お前 のような迷惑な輩を独善家、または独裁者と呼ぶのだろうが……自覚がないのは哀しい 事だと思わないか? ディルクセン」 「俺は間違っちゃいない! このLeaf学園という国家を保つために必要なのは洗練 された秩序だ!! 貴様らのような理性の欠如した奴等の暴走を食い止めるために我々 は組織され、そして今日までその秩序維持を実践すべく努力してきた! 今更お前にと やかく言われる筋合いはない!!」 ・・ 「別にその事を論議する気はない。お前達の言う努力が如何に無駄であろうと、それを 否定する気も無いしな。私が言いたいのは、ただやり過ぎではないのかという事だけだ」 「やり過ぎと言うなら貴様ら学賊の普段こそ、やり過ぎというのだ! 事あるごとに破 壊と騒動を巻き起こす。品行方正な優良生徒の被害が甚大だと言う事実、知らんとは言 わせん!」 「結局それは理論のすり替えというものだろう。大局を語るふりをして小事を疎かにす るような真似はして欲しくないな」 「なら率直に言ってやろう! 余計な騒動を巻き起こすハタ迷惑な組織に対する制裁! お前が持ち出した件は、我々にとってはただそれだけの事だ!!」 怒鳴り散らすディルクセンと、それを冷然と見つめる朔。 それは心の余裕の差であったのか……。 「フム。反省する気は無しか……」 「我々が反省すべき事など無い!!」 「交渉決裂か……。なら仕方ないな」 諦め顔で嘆息すると、朔は左胸の懐から小型の無線機を取り出した。 そのスイッチをOnにする。 「プロメテウスよりペルセウスへ。……イグニッション(点火)。アンドロメダを救い 出す事にしよう」 『ヤー! コマンド"イグニッション"。……グッドラック! オーバー』 ザッ、という無線の切れる音が響き、以降は雑音以外聞こえなくなる。 用の済んだ無線機を耳から離し、再び懐へ仕舞う。 懐から引き抜いた手には、今度は別のものが握られていた。 ベルギー製の特殊な形状を持つ銃、P90。 「!!」 「!?」 セフティ・ロック解除。 「チィッ!!」 鋭く舌打ちして銃を抜こうとしたディルクセンは、拳銃に手を掛けたその姿勢で硬直 する事になった。 「……ワルサーPPKか。渋い趣味だな。出来ればそちらの方々にも動かないでいて欲 しいが、ご了承願えるか?」 ディルクセンの顎の下に、いつのまに抜いたのかM93Rの銃口があった。US軍の 制式拳銃M92FSのノーズを伸ばし貫通力を上げ、3バーストモードを備えた、対テ ロ用に開発された銃だ。 そして右手のP90はゆかりの額をポイントしている。 それを瞬時に認め、言われる前から夏樹達も動きを止めていた。 「銃を床に捨てろ」 言われるままに、従う。 この体勢で勝ち目はない。どころか、ディルクセンは朔がいつ己の懐に潜り込んでき たのかさえ掴めていなかった。 ――これが戦闘能力保持者の力だというのか……。 「ベストポケットよりはマシだろうが……あまり実用的とは私には思えんな」 ディルクセンの驚嘆を余所に、朔は言いながらワルサーPPKを教室の端に蹴り飛ば す。 「少なくとも私の損にはならない。貴方はそう言ったわよね?」 銃を突き付けられているにも関わらず、ゆかりは平然としていた。 撃たれないという確信でもあるのか、それとも勝てるという自信か、ゆかり本人にし かわからない余裕。 銃を突き付けている側には、その余裕は不気味と言える。 その雰囲気に、朔は一瞬呑まれた。 それが演技による強がりだとしても、ここで余裕を見せられるのはゆかりの強さの現 れに他ならない。 「……ああ。動きを封じたかったのはディルクセンだけだからな。そちらの物騒な方々 が過敏な反応……でもないか。とにかく私は痛いのは嫌いなんでな。動かないよう説得 して貰えれば助かる」 ゆかりが片手を軽く振る。 それだけの動作で、夏樹達は戦闘態勢を解除した。 それに応えて朔もP90の射線を外す。 「なにが始まるのかわからないけど、特等席で見物出来るみたいね?」 「それほどたいしたことをするわけでもない。……あまり見ごたえのあるものでもない だろうしな。これからしばらく時間もかかるし、これ以上『広瀬ゆかり』を拘束するの は1ファンとしては気が引けるが……」 本気か冗談か判別のつかないそのセリフに、ゆかりは肩を竦めた。 「なら何が起こるか、聞かせてもらえる?」 彼女の問いに、朔が笑みを浮かべる。 「生徒指導部の面々がここを攻めて来る。それだけの事さ」 野生の狩人を彷彿とさせる、残忍で獰猛な笑みを。