実践編 「ここまでの話は所詮机上の空論、可能性の考察に過ぎない。私は来栖川の技 術に精通しているわけではないからな。 現在"あの"長瀬率いる開発チームの技術レベルがいかほどか。まして、Dシ リーズを設計、作成したという、噂の流れの技術者佐竹正明がどれほどのもの であったのか。まったく謎だ。 人型という構造的な欠点は補いようがないので別枠とするが、そんな仮定の 中でいかに理論を積み重ねたところでそれは憶測の域を出るものではない。 ではこれまで言葉の羅列に意味が無いのか? この考察に費やした時間は無 駄であったのか? いいや、無駄ではない。理論を積み重ね、その解が正しいかを求め、試みる のが科学の正しい姿だ」 言葉の意味を正確に理解するのに要した一瞬のタイムラグの後、教室の視線 がセリオに集中する。 実践。 が、セリオはそれに反応しない。 祐也もそのざわめきには頓着せず、黒板の前、中央に位置する教卓から移動 すると、教師用に設置されている机。そこに備え付けられているコントロール・ パネルを操作した。 やや重い音と共に、天井から白いスクリーンが黒板を覆い尽くすように降下。 続いて天井に設置されているプロジェクターの電源がONになる。 「では、テストとその結果だ」 スイッチ一つで教室の窓と言う窓を暗幕が覆い、ライトが消され闇が満ちた。 映像と音が、再生され始める。 場所はLeaf学園内に設置されている剣道部道場。 日の光が注ぎ込み床を輝かせる中、いくつかの人影が行き来する。 メカニック・スタッフとして特に請われ同席している長瀬源五郎を始めとし、 祐也が撮影用に配置したスタッフ達。関係者以外立ち入り禁止として剣道部も 含めて部外者はシャットアウトしているにも関わらず、どこから聞きつけ、ま たどうやって入り込んできたのか野次馬がちらほらと見受けられる。 今回の件の責任者である祐也も勿論それには気付いていたが、無視。 どうせ追い出したところでいつのまにか戻ってきているに決まっているのだ。 この学園の生徒とは、そういう連中である。 祐也が声高に細かな位置調整を命じ、それを受けて配置に付くスタッフ。さ らにそのスタッフ達を情報特捜部一の腕っこきYF−19――シッポ――と、その パートナーである人工知性体シャロンが補佐する手筈となっている。 スタッフが配置されているのとはまた別に、シャロンが管理するために設置 された数台のカメラには、まるで生き物の触手のように、シッポが持つモバイ ル・パソコンへと多数のコードが長く長く伸ばされている。 その接続さえ済めば、舞台配置は整う。 そんな人々の中心で、佐藤昌斗は少し落ち着かなげにスクワットやストレッ チなどをしてみたりして、身体をほぐそうとしていた。 チラリと視線を投じる先に泰然と佇むのは、Dガーネット。 彼女の場合、何も考えていないだけかもしれないが、その姿からは余裕が滲 み出しているような気がする。 何もない。 だがだからこそ重圧を感じる、今回刃を交える相手。 思わず嘆息する。 <気が重そうですね、主(あるじ)> 「ま……ね。難敵だからね、彼女」 女性の問いかけとも言えぬ確認。だが答えた昌斗の周りには、現在人影は無 い。 知性持つ刃(インテリジェンス・ソード)『運命(さだめ)』 それが声の主であり、同時に昌斗が己の命運を預けるパートナーでもある。 <では何故、この申し出を受けられたのです?> 「なんだよ。……いつもは『これも試練です』とか言って無茶苦茶させるくせ に、心配してくれるのか? 悪い気はしないけど、急に優しくされると」 <気味が悪い、ですか?> 「……いや、その。そこまでは、言わないけどさ」 口篭もった昌斗の耳に、昌斗の耳だけにクスクスと笑う声が響く。 <私はいつでも主に気を使っておりますとも> 「そうかぁ?」 疑わしげに背負った刀に視線を向ける昌斗。 ころころと笑っていた運命の雰囲気が、急に張り詰めたものに変わる。 一瞬、真剣な眼差しをした、細面の、妙齢の女性の顔を幻視する。 続いて紡がれる、声。 もう聞きなれた、美しい声。 <よろしいか? 貴方は私が主と決めた御方。私は他の誰であろうと貴方以外 の方を主と呼ぶ気は御座いません> それは誓いの言葉。 絶対の忠誠と、変わらぬ献身を約束する言葉。 「……うん」 <貴方が私を手に取った時から。私が貴方を選んだときから。この思いが変わ る事はありません。私が主の身を案じるのも、主の成長を期待するのも、です から当たり前の事なのです> 「だから『試練』か」 <そうです。ですが……> 昌斗はもう一度、Dガーネットに視線を向けた。 運命から漂ってくるのは、不安と迷い。 そしてそれをも凌ぐ恐怖。 ――主を殺しうる力を持つ者。まだ……まだ早い。主と私は、まだそこに到 達していない。まだ戦うべきではない。私の力を、まだロクに使いこなしてい ない主では。 昌斗の瞼に、震えながら引き止める言葉を必死に探す、悲しげな女性の幻が、 再び浮かんで消えた。 ――運命って、人の姿持ってたらこんな顔なのかなぁ。 呑気にそんな埒もない事を思ったりもする。 <あの者と戦うのは、まだ危険だと思います> 「危険……。そうか、危険か……。ああなるほど。……そうか。それは」 <……主?> 「確かにそうだ……。それを忘れてた」 運命の放った言葉。 その何かが、昌斗の心に触れた。 「何を忘れてたって?」 声は唐突だったが、近づいて来ている人物が居る事には気付いていたから、 特に慌てない。 そちらに視線を向け、その名を呼ぶ。 「ああ、YOSSYだったのか」 YOSSYFLAME。 こめかみに傷痕を持つ、ラフな格好に竹刀袋を背負った青年。 昌斗の友人であり、この道場の本来の主である剣道部所属。神速の足運びを 己の最強の武器とする、機動の剣。 本来ならここには居ない筈の、野次馬の一人だ。 「緊張……は、してねーみたいだな」 「してない訳ないだろ。ああでも丁度良かった。これ、預かっといてくれない か?」 「これ……って。え?」 そう言って昌斗が差し出したものを見て、YOSSYは息を呑んだ。 肩から下ろした、竹刀袋に入ったままの真剣。 昌斗の相棒。 運命。 <あ、主!?> 「良いのかよ?」 <良い訳がありません!! 主、何を考えているのです!?> 「うん。代わりにこれ、借りるぞ」 そう言って昌斗が手に取ったのは何の変哲もない、道場に常備してある竹刀。 「そりゃそんなもんいくらでも使って構わんけど、防具はいいのか?」 「ああ。要らない」 <要らない訳ないでしょう!? 私を使わねば、主の身体はただの人間と同じ 強度しかないのですよ? いくら竹刀でも当たれば大怪我。悪くすれば死ぬ可 能性もあります! わかっているんですか!?> 「いや、ほら。やっぱり条件は五分でないとね」 指し示した先に居るDガーネットも、普段使いなれた剣――超硬質セラミッ クブレード――ではなく、竹刀を握り締めている。 「ふ〜ん」 何度か頷きながら昌斗の顔を覗き込んでいたYOSSYが、ニヤリと笑う。 「何考えてんのかわからんけど、いいね。好きだぜ、そういうの」 バンッと、昌斗の背中をどやしつけて、YOSSYは昌斗を送り出した。 「派手に叩きのめされてこい!」 <主ッ!!> 運命の悲痛な声。 たたらを踏んで振りかえった昌斗は、しかし穏やかに微笑んでいた。 「ま、そこで見てろよ。YOSSYの期待には、しばらく応えられないと思う けどな」 昌斗は道場の中心へ、ゆっくりと歩き出した。 対戦相手が居る、その場所へ。 「さっき説明した通り、今回の勝負は剣道ではなく実戦形式でやってもらう。 斬撃によって出来た傷が軽いと判断した場合は中断する必要は無いが、それに よって重傷を負った場合はその部位が使用不可能だと判断させてもらう。佐藤 君の方は特に、その傷での失血を考慮し、その後の戦闘可能時間を設定する」 祐也が横で戦闘ルールを説明しているのを聞きながら、無表情なDガーネッ トの顔を凝視する。 やはり、殺気も無いし、闘気も無い。 呼吸もしていないので、そこから動きを推察することも出来ない。 ――でもそれがどうした? 剣の道を極めた人界に住まう鬼と相対すれば、それはどれも当たり前のこと だ。何も恐れることではない。 「致命傷を受けた時点で終了とする。質問が無ければ、始めろ」 言いながら祐也が後方へ下がる。 始め、ではない。 これは実戦。 始めるのは審判ではなく、戦場に立つ二人でなくてはならない。昌斗からし てみれば、勝負はもうとっくに始まっている。ただ、隙が無かったから打ちこ まなかっただけだ。 ――Dガーネットはどうだったんだろう? 奇襲で機先を制する事も考えたが、何も焦る事は無い。後方へ大きく跳び、 次いでゆっくりと間合いを計る。 Dガーネットは大きくは動かなかった。開始の礼を取ろうとしていたようだ が、昌斗の様子を見て、その場でぶら下げていた剣を無造作に構える。 Dガーネットの構えは左足をやや後ろに下げ、中段の位に構えた剣道では基 本的な構え。相手の出方を伺うにも、踏み込んで一撃を見舞うにも適した常の 構え。 対して昌斗は腰をやや沈め、竹刀を右脇に。刀身を後方に流した脇構え。相 手の脇下への一撃を狙う、極めて攻撃的な陽の構えだ。 ジリジリと、すり足で昌斗が間合いを詰める。 ――まだ遠い。……まだ。……まだだ。 昌斗の顎を汗が伝う。 運命の言ったとおりだ。 いかに竹刀であろうと有段者であれば一撃で骨ぐらい砕く。喉を突かれれば 命に関わるだろう。 極度の緊張が、肉体にも精神にも刻一刻と強烈な消耗を強いる。 その中で正確に間合いを計る。相手の間合いと自分の間合い。読み違いは敗 北に。死に直結する。 ――あと、5cm。……3cm。……1cm。 己の武器も、相手の武器も同じである以上、間合いは近しいものになる。相 手の踏み込み速度、射程、斬撃速度を構えから読み取り、距離を正確に測り取 る。 ジリジリと、ジリジリと喉を焼くような時間が過ぎる。 時間に反比例するようにゆっくりと、だが神の如く容赦無く、距離が狭まる。 二人の意識が凝縮された、空間。 ――入った。 己の制空権内に。一撃で命を狩り合う空間に、Dガーネットはすでに侵入し ている。 その事実が、何故か昌斗を落ち着かせていた。さっきまで抑えようと苦心し ていたはずの乱れた呼吸もなりを潜め、奇妙に澄んだ心境で相対する彼女の全 身像を感覚的に捕らえている。 だがまだ仕掛けない。 打ち込むに足る隙を狙う。ただ一刀で屠りうる隙を探す。 そしてその隙を捕らえた瞬間。 ――行くぞッ!! 獲物を視界に捕らえた猛禽のように、前へ、跳ぶ。 ほぼ同時にDガーネットも動いた。 昌斗の振るう向かって左下方から右上方へ抜ける斬撃を払い上に受け流し、 即座にそのまま上段から袈裟斬りに振り下ろす。 昌斗は斜め頭上から落ちてくるその凶器を打ち払い、そのまま弧を描く動き で胴薙ぎへ、と見せて足を払う。 が、この攻撃は止められる。 竹刀を交えたその姿勢のまま勢いに任せて押す。防御の為にやや不自然な体 勢となったDガーネットの方が分が悪い。有利な体勢を取る、また相手の体勢 を崩す、その為に力強く押す。 Dガーネットがそれに対応し、下がりながら昌斗の竹刀を絡め取るように受 け流す動きを取った。彼女の意を遮るために竹刀を引き戻し前へ出る。 二人の眼前で竹刀が交差し、激突。 動きが一瞬硬直する。 それを隙と見て取ったDガーネットが大きく下がる動きを取りながら、竹刀 を大きく振りかぶり、上段から一気に打ち下ろした。 水平に竹刀を構え、昌斗がこれをガードする。 間合いが大きく開いた。 ――剣道は……やっぱりしっかりこなす。 正直強いと思う。 距離を詰め、打ち合い、決定的な一打の無いまま距離が開く。 何度かそんな攻防を経て昌斗はそんな結論を出す。彼女の攻撃の狙いは正確 だし防御も堅い。 ――だけど……。 「準備運動は、もういいよな?」 再び陽の構えを取り、昌斗が尋ねる。Dガーネットは答えなかった。答えを 待つ気も無い。腰をさらに深く沈め、勢いを付け、跳ぶ。無造作に前へ。間合 いの奥深くまで一気に。 「はぁっ!!」 呼気を放ち踏み込みながら斬撃を放つ。初撃と同じ、右下方から左上方へ抜 ける軌道。 Dガーネットもまた、先程と同じ動きを取った。その一撃を打ち払いつつ、 流れる動きで致命を狙う。慎重に間合いを詰めた先程と違い、僅かだがDガー ネットの方が速い。 その分動きはコンパクトで済む。遅滞無く倒す。彼女はそのつもりだったは ずだし、実際それは実行出来るはずだった。 問題は昌斗の斬撃速度。威力。そのどちらもがDガーネットの予測を遥かに 超えていた事だ。 初太刀を迎撃したはずの剣が逆に弾き飛ばされる。 隙だらけになった。 が、昌斗の剣もまた、勢いのままに彼の右手の中で後方へ流れている。 Dガーネットは次の斬撃が来る前に、体勢を整えられると読んだ。 ――甘いッ!! 昌斗の足裏で爆音が起こり、二段目の加速。 爆発的な勢いのまま腰を落とし、踏み込む。目の前にあるDガーネットの身 体へと。 次の瞬間には、メシリと、昌斗の左肘がDガーネットの水月にめり込んでい た。 「せぃやっ!」 追撃――踏み込みの足を軸とした零距離からの上段蹴り――は、Dガーネッ トには見る事さえもできなかっただろう。空中に跳ね上げられてはオート・バ ランサーも効力をなさない。 大の字に倒れたDガーネットの竹刀を踏みながら喉元に竹刀を突きつけ、昌 斗は小さく息を吐いた。 「まず一つ。さあ、次を始めようか」 「ありゃ? ……勝っちまった!?」 「当たり前だ」 頓狂な声で驚きを現したYOSSYに、悠朔は無愛想に応じた。 「悠? ……いつ湧いた?」 「人をゴキブリみたいに……」 白衣に腕組み。苦虫を噛み潰したような表情。だが別に機嫌が悪いわけでは ない。単にこれが彼の常のスタイルなだけだ。 朔もまた昌斗と関わりを持っており、双剣士、狙撃兵、陰陽師、気孔術師な どなど。学園の中でも特に多彩な技を用いる事で知られている。 「今の佐藤は剣術家だ。剣道家のガーネットが対応できるはずがない」 「……なんだそりゃ?」 「わかってて聞くな」 朔はその問いを一蹴。 YOSSYは少し鼻白んだものの、視線を再び道場の中心へ戻した。 「なら、次は彼女が勝つか」 ふむ、と、朔は肯き、二人の姿を捉えていた視線を、一瞬YOSSYの方へ 向けた。 ――剣道部連中はDガーネットにいつも痛い目に合わされている。そう考え るのも自然だが、それは佐藤の実力を過小に評価しているのではないか? それが朔の考えだ。 だが、 「……さて、どうなのだろうな?」 二人の戦闘能力。 いったいどちらが上なのだろうか? 朔は剣士として、純粋な興味で今ここに居る。 「なんだ。お前の意見は違うのか?」 「……私見で言わせてもらえれば、性能面に関してはDガーネットの方が僅か だが上だと思う。問題はその差が僅かだという事だ。相手が佐藤であれば…… どう転ぶかはわからんな」 「佐藤の評価、甘くねぇか?」 「……かもな」 ――YOSSYはまだわかってないのか……? 朔はYOSSYに気付かれないよう、小さく舌打ちした。だがそれも無理か らぬ事かもしれない。 YOSSYと昌斗は剣士としてその毛色がかなり似通っている。例えるなら ヒット&ウェイを旨とするアウトボクサーだ。一撃を見舞った次の瞬間には相 手の視界から消えている。YOSSYの場合は人並み外れた移動速度がそれを 可能にしている。 昌斗には縦の跳躍があるとは言え、その動きは似通ったものだ。が、昌斗に はYOSSYほどの移動速度は無い。同等の動きを可能にするのは刹那の見切 り。敵の攻撃を避けた後、敵が攻撃しにくく、自分が攻撃しやすい位置を取る。 彼の流派が主眼とする卓抜した読みが、それを可能にしているのだ。 昌斗とYOSSYは、似て非なる存在。 それはどちらかといえば朔のスタイルに近い。だからこそよくわかる。 攻撃が来るのを察知した後でさえ、スムーズに動く事が出来たなら、攻撃が 届かない位置にまで移動してしまうYOSSYには、気付き難かったとしても 不思議ではない。 あそこに居るのはまごうことなき天才。化け物の類だ、という事に。 その輝ける才が、朔には妬ましくさえある。 「でもま、どうなろうが面白い見物ではあるわな」 「そうだな。そういう事に、しておくか」 「損傷軽微……。イケマス」 Dガーネットの言葉に昌斗が肯き、再び距離を空け、互いに先程と同じ構え を取って向かい合う。 今度はDガーネットが先を取った。 Dガーネットの無駄の無い動きが、剛剣を為し、速さを生む。昌斗がそれを 薙ぎ払い、しのぎ、風に揺れる柳のように受け流す。 昌斗の剣もまた迅雷。 草原を焼き尽くし燎原を呼ぶ猛火の如く、攻められたのと同等、いやそれ以 上の勢いで攻める。 Dガーネットが斬撃を打ち払い、返し、岩をも砕く一撃で押し戻す。 めまぐるしく攻守が入れ替わる中、昌斗が上段から振り下ろした剣を受け、 Dガーネットの動きが一瞬止まった。勢いを殺しきれず、膝が大きく沈む。 昌斗が仕掛けたのはその瞬間。 膝を跳ね上げDガーネットの顔面に膝蹴りを叩き込む。 「損傷軽微……」 Dガーネットはその衝撃に逆らわず、後方へ。鋭い弧を描きながらバク転を 決める。 が、水平に戻った視界内に昌斗は無い。 目標ロスト。 混乱しかけたデータ郡を整理するCPU が、聴覚に響いた足音を捕らえた。 後ろに回りこまれたのを察知。 身体を反転させながらその勢いを乗せて斬撃を放つ。 その動きを昌斗は腕を狙った裏拳で制し、Dガーネットの動きを一瞬、だが 完全に止める。後背を取られたDガーネットには為す術が無い。足を払われ、 胸元に回された腕に上体を後方へ押し倒される。綺麗に転ばされた。 「これで二つ」 一本目とまったく同じ状態で、昌斗の勝利宣言が響いた。 一通りのメンテナンスチェックの後、さほど間をおかず三本目が始められた。 二人が激しく切り結ぶ様子を眺めながら、八塚祟乃は傍らに立つ九条数馬を 見やる。 ぽややんとしたその表情からは、特になんの感情も読み取ることが出来ない。 「……どう、思う? くま先輩」 数馬は普段親しい者には『くま』と呼ばれている。 名前のアタマとシッポを取って『くま』というわけだろう。あだ名に敬称を 付けるのも妙な話ではあるが、すでに浸透したせいか、それとも彼が持つ雰囲 気がそうさせるのか、特に誰も、不思議に思わない。 見た目の通りぽややんなのだ。彼は。 「? どう……って?」 「佐藤君が勝った事を、です」 祟乃はやや不機嫌そうに、重ねて問う。 その様子を見て数馬は「……ああ」と肯いた。 「彼女が負けたのが気に入らない?」 「それは……」 否定しようとして、結局失敗した。 視線を逸らし舌打ちする。 確かにその通りだ。彼女は今まで何度も剣道部に修練に来ており、今では部 員と同等の扱いとなっている。彼女の実力は部員達の及ぶところではなく、事 実その戦闘能力の高さ、被害の大きさから部活は壊滅寸前に追い込まれた。 YOSSYや祟乃達が入部する前の話、ではある。 だが部員の大半が彼女に負け越している現状で、まったくの部外者である昌 斗がすんなりと勝ちを収めているのを見て、心中穏やかでいられるはずもない。 自分達の同門が手玉に取られていると言っても良い。彼女の打倒を目標にして いる者も部内には少なくないのだ。 「仕方がないことだろうと思うけどねぇ。この勝負はそうでないと始まらない んだから」 「え……?」 「柳川先生は彼女に勝てる人として、佐藤くんを選んだんだと思うよ。いや、 正確に言うと違うかな? 彼女に勝てる、じゃなくて、彼女を倒し叩き伏せる 為の人として、だね」 意表を突かれる言葉に、一瞬祟乃は声を失った。 「ど……ういう、事だ?」 「え? だってメイドロボの開発総責任者の長瀬さんが来てるし、それにこの 大層な設備見れば、これがテストだってわかるでしょ?」 それは当たり前だ。 この光景を見ればバカでもわかる。 「本当はDガーネットタイプが二人居れば良かったんだろうけど……」 メカのテストである以上、体調や精神状態の影響など、不確定な要素は極力 排除するべきである。相互比較も出来るし、テストをするならDガーネットを 二体用意するのが当然とも言える。 が、残念ながら実際問題として存在しないものをとやかく言ってもしょうが ない。短距離戦に特化した彼女の相手をするのはDセリオやDマルチではキツ イだろうし、体育教師にして剣道部顧問ティリア・フレイは魔法も使って戦う のが当たり前の戦法として技を磨いてきた人物だ。それを封じての戦闘となる とやや不利である感は否めない。対雑魚戦ならそれでも充分だろうが、剣腕最 強とも噂されるDガーネットの相手となると、いかに異界の勇者といえど遅れ を取るかもしれない。 部員の中では彼女の相手が務まる人は居ても、条件が勝ち続ける事となると 荷が重い。 そんな事を、数馬は要点をかいつまんで祟乃に説明する。 「つまり……?」 「ああ。だからこれはね、Dガーネットが勝てない相手と戦う中で、自己改善 が出来るかどうか。もしくはどこまで自己改善が出来るか。多分その試験なん だよ。 今のところ肘打ちと膝蹴りで一本ずつ。彼女の戦闘プログラムが剣道なら、 想定外の攻撃だっただろうね。 加えて、彼女の動きは素直でとても綺麗だっていうのも、負ける要因になっ てるんだと思うよ」 「え? なんでだ? 素直で綺麗だっていうなら良い事じゃないか」 「綺麗だっていうのは動きが読み易いって事でもあるよ。防具を付けずに極限 まで集中力を高めた佐藤くんなら、次に彼女がどう動くか、手に取るようにわ かっているのかもしれない」 「じゃあ、Dガーネットは佐藤君に勝てないって、そう言うのか!?」 穏やかな彼に珍しく、そう祟乃が凄んだ瞬間、数馬は激しく咳き込み、 喀血。 口元を抑えた数馬の手からボタボタと落ちた雫達が、足元にどす黒い血溜ま りをいくつも形成する。 「わ、わぁぁぁぁぁぁぁぁっ!? くく、くくくくま先輩!!」 「ああ……。大丈夫、心配要らないよ。……いつもの、事だからね」 そう返事をしながら、数馬は自ら作った血溜まりの中に倒れ込んだ。 「せせせ先輩! 全然大丈夫じゃないだろ! 気を確かに!! きゅ、救急車! いや医者! 相田先生か石原診療所に連絡を!!」 実際、ストレスに異常に弱い数馬が胃潰瘍で血を吐くのは、いつもの事と言 えばいつもの事である。慣れている分祟乃の対応も早い。 周りが慌しく担架を用意しているのを感じながら、数馬は力を振り絞って祟 乃に語りかけた。 「……彼女が……勝つのは、時間の問題だよ」 呼吸は乱れ、ヒューヒューと不自然な呼吸音が響く。 「先輩黙って!」 祟乃の左目の浄眼から、突如ボロボロと涙が零れる。 危険を告げる兆候。 背筋が凍る。 だがそれは自分の事ではない。目の前の人間の危機なのだと、祟乃は即座に 理解した。 「すぐに医務室に運びます! だから!」 後輩の静止に、しかし数馬は首を左右に振った。 数馬の瞳から生気が急激に失われていく。 ――いつもの発作じゃ……ない? 唐突に、数馬は自分に時間が残されていないのを悟った。 「いかに……佐藤くんが精神集中の極み。ZONE(聖域)に入ったと言っても、 精神力は無限じゃない。……気の緩みは、一気に肉体と精神に負担となって噴 出してくる。……翼を失うんだ。彼は」 そこまで言って、数馬は大きく息を吐いた。 「でもね、そんな事は問題じゃない!」 おもむろに祟乃の胸倉を掴み顔を引き寄せながら、その眼光にただひとたび だけの輝きを呼び戻し、血を吐き散らしながら、それでも数馬は語るのを止め なかった。 「信じるんだ。彼女がこれまでここに通い、ここで学んできた事を。最初多少 戸惑ったとしても、ちょっとルールが変わった程度だ。すぐに力を取り戻すよ」 咳き込む。 血を吐きながら。 祟乃の胸倉を掴んでいた、数馬の手が開かれた。 半ば起き上がっていた半身が、再び横たえられる。 「ふふ……。残念だよ。その姿を見る事が出来ないなんて……ね」 肺の中の総ての空気を吐き出し、眠る様に瞳を閉じる。 「先輩?」 返事は、無い。 「くま先輩! 返事をしろよ先輩っ! せんぱ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!」 心停止。 Leaf学園三年、九条数馬が今、静かに息を引き取った。 一時騒然となった会場。 だが、所詮他人事。 彼らの戦いは止まらない。終わらない。 望んでいた実験を行っている最中とあれば、祐也も源五郎も中止している余 裕が無い。もとより止めるつもりも無い。 開始から五度目の勝負。 Dガーネットと佐藤昌斗の勝負はまさに、数馬が予言した通りの展開を示し 始めていた。