続々・メイドロボの実践における実用性に関する考察(前) 投稿者:悠 朔

  Dガーネットが間合いを詰め、十戦目が始まる。
  その途端に、画面は灰色の砂の嵐に襲われた。スピーカーからは耳障りで不
快な騒音が流れ出す。
  祐也はビデオの停止ボタンを押した。
  続いて暗幕を開くボタンを押し、教室中の蛍光灯を灯す。ローラーがレール
を走る音が響き、教室が光で満たされた。
「すまんな、うっかり少々余計なところまで流してしまったようだ。……では、
講義を進めよう」

  教室のあちこちからブーイングが起こったが、続きを鑑賞したいという要求
はあっさりと却下された。
  参考にならない戦闘だという事で編集班に削除されたと言われては、生徒達
も黙るしか無かった。

「しかし……。改めて見なおしてみると、随分と様々な所にカメラとマイクを
設置したものだな。まさかとは思うが観客一人一人に合わせてあったのではな
いかと疑ってしまう」
  生徒達全体からクスクスと押し殺した笑い声が聞こえてくる。
  祐也はそれを聞いて満足する。
  授業を開始してからかなりの時間が経過している。休みを取らずに人間が何
かに集中していられる時間は長くは無い。だが、まだ彼らの意識は祐也の講義
に集中しているようだ。
  それを確認し、小さく肯く。
「結果としては、この実験に対し様々な意見を拾う事が出来た。予想外の収穫
だったと言えるだろう。
  まずメイドロボの学習能力だ。
  これは廉価版を除いてだが、最新型であるマルチシリーズとセリオシリーズ
に標準的に搭載されている機能だが……少なくともDガーネットには追加とし
て装備されているようだ。剣道部部員二名が、それを実感として捕らえている。
  これに関して特に疑問点は無いだろう。ガーネットタイプはやや機種が古い
とは言っても、ボックスタイプと異なり完全に人型だ。内部のパーツを交換す
れば、ハードもソフトもスペックを上げるのは難しくは無い。学園の警備とい
う職務を全うする為に性能を上げている事は充分に考えられる。Dガーネット
が剣道部に通い、経験を積んで腕を上げていてもなんら不思議なところは無い。
  会話のたどたどしさやボキャブラリーの少なさに関しては、そちらにCPU を
割いていないからか、プログラムの優先順位が低いからだろうと推測できる。
  単純に会話から考えてみよう。
  一般的な初期型セリオタイプ、マルチタイプがガーネットタイプと比較して
スムーズな会話が可能な点からもわかるように、複数のCPU を搭載し、平行し
て会話プログラムを処理している。
  わかりやすく例え話をしよう。セリオ君が誰かに仕事を手伝って欲しいと頼
まれたとする。しかし今セリオ君は別の人間に仕事を頼まれている最中で、手
が離せないとしよう。
  ここでセリオ君には、
1.最初の仕事を続け、途中で頼まれた仕事を断る。
2.最初の仕事を途中で切り上げ、頼まれた仕事を手伝う。
  というふたつの選択肢が与えられた訳だ。どちらを選ぶかは、
1.頼んだ人間の優先順位。
2.仕事の優先順位。
3.仕事を引き受けた際に生じる利益。
4.仕事を断った際に生じる損益。
  が基準になるだろう。
  また、途中で切り上げた、或いは断った仕事をその後に手伝うかも判断しな
ければならない。
  こう考えればスペックが高ければ高いほど、並列処理するCPU が多ければ多
いほど、対応がスムーズだと言う理由が理解してもらえると思う。
  では何故最新機種と同程度のスペックを持つはずのDガーネットの対応がた
どたどしいかというと、これはDガーネットが近接戦闘型である事に起因する
と考えられる。
  この授業の最初に言ったように戦闘においても近接戦闘では特に、膨大な量
のデータ処理が必要になる。
  警備ロボという立場上、即座に戦闘状態に移行できるようプログラムを常駐
させておくとなると、会話にメモリを割いておく余裕は無い。指揮官であるD
セリオや参謀のDマルチとは違い、Dガーネットは歩兵に分類される立場だ。
指示に従う能力さえあれば良いから、自立行動能力を重視する必要は無い、と
いう事だろう。
  常に臨戦体勢を維持し、事あれば即座に対応する。
  まるで侍のようだ、とは思わないか?
  この辺りはプログラムの性能ではなく機能設定に拠るから、来栖川警備保障
Leaf学園支部のスポンサーであり、メンテナンスを担っている長瀬源五郎の判
断、嗜好、あるいは偏った趣味と呼ぶべきものによって決定されていると見な
す事が出来るだろう。

  続いて……正直に白状するが、さっきの映像を撮影した当時、私の興味は近
接戦闘時のDガーネットの対応がどういったプログラムに拠っているかという
ものだった。セリオ君がさっき語ったように、相手の行動を解析し、その上で
戦闘行動を行っているのか?  それとも攻撃範囲内に入った者を無条件で攻撃
しているだけなのか?  Dガーネットに設けられているはずのなんらかの基準
を見極めようとした。
  この実験はその確認をするために行った。結果としてはDガーネットが無条
件で攻撃を仕掛けていた訳ではない以上、前者。すなわち敵対者の行動を解析
した上で行動していると判断出来る訳だが、部員連中が言っていたような、剣
道家のDガーネットに剣術家を倒す事が出来るか、というような見解を持って
いた訳ではない。
  図らずもそのデータを取得出来たのは僥倖だったと言えるし、それに対しな
んらかの答えを出すべきだろう。

  戦闘の状況を見ていればわかる事だが、ここでDガーネットの学習能力の高
さが証明されている。
  佐藤昌斗の竹刀による攻撃は剣道の能力で捌き、そうではない体術。つまり
蹴撃や体当たりなどだ。それらは攻撃を受ける毎に、次回攻撃された際に防御
するなどして対応している。
  この時の防御行動は体術に関するなんらかのプログラムを走らせている結果
だと予測出来るが、むしろこれは『佐藤昌斗がまったく同じ動きから、同じ軌
道、同じ威力で攻撃を仕掛けたからこそ防御出来た』と考えるべきだろう。三
度目の戦闘以降ではそうするよう指示を出し、佐藤は忠実にそれを遵守してく
れた。
  そのおかげでDガーネットの選択の幅は極端に減り、回数を重ねる事で生じ
る戦闘行動の差がより明確になった。
  自分が不利になる事を省みる事なく、実験の意義を理解し、協力を惜しまな
い。このような得難い人材に遭遇出来ただけでも、今回の実験には意味があっ
たと言っても過言ではないだろう」
  祐也は上機嫌で昌斗を誉め称えた。彼にとってこの言葉は最大級の賛辞だと
言える。
  惜しむらくは、この場に昌斗が居ない事だ。
  当人を目の前にしたら、絶対に言いそうにない台詞でもあるが。
「ところが、だ」
  一転。
  眼鏡のズレを直しつつ、祐也は少し不機嫌そうな声を出した。
「この実験が無意味だと確信している、などとほざく奴も居る。さっきのビデ
オにも映っていたから気付いた者も居るだろうが、二年の悠君だ。
  そこまで言うからにはそれなりの論拠があるのだろうとレポートの提出を命
じたが、彼は応じなかった。曰く、『気付いてない者が知る必要の無い事だ』
  ここまでコケにされた以上は緊急対処を講じる以外に手段は無いと、私は判
断を下した」
  祐也は右手で白衣の懐に探り、そこから携帯電話を引っ張り出した。
  登録してあった番号を呼び出し、おもむろに連絡を取る。
「ああ、来栖川君か?  ……そうだ柳川だ。悠さんの件ですか?  ああ、そう
だ。頼んであったアレを実行に移して欲しい。準備は……整ってる?  結構だ。
ではよろしく頼む。当初の予定と場所が変わっているが、大丈夫か?  第一会
議室ですね?  ああ。今はそこで講義を行っている。時間は……お待たせしま
せん?  すぐに儀式に入ります?」
  電話が切れた。
「……何を言っとるんだ?  彼女は」
  不思議そうに電話を眺め呟く祐也。
  だが、と言うべきか。それとも当然と言うべきなのか。約束された異変は、
祐也が気を取りなおし電話を懐へ戻したその直後に訪れた。
  教室に突然、陰が落ちた。
  それだけなら上空を航空機が通ったとか、特別珍しいと言うほどの事でも
ない。
  変化がそれだけであったなら。
  鈍い空気の振動と同時。教室の天井付近の一点に、輝く不可解なものが出現。
  それは即座に1m前後の黒い球体へと膨張し、極光を放ち、周囲の色を奪い、
白と黒に染め上げる。
  黒い稲妻を四方に放ち、突風に煽られたかのように生徒達の筆記用具などが
勢い良く宙を舞った。
  罵声も、悲鳴も、なんの音も、聞こえない。
  完全な無音の世界。
  だがそれも数秒。
  唐突に色彩が戻り、教室は日常の景色を取り戻した。
  空中に巻き上げられた文房具たちがバラバラと床や机や人の頭上に降り注ぐ。
それさえ無ければ先程の現象はただの幻だったとさえ思っただろう。それほど
までにあっけない終幕。
  いったい何事が起こったのか、祐也を含めた生徒達が周囲を見まわすそんな
中。ドサリと一際重いものが落下する音が、先程黒い球体があった辺りの下。
教卓の横で響いた。
  拘束具で頭以外の全身を包み、目を回した生徒が一人、そこに転がって居た。
「…………」
  祐也は無言のまま頭上を仰ぎ、眼鏡のズレを直し、深呼吸。
  それを済ませると大股でその倒れた生徒に歩み寄り、襟首を掴んで引き摺り
起こす。腕力だけで教師用机に備え付けられていた椅子まで運ぶと、投げ捨て
るように座らせる。
  椅子に用意してあった足枷をロックし、拘束具の腰に付けられていたベルト
を背もたれに固定する。
  拘束完了。
  逃げ道は絶たれた。
  祐也はそこで、ほっと一息嘆息。生徒達に向き直る。
「では改めて紹介しよう。この授業中、特別講義を行う悠君だ。これから十分
間の休憩後、授業を再開する。それまでに各自の筆記用具を拾っておくように。
では、解散」


  完全に拘束され、多人数の視線に晒される、というのはそうそうあるシチュ
エーションではないだろう。
  異端審問。
  軍事裁判。
  捕虜の拷問。
  などなど。
  少なくともそういう立場に立たされた朔に、良い印象を与える状況でなかっ
た事だけは確かである。
  そもそも彼は、なんの予備知識も無いままこの状況に放り込まれたらしい。
  十分後に目を覚ました――祐也の手で顔面に水をぶっ掛けられた――朔はま
ず衆人の目に動揺し、次に冷静さを取り戻して自分の置かれた現状を確認し、
そして当たり前のようにパニックを起こした。
「ちょっと……待てっ!  何故私がこんな扱いを受けねばならない!?」
  それでもまだ落ちつきが含まれているように見えるのは、ある種さすがと言
わねばならないだろう。
「我々受講者の科学への知的好奇心を満足させるためだ。自分の発言には責任
を持つべきだろう。違うか?  悠君」
「なんの話だ!」
「お前が言った事だろう。メイドロボの戦闘実験には意味が無い。説明の要請
にもレポートの提出にも応える気が無いのなら、無理にでも聞き出すしかある
まい。……だが私としても手荒な真似はしたくない。それで、お前が講義の体
裁を取ってくれる事に期待しているという訳だ。……幸い、と言うべきだろう
な。ここにはお前の話に興味を持つ人間が沢山居る」
「知るかそんなもん!  私が付き合う義理は無いっ!!」
  言い募る祐也に、朔は強硬に講義を拒否した。
  実際、彼はただの一生徒に過ぎず、こういった扱いを受ける理由はどこにも
無い。不当と言えば不当だと言える。
「そうか。では仕方が無いな」
  猛然と拒絶する朔の態度に、祐也は簡単に折れた。
  朔がいぶかしむ暇も無い。
「では諸君、残念だが今回の授業はこれで終わりだ。すみやかにこの教室から
退去してくれ」
  教壇側に居る朔から生徒達へと視線を移し、指示を出す。
「ああ、そうそう」
  そこで祐也はついでの様に言葉を足した。    
「通路上には身動きが取れない悠君が居るからな。"ぶつかって倒したり"しな
いよう、"気をつけて"帰るように」  
「…――!」
  こういった事には敏感な朔が、まず青ざめた。
「おうそうだな。万一この人数に踏まれたりしたら痛ぇどころじゃすまねーだ
ろなー」
  祐也と付き合いの長いジンも、即座にその意図を読みとって同調する。
  二人の行動の意味を正しく理解した生徒達も煽りにまわった。面白半分興味
半分での行動だ。もともとこの学園にはお祭り好きな生徒が揃っている。勢い
が付けば止まらない。
「骨折くらいはするだろうね〜。痛そ」
「人が多いと障害物って見えなかったりするんだよな〜」
「ま、事故っていうのは思いがけないところで起こるものだからな。不可避っ
てヤツ?」
「いや〜災難災難。可愛そうに」
「惜しい人を亡くしたものです」
「良い奴ほど早く死ぬって言うの、ホントだったんだな。くぅぅぅぅ…」
「泣くな!  あいつは死んだんじゃない!  あいつは星になったんだ!!  星
になって俺達を見守ってくれてるんだ!」
「うおおおおおおお!」
  すでに事故が起こるのを確信したような台詞だ。
  というより今は亡き英雄を悼むノリである。
「待てやコラぁぁぁっ!!」
  泡を食って朔が抗議の叫びをあげると、途端に示しを合わせたかのように、
ピタリと騒動が収まった。
  その視線がユラリと、朔へと向いた。何かを期待する眼差しで、一挙手一投
足見逃すまいと全員が注視する。
「う……」
  視線を受けて、さすがの朔もたじろいだ。
  百戦錬磨で鳴らした彼ではあったが、ここに集った面子には、逆らうことを
ためらう一種異様な迫力があった。
「ふむ……。何を待てと言うんだ?  授業が終わった以上、ここに留まる意義
はあるまい」
  注目を集めはしたものの動きを取らない朔に、祐也が再び語りかけた。
  即座に朔が反論する。
「脅迫だぞ、それは」
「フム……」
  祐也は指摘を受けて少し考えるそぶりを見せた。
「川越君」
「ほえ?  あ、えっと……なんでしょうか柳川先生」
「率直な疑問だが、私が何か脅迫と受け取られるような言動をしたか?」
「いいえー?  先生はただ注意を促しただけですし、私達は事故の可能性の話
をしただけですよ〜?」
  コロコロと笑いながら答える川越たける。
  朔はその瞳の中に悪魔を見た。
  今日の彼女の衣装は割烹着。ある意味完璧だ。
「じーざす……。主は何故こうも試練を好まれやがりますか」
  朔は天を仰ぎ、信じてもいない神に祈り、非難した。なんともおざなりに。
  嘆息し、祐也に視線を向ける。
「……科学ではなくオカルトに分類されるような話だぞ?」
「それならばそれで興味がある」
「面白い話とも思えないが」
「それはこちらが判断する事だ」
「……この拘束具は?」
「講義を行うと約束するなら外してやろう。一応言っておくが、逃げた場合は
理系の点数は無いものと思え?」
  朔はしばしのあいだ祐也を睨み付け、そして、深く深く嘆息した。
「何故いつも、俺には逃げ道が残されてないんだろうか……?」
「では?」
「やれば良いんだろう、やれば!  言っとくが一人でも居眠りしてる奴が居や
がったら即帰るからな!!」
  半泣きでやけっぱちに叫ぶ朔の前で、歓声が爆発した。腕を振り上げ帽子を
放り投げ、立って浮かれて大騒ぎである。
  ノリだけはとにかく良い、とことんお祭り好きな生徒達だった。


  拘束具から開放され教壇に立った朔は、まずメイドロボの名前を書き記し始
めた。
  一つの集団として、HMX-12マルチ、HMX-13セリオ、HMX-13G グレース、HMX-
07D Dガーネット、HMX-12D Dマルチ、HMX-13D Dセリオ。MHM-C 鈴花、ちび
マル。
  そのやや下方にHMX-01D Dボックス。
  マルチ、セリオ達の右にHM-13 量産型セリオ。
  さらにその右にHM-09 量産型ガーネット、HM-12 量産型マルチ。
  最も右端にHM-01 量産型ボックス、と並べて書く。
「え〜と、既存のメイドロボで代表的なものって、他にあったか?」
  朔がセリオ本人の方へと顔を向け、尋ねる。
  返答は思わぬところからもたらされた。
  たけるは勢いよく席から立ち上がり、ズカズカと足音高く教壇へと歩み寄り、
朔から白墨を奪い取った。
  その時朔を睨み付けるのも忘れない。
「?」
  呆気に取られる一同を尻目に、たけるは『グレース』の文字を消し去ると、
そこに改めて『電芹』と書き込んだ。
  不機嫌という名のオーラを爆発的に放ちながら、白墨を叩きつけるように朔
の手に押し付け、再びドカドカと足を踏み鳴らしながら席へと戻る。
「……なんだ、今の」
  ポカンとした朔が不思議そうに呟くのを、たけるは聞き漏らさなかった。
  机を叩いて立ち上がる。
「なんだ?  じゃありません!  グレースはメイドロボとしての製造名であっ
て、名前じゃないんです!  電芹は電芹であって、グレースじゃありません!」
「つまらん。些細な差だ」
  猛り狂った。
  そう表現してもおかしくはなかっただろう。
  その朔の、あまりと言えばあまりな言葉に、たけるは言葉を失った。
  一瞬、何を言われたかわからなかった。或いは理解するのを拒んだのかもし
れない。
「あなた……あ、あなたは……」
  顔を真っ赤に怒りで染め、涙さえ流しかねない。そんな状態で上手く言葉が
出てくるはずもない。
  普段温厚なたけるの感情は、今まさに爆発寸前だった。
  無理も無い。
  メイドロボに惜しみなく愛情を注いでいる事が知れ渡っている人間に、こう
まで面と向かってメイドロボの人格を否定するような発言をする人間もそうは
居ない。朔としても、殊更たけるを怒らせようとした訳ではない。
  それがわかるからこそ、たけるの怒りは激しく、深いものになった。
「訂正して下さいっ!!」
「……泣くな。鬱陶しい」
「泣いてませんっ!!」
「ああはいはい、それは悪かったな」
「誠意が篭ってませんっ!!」
  ――どうしろと言うんだ。
  朔は逃げ出したくなった。
  そもそも彼には、何故彼女が怒っているのかわからないのだからどうしよう
もない。
「言葉が悪かったかそれとも足りなかったか……」
  おそらくは両者である。
  その上で配慮が足りない。
  が、元来無頓着な朔には、自分でそう言っていてさえ、理解は出来ていない
のだろう。
  不快そうに嘆息しながら、セリオを呼んだ。
「HMX-13」
「……はい」
  変化球な呼び掛けに少し対応が遅れたものの、セリオが静かに立ち上がる。
「これは製造の型番号だよな?」
「はい、その通りです」
「ではセリオ、というのは?」
「私の名前です」
  朔は肯いた。
「だがセリオというのは来栖川の商品名でもあるだろう?  同型機は総てセリ
オタイプと呼ばれているのに、それでもセリオが自分の名前だと言えるのか?」
  今度の問いには、セリオは小首を傾げ、少し考える時間を要した。
「……はい。それでも、セリオは私の名前です」
「何故そう言い切れるのか、尋ねても構わないか?」
「芹香お嬢様、綾香お嬢様、綾芽お嬢様、長瀬主任、開発チームの皆様、マル
チさん、陸奥さん他ご学友の方々が、私をセリオと呼んで下さいます。そう呼
んで下さる方がおられる以上、私の名前はセリオです。それ以外にはありませ
ん」
  朔はその答えに、僅かに口元を綻ばせた。
  期待通りの、非常に満足のいく答えだった。
「ああ、ありがとう。悪かったな、変な事を聞いて」
「いいえ、そのような事はございません」
  座っておくようにと朔はセリオに手で示し、それから視線をセリオからたけ
るへと移した。
「とまぁ、私から見ればそれだけの事だったんだけどな」
「何がですか!?」
  ――聞いてなかったのかよ。
  変わらない敵意の眼差しに、朔は己の目の前に暗雲が立ち込めている事実に
気付かされた。
  たけるだけならまだしも、この教室の生徒の大半が彼女に同情的だ。上手く
彼女を説得しない事には、鬼畜野郎や非人呼ばわりされても文句は言えない。
  相変わらず、彼は何故自分が非難されなければならないのか、ほとんど理解
してなかったりするのだが。
  二人がすれ違っているのは視点の違いだ。
  朔にとって、電芹はあくまでメイドロボの一体に過ぎないものとして話して
いる。しかしたけるにとっては電芹は親友であり、一つの確立した人格であり、
愛情を注ぐべき存在なのだ。そして学園の大半の生徒が、心情的にたける寄り
である。
  その相違に気付けない以上、話が平行線となり、非難の目が朔に殺到するの
もやむを得ない話である。
  それ以前に朔の態度が冷酷に過ぎる、というのが最大の原因ではないかと思
えるのだが。
「名前なんざ所詮ただの記号だぞ。呼ぶ者が居て、応える者が居ればそれで成
立する。グレースタイプのメイドロボが現在プロト一体しかおらず、他にグレ
ースの名で呼ばれる個体が存在しない以上、この記号は個人の名称として機能
する。電芹と呼ぶ者が居るなら、単にそれは名前が二つあるだけの話だ。
  どれほど名前に思い入れをしようが勝手だが、当人ではなく他者がそれを押
しつけるのは傲慢ではないのか?」
  声を荒げている訳でも、諭している訳でもない。
  そして朔が語っているのは嫌になるほどの正論である。
  だが、正論だけで渡っていけるほど、世の中は甘くない。
「そんな事知りませんっ!!」
「……ヲイ」
「あの娘は電芹なんですっ!  電芹なんですったらそうなんですっ!  グレー
スなんて名前は却下です廃棄です忘れるんです記憶野から抹消し忘却の彼方へ
と押し流すんです!  それで二度とっ!  呼ばないようにして下さいっ!!」
「理屈になってないぞ」
「知りませんって言いました!」
  たけるは瞳を潤ませながらも、触れれば噛み付く、そういう態度を変えよう
としない。
  ――どうしろと言うんだ。
  再度、朔は心の中でぼやいた。
  理を説いて納得させられないなら、どれだけ言葉を用いたところで意味など
ない。彼女は感情のみで動いているのだから。
  泣く子と地頭には勝てぬ、という言葉もある。
  朔は両手を挙げる事にした。
「はぁ……。わかった。彼女は電芹であってグレースじゃない。それで良いん
だろ」
  その通りではある。
  だがたけるが望んでいる本質は、そういった上っ面の事ではない。彼女は電
芹を個人として扱って欲しいのだ。表面を繕っても内実が伴っていなければ、
彼女にとってなんの意味も無い。
「ぜんっぜん、わかってませんっ!!」
  その事を敏感に、彼女は感じ取ってしまった。
  だから断言する。
  貴方は何も、わかっていないし、わかろうとしていない。
  と。
  ――どうしろと言うのだ。
  三度呟き、朔はとうとう頭を抱えた。