「そう言えば、保科。お前、明日誕生日だったな」 図書館の自習室で、ディルクセンはいかにも唐突に思いついた風を装って、 机を挟んだ目の前にいる保科智子に話し掛けた。 「そうやけど……なんやのん、突然に?」 数学Cの参考書から顔を上げ、智子が怪訝そうな表情になる。そんな彼女に ディルクセンは意地の悪い笑みを浮かべた。智子が今解いたばかりの問題の間 違いを指摘する方程式をノートに書き記しながら言う。 「なに、お前も受験がまた一歩近づいたなと思ってな。四月に成績が落ちてそ のままじゃないか。例の、お前が目指している関西の大学、そんな事で大丈夫 なのか?」 「……あっ、しもた」 「ケアレスミスだな。お前らしくもない」 「そっ、そんなん人間誰でもある事や。重箱の隅突つくような指摘は男らしな いで」 ディルクセンの軽口に一瞬カッとなりかけ、しかしすぐにいつものクールさ を取り戻して参考書に視線を戻す。ディルクセンもそんな彼女の相変わらずの 反応に苦笑しつつ、彼女が解き進めていく問題の方へと関心を戻した。 「関西の大学は、もうええんよ」 しばらくして、智子がそんな言葉を口にした。 「成績がさがったままなんは確かやけどな。無理するのは止めにしてん」 「……なんだ、それもお前らしくないな。あれほど神戸に戻りたがっていたと いうのに」 今度はディルクセンの方が怪訝な表情を浮かべる番だった。しかし智子は首 を軽く横に振り、小さく微笑んで見せる。 「先輩にはゆうとらへんかったかな? 二年に入ってすぐの頃には、もう無理 して神戸に戻る気はなかったんやで?」 「初耳だ。成績が下がってあきらめたのか?」 「違うわ! そんなんで諦める訳あらへんやろ? 大体神戸に戻りたいだけな んやったら大学のレベル落としたらええだけの話なんやし、そんなんと違うて ……」 こっちにも本当の友達が出来てしもうたからな。その言葉を口にするには、 智子の性格はやや勝ち気に過ぎた。だが、途切れた言葉の続きぐらいは察し、 ディルクセンは複雑な表情をする。無理に強がっていた一年の頃と比べて変わ ったものだ。歓迎すべき変化なのだろうが、その変化にさっぱり気づかなかっ た自分が情けない。 「最近忙しかったからなぁ……気苦労も多いし」 「? なんの話なん?」 「あ……いや、なんでもない」 溜息交じりについ内心の言葉を口にしてしまい、ディルクセンは軽くこめか みを抑えた。 「なんや、いつも変やけど、今日はいつもにも増して変やで、先輩」 「……いつもとか言うな」 お前の前だと特に変になるのだがな。その言葉は口に出来ない。口に出来る なら、今までにとっくに心のうちの思いを明かしていただろう。まったく、俺 はこういう事にはつくづく向いていないな。 …………いや、結局のところ勇気が無いだけなのか。 ともすれば苦くなりがちな表情を意志の力で押さえつけ、ディルクセンは内 心煩悶を続けた。しばらくの間、智子の数学に関する質問に答えるだけの会話 が続く。やがて。 「いつもありがとうな、先輩」 「ああ、また詰まったら教えてやるよ。まぁ、普段は菅生がいるだろうから、 問題無かろうが」 参考書や筆記用具を片づけ終えて、二人は図書館の外まで来ていた。ディル クセンの言葉に少し考える様子を見せ、智子は 「まぁ、そやな。誠治さんの方がうまく教えてくれるしな」 「……あのな」 さすがにむっとするディルクセン。その怒気の篭もった視線を智子は笑って 受け流す。 「はは、冗談や、冗談。ほな、またな」 「ああもう、今度から頼まれても教えてやらんぞ!」 遠ざかる背中にどやしつけ、ディルクセンは何度目かの溜息を吐いた。自然 と苦笑が表情に浮かぶ。普段の陰険眼鏡な彼からは到底想像できないほど、そ れは優しい笑みだった。そして一言、心地よい想いを込めて、小さな呟きを漏 らす。 「変わったもんだな…………良い方向に」 それが昨日の事だった。 「ふぅ…………」 溜息と、そしてやや寂しげな苦笑とともに、ディルクセンは薄く開かれた工 作部の部室の扉を閉めた。手にした丁寧な装丁の書籍に目を落とし、軽く肩を 竦めて身を翻す。 智子に誕生日を祝ってプレゼントを送ろうと、彼が訪ねた先の工作部の中で は、工作部の面々を中心に、彼女の誕生日を祝ってささやかなパーティーが開 かれていた。どうも本人には秘密にしていたらしく、輪の中心で智子が困った ような、嬉しいような苦笑を浮かべて立ち尽くし、その周りで菅生誠治が、F oolが、風見ひなたが、赤十字美加香が、ルーティが、八希望が、ちびまる が、浩之、あかり、志保、雅史達が、智子の誕生日を祝っていた。 誰でもその中に分け入るのは躊躇うだろう。特に、自分は間違い無く望まれ ぬ客になる。それに、妙な誤解を与えたくない……いや、自分の真意に気づか れたくない、が正しいか。だから、ディルクセンは気づかれぬよう薄く開いた 扉を閉めたのだ。 「あれ? ディルクセン先輩、どうされたんですか、こんなところで」 さて、この本をどうしようか。そんな事を考えながら歩いていると、正面か ら声がかかった。視線を上げ、そこに見知った顔を見出す。 「ん? とーるか、お前こそ何をしている。風紀委員の腕章もしてないな」 ディルクセンはとーるの質問に答えず、逆に質問で返した。じろりととーる の左袖を眺めたディルクセンの視線の険しさに、何事か因縁を付けられるのか ととーるは警戒した様子で返答する。 「いえ、美加香義母さん……あ、一年の赤十字さんから、工作部で保科さんの 誕生日パーティーをするから来るように言われていましたので」 「そうか」 だが、ディルクセンの反応はそれだけだった。これにはむしろとーるの方が 当惑する。 「ええと……先輩が嫌っていると言うより憎んでさえいる様な、ありていに言 ってしまえば風紀の敵のような方が、結構いらっしゃるんですが?」 恐る恐る、伺いを立てる。だが、 「ああ、知っている。別に問題はあるまい」 ディルクセンの答えは変わらず簡潔だった。 (おかしい。この先輩が、こう言うことを聞いて目くじらを立てないはずが無 い……そんな事があるとすれば!?) 「先輩、失礼ですが、ひょっとして具合が悪くていらっしゃいますか?」 「…………なんでそういう風に連想するかな、お前は」 たまに人が寛容な態度を示せばそれかい、とディルクセンは露骨に不快感を 示す。 「い、いえ、実際なんだか沈んでいる様でしたし……」 とーるは慌てて弁明を試みた。だが、良い弁明を思い付かず、とっさに話を ずらす事にする。 「そうだ、先輩も参加されませんか? 先輩も確か、保科さんと親しい間柄で しょう?」 「いや、遠慮する」 即答。とーるは二の句が次げず、絶句した。そんな彼の様子には構わず、デ ィルクセンは言葉を続ける。 「お前は折角の祝いの席をぶち壊しにしたいのか? さっきお前も言っていた だろうが。学賊どもが雁首揃えているところに、おさおさ出向けるかよ」 「しかし、さっき『別に問題はあるまい』と……」 「それは、そこにお前が出席する事に関してだ。俺自身の行動を左右するもの ではない」 それよりも、だ。ディルクセンはとーるが手ぶらであるのを見て、話題をそ ちらへと移した。 「お前、手ぶらだが、なにかプレゼントはしないのか?」 「ああ、皆でお金を出し合って、一つのプレゼントを用意したんです」 「なんだ、そういう事か」 ふむ、と一つ頷いて、ディルクセンは手にした本をとーるに手渡す。 「? 先輩、これは……? ゲーテの詩集?」 えらく気障な本を選んだものである。それはさておき、とーるが本の表題か ら視線をディルクセンに戻した頃には、すでに彼は背中を向けて遠ざかりつつ あった。 「そのプレゼントとやらに加えておいてくれ。お前からのプレゼントとして、 な。怪しまれたら、前から用意していてもったいなかったから、とでも言って おけ」 面倒くさげな返答が返ってくる。その無責任さに、さすがにとーるが憤然と 声を上げた。 「そんな無茶な…… 自分で保科さんに渡せばいいじゃありませんか」 「面倒だ。大体、数日遅れの誕生日プレゼントなどみっともなかろうが」 「そんな、気にするほどの事ではないでしょう? 大体それなら、今……」 「くどいな、あとは頼んだぞ」 その言葉を最後に、彼は廊下の角を曲がって姿を消した。とーるは一瞬追お うかと考えたが、腕時計を見て考え直す。ずいぶん時間が経過していた。これ 以上遅れるわけにはいかない。彼は強制的に手渡された本に目を落として溜息 を吐くと、工作部に向かって駆け出した。 その夜の事。 「ってやんでぇ、俺だって好きで薔薇やってる訳じゃねーんだよ」 「おー、そうだなそうだな、バラバラ死体は誰だってなりたくないよな……… …ひっく♪」 「大体あいつだ、矢島だ悪いのは! ひっく、あいつが俺を変な道に引き摺り こみやがってよぉ」 「お客さーん、呑み過ぎですよ? 学生さんが制服姿で出来上がってちゃまず いでしょうよ」 「あー? 金ならあるから、親父さんは無用な心配はいらないってよ〜♪ ひ っく、それより熱燗もひとつお願いちょー♪」 「へいへい……もー、ほどほどにしときなよ?」 転移装置近くの赤提灯で、完全に出来上がっているディルクセンと橋本の姿 があった。どちらもかなり自棄酒ぎみであったりする。 「大スクープよ大スクープ!! 生徒指導部のディルクセンと、薔薇部の橋本 の密会!! くーっ、カメラを持ってきていない我が身の迂闊を呪うわ!」 ご丁寧に、電柱の陰に隠れる長岡志保のおまけつきというところが泣かせる。 翌日、ディルクセン薔薇疑惑が大々的に報道された事は、言うまでもない事 実である(ほとんど誰も信じなかったが) ___________________________________ 佐藤さんに「今日(9/10)が委員長の誕生日だってね」と指摘され、慌 てて書きあげた誕生日Lです(笑) なんとか間に合った…………のは良いとしても、どーにも駄目っぽいな、デ ィルがただのいじけ野郎だし(自爆) もう少し時間があれば……(笑) ってーか、まともに萌えキャラとの会話描くの初めてだよな(汗) 何はともあれ、委員長誕生日おめでと〜〜〜〜♪(笑)