ガラガラッ 「よぉ〜、元気に部活やってるか?」 勝手知ったる自分の部屋のように、ノックもせずに扉をあける。 自分の所属している部活ではないのにだ。 だが、躊躇う事無く美術部と書かれたネームプレートの下を潜る。 「あれ? 今日は誰もいないの……」 いつもなら、よく見知ったクラスメイトが文句の一つでも持って出迎えてくれる。 それは教室でも日常茶飯事な光景で、よく夫婦喧嘩だと冷やかされたりもするのだが。 この時間、こうやって教室や部室を訪れるたびに迎えられる沈黙はむしろ当たり前な もので、うるさくもあり楽しくもあるのだが内心少しガッカリする。 いないならいないで、自分のすべき事をしなければいけないと思い出す。 こう見えても勤務中の身分であるからだ。 まず最初に部室の周囲をぐるっと見渡して、沈黙の支配するはずの室内に静かながらも 不規則な音が耳に届く。 「あ〜長谷部一人なのか」 音のした方向。 部室の一番奥の窓際が長谷部彩の指定席。 彼女はキャンパスに向かってデッサンの鉛筆を走らせる。 集中しているときの彼女は来客をもてなすこともなく、自分の世界に没頭する。 「それじゃ、ゆっくりしますか」 彼女の回答を期待するでもなく、俺はいつもの指定席に向かい腰掛ける。 さっきも言ったように、俺はここの部員ではない。 俺は来栖川警備保障のアルバイトとして教室の巡回をしている。無人となった教室の 戸締り確認が主な職務であったりする。 その過程としてここに立ち寄り、休憩するのが俺の日課のようなものだ。 いつもなら本来出迎えるはずのクラスメイト――大庭詠美の席に近く、世間話と 彼女の絵にケチをつけるのが俺の役目となる。 詠美の絵は自他ともに認めるほどのかなりのレベルではあるのだが、いかんせん 天狗になりやすいのでケチをつける人物が必要なのだそうだ。 が、今日は詠美はこの場にはいない。 俺は椅子を逆向きに変えるとどっかりと腰掛け、背もたれに肘を乗せて正面を見つめる。 視線の方向には、彩がずっとキャンパスに集中したままデッサンを走らせる。 俺がこの位置を指定席にしているのは、もう一つ理由があった。 そして、今はそのもう一つの理由だけの為にココにいる。 秋も深まり、日が落ちるのも段々と早くなる。 まだ下校しなければいけない時間には余裕があるのだが、空は夕日で朱に染められている。 その朱は大空からあふれ出て、この部室に飛び込んでくる。 窓辺にいる彩を照らす為に。 「ん?」 集中していた彩の動きがふと止まった。 そしてこちらをじっと見つめる。やや赤みがかった表情は窓から飛び込んでくる 朱のせいだけなのであろうか? 思わず右手で頬骨から顎をなぞるように覆う。 自分の赤くなった頬を気付かれたくないから。 「……紅葉」 「へ?」 思わず間抜けな声で聞き返してしまう。 「どこかに綺麗な紅葉ないでしょうか?」 そう言って彩はキャンパスの前で少し困ったような表情を見せる。 質問の意図が解らなかった俺は、彩のキャンパスの背後に立つ。 彼女が描いていたのは花瓶に刺さっているススキなどの秋の草花。 「これではなんだか…」 そう言いながら彩は一枚の紅葉をデッサンの花瓶の根元辺りに当ててみせる。 なるほど、手にもっている紅葉は少ししなびてて元気がない。それにいまいち紅が 足りない気がする。 「なるほど…」 そう、俺は一人考え込む。 窓から見える光景を考え、それから学園周辺の大体の地形を思い出す。 そして時間だ…。 心当たりはあるのだが、俺がちょっと行って適当に取ってきたものでは納得しないだろう。 それに―― 「うん、大丈夫だ」 時間をもう一度確認する。 彼女の足でも問題のない距離だ。 「じゃぁ、とっときの場所があるから案内するよ」 ――それに、あの場所は是非見せてあげたい。 10m歩いて、すこし立ち止まる。 また少し歩いて立ち止まる。 俺と彩は学園の裏山に続く山道を歩いていた。なだらかとはいえ、少し急でもある。 それに歩幅も違うのだから、普通に歩いたのでは二人の差がどんどん開いてしまう。 「長谷部平気か?」 「はい」 辛そうな表情も見せずに彼女は黙ってついてくる。 …いや、時折後ろを振り返って木々の隙間から見える風景に喜んでくれている オーラが、なんとなく俺にも感じられる。 「ここは人があんまり来ないからねー」 この学園で裏山と指せば、古びた神社や黄昏丘だったり。 あれらは格闘部の連中やら、なにやらと誰かしらが頻繁に訪れる。 俺達が向かっているのはそれとは少し方向が違うのだ。だからこそ、あまり知られて いないとっときの場所だと少し自負していたりもする。 「紅葉多くなってきましたね。それにイチョウも」 いつもはいい加減な事を行ってたりもする俺だが、今回は真面目に連れてきてる事を わかってくれているのであろう。何より段々と山道の間を埋める斜面には紅葉やイチョウの 葉が多く散っている。 それ以前に、彩に対して真実以外は通用しない。 何故かデマカセや下心ありの言葉等は大抵見破られるのだ。 「さて、ここだ」 俺は山道のとある場所で立ち止まった。 頂上近いことは近いのだが、山道としてはもうなだらかに下っていくだけ。 確かにこの付近にも紅葉とかはあるのだが、俺がわざわざ『とっときの場所』と言う 程ではない。 「?」 彩が不思議そうな表情をする。 「この藪が邪魔してるから、道が続いてると気付かない奴が多いんだよ」 そう言いながら斜面に無造作に覆っている藪を掻き分ける。 「あ…」 恐らく気付いてなかったのであろう。 更に続く道の出現に彩が少し驚きの声をあげる。 驚きの理由はそれだけではない。視界の先の山道は敷き詰められている 紅葉の数が先程よりも確実に増えている。 「足元気をつけろよ。ほら…」 掻き分けた藪を足で押さえつけながら彩に向かって手を伸ばす。 すらりとした手を握り、引っ張り上げるかのように藪を越える。 握った瞬間、 彩の手から伝わる思ったより暖かい体温を感じた瞬間、 俺の心臓がドキリと跳ねる。 それに動揺した俺は力加減を間違えて、その先に放り投げるかのようにしてまった。 「きゃぁっ!?」 (彩!!) ガシッ 山道の密度をやや増した紅葉の床にダイブしようとした彩を、すんでの所で抱きかかえる。 「わ、悪リィ」 「あ、ありがとうございます」 先ほど以上に心臓がバクンバクン言っている。 頼むから気付いてくれるなと思いつつ、彩を立たせて手を離す。 それでも心のどこかでは気付いて欲しいのか、自分に背を向けたままの彩の表情が 気にかかる。 「この先なんですか?」 「あぁ、そこを曲がったら目的地だよ」 ゆっくりと歩き出す彩。 先ほどと同じように先導して追い越すときにでも確認したいのだが、 それも出来ずに彩の補足に合せて歩く。 (いつもはあれだけ女の子の尻追っかけてるってーのにな) なんて、自嘲気味に心の中でそんな自分を毒づく。 ピタリと前を歩いていた彩の動きが止まった。 俺はもう少し山道を歩み出て、やや前方の岩に腰掛ける。 彩の視界に踊るもの―― それは直径10mぐらいのちょっとしたくぼ地のような空間。 周囲を覆うのは所狭しと並んでいる 紅葉、 紅葉、 紅葉、 イチョウ、 また紅葉。 そして、木々から零れ落ちた紅葉が地面を真っ赤な絨毯となって隙間無く敷き詰めている。 ワンポイントにイチョウの黄がアクセントとして映える。 ちょうど今は隆山周辺は紅葉の見頃で一番いい時期なのだ。 「な」 俺はそうとだけ言った。 今は振り返らなくても、彩の表情はわかる。 ちょっと誇らしげな俺の表情も彩はわかってくれているだろうか。 ゆっくりと空間の中央に歩み寄る彩。 そこでしゃがみこむと、足元に敷き詰められている紅葉を何枚か手にとっては 見比べている。ここで一緒になって紅葉狩りをすればいいのだろうが、俺はあえて それをしなかった。 この場所にいる、彩の姿を独り占めして瞼に焼き付けたくなったからだ。 駆け足で近づいてくる闇夜が、深紅に染まった舞台に黒というアクセントを 加えていく。 「それじゃ、そろそろ…」 そういって彩が立ち上がる。 両手には10枚あまりの紅葉と何枚かのイチョウが。 直後、少し強めの風が舞台に吹き付ける。 彩の周囲を舞うように宙を舞う紅葉に上空から柔らかく照らし出される 月明かりというもう一つの色。 少し驚いたような表情を見せ、僅かに湧き上がった長い黒髪。 あまり神話の類の話は知らないのだが―― (これが月の女神ってゆーのかな) ――思わず、そう呟いてみる。 「くすくすくす」 そんな笑い声で思わず我に返った。 何時の間にか彩が目の前に立っていた。 「ここは、すごく落ち着いていていい場所ですね。 ちょっとお節介な精霊さんが多いですけど……」 「お節介?」 「どうせなら、言葉で聞きたいかな」 「え?」 「私は女神様じゃありませんよ」 イタズラっぽく微笑む彩の表情に真っ赤になる俺の顔。 声として聞こえていた訳じゃなかったのか。 「遅くなるからそろそろ帰ろうか、長谷部」 「そっちじゃないんだけどなー。言葉で聞きたいのは」 「え? え?」 彩は俺の二度目の疑問には答えることなく、小走りで来た山道を戻っていく。 それでも、たった今はぐらかされたことよりも。 今日見れた最高の光景、 これは暫く独占したい気分でいっぱいであった。 End.