>5月20日。 午後6時9分。 隆山市内路地裏。 気弱な少年。 どうして、どうしてあんな事になったんだろうか? 人気のない路地裏で、少年はただ震えていた。 思い出されるのは、赤い色。 目の前に広がった、赤い色。 気がついたら倒れていた、今まで強者だった筈の三人。 その三人が三人とも、腕を脚を手で押さえながら、地面に転がって泣き叫んでいた。 押さえた手の間から零れ出す、赤い色。 それを見て、三人の少年達の泣き叫ぶ声を聞いて、気弱な少年は一目散に逃げ出した。 そして、今。 気弱な少年は、ここにこうして見えない何かから隠れるかのように、服が汚れるのにも 構わず直接薄汚れた地面に座り込んでいた。 腕の中には、いつの間にか大事そうに一振りの日本刀が、両腕に抱き抱えられている。 その事も、少年の身体を震えさせた。 少年は、見えない何かを恐れるように――いや、あるいは少年にだけ見える何かに怯え、 この人気のない路地裏でただ震えているだけだった。 自分を安心させようと、少年は力の限り自身を、そして腕の中のモノを掻き抱く。 だが、震えはなかなか止まりそうもなかった。 >5月20日。 午後7時49分。 隆山町内繁華街。 YOSSYFLAME。 「ねッ、そこの長い髪が魅力的な彼女ッ。そッ、そうそう。キミの事だよ。今ヒマ? も しヒマだったらさぁ〜……俺と、カラオケでデュエットしない? ハートに響くような、 ラヴソングをさ! えっ? ……彼氏待ち? あっ、ちょっと!」 こうして、通算38回目のナンパも見事に玉砕してしまった、こめかみに傷のある竹刀 袋を持った少年――YOSSYFLAMEは、気を落とす暇もそこそこと言った風に、目の前を通り 掛かった高校生風の少女に笑顔で声を掛ける。 時刻はもう夜であったが、ここ隆山市内の繁華街では、今からが本番と言わん限りの賑 わいを見せていた。 それも仕方のない事であろう。 何故なら、隆山一の観光名所である鶴来屋温泉に便乗する形で、自然とこう言う施設が 集中して建てられ、その結果、隆山において繁華街と言える規模の娯楽施設が、この近辺 ではこの場所にしか存在していない。 だからこそ、隆山に住む人々は、この場所に娯楽や開放感、そして僅かばかりの刺激を 求めて集まってくる。 そして、YOSSYもまた、そんな中の一人であった。 いや、彼の場合は少しばかり意味合いが違っているのかもしれない。 「……あぁ〜あ。俺のナンパテクニック、どうもここのところイマイチだぜ。やっぱ、最 近は狩ってねーからか?」 と、そう呟きながら、ほんの一瞬、YOSSYの瞳が剣呑な光を放つ。 「……まっ、それだけ平和ってことかもな」 だが、それも一瞬の事で、直ぐに元の表情へと変わると改めてナンパを再開すべく、次 のターゲットとする女性を物色する。 (ん〜……おっ、あの娘にすっか? って、彼氏持ちかよ。さて……他には……ん? な んだ、あいつ。かぁ〜……なんつーか、場違いな奴だなぁ。あん? 手に持ってるのは、 もしかして刀? なんであんなもん……まぁ、俺には関係無いか) 多少の興味を惹かれたが、そのまま見送ると、YOSSYは夜の繁華街へと埋もれて行った。 >5月21日。 午前2時36分。 隆山町内住宅街。 佐藤 昌斗。 (たまには、良いもんだなぁ) 夜空に輝くのは真円を描く月と、輝く星々。 ただ、それだけ。 普通の人々は眠りにつく時間の夜道を、一人の少年が歩いている。 その少年は、竹刀等を入れる袋に何かを入れて左手に持っている事だけが、少しだけ普 通の散歩とは違った雰囲気を感じさせる。 それ以外は、本当に何処にでもいるような少年に見えた。 少年――佐藤昌斗は、寝ようとしたのだが何故か寝付かれず、それならば……とこうし て、深夜の散歩に出掛けたのだった。 少し面長な顔に、少し大きめの瞳が楽しそうに細められ、唇が自然と笑みを浮かべる。 「ふぅ〜……。なんか、空気まで違う気がしてくるな〜」 そして、口を少し開けて深刻吸を一つすると、呟くようにそう言い、夜空に輝く満月を 見上げた。 <……綺麗……ですね> と、その時。 何処からともなく昌斗に”声“が聞こえて来た。 その声は、不思議な響きを持つ、優しげな感じを受ける女性の声であった。 だが、この夜道には昌斗以外の人影は見当たらない。 普通、いきなり声を掛けられれば、こんな時間であるし、たいていの人間ならば驚いて 辺りを見渡すなりするであろう。 しかし、昌斗はまったくそう言った素振りは見せず、これが当然の事であるかのように、 「あぁ、綺麗だな。最近は、こう言う事してなかったな」 と、その声に受け応えたのだった。 <そうですわね。そう言えば……されていませんでしたね> 更に、女性らしき声も、当然のように昌斗に言葉を返す。 「まぁ、今日できたから良しとしよう。うんうん」 <……主(あるじ)らしいですわね> 微かに微笑を含んだ声音で、その声はまた答えた。 この女性らしき声は、厳密に言うと声ではない。 いわゆる、思念とでも言うべきものである。 この思念は、実は昌斗が持っている竹刀袋の中身――運命(さだめ)と言う銘の日本刀 から発せられているのであった。 持ち主となったからか、昌斗以外には運命の声は聞こえない。 更に言うと、運命に話す場合には、声に出す必要がある。 この為に、昌斗は現在通学している、試立Leaf学園において、日本刀にぶつぶつと 何やら語り掛けている、傍から見て丸っきり危ない人やら、武器マニアだの、いき過ぎた 愛刀家……等々、非常に不名誉な称号を得ているのだった。 最近では周りに馴れられ、何時もの事……と、認識されてしまったそうだが。 この運命は、女性人格の思念を持つ事からも解る通り、一般で言う日本刀とは、大きく 違っていた。 あえて分類するとすれば、妖刀と言う言葉が最初に浮かんでくるが、運命本人(?)が 言うには、そう言う物とも根本的に違うらしい。 ……要するに、不可思議な日本刀なのであった。 そして、少しおばさん臭くもある。 <私(わたくし)は、少しばかり心配性なだけです! 断じて……断じてお・ば・さ・ん 等では、ありませんっ!!> と、いつも本人は強く否定しているのだが、今のところ、昌斗の認識は一向に変わる気 配はなかった。 ……まぁともかく、ちょっとした経緯で昌斗は運命の持ち主となり、だからして、運命 から主と呼ばれていると言う理由(わけ)であり、運命との会話は既に慣れ親しんだもの なのであった。 「さて……何処までいこうか? あまり遠くにいくと、明日の朝が堪えるだろうし」 <でしたら……そうですわね。わりとご近所にある、公園で宜しいのではありませんか?> 「公園かぁ……。よし、そうしようか」 そう運命に応えると、昌斗は近所にある少し大きめな公園へと足を向け歩き出した。 夜の心地良い風を身体に受け時折夜空を見上げながら、比較的ゆったりとした足取りで 深夜の散歩を満喫し、公園へと向かう。 そして、後もう少しで目的地である公園へと着こうかと言うその時。 不意に、変化が訪れた。 <――主。並々ならぬ気配が公園から感じられます。お気を付けを> 「どうしたんだよ? 急に気を付けろだなんて。それに……並々ならぬ気配、って?」 運命は普段、昌斗自身の為だと言い、様々な騒動――特に喧嘩沙汰とも言える程のお祭 り騒ぎが多いLeaf学園において、例え運命自身が巻き添えを食らいそうな事に気が付 いていても、知らせるような事はしない。 何故ならば、その騒動が昌斗の生命を脅かしたりはしない事を、運命は”感じられる“ からだ。 無論、この――能力を持つ――事を昌斗は知らない。 ついでに言えば、運命は試練を与えてるつもりらしい。 だが、その運命が気を付けろとあえて知らせている。 それは即ち、これから向かう公園に、昌斗の生命を脅かす危険がある事を意味している のであった。 <主。今回は、いつも学園で遭遇しているものとは、完全に異なるものです。退くならば、 お早く。主の命に関わりますので> 「い、命に関わるって……マジ?」 頬に一筋の冷たい汗が流れて行くのを感じながら、昌斗は運命にもう一度問うのだった。 >5月21日。 午前2時47分。 隆山町内公園。 ???? 心地良い。 弱者が感じる、恐れとはなんと心地良いものか。 だが……少し物足りない。 弱者は、弱者でも、抵抗する弱者が良い。 そう、弱い癖に立ち向かう、そんな弱者が。 そして、その弱者が、段々と恐怖に脅えてゆく……それこそが、もっとも心地良い。 「たすけてくれッ! なぁ……少しからかっただけじゃねーか。頼むよ! 殺さないでッ!!」 心地良い。 だが……物足りない。 「なっ、なぁ、きっ、聞いてるのかよ? た、頼む、頼むよ!」 心地良い。 だが……物足りない。 「きっ、聞こえないのかッ!?」 心地良い……だが、物足りないッ! 「ひっ、ひぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!」 だから……もっと、怯えろ! 恐れろ! 泣き喚けッ!! 「や、やめろッ!」 ……抵抗する、獲物が来た……? >5月21日。 午前2時50分。 隆山町内公園。 運命。 <これは……> 持ち主(ぬし)である昌斗に鞘から引き抜かれ、改めて今、眼の前に対峙する相手に注 視した運命は、高校生くらいの少年が持つ、それの放つ妖気とも言えるモノに対して驚き を感じていた。 「は、早く逃げろ!」 地面に座り込んだまま、呆然とこちらを見ていた被害者になり掛けた男に、昌斗が叫ぶ。 「ひッ、ひぃぃ〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」 昌斗の言葉で、状況を思い出したらしく、男は無様とも言える姿でもつれて転び掛けな がらも、公園の出口へと走って行った。 <主……お気を付けを。あの方が構えている刀、普通の刀ではありません> それは、妖気とも言える、暗く、黒いモノを刀身に纏い、外灯の照らす光をその刃に受 け、ギラギラと何かに餓えた輝きを昌斗に放っていた。 まるで、威嚇(いかく)でもするかのように。 「……あっ、ああ。俺でも解るよ。アレは……ヤバイって」 冷たい汗が、背筋を伝うのを感じながら、昌斗は運命に応える。 <どうやら、あの方は、あの禍禍しき物に憑かれておられるようですね……> 「じゃあ、あの刀を手放させる事ができれば――」 <来ます!> 運命に注視したその瞬間、相手の刃が昌斗に振るわれた。 ビュン。 「う、うわっ!」 情けない声をあげながらも、運命が知らせてくれた事もあり、何とか刃を避ける事に成 功する。 <主! 次が来ます!!> だが、何とか避ける事のできた事に安堵する間も無く、次々と刃が振るわれて来る。 「うわッ! くっ……こ、このッ!!」 あるいは避け、あるいは手にした運命で受けながら、辛うじて振るわれる刃をあしらう。 昌斗は次々と振るわれる刃に、時々する手合わせとの違いに、戸惑い焦った。 だが、これは当然の事である。 何故なら、これは”戦い“なのだから。 <<やはり、主はこう言うところが甘い。だが……ある意味仕方無いのだろう。何故なら 昔とは違い、今は平和な時代(とき)なのだから。例えそれが、仮初(かりそめ)のもの であったとしても……>> それは、ほんの一瞬の事だった。 ギィンッ。 ビシャッ。 「うわッ?! 眼、眼が……眼に何か……眼がッ!?」 <主?!> 運命が考え事に囚われていた、その一瞬。 その一瞬で、戦況は大きく動いた。 真っ二つになるかのような激しさで振り降ろされた刃を、昌斗が眼前で受け止めたその 時。 顔に、何か液体のようなものが浴びせられた。 不意の事に眼を瞑(つむ)る事もできなかった昌斗は、それをまともに浴びてしまう。 そして、その液体が眼に入った瞬間。 両眼に激痛が走り、あまりの痛みに瞼を開く事ができなくなってしまったのだった。 <主?! しっかりして下さいっ!> 運命は、己を悔いた。 もし、自分が考え事に囚われず、しっかりと昌斗を補助していたなら、あるいは今の事 態を回避できたかもしれない。 だが、現実は動かしようがなく、今悔いていても事態は好転する事はない。 そう、悔いるのではなく、この状況を打破する為に動くべきなのである。 だからこそ運命は、自分ができる事を成す為に行動を開始するのだった。 <主……良く聞いて下さい。今から、主の意志の力をお借りします> 眼を襲う激痛を堪えながら、攻撃されないように出鱈目(でたらめ)に刃を振るってい る昌斗に、運命は静かな口調で語り掛ける。 「な、何だって……ッ?」 既に息が上がり出している為に、少し途切れがちに答えは返って来た。 <まずは、落ち着いて下さい。そして、私に意識を合わせて下さい> 「な、何言ってるんだッ?! 手を休めたら、斬られるじゃないかッ!?」 <良いから、速くなさい! 死にたいのですか!? ……主。私を、信じて下さい> その運命の声が、半(なか)ばパニックを起こし掛けていた昌斗には、冷水を浴びせら れたかのように感じられ、ようやく落ち着きと言うものを思い出させた。 そして、やや経ってから運命に、 「……解った。運命に任せる」 と答えると、敵が見えないと言う恐怖で出鱈目に動かしたくなる身体をどうにか抑え、 昌斗はその場で意識を運命に集中し始めた。 だが、その瞬間。 これを好機と見たのか、あるいは別の意図があるのか、今まで出鱈目に刃を振るう昌斗 を、刃の届く範囲外から黙って見ているだけだった少年が、奇声を発し、不意に飛び掛か った。 「グアァーーーーーーっ!」 ビユッン。 そして、脳天目掛けその禍禍しき刃を振り下ろす。 眼が見えない今の昌斗には、到底反応できる速さではない。 これで、この戦いの決着は着いた。 ――その筈であった。 ガキィッン。 金属と金属が激しくぶつかり合う音が、夜の公園に響き刃と刃が熾(おこ)す火花が散 る。 ありえない、筈であった。 だが、現実には決着はつかず、少年の凶刃を昌斗はどうにか、だがしっかりと手にした 運命で受け止めている。 「こう言う……事かッ!」 何処か嬉しそうに、昌斗は呟いた。 相変わらず、両眼は激しい痛みに開けられないが、しかし、昌斗の脳裏にはしっかりと 今ここに広がる光景が視(み)えていた。 「ギ、ギギっ?!」 ありえない筈の事に動揺を隠せず、慌てて少年は昌斗から離れた。 そして、音を発てないようにゆっくりと昌斗の背後に廻り込むと、今度は無言で斬撃を 放つ。 だが、その瞬間、昌斗が少年の方にくるりと向き直り、またもや刃を受け止める。 ガキッン。 「ガガっ!?」 またも驚きの声を上げる少年。 「残念だったなッ!」 そう言うやと同時に、昌斗は左足を軸にして、右の回し蹴りを少年に放つ。 ビシッ。 乾いた音が響き、 「ギャアっ!?」 少年は、蹴りを受けた右肩を左手で押さえながら跳躍すると、慌てて昌斗から距離を取 った。 「さぁ、来いッ!」 昌斗が少年に向かって運命を構え直す。 当然、向かってくるものだと運命も考えての事だったのだが、次の瞬間、少年は背を向 けると、公園の出口へと一息に駆け出したのだった。 「あッ?! ま、待て! ……あ、あれ??」 慌てて少年の後を追い掛けようとしたが、膝からがっくりと力が抜け、その場にへたり 込んでしまう。 <追うのは無理ですよ、主。私の能力を使った為に、主の脳に少し負担が掛かっています からね。恐らく、もう暫らくは動けないと思います> どうにか起き上がろうとするが、確かに運命の言うように上手く動けない。 「はぁ〜……しっかし、本当に死ぬかと思ったぁ〜」 <確かに、良く生きていられたものですね> 微かに笑いを含んだ声で、運命が答える。 「まったくだよ。でも……あいつ、助けられなかったな……」 苦笑いし、そして真顔になると、少年が走り去った方向を見る。 <ええ。ですが……正直、主の力量ではあの方が退かず、あのまま戦っていたなら、確実 に負けていたでしょう> 運命は静かに答えたが、その静かさが逆に、昌斗の心に重く響く。 「……はぁ。まだまだって事か」 <そうです。これを機に、少しは真面目に鍛錬されたらいかがですか?> 「くぅ〜……」 運命の言葉に、昌斗はがっくりと項垂(うなだ)れた。 と。 <……そう言えば、もう眼は大丈夫なのですか?> 「えっ?」 次の瞬間、昌斗の両眼を猛烈な痛みが襲うのだった。 >5月21日。 午前3時20分。 隆山市郊外某所。 研究員達。 「無様……としか、言い様がないな」 何処か落胆したように、その白衣の男は言った。 「しかし、彼は新たな機能を作動させる事に、成功しています」 白衣の男の言葉に、白衣の女は、まるで庇うかのように言い返す。 会議室らしき室内に、白衣の男と女の二人だけ。 そして、会議用の平机の上には、小型のモニターが設置され、そしてそのモニターには、 ある映像が映し出されていた。 「まぁ、君の気持ちも理解できなくもないが……我々としては、この程度では到底満足す る事はできかねる。それも……君ならば、理解できるだろう?」 男の言葉に、女は応えるべき言葉に詰まった。 確かに、この程度では予想されている数値を大幅に下回っているし、本来期待されてい た数値とは程遠い。 まして、これからしようとする事には、到底使えそうにもない。 その為に、自分達は研究を重ね、そして”あれ“を作り出したのだから。 だが……女は、一研究者として、あれの持つ特性や能力をどうしても見届けたかった。 そう、自分が先頭に立ち作り上げたあの――武鬼(ぶき)シリーズ最高傑作となる筈だ った、壱号型の”日本刀“を。 「もう少し、もう少しだけ、待っていただけませんか?」 真剣な表情で、女は男を見つめる。 しばしの間無言が続き、やがて男の方が口を開いた。 「……そうだな。もう少し、待つとしよう」 「あ、ありがとうございます!」 男の言葉に、笑顔で答える女。 (お願い。私達に見せて。貴方の、本当の力(すがた)を) 表情を一変し、女が祈るように見つめるモニターには、昌斗の持つ運命の姿が鮮明に映 し出されていた。