Lメモ涼風譚10話 「虹色の煉瓦は土の匂い」(5)  投稿者:昂河

 瑠璃子が去ってから10分くらいした頃には、みんな集まってきていた。
「まー、よく集めたもんだ」
 置いてある花々を見て、FENNEKは感心したように言った。
「きれいだね」
「ま、なんだ。悪くはねえな」
 忍が和んだ表情で言う隣で、ジンがぶっきらぼうに言った。
「綺麗ですね」
 千鶴も目を細めて見ている。
「それで、作業はじめるんですか?」
「ちょっと待ってくださいね。そろそろ菅生さんが来るはず……」
「来たぞ」
 ジンがあごをしゃくってみせる。
 見ると、かごを持った誠治と四角い物を持った八希望が歩いてきていた。
「お、集まってるな」
 誠治はそこにいる面々を見て言った。
「うわ、すごいねえ。花がいっぱいだ」
 望がにこにこする。
「すみません、持ってきてもらっちゃって」
「ああ、かまわんよ。で、これが水まき機だ」
 誠治はかごを地面に置いた。
「これが水を入れるタンクだよ」
 望も言って四角い物を地面に置く。
「じゃあ、説明しよう。この銀色のが真ん中に置くもの、少し青みがかっている
のが端用だ。置き場所は、晶くんがこの間見てたから分かるな?」
「はい」
「それで、それぞれのホースがこれで……ここにつなぐ。本体の方、水の出る穴
があるのは見えるだろう? この部分が外に出るようにして埋める。真ん中用は
全方位から水が出るようになっているけど、端用はこの矢印を花壇の中央に向け
て埋めること。ちなみにセンサーが感知するのは気温と湿度だ。土の湿り具合に
応じて水をまくようになるから」
 誠治の説明に、皆ふんふんとうなずいた。
「水は、毎日まくとして2日に1回は補充した方がいいだろうな。雨が降った時
なんかはあまり気にしないでいいだろうけど」
「分かりました」
「ま、こんなもんかな。あと、分からない事があったらきいてくれ」
 誠治は言うと、花壇に目をやった。
「立派な花壇になったな」
「この間のは最初のうちでしたからね。今日が仕上げですから」
「できるのが楽しみだね」
 望が笑顔で言った。
「まだスペースがあるし、子ども達と遊ぶのにもいい場所になるかもしれないよ
ね」
「そうだね。でもあんまり暴れないでほしいな」
「大丈夫、みんないい子達だし」
 昂河の言葉に、望はそう言って笑った。
「さて、じゃあ俺達は戻るか。みんながんばれよ」
「はい、ありがとうございました」
「がんばってね」
 誠治と望はそれぞれに言葉を残すと、工作部に戻っていった。
「さて、それじゃあやるか、昂河さん」
「はい」
 FENNEKの言葉にうなずいて、昂河はみんなを見た。
「じゃあ、まず花をこの鉢のままで配置する位置に置いてみましょうか。その後、
埋めるのにちょうどいい高さまで土を堀ります」
「それじゃ、昂河さんと千鶴さ…ちゃん、置いていってくれ。指示してくれれば
その花を俺達で持っていくから」
「はい。じゃあ、千鶴…ちゃん、いいかな」
「はいっ」
 うなずく千鶴。
 昂河と千鶴は紙に書いておいた花の配置図を見ながら真ん中から順番に花を置
いていった。昂河の指示に従って残りの3人が花を持っていったが、花の名前を
言われてもそれがどれか分からず戸惑う場面が多々あった。
 それでも、どうにか全部の花を配置する事ができた。
「ほー、こうなるのか」
「……なんかすごいですね」
 配置し終えた花壇を見て、ジンと忍が声をあげた。花の咲いていないものは1
つもなく、それが並んでいるのを見るのはなかなか圧巻だ。
「じゃあ、今度はこれを植える準備をします。せっかく置いたのをまた下ろして
いきますけど、深さの見本になる鉢を1つずつ残しておきますから、それを見な
がら穴を掘って下さい」
「これ、線を引いたほうが分かりやすいんじゃないでしょうか。ここからここま
でがこの花の深さって」
「あ、そうですね。じゃあ千鶴ちゃん、お願いします」
「昂河先輩、敬語……」
「それくらい勘弁して下さいよ……」
 肩を落としながらも、昂河は外側から鉢を下ろしていった。一種類下ろすたび
に千鶴がそこのところに棒で線を引く。
「なんか、今回はだいぶちんたらした作業になるな」
 今のところ手持ち無沙汰のジンは退屈そうだ。
「忙しいのはこれからだよ」
 FENNEKがシャベルを持って言った。その1つをジンに渡す。
「はい、ジンさん。忍さんもお願いします」
「はい」
 忍はうなずいてFENNEKからシャベルを受け取った。
「FENNEKさん、お願いします」
「よし、やるか」
 昂河の言葉に、FENNEKはジンと忍を連れて花壇に上がった。
「私達はどうします?」
「花を鉢から出しておきましょう。その時に根っこが固まってたりしたらほぐし
たり、あるていど土を取ってやったりしないといけませんし」
「分かりました。まずどれからやればいいでしょう」
「最初は真ん中を植えるから、背の高いものからやりましょう」
 昂河と千鶴はしゃがむと、鉢から花を取り出す作業にかかった。
 崩れないように鉢から出して、根が固まっているところはほぐしてやる。なか
なか細かい作業だ。
 土掘り組も、見本を見ながら土を掘って、掘った土はすでにおなじみになった
手押し車に入れている。
 たまに言葉を交わしながら、それぞれの作業は進んでいった。
 今日もいい天気だ。雲が多いものの、強めになってきた陽射しがさえぎられて、
作業にはちょうどいい。
「お、やってるやってる」
 その声に昂河がそちらに目をやると、そこには浩之と吉田由紀が立っていた。
「吉田さん?」
「がんばってるね」
 由紀は昂河に笑いかけた。
「うん……どうしたの、こんな所に来て」
「藤田君が、花壇作ってるから見に行ってみようって」
「いやほら、やっぱり知られてる方が励みになるかと思ってな」
 浩之がにやりと笑う。
「藤田……」
「元気出るだろ?」
 返事の代わりに、昂河は立ち上がると浩之のところに行って、おもむろにがし
っと浩之の頭を抱えて拳をぐりぐりと押し付けた。
「痛え痛えっ! やめろ昂河っ」
「心遣いありがとう。で、来たからには君も手伝うよな、藤田?」
「わーった、わーった。だから離せっ」
 その言葉に、昂河は浩之を離した。
「せっかくだから、私も手伝おうか?」
「……いいの?」
「うん。楽しそうだし」
 そう言った由紀に、昂河は笑みを浮かべた。
 まったく予期していなかった事態だが、由紀と一緒にいられるのを断る理由は
ない。
「ありがとう。じゃあ、頼むよ……っと」
 昂河はそこで声をひそめた。
「……あと、千鶴先生は今「千鶴ちゃん16歳」だからそのつもりで」
「げっ」
 浩之が思わず声をあげて、慌てて口を押さえた。
「……なんてこった……やばいじゃねえか」
「そんなこともないよ。とりあえず「千鶴ちゃん」って呼んであげれば」
「んなこと言われたってなあ……」
「うーん……」
 2人とも困った顔をしている。
「呼ばないで恐い事になるよりはいいと思う」
「そりゃそうだけど……」
「あら、何が恐い事になるんですか?」
 口をはさまれて、3人は恐る恐るそちらを見た。
 にっこりと千鶴が微笑んでいた。
「藤田先輩、吉田先輩。一緒に作業してくれるんですね。千鶴、嬉しいです☆」
「あ、あはは……」
「う、うん、よろしくね」
 顔をひきつらせながらも笑顔を見せる浩之と由紀。
「じゃあ昂河先輩、続きやりましょう」
「うん。えーっと、藤田と吉田さんも僕達と同じ作業をしてもらうから」
「てーと、その花を鉢から出せばいいんだな」
「そ。吉田さん、手が汚れちゃうけど……」
「うん、いいよいいよ」
 言って、由紀は千鶴の隣にしゃがんで作業を始めた。
「……土、落とすのか?」
「少しでいいよ。根っこがこう、からんでたりする場合はほぐしてやって」
 言いながら、昂河は浩之に手本を示した。
「昂河さん、こっちはできたけど」
 FENNEKが声をかけてきた。
「あ、はい。……えーと、じゃあ千鶴ちゃんと吉田さんはそのまま作業お願いし
ます。僕と藤田で植えるから」
「はい」
「うん、いいよ」
 それぞれの返事を聞いて、昂河は一番背の高い花であるデルフィニウムを持っ
て花壇に行った。浩之も花を持ってついてくる。
「なんだ浩之、お前も来たのか」
「ジン先輩もやってたんすね」
 ジンと浩之でそんな会話を交わす。
 花壇の中は、まるで等高線をひいた立体地図のようになっていた。その一番真
ん中の部分に、花を置く。
「藤田、これ押さえててくれるかな。土入れるから」
「おう」
 浩之に根元を持ってもらって、そこに土をかぶせていく。
「昂河君、これ」
 忍が水まき機を持ってきた。
「あ、そうだこれも埋めなきゃ」
「なんだこれ?」
「自動水まき機だよ。菅生さんに作ってもらったんだ」
 言いながら、昂河は花に並べて水まき機を埋めた。
「これ、次のやつだろ」
 ジンがその隣に植える花を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「じゃあ、これこっちか?」
「うん。そのまま押さえてて」
 言いながら、最初に配置した通りに花を植えていく。
 2人が植える端から忍とジンが花を持ってきてくれた。FENNEKは千鶴達
の作業の方に回っている。
「……私、ちょっとびっくりしちゃった。昂河君がこんなことしてるなんて」
 由紀が千鶴に話しかけた。やはり女同士だからなのか、気安く話しかけられる
らしい。
「でも、なるほどとか思っちゃったんだよね」
「そうですね。昂河先輩は本当は可愛い人なんですよ」
「かわいい?」
「ええ」
 千鶴は笑みを浮かべた。
「ちーずーるーちゃーんー。何か聞こえましたけどー」
 花を植えながら昂河は口をはさんだ。
「なんですか、昂河先輩」
「頼むからかわいいなんて言わないで下さいよ」
「あら、男は愛嬌の時代ですよ。いいじゃないですか」
「よーくーなーいーです」
「いいですよね、かわいくたって。ね、吉田先輩」
「え? うーんと……そうだね」
「ですよね。うふふ」
 くすくす笑う千鶴に、昂河は軽く眉をしかめた。
 どうやらただからかっているだけのようだが、それにしても下手な事を言われ
るのは困る。まして由紀相手に。
「……千鶴ちゃんのいじわる……」
「かわいそーに、お前も千鶴先生のおもちゃか……」
 浩之がこれみよがしにため息をつく。
「誰がだよ」
「お前だお前。すっかりからかわれちまってまあ」
「うるさいやい」
 そう言った昂河にジンが顔を向けた。
「……いーけど、すっかり千鶴さんにちゃんづけが定着したなお前」
「臨機応変、です。僕だって命は惜しいですから」
「昂河先輩、何か言いました?」
「いえ、何も」
 すましたようにそう言うと、昂河は作業を再開した。
 真ん中からその外側、またその外側といくに連れて、花の背丈がどんどん低く、
範囲は広くなっていく。
 一番はじのパンジーや忘れな草を植える頃には、二手に分かれて植える格好に
なっていた。
 もう千鶴達の作業は終わり、鉢も片付けてこちらの作業を見守っている。
 それからしばらくして。
「……これで終わり、かな」
 言って昂河がぽん、と最後の花の根元の土を押さえた。
「……完成、か」
「そうだね」
 ジンの言葉に忍がうなずく。
 みんな、少し離れて花壇を見た。
「きれいだね」
 由紀が目を細めた。
 青系や白い花が多い中に、アクセントのように赤系や黄色の花が入っている。
「立派なのができたじゃないか」
「はい」
 FENNEKの言葉に昂河は笑みを浮かべた。
 レンガ積みの、花がいっぱいの花壇。こんな立派なものが作れるとは、正直思
っていなかった。
「時間をかけたかいがありましたね」
 千鶴が嬉しそうに言った。
「みんなが手伝ってくれたおかげです。本当にありがとうございました」
 昂河は皆に向かってぺこりと頭を下げた。
「……手伝えてよかったです」
「ま、色々揃えてくれた千鶴さんに感謝しろよ、昂河」
 忍とジンが笑みを浮かべた。
「私は、昂河先輩のお手伝いをしただけですよ。先輩が自分でやりたいって言っ
たからできたことです」
 千鶴はそう言ってにっこり笑った。
「……ありがとう」
 千鶴にそう言いながら、後でちゃんと先生状態の千鶴に礼を言おうと昂河は思
った。
「水をまこうか。タンクに水を入れればいいんだっけ?」
 言いながら、FENNEKが脇に据えつけたタンクに水を入れた。もちろん、
すでに使える状態にしてある。
 水を入れてしばらくして、シャーッと音がして花の間から水の線がほとばしっ
た。
 みるみる土がぬれていく。
「無事に根付くといいですね」
 忍の言葉に昂河はうなずいた。
「しっかし、この場所じゃあんまり目立たないよな。せっかく作ったのに」
 浩之は少し不満げだ。
「いいんだよ。もともと僕が楽しむために作ったんだし」
「でもなあ……そうだ、せっかくだから、明日の昼飯はここでみんなで食うか」
「でも……」
「独り占めすんなよ。もったいないだろ」
 そう言われて昂河は苦笑した。
「……そうだね」
「楽しそうだね、それ」
 由紀が言った。それを聞いた浩之が、昂河のわき腹をつついた。
 昂河はちらりと浩之を見て、それから口を開いた。
「……えーと、吉田さんもよかったら一緒に食べようか」
「いいの?」
「うん。いいよな、藤田」
「おう。俺達はちっともかまわないぜ」
「じゃあ、そうするね。美和子も一緒でいい?」
「うん、いいよ」
「うふふ、昂河君達とお昼食べるのって初めてだね」
 由紀は楽しそうに笑った。浩之が肘で昂河をこづいたので、昂河は浩之の頭を
軽くげんこつで叩いてやった。
「青春だなあ」
 FENNEKが笑った。どうやら察したらしい。忍とジンも苦笑を浮かべてい
る。
 そんな中、千鶴だけが考えるような表情をしていた。



 次の日の放課後、昂河は校長室に向かった。千鶴に会うためだ。
 ノックして入ると、千鶴は微笑んで座っていたいすから立ち上がった。
「ちょうどよかったわ。少し休もうと思っていたの。一緒にお茶でも飲みましょ
う」
「あ、はい」
 思わずうなずいてしまってから、いいのかなーと思う。
「はい、座って座って。普通に紅茶でいいかしら」
 言いながら千鶴はお茶の用意をしはじめた。
 応対用のソファに座りながら、初めてこの部屋に入った時の事を昂河は思い出
していた。
 転入の手続きをしに来たときで、運悪く千鶴の作ったクッキーを食べさせられ
たのは今でも強烈な印象として思い出の中にある。
 それでも千鶴に対するイメージが変わらなかったのは、我ながら不思議な気が
する。あまつさえ憧れなのだ、彼女は。
 千鶴は昂河の前にティーカップを置いて、自分もカップを持って向かい側に座
った。
「……ありがとう、昂河君。立派な花壇を作ってくれて」
 先に切り出されて、昂河は慌てた。
「いえ、お礼を言うのはこっちです。僕のわがままだったのに、色々手助けして
いただいて。本当にありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げる。
「言ったでしょう、私からのお願いでもあるって。昂河君は本当にいっしょうけ
んめい作ってくれて、嬉しかったわ」
 千鶴は微笑んだ。
「さ、お茶が冷めないうちに飲んでちょうだい」
「あ、はい」
 言われて昂河はカップを手に取った。千鶴もカップを口に持っていく。
 しばらくの沈黙。
「……千鶴先生」
「はい?」
「……知ってるんですね、僕が女だって……」
 意を決してきいた昂河に、千鶴は淡い微笑を浮かべた。
「ええ」
「……そうでしたか……」
「この学校では私しか知らないわ。だから安心して」
 その言葉に昂河は視線を手元に落とした。
 彼女は、昂河が男であるわけも知っているのだろうか。
「……少し、立ち入った事をきいてもいいかしら」
 あらたまった表情で千鶴が言った。
「……なんでしょう」
「どうして、男のふりをしているの?」
 昂河は軽く目を細めた。
「……どうして男として生活しているかという質問なら、それが必要だからとい
うのが答えです」
「女の子でいちゃいけないの?」
「女だった事はないです。僕はずっと男ですよ」
「でも、体は女の子でしょう」
「体はそうですけど。でも、僕はずっと男として暮らしてきましたし、これから
もそうやって暮らしていくと思います」
 千鶴はそう答えた昂河をじっと見据えた。
「……今まで、それを疑問に思った事はない?」
「ないです」
 疑問に思った事はない。それが当たり前だったからだ。
「……迷った事はないの? 自分が男なのか女なのか……」
「…………」
 その質問には、昂河はすぐには答えられなかった。
 自分は男なのか、女なのか。
 少し前までは迷うことなどなかった。前の学校にいた時は。
 それが、そういうことに迷うようになったのは、この学校に来てからだ。
 特にそれを意識したのは、エルクゥユウヤになぜか目をつけられた時のことだ
ったか。夢幻来夢という見た目女の子な存在に、自分というものについて考えた
ものだった。
 それでも、その時も結論は「自分は男」だった。
「やっぱりある?」
「……ええ。でも、やっぱり僕は男です」
「そう……。じゃあね、自分の体が女だと意識した事はある?」
「……特には……でも、まあ違うっていうのは意識せざるをえませんし」
 迷いはしなくとも、意識した事はある。
 たとえば、トイレは個室しか使えないこと。銭湯などでは女湯に入るしかない
こと。プールに入る時の水着が補正水着なこと。女性特有の生理現象があること。
 けれど、だからといって女にならなければいけないと思ったことはない。
「違うのは分かってるのね。……ならいいわ。もし、それさえも無視しているよ
うなら、それはとても問題だと思ったから」
「もしそうだったら、たぶんこうして平気ではいられませんよ」
 もしも体まで男でなければいけないと思ったら、それでは自分の存在が立ち行
かない。自分が自分であるためには、素直に認めるしかないのだ。
 そこは割り切っている。だから、こうして平気でいられる。
「そうね……。昂河君は、分かっていて、それでも男の子なのね」
「……ええ」
「色々と事情はあるんでしょうね……そこまでは聞かないわ。でもね、この前も
言ったけれど、私はあなたがこのままいつまでも男の子でいるのはよくないんじ
ゃないかと思っているの。このままじゃ好きな男の子もできないでしょう?」
「……そりゃ、僕は男ですからね」
「だからって女の子を好きになって、それでいいとも思えないのよ」
 千鶴は目を伏せた。
「……好きな人がいるって、とても素敵な事よ。そしてその人と一緒に生きてい
けるのは幸せな事だわ。でも今のままでは、あなたはそれさえもできないんじゃ
ないかしら」
「……それでいいんですよ」
 昂河は淡く微笑んだ。
 それでいいのだ。そのために自分は男として育てられてきたのだから。
「……私はずっと自分を縛り付けてきたわ。柏木家の長女として、そうあるべき
だって。人からなんと言われようと、家族を守るためなら自分の事なんてどうで
もよかった。だけど……それを見抜いて重荷を減らしてくれたのが賢治叔父様…
…そして、私が私の事を考えられるようにしてくれたのが耕一さんだった」
 千鶴は視線をテーブルの上に落として話した。
「耕一さんを好きでいる事で、私は私自身でいられるの。それは……とても、幸
せなことだわ。それに、私にはジン君もいてくれる。私を護ってくれる人……。
守られる幸せって、やっぱり女の方がよく感じるんじゃないかと思うわ」
 言って、千鶴は微笑んだ。
「だから、私はあなたを放っておけないの。あなたも何かに縛られている……そ
れを全部はずせなんて言わないけれど、はずせる場所があってもいいはずよ」
「…………」
「だから、一緒に考えさせてほしいの。あなたは男の子でいなければならないの
かもしれない。だけど、せっかく本当は女の子なんですもの」
「千鶴先生……」
「男の子でいることも女の子でいることも、どっちも楽しめればいいんでしょう
けど……」
 千鶴は思案顔で言った。
「……先生、でも僕はこのままの方が……」
「昂河君」
 千鶴はたしなめるような表情になった。
「これでも私は、昂河君より長く生きてるのよ。あんまり豊富ではないけど、人
生経験積んでるんだから、信頼して」
「…………」
「なんちゃって、ね」
 一転して千鶴は明るい笑みを浮かべた。
「……失礼ですけど、千鶴先生はそういうこと言うにはちょっと若いと思います」
「ふふ、昂河君は優しいわね。他の人ならおしおきしてあげたくなるようなこと
言うところなのに」
「あはは」
 昂河もちょっとそう思った。だが、やはり20代前半というのは充分に若いと
思う。
「……慌てる必要はないから、少しずつ考えていけばいいわ。あなたには、時間
があるもの」
 にっこりと言う千鶴の表情は優しくて。
「それと、何か困った事があったら相談にのるわ。気軽に声をかけてちょうだい」
「……ありがとうございます」
「やっぱり、女同士でないと話せないこともあるでしょう?」
 うふふ、と笑う千鶴に、昂河は苦笑した。
「……あ、えーと僕、そろそろ部活に行かないと……」
「あら、ごめんなさい。また話し込んじゃったわね。じゃあ、また今度お話しま
しょうね」
「では、失礼します」
「いってらっしゃい」
 一礼した昂河に、千鶴はにっこり笑って小さく手を振った。その仕草に思わず
微笑する。
 校長室を出た昂河は、一瞬上を向いて、それから大きなため息をついた。
「……ありがたいといえばありがたいんだけど」
 男であることと女であること。それを両立させるようなことを千鶴は言ってい
たが、そんなことができるものなのだろうか。
 いや、それ以前に、それは選んではいけないものではなかったか。
「…………」
 昂河はかぶりを振った。
 そう、考えてはいけない。つい、ないはずのものをあるように思ってしまった
が、それは選べないのだから。ならば、最初からないのと同義なのだ。
 けれど。
「……縛っているものをはずせる場所、か……」
 分かっている。たぶん、ここはそういう場所になりうるのだと。
 色々な人が助けてくれると、瑠璃子は以前昂河に言った。だから、この学園に
来てごらん、と。
 その誘いにのった自分は、結局何を望んでいるのか。その結論はまだ出てはい
ない。
 昂河は昂河だと瑠璃子は言った。どんな状態でも自分は自分。
 ……男でも、女でも……?
「…………」
 なんにせよ、千鶴は自分の味方になってくれるだろう。そう思うと、心強かっ
た。
 昂河はまた軽く溜息をついて、それから大きく伸びをした。
 廊下の窓から入ってくる光が、そんな昂河の足元を明るく照らしていた。