悠朔君には家族もいない 事件当日 投稿者:希亜

数日後、朝、寮食堂。
 朔は私用で自宅に帰ろうかと思い、交通費を浮かせるために希亜を探していた。
 先ほど部屋の方を訪ねたが、誰もいなかったので、そのまま朝食をとるべく食堂へ
と降りてきていた。
 ふと視界に希亜と同室の人物、軍畑 鋼の姿を見つけると、彼の居場所くらいは聞
けるのではないかと思い、テーブルで朝食をとっている彼の側へと歩き、声を掛ける。
「悪いが希亜を知らないか?」
「モグモゴ……弥雨那ちゃんスか?」
「ああ、部屋同じだろ?」
「そうっスけど、弥雨那ちゃんなら昨日から自宅の方に戻っているっスよ」
「そうか、実家まで乗せていってもらおうと思ったのだが。邪魔したな」
「いえいえ、お構いなくッス」
 交通費となると、学生にとってはある程度まとまった金額が必要になる。だから希
亜のような交通費不要で、どこにでも短時間で行ける人物はかなり便利なのだ。
 使えない奴だ、と内心で舌打ちするがいない者は仕方がない。
 だが朔は貧乏学生という訳ではない。実家の神社の修繕等に資産の大半を投じたた
め、学生としてはお金持ちという程度にその量が減っただけである。
 そんな訳で交通費程度には苦労しない朔は、朝食を手早く済ませて早々に出発する
ことにした。

 それから数時間後、朔は路線バスの中にいた。
 最寄り駅から揺られること10分ほど、既に辺りの景色は田畑と山の緑の中、ぽつ
ぽつと民家が顔を見せるような田舎道へと変貌していた、時折集落にあるバス停に止
まったり通過したりしている。
 しばらく山間の道が続く中、朔はうとうとと眠気に身を任せる、どちらにしてもま
だ降りる予定の停留所までは余裕がある。
 時折すれ違うトラックの低いディーゼル音、山間のトンネルを抜ける音が、夢と現
を行き来する脳裏に届く。
 いくつかのトンネルを抜けて、何度目かのディーゼルの音に目を開ける。視界に入っ
てくる辺りの景色に、目的の停留所が次である事を知り、降車ベルのスイッチを押し
た。

 バスを降りて歩くこと数分。
 草と土、そして田植えが行われている水田の香りに包まれながら、くねくねと続く
あぜ道を歩いていた。
 一面に水田の広がる景色に、懐かしいという感傷はなかった。
 それもそのはずで、唯一の肉親がいたと聞き、初めて会ってからまだ一年目が経と
うとしているに過ぎない。
 ただ、いつの日か懐かしくなることがあるんだろうかと、ぼんやりと脳裏に描いて
みていた。
 距離としてはそう遠いわけではないのだが、あぜ道をジグザグに通り抜け、ようや
く神社のある山の麓の道路へとたどり着いた。
 やや広く設けられたこの道の先、ここから見える緩いカーブを越えれば、神社の鳥
居と駐車場が見えてくる。
 そう思うと自然足取りも軽くなる、そのまま朔は軽い足取りでその緩いカーブを進
んで行く。
「道を間違ったか?」
 思わず呟いた言葉だが、視界に崩れた鳥居の跡らしき物が入った直後、彼は駆け出
していた。
「確かこの辺りには、鳥…」
 鳥居が、そう言おうとして言葉が途切れた。
 目の前にあるコンクリートの基礎、それが残されていた鳥居の基礎部分だと分かっ
たからだ。
 基礎と基礎の間隔、辺りに散らばっている石の破片、それが記憶の中の九鬼神社の
鳥居の物と一致した。
 何故こんな事にと思考を巡らせるが、最悪の結論が頭をもたげ、やがそれが全てに
とって変わった瞬間、虚空に放り出されたような、深い孤独と呼べる感覚が全身を駆
け抜け、朔を支配した。
 反射的に記憶を思い起こす。少なくとも昨日夜、姉のはじめに今日お昼には着くか
らと、連絡を取ったはずだった。
 だが目の前の鳥居の跡を見ると、少なくとも十年は放置されている様に見える。
 駐車場のはずの場所には柵が設けられ、柵の向こうには草や灌木が好き勝手に覆い
茂り、所々錆びて塗装のはげた看板に朝霧林業所有地と書かれていた。
「馬鹿な!!」
 瞬時に沸騰した不安によって投げ捨てられた言葉を後に、柵を飛び越え、苔生し所
々崩れて朽ちた階段だったであろう坂を、一気に駆け上がる。
 既に脈拍は上がりきり、口の中に広がるアドレナリンの味に高揚感を感じる事さえ
出来ず、ただがむしゃらに駆け登ったその先には、ただ鬱蒼と草木の生い茂る森があっ
た。
 立ちつくした。
 視界の全てを覆い尽くす鬱蒼とした森、その光景に悠朔の言葉はなかった。
 頭の中に境内から見える社務所兼住居と拝殿の姿が浮かんだ直後、亡者のごとくそ
の森の中を覆い茂る葛の蔓をかき分け進み出した。
 強引にかき分けた葛の樹液が手をぬめらせ、倒木に足を取られながら、社務所兼住
居のあるはずの場所へと進む。
 やがて、木々の間からその建物だった物が見えてきた。
 それは朽ち果て大木が倒れ込んだ、倒壊した社務所兼住宅の変わり果てた姿だった。
 すがるように拝殿の在る方へと目を向けると、そこには一面びっしりと葛に覆われ、
崩れた屋根に押しつぶされた拝殿だったろう固まりが在るだけだった。
 まるで、今まで朔が知る九鬼神社が夢であったかのように、それらは彼に対してた
だ沈黙を守っていた。聞こえるのはただ鳥のさえずりと、風に木の葉が揺られる音。
 朔の中で何か、根本にしていた物が一つ、音もなく崩れるのを感じていた。
「は、はははっ……」
 気がつけば朔は力無く笑っていた。
 そこにあった光景に、朔はただ糸の切れた操り人形のように笑っていた。笑うしか
なかった。