見たことのない装束の人々の中に、一人静にたたずんでいるのが分かった。 何かの術式が始まる、強力な魔力が術式に集まる。 次の瞬間、光、音、匂い、とにかくいろんな物がはじけるように消えた。 光でも闇でもない空間。 希亜が知っている宇宙という空間よりは、色々な物があ りもっと混沌とした空間。 そんな空間を感じたのもつかの間、突然空に放り投げられた。 希亜のよく知るこ の世界の空に。 何処までも続く森の中に降り立つ。 鬱蒼と広がる針葉樹林の森は、拒むでもなく受け入れるでもなく、ただそこに沈黙 していた。 「ん〜」 夢の中の内容を、整理しながら希亜はベッドの上で目を覚ました。 重力に少しばかり身をゆだね、ベッドに身を沈める。 「欧州の北の方の森だったなぁ」 胸の上で何かが動いた。 と言うよりは、ようやく胸の上に乗っている物に気付い た。 「クラム、こんなところで寝て」 手を伸ばそうとしたが、ギプスで覆われている左手に気付き、代わりに右手を伸ば す。 ふわふわの体毛で覆われた子猫にそっと手を置き、優しくなでる。 「夢、か」 久しぶりに夢を見たなと、ぼんやりと天井を見上げながら、今見た夢の事を分析し 始めるのだった。 商店街、Hony Bee前。 歩いて朝の商店街を進む希亜の視界に、店先を掃除しているリアンの姿が入って来 た。 水色の足下まである髪の途中からゆったりと三つ編みにした髪が、掃いている 箒と共に揺れる そのまま、ちょうど彼女の後ろから声をかける。 「おはようございまーす」 「おはようございます希亜君。 昨日結花さんから聞きましたけど、怪我をしたんで すよね、大丈夫ですか?」 「ええ。 それで、お時間ありましたら治癒関係について教えていただけたらと思う んですけど」 「それは良いですけど、ちょっとお店の中に入っていてもらえますか? すぐ済みま すから」 「はい」 店の中へ入って行く希亜の後ろ姿を見ながら、リアンは昨夜に聞いた結花の話を思 い出していた。 「やあお早う、ストレートティーで良いかな?」 まだ開店前の店内に入った希亜は、そんな泰久の声に出迎えられた。 「あ〜すいません開店前なのに」 「いや、新しい葉が手に入ったから試飲してもらおうと思ってね」 「そ〜言う事なら喜んで」 「分かった、今からいれるよ」 カウンター席に着いた希亜は、かけられたポットのガスの音を聞きながら、ぼんや りと時を過ごす。 後は、ポットのお湯が適温に達するのを待つだけとなった泰久が、ふとカウンター の上に無造作に置かれている、希亜の左手にギプスがされているのに気付いた。 「手、どうしたんだい?」 「ああ、これですか?」 なんでもないんですよと言わんばかりに答えた希亜の背後から声がかかる。 「希亜君が彼女をなだめようとした時の傷。 って聞いたけど」 「結花さん…」 「希亜君こっちへ」 「あ、はい」 リアンに呼ばれて、店の奥へ入っていった希亜に泰久は。 「なだめようとしてギプスって、いったい何があったんだ?」 そう一人困惑するのだった。 店の奥でリアンは希亜のギプスの着いた手を注意深く見て口を開いた。 「魔法を使った跡がありますよ希亜君」 「変ですねぇ、私は使った覚えも使われた覚えもないですし、なにより自分の魔力以 外には何も感じません」 戸惑いながらに返す希亜にリアンの言葉が続く。 「私たちと同じ、グエンディーナの力を感じます。 何となくですが、希亜君の魔力 に近いような気がします」 「…あ〜 心当たりが、あるようなないようなぁ」 言われてから、自分の魔力によく似てはいるが、もう少しグエンディーナの方の魔 力が強い、もう一つの魔力を感じる。 ふと希亜の脳裏に、ふわふわの毛並みの子猫クラムの姿が浮かぶ。 「あの子猫ですか?」 「多分、他には考えられないですから」 「まだそんなに強い魔力を使った訳ではないみたいですけど、はっきりと治癒の魔法 の効果が出てると思います」 「あの子はまだ安定していないはずなのに…」 「よほど想われているんですね、その猫に」 「え、ええ」 想われていると言われて、戸惑いながらに希亜は返事を返した。 希亜自身はまだ 普通の猫だった頃のクラムを殺してしまったことを後悔しており、素直に返事を返せ はしなかったのだ。 「あの子は、使い魔です。 この私の」 「だから、あの時感じたんですね、希亜君と同じ空の記憶を」 「そっちを感じましたか」 「それともう一つ、私たちの世界の記憶を感じました」 「そうですか。 …朝からずっと寝ていたので、少し心配だったんですけどそういう 事だったんですね」 「大切にしてあげてくださいね」 「ええ、責任はとるつもりですよぉ」 のほほんとそう返す希亜だが、その瞳は静かにリアンに向けられていた。 寮、管理棟、管理人室。 「いないんですか? 希亜君」 管理人室でそう言われて、綾芽は素っ頓狂な声を上げていた。 「そや 希亜やったら今日は出かけとるで」 「やっぱり連絡しとくんだった…」 来栖川姉妹と相談して、結局作ってもらったクッキーの入った紙袋を片手に、深く 落胆する綾芽。 そんな彼女を見かねて、由宇は声をかける。 「まぁ、そうがっかりしぃなや。 それより聞いたで、希亜と痴話喧嘩の末怪我させ たんやってな」 「う、うん」 「大丈夫や。 一応管理人やからな希亜から一部始終聞いとる。 そやからあんたが 希亜に対して責任感じるのは筋違いや」 「でも…」 「そうやなぁ。 あんた希亜の前では大人でいたいんやってな、希亜が言うとったで 『あの人は私のことを子供だと思っているんですよ』って」 「そんな事ないよ、よく分かったもん」 「何がや?」 「希亜君の怖さも、希亜君がわたしをどう思っているかも…」 「そんなん上辺だけや」 「そんな事ないよ、希亜君はわたしより大人だよ…」 「やっぱ、上辺だけやな。 希亜の面倒見たいんやったら、もう少し理解したり」 由宇の言葉に、綾芽は黙り込んでしまった。 実際問題由宇は希亜のことに関して、いつもはあまり見せることのない、青さの中 の強がりで意地っ張りな側面を知っていた。 それはまだ希亜がこの学園に来る前の 出来事だっただけに、その点では由宇は学園で最も希亜の事を知る人物でもあった。 綾芽に希亜の事をもっとよく見てもらいたいと思った由宇だが、その事は綾芽自身 が見つけるべきだと思い、口にはしなかったのだった。 「わたしの知らない希亜君?」 「そや希亜もまだまだ子供やからな、まぁ今時珍しい奴やし。 …そや、ゆーさく呼 ぶか?」 「あ、お願いします」 「ほなちょっと待ててなー」 そう言って管理人室から出た由宇は、男子寮に向かいながら「若いってええなぁ」 と呟くのだった。 薄く積もった雪が、寒さの中融けることなく全てを覆っていた。 二人は、その中をしばらくの間無言で歩いていた。 「本当はね、パパ」 「ん?」 「あの時、希亜君に止めて欲しかったんだ」 「あんな止め方でか?」 「ううん。 あれは、怖かった」 「だろうな」 二人は寮の中庭に向かって歩いていた。 休みの日の午前中と言う事もあり、あまり人気はない。 「でも、あの時希亜君の言うとおりにしたのは、希亜君の事信じているからだと思う」 「そうか」 薄く積もった雪を踏みしめる足音だけが、今の二人を包んでいる。 「パパは希亜君の事どう思った?」 「…言葉は悪いが、お前が希亜を殺しても、あいつはお前を恨みはしないのかもな」 「パパ!」 思わず声を上げる綾芽に朔は苦笑しつつ謝る。 「…でも、パパの言いたい事は分かるよ、たぶん」 「そうか」 「パパも結構希亜君のこと見ているんだね」 「あいつが勝手に近寄ってくるだけだ」 朔が立ち止まり、ベンチに積もっている雪を払いのけ、座り込んだ。 「そうだ」 綾芽は袖に入れていた紙袋を取り出し朔へと差し出す。 「クッキー焼いてもらったんだけど、パパ食べてくれる?」 「あいつには会っていかないのか?」 「うん、会ったらまた魔法をかけられるから」 一瞬何か反論めいた言葉を返そうとしたが、それが思考から霧散するのを感じつつ、 朔は紙袋を受け取った。 「それとね」 「まだ何かあるのか?」 「希亜君には今日来た事は秘密にして欲しいの」 「そうか」 「今日はありがとう。 やっぱりわたしのパパだね」 「そうか、役に立てたのなら光栄だ」 「じゃーねーパパ、また学校で」 離れて行く綾芽に、朔はベンチに座ったまま手を振る。 幾つかの疑問が頭の中で浮かんでは消えていた。 行ってしまった綾芽から受け取った紙袋に意識が移ると、彼は何事もなかったかの ようにそれをコートのポケットに入れ、このベンチを後にするのだった。 夕刻、寮、食堂。 「ま、怪我をしたのが左手なのが痛いなぁ」 そんな事を言いつつ右手でぎこちなく箸を持ち悪戦苦闘しながら食事を続ける希亜。 そんな希亜を、二つの視線がじっと見ていた。 「あれ? なんか不器用だね」 「彼は左利きですよ」 「そーっだったけ電芹?」 「はい」 「そっかー」 「「あ」」 二人の視線の先、希亜のギプスのついた左腕が醤油差しを倒した。 視線の先の希亜は、失敗とばかりに「むー」と唸ると、倒れていた醤油差しを起こ し、布巾をもらう為に席を立った。 「ギプスのついた左腕の可動範囲に注意するべきでしたねぇ。 結花さ〜ん布巾くだ さ〜い!」 寮の食堂のおさんどんである結花から布巾をもらうと、希亜は慌てる事もなく席へ 戻りこぼれた醤油を拭き取り始める。 「やっぱりちょっと不便そうだよ」 「そうですね」 そう言って電芹は立ち上がった。 「電芹?」 「色々、聞いておきたいことがありますから」 たけるにそう答えた電芹は、そのまま希亜の席の方へと歩いてゆく。 「あー待ってよぉー」 結局のところ、電芹に介護してもらいつつも、今日も希亜は根ほり葉ほり聞かれる のだが。 今日に限って言えば、希亜と綾芽の事よりは希亜自身のメイドロボに対す る考え方を聞き出す方が多かった。 「見えるからと言って、存在しているとは限りませんし。 感じないからと言ってそ こに無いとは言い切れないですからね」 そんな事を言う希亜だが、結局のところ電芹について言えば、数日前に彼女に伝え たとおりにこう言った。 「前にも言いましたけど。 私のあなたに対して抱いてるイメージは、ただの女子寮 生ですから」 屈託無くそう言う希亜に、電芹以上にたけるが安堵したのが希亜には印象的だった。 食事を終えても、しばらくの間二人と一体は話しに花を咲かせているのだった。 夜、寮屋上。 最近何となく屋上に上がる事が多くなったなと、自覚しつつ朔は屋上へと出た。 少し風が吹いている物の、冷たいくらいに明るい月が屋上を照らし出していた。 辺りを見渡しながらここから見る事の出来ない屋上の端、貯水槽の裏のベンチへと 進んで行く。 そうして足を進めるが、目的のベンチに誰もいない事が分かると、 「誰もいないのか」 無意識に出た言葉だが、少しして自分が酷く落胆している事に気がついていた。 「帰るか…」 ごまかすように呟いてその場を離れる。 なんだか空しい。 扉を開き階段を降りる。 「あら〜、おかえりですかぁ」 間延びした声が下から上がってくる。 ふと安堵している事に気がついた。 「今日は、濁りにしてみました」 楽しそうに言いながら、ふよふよと上ってくる希亜の手には、二つの御猪口が握ら れている。 「孤独、じゃないのか?」 「いつも同じ物では飽きてしまいますからねぇ」 そんな返事に少し落胆しつつも、朔は希亜と共に階段を上るのだった。 日曜日お昼過ぎ、五月雨堂。 「ちわぁ、摂津屋で〜す」 言いながら帽子を脱いで店内に入る希亜。 聞き覚えのある声に、五月雨堂店主の健太郎は店の入り口へと視線を走らせた。 そこには濃紺のコートを羽織ったよく見知った少年が、右肩に青御影の毛並みを持つ 子猫をへばりつかせてたたずんでいた。 「いらっしゃい、でも摂津屋って?」 「江戸時代ですけど、江戸に出店する店はそれぞれの出身地の名を付けたんが多かっ たんですよぉ」 「希亜君の出身って… 兵庫の湊じゃないの?」 「平安時代じゃ違いすぎますよぉ、でも六甲屋だとかっこ付かないですから」 「そうかな?」 「ええ。 それはそれとしてスフィーさんいらっしゃいます?」 「奥でご飯食べてるよ」 「…こんな時間に?」 「ちょっと炊飯器の調子がおかしくなってね、それで…」 「いいですか?」 「ああ、どうぞ」 ぺこりと頭を下げて、希亜は店の奥へと入ってゆく。 その後ろ姿を追っていた健太郎は、バスケットがまだ見つかって無い事を伝えるの を忘れたなと、店の奥に消えた背中に思うのだった。 「お邪魔しまぁす」 「んー! んん!? んぐっ、んんんんーーー」 「はて、なんでしょう?」 キッチンの方から聞こえる、うなり声に引き寄せられるように希亜は足を進める。 「あ゛…」 「んんんんんんーーーー…」 「何をしているんですかぁ?」 喉を詰まらせて苦しんでいるスフィーに、呆れながらにそう言った希亜だが、スフィー の青くなっていく顔に驚き慌てて駆け寄り背中をばしばしと容赦なくたたく。 程なく飲み込んだスフィーは涙目ながらに顔を上げ、 「あ、ありがと」 そう言って再び昼食を食べ始める。 「何を慌てたんですか?」 「…希亜が急に来たから、希亜が悪いんだからね」 「そうですか、私はてっきりクラムに驚いたかと」 そう言いつつ希亜は肩に寝そべるようにしてへばりついている青御影の毛並みの子 猫を見下ろす。 「その子は猫の格好をしているけど、猫じゃないから」 「分かりますか」 「リアンと話し合ったりはしたけどね、大事にするんだよぉ」 「はい」 「じゃあ、少し待っててね」 そう言ってスフィーは、昼食の続きを取るのだった。 「また夢を見るの?」 「はい」 昼食を終えたスフィーに希亜は最近の一連の夢と、それに対する自分の見解を話し ていた。 「一緒に飛んでいたのは、こんな服です」 と、希亜はラフスケッチをしたためてスフィーに見せた。 「グエンディーナの装束にありそうだけど、私たちとは違うからチョット分からない よ」 「仮にグエンディーナだとすると…」 「曾祖母の記憶かと考えるのが妥当かなぁ」 「だよね」 「伝えたかったのは、記憶なのかな」 そう言いつつ希亜は膝の上のクラムの頭をなでる。 「まだ安定していないんだよね?」 「どうでしょう、元が魔女な人ですから案外しっかりと安定していない振りをしてい るのかもしれませんよ」 二人の視線の先のクラムは、希亜になでられ気持ちよさそうにあくびをして、丸く なって瞳を閉じた。 「まだ安定しきっていない状態で魔法を使ったんですから、しばらくは普通の子猫で すね」 「そうだね、その子ならあたしも平気だし」 「猫苦手なんですか?」 「うん… ちょっとあってね」 月曜日朝、校門前。 降りしきる雪の中、校門前に二人の人物が立っていた。 一人は乳白色のハーフコートの上から、濃紺の背中が大きく割れたマントを羽織り、 雪の積もった濃紺の鍔の広い魔法使いがかぶるような帽子をかぶった小柄な背の低い 人物。 一人は傘を差して白いコートでたたずんでいる、やや背が高い人物。 どちらもただ一台の車を待っていた。 そこから離れること数メートル、電柱の影に二つの雪だるま… もとい、二人の人 物が体に雪を積もらせながらたたずんでいた。 無論この二人、川越たけると電芹の二人の仲良しコンビである。 「そろそろでしょうか」 「だと思うよ」 不意に辺りの様子をうかがった電芹は、たけるの体に積もってゆく雪に気付き、そっ と雪を払いのける。 今まで気付かなかったことに、人間なら苦笑という思考的処理 をしながら。 「あ、ありがとう」 「いえ、風邪を引いては大変ですから」 そう返事を返しながら、電芹はたけると自分の上に傘を差した。 雪が深々と降り積もるが、その音は校門へと入ってゆく生徒の足音にかき消され。 冷たく冷えた朝の空気も、その生徒達によって幾分か暖めらたようにうかがえた。 「寒いですね」 「ああ」 とは言え、じっと立っていたら寒いのは当たり前である。 「電芹、バッテリー大丈夫?」 「はい大丈夫ですよたけるさん」 芯から冷える電柱の影の二人にも、寒さは平等に訪れる。 先ほどから落ち着かないのか、綾芽は窓の外と車内とを交互に見ているように見え た。 綾香を挟んで反対側に座る芹香はその様子に気付いてはいたが、希亜と綾芽の問題 なので、自主的には関与しないようにしていた。 「そろそろ着くわね」 綾香の言葉に綾芽は視線を何度も往復した車外へと向ける。 見える景色は既に学 校の一角をとらえており、校門が近づいてることが見て取れた。 「お早う希亜君」 「お早うございます、綾芽さん」 ややぎこちなく交わされた挨拶。 綾芽はそのまま軽く深呼吸をして、口を開いた。 「わたしは、許さないからね。 希亜君が怪我したのは、希亜君が悪いんだから!」 「綾芽?」 思わず呼びかける綾香の目の前で、希亜は何一つ表情を変えることなく綾芽の言葉 の続きを待っていた。 「何でもっとわたしに話してくれないの? わたしじゃ相談相手にもなれないの? 希亜君いつも一人で悩んでいるじゃない、それがわたしの事でもあなたの事でも」 綾芽は希亜の瞳から視線を逸らすことなく語りかけ、一呼吸おいた。 「クラムちゃんのことだってそうなんでしょ? 全部一人で抱え込んで、そんなんじゃ いつか壊れちゃうよ?」 「心配してくれるんですね」 「当たり前じゃない」 迷いのない綾芽の返事に希亜は正直にうれしかった、だからか。 「こらぁっ! こんな時ににやけない!」 「そ、そんなの無理ですよぉ。 うれしいんですから」 「だ、だからって!」 「私はあなたに対して代償や対価を求めていた訳ではないんですけど、心の底では分 かって欲しいと思ってたんですね。 今私は幸せです」 「もう、一人でひたってないでよぉ」 「もう少しひたらせてくださいよ〜」 「恥ずかしいからだめー」 「そんなぁ〜」 「痴話喧嘩ね」 「いや、夫婦漫才だろ」 コクコク。 確認しあう綾香と朔、傍らでは芹香が目の前で痴話喧嘩を繰り広げる二人を楽しそ うに見つめていた。 「いいなぁ」 「丸く収まったみたいですね」 相変わらず電柱の陰に隠れるようにして覗いている二人は、視線の先の綾芽と希亜 のじゃれ合いにそんな感想を述べた。 「んー、私も彼氏作ろうかなー」 呟いたたけるの言葉に電芹は動揺するのだが、それはまた別のお話である。 放課後、学園上空 fifty miles over. 「日本が見下ろせるなんて…」 そう感想を述べた綾芽だが、景色を楽しんでいるようには見えなかった。 「こんなところに連れてきて、どうするの?」 綾芽の言葉が優しく希亜に届く。 「聞いて欲しいことが在るんです」 希亜が、Rising Arrowが展開しているフィールドの外側は、宇宙と呼ぶべき熱く冷 たい死の世界。 遙か眼下の地表を薄く覆う雲、見上げれば何処までも続く闇の中に浮かぶ光、光、 光。 太陽は闇の中に浮かぶ天窓のように明るく、この闇へと光を放っていた。 そんな前人未踏の絶景とも言える景観なのに、綾芽も希亜もこの景色が目に入って はいなかった。 「初めてかな、希亜君が言い出すのって」 「…そうですね」 「話して良いよ、ここならわたしたち以外誰にも聞こえないのでしょ」 「ええ。 …この正月元旦が過ぎた頃、私の曾祖母が亡くなりました。 それから始 まったんです」 「うん」 希亜は綾芽の相づちに引き出されるかのように、今までの経緯を話し始めた。 曾祖母の死。 遺言によって曾祖母の家を相続し同時に次代へと受け渡すこと。 既に行われた引っ 越しは希亜の住所変更届が受理され必要事項は全て終わっていた。 そして曾祖母の残留思念と、まだ幼い飼い猫と、希亜の作り出した結晶その他を用 いて、使い魔を作ること。 とてもなついていた子猫を殺めてしまった後悔が、いつまでも離れない事。 そして、綾芽の心がまだ幼いところが多いこと。 希亜は余すことなく話していた。 普通なら本人に隠すべき事でさえも… 「希亜は考えすぎだよ」 「そうですか?」 「わたしの事みんな知ってるじゃない」 「私が知っているあなたの事は、ほんの一握りですよ」 「そうかな」 「ええ、私の知らない私、あなたの知らない私があるのと同じように、私の知らない あなた、あなたの知らないあなたもまた、存在するんです。 まぁ、知らない物が多 い方が、いろいろと知ってゆく楽しさというのは大きいですけどね」 「言いたい事は分かるけどー。 …何か上手くごまかされているような」 「ごまかすほど色々分かっている訳ではないですけど、ごまかしているのかもしれま せんね」 「どうして?」 「綾芽さんは私があなたの事を色々知っていると思っているみたいですけど、私はもっ とあなたの事が知りたいんですよ?」 「…えっと。 満足、してないの?」 「永遠に満足なんてしませんよ、それに今だって私の知らないあなたを見ているので すから」 「希亜って、ストーカー?」 「綾芽さん、それは酷すぎますよぉ」 「冗談、希亜君の表情が話し始める前より柔らかくなっていたから、ついね」 「…そうですねぇ、気は少し楽になりました」 「よかった、わたしでも役に立てるんだ」 「はい、もう数え切れないくらいに」 「え?」 「授業中とか、お昼休みとか… 色々と」 「ずるいよ、わたしはここのところずっと悩んでたんだからね」 「その悩みは、解決しましたか?」 「うん。 でも今はまた新しい悩み事があるよ」 「それは?」 「どうやったら、希亜君にもっと愚痴をこぼしてもらえるか、とかぁ。 もっとわた しの事頼って欲しいなぁ、とかぁ」 「う、う〜む」 「そんなところかなー」 「難しいですね〜」 「でも、希亜が意地っ張りなところ、少し分かった気がする」 「意地っ張りですか…」 「うん、自分より寂しいものを知っているぐらいに寂しがり屋で、誰かのために意地っ 張りなところが、希亜にはあるよ」 「私が寂しがりやというのは、正直意外ですけど。 まぁそう言う側面もあるかもし れませんね」 「知ってる? 希亜君魔女っぽいとき意外は、ころころ表情に出てるんだよ」 「え?」 多分今は驚きと幸せがごっちゃになった顔をしているんだろうと思いつつ、希亜は ゆっくりと綾芽の方へ振り向く。 「ね?」 「こうやって、ゆっくりとあなたに近づいて行くんですね」 赤くなっていた顔を真っ赤にしながら、希亜は真っ直ぐにそう言った。 「…希亜、ずるい…」 顔が火照るのを感じつつ綾芽はただそれだけを返していた。 数日後。 「なぁ、今日は玄米茶なんだな」 「ちょっとネタ切れでして」 ようやく冬の寒さが一段落したこの時期、風がない事を良い事に久しぶりに屋上で 昼食を取る事になった。 既に昼食を終え、お茶を飲んでくつろいでいる所だった。 希亜の膝の上では、今日も子猫のクラムが丸まってお昼寝を堪能している。 「そろそろ神戸でも早いところは梅が咲く頃ですねぇ。 梅木瓜桜、春がまたやって きますね〜」 「何?ぼけって」 「桜や梅によく似た花の事ですよ、詳しくは知らないんですけどね」 いつ頃咲くのか、そんな事を考えている綾芽が桜のその時期に気付き口を開く。 「でも桜が咲く頃には芹香さん卒業しちゃってる…」 希亜は軽く頷き、 「そですよ。 移ろい行くのは少なくとも間違った事じゃないです、私だってそのう ち卒業しますし、年老いて行きます」 さも当然のごとくそう言いきり、そのまま綾芽の言葉を待つ希亜。 「それは、そうだけど」 「多分、綾芽さんの言いたい事は分かるつもりです、だから今のこの日常を大切にし たいんです」 希亜の言わんとした事が綾芽の思っていた事にかなり近かった事に、綾芽は希亜が 魔法を使ったと思い訪ねる。 「使ったでしょ?」 「…魔法ですよね?」 「うん。 だいたい合ってたから…」 「残念ですけど、使ってませんよぉ」 実際の所、希亜はこの魔法、本人曰く「精霊達と語る為の魔法」を、普通にコミュ ニケーションをとれる相手に対して、何も言わずに使った事はなかったし、希亜自身 は必要なければ極力使わない方針でいた。 だから綾芽に対してその魔法を使ったのは、初めて会った日に使ったあの一回きり だった。 同時に希亜は知りすぎた情報に対していくつかの疑問を持っていたが、そ れは今に至るまで一人胸の中にしまってあった。 一つだけ彼に誤算があったとすれば、彼女に惚れてしまった事だろうか… 「…え?」 さらりと告げられた希亜の否定の言葉に、綾芽は一瞬言葉を失った。 そして希亜 はその間にただ一言だけ言葉を続けた。 「よく見てますから」 と。 「ううー、わたしの方がお姉さんじゃないといけないのにー」 「まぁともかく」 「何よぉ」 ふくれっ面で言い返す綾芽に、希亜は真っ直ぐに言い返す。 「ふつつか者ですが、よろしくお願いしますね」 「あ−−−−。 はい、こちらこそ。 …って希亜君!」 「はい」 「…あんまりお姉さんに心配かけないでね」 「ん〜、難しいですねぇ」 「そんなぁ」 目の前で続けられる希亜と綾芽のやりとりを肴に、朔はゆっくりとお茶をすする。 「あれはあれでいいの? 姉さん」 綾香の問いかけに、芹香はただ慈しむような目で綾香に答える。 「ふう」 やや大げさにお茶を飲み干した朔は、一度希亜と楽しく話している綾芽の方へ視線 を向け、それからぼんやりと空へ視線を向けた。 「今日は良い天気だな」 「そうね」 疲れながらに言った言葉に綾香が苦笑しながら応える。 それはまだ寒い冬の昼の出来事でした。 登場人物(登場順) 軍畑 鋼 猪名川 由宇 クラム(希亜の使い魔) 来栖川 芹香 悠 綾芽 宮田健太郎 スフィー リアン 川越 たける 電芹(セリオ@電柱) 牧村 南 平坂 蛮次 悠 朔 ハイドラント 石原麗子 相田響子 江藤 結花 江藤 泰久 おあとに… 「ゆっくりと春が来ますねー」 そうか、もう春なのか… 「まだ一月なんですけどね。 …そう言えば、私は未来は見えたりするの?」 無理だよ、君が見ることが出来るのは空の記憶だから。 「ふーん」 それと このまま進めたら来年度の話しに入りそうなんだけど。 「いいの?」 さあ。 「…(おいおい)」 そうそう。 「なに?」 綾芽を庇護下におくの頑張ってね。 「あう、まだしばらくかかりそう…」 今回は色々と最終段取りで、失敗したな。 「そう言えば…」 何? 「体調が悪い時は、ちゃんとおとなしくしないと、色々と支障来すよ」 …んー、了解ー (本当に分かっているのかな)