早朝、ようやく東の空が白む頃。 「っああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!…」 寮全体を揺るがすような音量ではなかったが、ルームメイトの軍畑を起こすには十二分 な音だった、その声を発した本人さえも飛び起きるほどに… 「…夢?」 思わず額の汗を拭う、全身にじっとりと汗を、脂汗をかいている。 「弥雨那ちゃん、どうかしたんスかぁ?」 ルームメイトの軍畑が、眠そうな声を掛けてくる。 「いえ、ちょっと夢に驚いただけです」 「そうっスか」 軍畑はそれだけ言うと、再び眠りの中へと落ちていった。 (なんだ? 怯えていたの? …ううっ、けだるいし気持ち悪い… お風呂に入ろうかな) 「なんであんな夢を見たんだろう」 誰もいない大浴場の隅で、独り湯船につかりながら、さっき見た夢を思い出す。 朝から入れる大浴場は、 「ずっと沸かしっぱなしの方が、経費が安くつくんや」 とか何とか、由宇さんが言っていた。 そんな思考を塗りつぶすように、希亜は夢の内容について考え始める。 (深夜にとても高い場所を飛んでいたよね初めは。 でしばらくすると何か光る物が二つ 私の周りを、離れたり近づいたりしながら回っていた。 そしたらいきなり、私の中に入ってきて…) 「その後は、覚えてないなぁ。 もっと続きがあったはずなんだけど…」 目を閉じ、頭の中にぼんやりと浮かんでくる夢を、ゆっくりと思い浮かべる。 「とりあえずは師に相談してみるか〜 この際データは多い方がいいよねぇ〜」 「ところで弥雨那ちゃん、今朝の大声どうしたんスか?」 寮を出て学校までの道のり、隣を歩いている軍畑が話しかける。 「夢を見たんです、内容がとてもリアルな夢を、それに驚いて…」 「そうっスか…」 「希亜もだらしないのう」 「そない言うたかて…、蛮ちょさんだってこの世からツルペタが一人もいなくなったらっ て思うと怖いでしょ?」 「ち、ちゅるぺたは永遠に不滅じゃい」 希亜の言葉に一瞬どもった蛮次だが、そう言いきる。 「ま、そうなんですけどねぇ」 「今日は、半ドンッスから午後から稼ぐッスよぉ!」 程なく校門が見えてくる、三人は他愛もない会話を楽しみつつ校内に消えて行った。 お昼過ぎ。 授業中に一通り夢で見たことをまとめ、希亜は学校からまっすぐに五月雨堂に来ていた。 無論制服姿のままである。 店内に入るが、店長の健太郎の声は聞こえない。 視線を向ける、丁度同校の生徒に商 品の説明をしているようだ。 とりあえず邪魔にならない位置で、商品を見て行く希亜。 時間つぶしに商品を払拭し ようとした時だった。 「…! ああ希亜君か、あの二人なら結花の所だよ」 ようやく声を掛けられ、伸ばそうとしていた手を止め振り返り。 「分かりました、じゃあ行ってみます〜」 健太郎にぺこりと頭を下げ、彼は五月雨堂を後にした。 喫茶店Honeybee。 カランコロン そんな頭上の音を聞きながら、視線を店内に向ける。 向こうから、師の一人であるリアンがこちらを見つけ、小走りで駆け寄ってきた。 (いつもと違うな…) そんな事を思っていると、目の前まで来たリアンは開口一番。 「希亜君、姉さんを止めていただけませんか」 「はい?」 何事かと希亜は店内にスフィーの姿を探す。 「あ〜」 そんな声を上げながら、希亜の視線はすでに病的と言える、もう一人の師のホットケー キに対する食欲を再度確認するのだった。 もっとも希亜自身は、二人を師としてとらえ つつも、直接言葉に出して師と仰ぐことはしていない。 「でも、私が止めても… あんまり効果無いんじゃないですかぁ?」 「結花さんは『売り上げが上がる』からって止めませんし、私の言葉には耳を貸しません し…」 困り果てるリアンに。 「…やるだけは、やってみます」 希亜は静かにそう答えて、店の中に入って行き。 「前、良いですか? スフィーさん」 「いいわよ」 スフィーは目の前の人物を一瞥し、ハートマークでも付きそうな声でそう言うと、再び ホットケーキを食べ始める、幸せいっぱいの表情のままに。 (いいのかなぁ… こんなに楽しそうに食べているのに。 まぁ、やるだけやってみます か…) 希亜はこちらに注意を向けているであろうリアンに振り返り、さも当然のごとく注文す る。 「ホットケーキ、お願いします」 「希亜君?」 「ホットケーキ、お願いしますね、リアンさん」 「あ、はい…」 平然と注文を繰り返した希亜に、リアンは応じるしかなかった。 視線をスフィーの方に戻す、見ている者にすら幸せを感じてしまいそうな笑みを浮かべ、 彼女はホットケーキを一生懸命に食べている。 「今、何枚目ですか? ここのホットケーキ美味しいんですね〜」 希亜の言葉に目の前の人物、スフィーは食べる手を止めることもなく、 「当然よ! なんて言ったって結花のホットケーキだよ!」 「実は私、ここのホットケーキを食べるのは初めてなんですよぉ」 力説するスフィーと、もしかしたら目的を忘れているんじゃないだろうかとリアン思わ せる希亜。 ある意味、マイペースな二人である。 「希亜君に頼んだのは、やっぱり間違いだったでしょうか…」 少し離れて様子を見ているリアンは、二人の性格を思い出すと、思わず天を仰いでいた。 それから少しして、希亜の注文したホットケーキがやってきた。 「ホットケーキ、…ん? もしかしてお店で食べるのは初めてかな? ま、いただきます」 そんな事を言いつつ、ナイフで切り分ける、ナイフの使い方が少しぎこちないが、少な くとも下品な食べ方ではない。 そのままシロップをかけずに、一口分を口に運ぶ。 「ふむ」 そう言って、今度はシロップをかけて、再び一口分を口に運ぶ。 「…うん」 そのまま希亜は、フォークとナイフを八の字にして皿に掛け置き、しばらく考え込んで しまう。 「むーーーーん………」 結構真剣に悩んでいるようだ。 丁度目の前のホットケーキの山から、また一枚取るべく手を伸ばしたスフィーの視線に、 真剣に悩んでいる希亜の顔が入った。 「どうしたの?」 そんなスフィーの問いかけも、どうやら届かないほど集中しているようである。 「ちょっと希亜!」 「はい?」 いつもの希亜のちょっと抜けたような声が返ってきた。 「どうしたのよ!?」 「いえ… 何が合うかなぁと思ったものですから〜」 「何がって、何よ?」 「お茶です」 そう言って、高校生にしてはまだあどけない表情を残す希亜は、無邪気に笑みを浮かべ ている。 「お茶?」 「はい、とりあえず詳しくない人でも知っている、ストレート・レモン・ミルクとか。 産地別でもいろいろありますし、ブレンドされた物もなかなかに捨てがたいですね〜」 「それって紅茶よね?」 「ええ、とりあえずここで扱っている物やったら…」 言いながらお品書きを手に取り、じっと見る。 「(思うたより品揃え無いなぁ。 まぁ選びやすいのは確かやけどぉ〜、ほな)ストレー ト辺りですか、私は」 「どうして?」 「そうやねぇ、ホットケーキは結構甘いから、それを調整するために少なくとも甘くない 物を、そうすれば次にホットケーキを口に含むときには、またその甘さをしっかり堪能で きる思うんです」 いつもの日本茶の考えを、そのまま紅茶にあてはめる希亜。 彼が普段飲んでいるお茶 は、玄米茶・茎茶・番茶である、彼曰く「玉露は旨く入れるのに手間が掛かるよって、こ っちの方がお手軽でええんや」とのこと。 目の前のスフィーの感心したような様子に、気をよくした希亜は。 「そんな訳で」 彼は辺りを見渡し最も近くにいた、寮の食堂でもおさんどんをしている結花に。 「ストレートティーを二つお願いします〜!」 そう言った。 「二つ?」 「一つはスフィーさん、あなたの分です。 まぁ、だまされた思うて試してみて下さいな。 無論、この分の代金は私持ちますから」 「いいわよ」 ふと、スフィーの意識がこちらに向いているのに今更ながらに気付いた彼は、本題であ る今朝見た夢の話に入る。 目の前の男の子の、いつもの眠そうな目つきのぼーっとした視線が、鋭く研ぎ澄まされ るのを目の当たりにしたスフィーは、口元に残ったシロップをナプキンで丁寧に拭う。 「さて…、今日来ましたのは、今朝見た夢の話を聞いて欲しいからなんです」 「夢?」 「はい…」 希亜は、授業中にまとめた今朝の夢の事を、スフィーに話す。 紅茶が運ばれてくるまでは、二人とも何も口にせずにである。 もちろんこの夢の話、スフィーにとっては希亜自身が気にしなければ、まぁそれまでな のだが…。 希亜にとっては、夢のあまりのリアリティーに押し切られるように、話さなければなら ないと感じていたのだろう、それも最も信頼できる相手である師に。 深夜にとても高いところをかなりの速度で飛んでいる、そんなシーンから始まる希亜の 夢の話。 星のように光る二つの物体、どこからともなく現れたそれは、希亜の周囲をくるくると 回り始める。 不思議と夢の中の希亜は、その光る二つの物体に恐怖や違和感を感じなかった。 だが、ふとスピードを落としたその時。 その二つの光る物体は希亜の中に入り…。 「そこから先は、あまりよく思い出せないんです。 ただ…」 「ただ?」 「その後、さらに加速して飛んでいたような感じでした。 感じというのは、超音速で飛 んだ後のようなけだるさを感じたからです」 「…つくづく変よね希亜って、だってインスタントヴィジョンですらまともに使えないの に、音より早く飛べるのよ」 スフィーは以前、Rising Arrowに希亜と共に乗り、空を飛んだ事を思い出していた。 速度を上げれば上げるほどに、空を飛ぶだけのために特化したRising Arrowに、強制的 に複数の魔法の為の魔力を奪い取られても「けだるい」だけですましてしまう希亜。 少 なく見てもかなりの魔力の持ち主だろう。 そんな希亜だが、例えば初歩の初歩の魔法であるインスタントヴィジョンを使うのには、 普通よりもけた外れに大きい魔力を使いながらも安定しないのだ、一ヶ月かかってもそれ 以上にはならなかった。 また、時には失う魔力に耐えきれず気絶してしまうことすらあったぐらいだ、断って置 くがこれは初歩の初歩、算数なら2+1=3と言っているようなインスタントヴィジョン をである。 これは他の魔法についても同様で、魔力が効果として発動するのに必要な魔力が、普通 よりもけた外れに大きな量が必要になる、たとえて言うならば、火を付けるのにはマッチ 一本で十分なのに、原子力発電所に点火するエネルギーを使う、と言う具合である。 ま、 副作用として魔力その物の扱いは上手くはなったが…。 このことに関しては、希亜の体質として、妹のリアンですらさじを投げてしまっていた。 結局、現在の希亜は自分達を師と仰いでいる箒乗り、そうスフィーは考えている。 も っとも希亜自身は自分達の事を直接師と呼ぶことはないが…。 「そない言ぅたかて…」 目の前の希亜が、困惑の表情を浮かべたところで、リアンがこちらにやってくる。 「お待たせしました希亜君」 先ほど注文したストレートティーを、希亜とスフィーの前に置くリアン。 「どうも」 「姉さん、また食べ過ぎて気持ち悪くなっても知りませんよ」 「大丈夫ですよ、(多分ね)」 視線の先のスフィーは、とりあえずとばかりに紅茶を一口飲む。 「うっ…」 「どうしました?」 「苦い」 「そうですか?」 希亜も紅茶を一口に含み、飲み込む、砂糖を入れない普通の紅茶の味が口に広がる。 「いえ、これで良いんですよ。 さ、ホットケーキを食べてみて下さい」 「うん」 スフィーがホットケーキの山から一つ手元の皿に移し、切り分け、口に運ぶ。 もくも くこと動く口と共に、難しいことを考えていた真剣な顔はほころび、表情は笑みへと変わ る。 (笑顔はやっぱり、いいものやな) もっとも信頼できる相手の一人に、抱えていた悩みを話した開放感か、希亜はスフィー の幸せそうな表情に視線を向けていた。 (でも、何か忘れているような) そんな事を考えつつ、自分もホットケーキを口にする。 口の中に広がる甘いシロップ、それと絡み合うホットケーキ。 (まぁ、たまにはこういうのもいいかぁ) ホットケーキを食べる二人。 一人は静かに、一人は幸せそうな表情のままに。 もう一人は心配そうな面もちで二人を見つめながら。 数十分後… 「そんな、まだいつもの半分も食べてないのに…」 苦しそうなスフィーの声がHoneybeeに広がる。 「大丈夫ですか? でもまぁ、紅茶と一緒に食べればこんな物でしょう」 そう言って、二杯目の紅茶をすする希亜、今度はレモンティーを飲んでいる。 一応、スフィーの目の前に在った、ホットケーキの山はきれいに無くなっている。 そ の隣に空になったティーポットもあるが…。 その様子を確認して希亜は立ち上がり、寮の食堂でお世話になっている結花の方に歩い て行き、彼女の側まで来ると。 「何枚、残っていますか?」 「見える分全部」 二人の視線の先には大皿の上に、山と積まれたホットケーキがあった。 「では持ち帰りますのでいくらか勘定して下さい」 さらりと言った希亜に、結花の驚きの視線が向けられる。 彼女の視線の先の人物は、平然として続ける。 「私は一度寮に戻ってクーラーボックスを用意しますから、ホットケーキの方は適当にく るんで下さいね。 ほな」 そう言ってスっと横にスライドするように、希亜は結花の視線から外れる、次に彼女の 視線が彼をとらえたのは、後ろ姿に喫茶店を出て行くところだった。 カランコロン… 音だけが、希亜がここから出て行ったことを証明するかのように、店 内に広がる。 「行ってしまいましたね」 「無銭飲食」 リアンの呟きに結花はそう答えたが、リアンは一つの財布を結花に差し出しつつ。 「そうでもありませんよ」 「まずは、ホットケーキ一つに、ストレートティー二つ、レモンティー一つに、このホッ トケーキの山と。 リアン、とりあえず二つずつくるんで行って」 「はい」 棚から持ち帰り用の袋を取り出したリアンを横目に、結花はレジを打つ。 なんで持ち 帰り用の袋があるかなんて事は誰も気にとめなかった、だってそこにあったんだから。 「結構な額になるけど… 大丈夫かな」 そんな事を言いつつ、手は止めない結花であった。 やはり彼女も商売人である。 …ところで、スフィーは? 「おなかが、たぷんたぷんって言ってるよぉ〜」 そんな事を言いつつ、苦しそうにイスにもたれていたとさ。 数分後 カランカロン…。 「お待たせしましたぁ」 入り口のベルの音に続いて、希亜君の声が耳に届く。 入り口の方に向くと、そこには 制服の上に濃い青色のマントのような物を羽織り、釣りなどでよく使うタイプのクーラー ボックスと、いつものRising Arrowを肩に掛け、黒い羽根飾りの付いた唾の広い帽子をか ぶった眼鏡の男の子、希亜がいた。 (格好からして、空を飛んで来んですね) そんな事を思っているリアンの前を、結花は待っていたかのように希亜の前に行き、そ っと一枚の領収書と希亜の財布を差し出し。 「大丈夫?」 領収書を見て金額を確認した希亜は。 「大丈夫ですよ、…でも領収書と言うことは?」 「あ、お金はまだよ。 だって黙って財布開けたら悪いでしょ」 「分かりました、でわ〜」 受け取った財布を開き、中から代金を取り出し渡す。 「端数は無いんですね」 不思議そうな表情を見せそう言った希亜に、結花は。 「サービスよ」 そう、笑顔で答え。 「じゃ、これに入れたらいいのね」 「はい、お願いします」 クーラーボックスが持って行かれる。 あのクーラーボックスは即売会等で「冷たい物 が飲みたい」と言う欲求から用意した物で、釣りなどには使っていないせいか魚臭い臭い などは微塵もない。 結花もクーラーボックスを開ける際に一瞬顔をしかめたが、その事に気付いたのかリア ンと二人で手際よくラッピングされたホットケーキを詰めて行っている。 (夏休みのバイト代の残り無くなっちゃったなぁ、まぁいいか…) そんな事を考えつつ希亜は財布をポケットにしまい込み、別のポケットから市販の胃薬 を取り出す。 「希亜君」 「はい」 呼ばれて顔を上げると、リアンがこちらにクーラーボックスを持ってきていた。 希亜 はそれを受け取り、代わりに市販の胃薬を彼女に差し出し、小声で。 「これを…。一応紅茶でおなかが膨れているだけやから、大丈夫思うんやけど念のため。 っとそれから、早いところ健太郎さんを呼んで引き取ってもらって下さい、多分10分 もすれば食欲が復活しますよ」 「姉さぁーん」 ため息のように紡ぎ出されたリアンの声。 「では、私はこれで〜」 カロンカラン 希亜が出ていったことを音が告げる。 「うーーー、苦しい……」 「結局、希亜君は上手く行かなかったんですね」 毎度の事とはいえ、目の前の姉の惨状に、深くため息を付くリアンだった…。 「さて、冷めないうちに急がなきゃ」 Rising Arrowのカナード付きの舳先を学園の方に向け、高度を取る。 小さくなって行く町並み、そう遠くない場所に学園の校舎が見える。 (Azure Way〜) 心の中でそんな事を呟きつつ飛んで行く希亜、風を切る音だけが航跡を残していた。 キャスト(登場順) 軍畑 鋼 平坂 蛮次 リアン スフィー 江藤 結花