プロローグ ……やーい ……やーい ………は鬼の子だって母ちゃんが言ってたぞー ………は半分魔族だから上手く魔法が使えないんだって言ってたぞー 近寄るなー 近寄るなー うつるぞー 取って喰われるぞー ――えうっ……ひっく……僕は魔族なんかじゃないもん……僕は神族だもん―― 鬼の子がなんか言ってるぞー 耳を貸すなー呪いかけられるぞー 鬼の子やーい 鬼の子やーい ――こらっ、あんた達っ!!―― アユミだー! 凶暴女のアユミだー! 逃げろ逃げろ、焼き殺されるぞー! アユミは化け物鬼女ー! 鬼の子と鬼女でお似合いだよー! ――えぐっ……あ……アユミちゃん―― ――もう、また虐められたのね!!―― ――しょうがないよ……僕は神族の魔法使えないし―― ――そんなだから虐められるのよ!―― ――ううっ―― ――ふぅ、いいわ。ついてらっしゃい―― ――だ、駄目だよ聖樹に近付くなんて―― ――大丈夫よ、お祭りの日に神官様達がお祈りしてるじゃない―― ――でも―― ――ほら、ナイフ。これに刻めばきっと女神様のところまで届くハズよ―― ――分かったよ……ええっと―― ――……に勇気が付きますように、よね?―― ――ううん。勇気なんて要らないよ。僕の願い事は……―― ――アユミちゃんと結婚出来ますように―― 「何、今の」 少女は眼を開くと、天井を見つめた。 混乱する頭の中にじわじわと、自分が何処にいるかが染み込んでくる。 自分の家の自分の部屋。 まだ辺りは薄暗く、初春の冷え込みが壁を伝ってくる。 自分の名はアユミ・ローウェイ。人間換算年齢16歳。 そんな事も思い出す。 普段は忘れるはずもないのだが。 「何だったんだろう、今の夢は……」 アユミはぽつりと呟いた。 あの男の子は誰だったのだろう。あのいやにリアルなあの夢は? 夢の中で彼女は聖樹に願い事を彫ろうとしていたが、そんなとんでもないこと出来るわ けがない。 彼女は女神と聖樹ユグドラシルを護る大神殿直属の神官の中でもエリート中のエリート、 この世界に13人しか居ないヴァルキュリエの一員、特一級攻性魔導師なのだ。 聖樹は滅多に姿を現さない女神の象徴であり、世界の中心である。彼女はそれを守護す る役割を担っているのだ。 すぐさまベッドを降りて床に跪くと、彼女は聖樹のある方向を向いて呟いた。 「偉大なる我等が主よ、端女たる私の不遜な夢をお許し下さい」 これでいい。 アユミは軽く頷くと、すくっと立ち上がった。 この部屋とも今日でお別れだ。 明日からは違う空の下、違う世界で暮らさねばならない。 自分は選ばれたのだから。 三柱の女神のしろしめす地レザムヘイムを離れ、異界に逃れた妖魔を狩る使命を帯びし 偉大なる魔法神族。 旅立ちの朝はもうすぐそこまで来ていた。 Lメモ雨月学院時空 第一話『幼き罪』 ちゅんちゅん。 眩い光がカーテンの隙間から差し込んでくる。 温かな光が頬を撫で、刺すような輝きが瞳に痛い。 うららかな春の朝の陽気がベッドを包んでいる。 「むにゃ……ぬくぬくぅ〜〜〜」 アユミは枕を抱きしめて呟いた。 しばしの沈黙。 「今何時っ!?」 アユミは勢い良く飛び起きて、枕元の時計を見つめた。 勢い良く頬から血が引いて行く。 「ち……」 喉の奥から自然に迸るような絶叫。 「遅刻したぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」 ばたばたばた……と階段を駆け下りる足音。 天井よりこぼれる埃からコーヒーカップを守りつつ、母親は眉を軽くしかめた。 「相変わらず騒がしい娘ねぇ」 「きゃーーっ、お母さんっっ!!鞄かばんっ!!あたしの鞄どこーーっ!?」 「夕べなくなったらいけないからって玄関に置いたでしょ」 「あ、そうだった!!い、いってきまーす!!」 「パジャマで出かけるの?」 「服ふくーーっ!!あたしのお洋服どこーーーっ!?」 「あなたがベッドの脇に……」 彼女の旅立ちの朝は、結局そうやっていつも通りの風景と共に始まった。 神都エルドラード。 人の身には侵入できない聖域である『神界』の中心に、雄々しくそびえ立つ世界樹をと りまくように作られた世界の中央といえる神族の都市。 その中枢に作られたのが女神の意志を直接的に執行するための世界最高の権力機関。 『大神殿』である。 その後ろ側に天の果てまで伸びている巨大な樹がある。 これこそが大地よりマナを吸い上げ、女神に供給するシステム『ユグドラシル』。 少年は今、その樹の下に立っていた。 元は白かっただろうボロボロ黄ばんだローブを羽織り、目深に帽子を被っている。 顔は煤け、土埃にまみれていた。 長い長い旅をしてきたばかりの旅人のような格好だった。 いや、事実彼は旅を終えてきたばかりなのだ。 少年は懐かしそうな表情で世界樹を見上げていた。 「ようやくここに帰ってくることが出来たんだな……」 初春の強い風が彼の帽子を吹き上げる。 少年のまだ幼さを残した風貌が明らかになる。 その眼は優しく、万感に堪えないといった表情を隠そうともしない。 吹き飛ばされた帽子には全く頓着を見せず、少年は世界樹の表皮に触れた。 最早不要になった帽子などよりも、彼はこの聖樹に触れていたかったのだ。 「やっぱりあの文字はもうないか……」 少年は僅かに苦笑して樹の表面を撫ぜる。 しかしその声には、彼の表情が示すよりもより苦い響きが混ざっていた。 彼は不意に振り向いて、街を一望した。 丘になった樹の麓からは神都の街が眺望できる。 彼は自らを元気づけるようによし、と力強く呟いて顔を輝かせる。 「さあ、待っててくれよ……今迎えに行くからね、アユミちゃん!」 そう言って彼はその場から掻き消えた。 世界樹ユグドラシルの丘。 祭りの日以外は大神殿直々の厳重な警護体勢によって部外者は誰も近づけない、まさに 鉄壁の防御を誇る世界最高の禁忌の場所である。 「言ってきまーす!!」 アユミは後方に向かってそう叫びながら街角を駆け抜けて行く。 大神殿まで全力で走っていけばなんとかなるはずだ。 こういうとき『翼飛行』や『転移』の魔法が使えたら良かったのにな、と思う。 生憎彼女が得意なのは攻性魔法だけだ。他の魔法は殆ど使えない。 つくづく自分の偏り具合を実感しつつ、彼女は通りの角を曲がった。 と、突然何者かにぶつかって彼女はもんどりうつ。 どうやら相手も倒れているようだ。 悪いのは急に飛びだした自分なのだが、こういうときは先に相手を罵倒するに限る。 「ちょっと気を付けなさいよ!!」 「あ、ごめん!」 思わず謝ってしまった相手を後目に、アユミは素早く起きあがって走り出す。 起きざまに相手の顔がちらりと見えた。 意外と彼女のタイプに填った、整った顔立ちの少年だった。 こういう場合でなかったら運命の出会いかと思うところだが、生憎彼女は急いでいる。 「そんじゃね!!」 彼女はそう言い捨てて先を急いだ。 「そんじゃね!!」 そう言い残して去って行く彼女の後ろ姿をぼんやりと見つめながら、少年は自分の元か ら汚れたローブをはたいた。 「あいたたたた……考えたら僕が謝ることないじゃないか」 まあ謝ってしまった者は仕方ないが。 少年はちらりと見えた彼女の顔を思い返そうとして、その顔を見ていなかったことに気 付く。少々残念な気分になったが、軽く苦笑して頭を叩いた。 「おいおい、僕に必要なのはアユミちゃんだけだろ?」 そう呟いた瞬間、少女の怒声混じりの声色が頭の中に繰り返された。 『ちょっと気をつけなさいよ!!』 『こらっ、何やってるのよ!!』 ………………………………………………………………。 少年は不意に嫌な予感がして少女が駆け抜けていった方を見つめる。 「もしかして今の娘……?」 それから彼は全力で目指す少女の家へと駆け抜けていった。 ドアベルを鳴らすのもそこそこに、彼は玄関のドアを開ける。 「すいません、おばさん!!」 「あら、アユミったらやっぱり忘れ物したの?」 少年が小さかった頃と全く変わりない笑顔を浮かべて、彼女の母親は奧からゆっくりと 顔を覗かせた。相変わらずのほほんとした人だ。 しかしそこに居たのが娘でないことに気付き、僅かに驚いた表情を浮かべる。 「あらあらあら、どこかで見たような美少年ね?」 「お久しぶりですおばさん、僕ですよ、僕!!昔となりに住んでた!!」 少年が自分の顔を指さして言うと、母親はぽんと手を打って何度も頷いた。 「そうそう、あの子ね。まあ大きくなったわねぇ、私やアユミが喜びそうなタイプに。 ところであなたのお名前何て言っ……」 「で、アユミちゃんはどこへ行きました!?」 少年は挨拶もそこそこにいきなり本題に移った。 「ああ、あの子なら大神殿に行ったわよ」 母親は突然の質問なのに何の疑問もなく答えた。 やっぱり会話のテンポがどこかずれている。 「大神殿!?」 「ええ、マナの風穴を塞ぎに」 まるで八百屋に大根を買いに、といった口調で平然と答えている。 それとは対照的に、少年は驚愕の表情を浮かべていた。 それもそのはず、『マナの風穴』という言葉自体がトップシークレットなのである。 「一体何でアユミちゃんが……」 「だってあの子、今じゃ特一級攻性魔導師でヴァルキュリエの一員だもの」 「ヴァ、ヴァルキュリエ!?」 攻性魔導師もさることながら、神官の中の神官の名を挙げられて少年は呆気にとられた。 自分の予想とは全く違う方向に話が進んでしまっている。 母親は世間話をするような調子でくすくすと笑った。 「せっかちで短気で、私に似てるのはそそっかしいところだけなのに……あんな子でも、 なろうと思えばなれるのねぇ」 冗談ではない。 なろうと思って気軽になれるような役職ではない。 飛び抜けた才能と血の滲むような努力あってこそ初めてなれるものだ。 少年が面食らっていると、彼女はさらに追い打ちの一言をかけた。 「そうそう、あの子ったら今日から上位世界に行って風穴を塞ぐ邪魔をする妖魔を退治す ることになったから、しばらく帰ってこないわよ」 「ええええっ!?」 少年は今度こそ驚いた表情で眼を見開いた。 「それ、今日のいつなんです!?」 「もう儀式は始まりかけてるんじゃないかしら?相当急いでたみたいだし……」 「……………………!」 ぎりっと奥歯を噛むと、少年はローブを翻して背を向けた。 「あら、あの子は放っておいて私とお茶でも飲んでいかない?」 「また機会があればその内に!!」 そう言い捨てて、少年は慌てて玄関を飛びだして行く。 母親はふうっと息を吐くと、微笑混じりに呟いた。 「ふられちゃった」 やっぱりどこかテンポが狂った人だった。 『翼を司る風の精霊よ、その力もて我を持ち上げよ!!』 少年は『翼飛行』の術を使って空中を猛スピードで飛んでいた。 「冗談じゃない、折角ここまで辿り着いたのに上位世界にだって!?僕の立場はどうなる ってんだよ!!」 思わずそんな文句が口を突いて出る。 「まあそれもアユミちゃんらしいけどね……僕がこれだけ強くなったんだ、アユミちゃん だって強くなってるさ。それに……」 少年の唇が歪に曲げられる。 くすくすと薄く笑みを浮かべながら、少年は呟いていた。 「それでこそ僕の花嫁に相応しいよ……!」 大神殿の最奥『扉の間』。 12人のヴァルキュリエとそれに準じる神官達が見守る中、アユミは若い男の前に項垂 れていた。 男は白く豪華なローブに身を包み、血の色のように赤い宝石をペンダントにしてアユミ を見下ろしている。若いながらも威厳と神聖さに満ちた、清廉な雰囲気を持つ男だった。 彼こそが神官長、全ての神官を束ねる者である。 その前に跪いたアユミは、静かに彼の言葉を待っていた。 神官長は軽くロッドをアユミの額に当てて、謳うかのように祝詞を呟いてゆく。 「汝ヴァルキュリエが1人、特級攻性魔導師アユミ・ローウェイよ。汝に女神の意志たる 新たなる使命を与えよう――」 「御意の儘に」 アユミの言葉に続いて、神官長は言葉を繋ぐ。 「上位世界に渡れば最後、門は閉ざされお前はパートナー以外の何者をも頼ることは出来 ない……その覚悟は出来ているのか?」 「我が肉と血の一滴までも女神の御心のままにあれば」 間。 「もしその正体を知られた場合、お前は自ら命を絶たねばならない……その覚悟はあるか?」 「我が命女神に与えられたものなれば」 間。 「その力を己の私利私欲に使えば直ちにお前は処分される、分かっているか?」 「女神への信仰ある限り私は不正を行わず、闇に心奪われれば自ら進んで殺されましょう」 間。 「おお偉大なる女神よ、この者に祝福を!」 『祝福を!!』 一同の声が唱和する。 それに続けて、神官長はアユミに訊いた。 「今一度汝に尋ねよう。『正義』とはなにか?」 「『神への信仰』です」 間。 「では『正義を執行する』とはどういうことを指すのか?」 「『神への信仰を身体で示す』ことです」 間。 「それでは汝の行動は何によって義とされるのか?」 「『ただ一つ、信仰によってのみ』」 間。 「敬虔なる神の使徒よ、汝こそこの使命に相応しい!祝福せよ、諸君この者を祝福せよ!」 『幸あれ!汝の門出に希望あれ!!汝この門をくぐるとき全ての希望を抱け!!』 こんな儀式が延々と繰り返されるのである。 「さあ、急がないと………!」 その神官は急いで扉の間へと向かっていた。 ようやく禊が終わり、上位世界へと向かうことが出来るようになったのだ。 アユミの祝福の儀が終わる前に扉の間へと向かわねばならない。 廊下を急ぐ彼女の眼に、一人の少年が見えた。 綺麗に整えられた美しい黒のスーツを着込み、にこやかに彼女を見つめている。 「やあ、こんにちわ。失礼ですけど、貴方がアユミ様のパートナーの方ですか?」 「ええ、そうですけど……何でしょう?」 少年は僅かに真剣な眼をして彼女に近寄っていった。 わずかに甘い匂いが彼女の鼻腔をくすぐる。 「ちょっとここでは言いにくい話なんです……そこの廊下へお願いできますか?」 「あの、でも私急いでるんですけど……」 「大事な話なんです。大丈夫、すぐ済みますよ」 少年は半ば強引に彼女を通路の横の細い廊下に連れ込んで行く。 人はおらず、少々薄暗い場所だ。 神官は不安そうな表情を浮かべて彼を見つめている。 「で、御用って……」 「簡単なことですよ。僕にパートナーの役を譲って下さい」 あまりにさらりと言うので、神官は理解に一瞬時間がかかった。 その内容が脳に染み込むと同時に憤然として少年に噛み付く。 「何言ってるんです!出来るわけないでしょう、そんな……!」 彼女は最後まで言葉を続けることが出来なかった。 少年の右手は神官の腹に埋まり、急所を抉っていた。 「貴方に拒否権はない」 少年はにこやかに呟くと、力を失って倒れ込む神官の身体を支えた。 それをゆっくりと床に寝かせて、少年はふっと笑った。 「まっ、しばらくそこで眠ってて下さいな」 「それでは今からお前を上位世界へと転送する。その前に一つ言っておくことがあるが、 絶対にパートナーの素性を問い質してはならない。それは禁忌に当たることを忘れるな」 「御意」 アユミが頷いたのを確認して、神官長は後ろの部下に命令した。 「ではパートナーをここへ!」 「はっ!」 控えていた2位のヴァルキュリエが奧へ下がった。神官長の秘書役をしている神官だで ある。彼女は奧へ行ってから、すぐさま戻ってきた。 手の中に何かを入れているようだが、その表情が僅かに強ばっている。 彼女は神官長の耳元で何事かを囁いた。 「実は……」 「……何だって?」 神官長は眉をひそめた。 「代わりに……」 「……止むをえないな」 二人は目配せを交わし合って、軽く頷く。 2位のヴァルキュリエはついっとアユミの前に立つと、ゆっくりと手を広げて見せた。 中には小さなハムスターがうずくまっている。 「彼があなたのパートナーです」 彼女が言うと、ハムスターは元気よく立ち上がって言った。 「アユミちゃん、初めましてだハム!僕が君のパートナーのハムハムだハム!」 「よ、よろしくね……」 アユミは突然現れた喋るハムスターに少々たじろいだ。 可愛いことは可愛いのだが、異様にハイテンションだ。 ハムハムと名乗ったハムスターは素早くアユミの頭に座り込む。 「それじゃあアユミちゃん、末永くよろしくハムー!」 アユミは説明を求めるように神官長を見たが、彼は敢えてそれについては何も言わずに 扉を開放させるように指示を出しているところだった。 「それでは行くがいい、親愛なる女神の使徒よ!汝等の活躍を期待する!!」 神官長の強引な声に、アユミは思わず応えた。 「ぎょ、御意!」 「任せるムー!」 彼女たちはこうして未知の世界に旅立っていった。 ======================================= はい、後編に続きます(笑)