マスターとの誓いを守るため、あたしは今夜の夜空の散歩を切り上げて帰る事にした。 そういえば夜も更け、相当寒くなってきたようだ。いくら自然の営みが好きなあたしとて、 極端な寒さなんかはあまり好みではない。半分は人間の女の子、暖かい布団でぬくぬくとして 眠りたいという欲求も当然あるし、そろそろお兄ちゃんの闇の中が恋しくなってきた。 だけど……このまま帰るのは惜しいと思う。月の光と大地の寝息が交じり合うこんな夜は 当分は訪れないだろうから、もっと楽しんでみたい。それに何かいつでもそれを見るだけで 今日のこの晩を思い出せる記念のおみやげが欲しいと思う。 あたしはそんな思いを胸にしながら、視線を上げた。 そこであたしの目に飛び込んでくるのは、雲一つない蒼穹の空に輝きつつ、柔らかい光を 大地へと浴びせる――あまりにも美しい、大きな月。 大きいと言う事がこんなにも胸を震わせることだったなんて――。 あたしはこの時初めて、月の本当の美しさを理解した。誰もが寝静まった静かな夜、比べる 物のない空の高みに立って眺めた時、凍るような鋭さと暖かな柔らかさ、幼き日に父の背を 見た時のような大きさのもたらす畏怖と安心感、これら全てを与えるとても大きな月。 なんて、なんて美しいんだろう。 あたしは今まで月の美しさの半分も解ってなかったんだな――。 そう思った時、あたしは不覚にも泣きそうになった。 子供の時お父さんよりも誰よりも安心させてくれた、年もそんなに違わなくて頼り甲斐の ないくせに一生懸命だったお兄ちゃんの背中を思い出した。 下らない感傷だ。あたしの理性の部分と魔王の部分があたしの記憶を宥めようとする。 だけどそうすればそうするほどに、あたしの心は一層涙を零してゆく。 振り返れば魔王になってからのこの二年、あたしは初めて本当に泣いたのかもしれない。 出来ればずっと泣いていたかった。みっともなくても情けなくても、魔王の威厳をかなぐり 捨ててでもあたしはわんわん大声を上げて泣きたかった。 ただ、あたしは背後から接近する気配に気が付いてしまった。魔王のあたしは袖で涙を拭い、 何事もなかったような顔で振り返った。そこには一人の少女がいた。 黒い髪をした大人しそうな少女だった。幾重にも折れ曲がった黒い帽子を被り、見慣れた 制服のまま闇色のマントを羽織った彼女は、箒にまたがって不思議そうにこちらを見つめて いた。少女といっても年齢は18歳位、あたしよりも3歳は年上になる。大人しそうな、と いう言い方よりもぼーっとした不思議な雰囲気をしている人だった。ただその身体から立ち 上る、人間にしては圧倒的な力強さを持つ波動が少女がただ者でない事を示していた。 とはいえ、こんな真夜中にかなりの高度の夜空を箒に乗って散歩するというのだからその 時点で普通ではないか。魔王たるあたしに普通がどうとか言えた口ではないことは承知だけど。 魔女――か。その力は先ほどの絵と同化していた魔女よりも更に強力なようだ。 ただ、敵意はないみたいだ。この少女に敵意を向けられるというのは想像できないけど。 それでも多少警戒して様子を見るあたしに、少女は僅かに頭をかしげて小さく呟いた。 「……………」 「えっ? はじめまして、……?」 あたしは一瞬呆気に取られたけれど、次の瞬間には笑い出しちゃった。 そうだよね。仲良くしなくっちゃ。こんな良い夜に巡り合った散歩仲間だもんね!! あたしったら、いつの間に挨拶も出来ない子になっちゃってたんだろ? 恥ずかしいよね。 「こちらこそはじめまして!! あたしは日陰!! あなたは?」 元気な声で笑いかけると、彼女は多少はにかんだ表情で応えてくれた。 「………………」 「うんうん、芹香ちゃんね! よろしく!! ……えっ?」 「…………………」 「あなたも、魔女ですかって? うーん、ちょっと違うかな。どっちかって言うと魔物かも」 「…………………………」 「え? 魔物にも悪魔にも見えない? もっと清らかな波動がするって? ありがと。でも、 そうなんだよ」 そう答えると、芹香ちゃんは変ったものを見る目であたしを見つめた。この場合の変った ものというのは決して貶しているんじゃなくて、何となく芹香ちゃんは変ったものが大好きな 人に見えたから。じゃなかったらこの若さでこんな育ちの良さそうな子が魔女になんてなる わけがないもんね。ちなみに芹香ちゃん、と呼ぶ事にしたのは何となく年上に思えない人 だったからなんだけど。失礼かな。心配になってきちゃった。 「あー……っと、あたし、明らかに年下だけど、やっぱ芹香ちゃんって呼んじゃマズいかな? 芹香さん、とか芹香先輩とか呼んだ方が良い?」 「………………」 「え、芹香ちゃんと呼んでくれていいって? ありがとう、じゃあ芹香ちゃん。芹香ちゃんも やっぱりお散歩に来たの?」 「………………………」 「え? 小猫探し? 飼ってた小猫がどっかに行っちゃったんだ、大変だね。手伝おうか?」 「………………」 「お気になさらずに? そう……」 そういえばちょっと前に黒猫一匹に悪戯したっけ。あの時は人間としてのあたしは反対した のに、偽本の魔術書の強制力のせいで魔王としてのあたしが取り返しの付かない事をしちゃっ たんだよね。可哀相だったなあ。結局あの子は人間になったはずだけど……もう、あんな事は したくない。魔王としては変だと言われるかもしれないけど、出来れば世界を滅ぼすその日ま で誰かが悲しむ姿は見たくないと思う。勝手だとは思うけど……やっぱり悲しい涙は嫌だよ。 その味をよく知っているから、あたしは心からそう思う。 あ、会話が途切れちゃった。気が付くと芹香ちゃんは戸惑った顔でこちらを見ている。 いけない、早く誤解を解かないと。 「ごめん、これは違うんだよ!! ちょっと考え事してて……別に芹香ちゃんが断ったから ムッとした、とか決してそんなことじゃないから!!」 ちょっとウソかも。少しムッとしたのは本当だから。 でもあたしの言葉を信じて、芹香ちゃんは表情を緩めてくれた。うーん、良い娘。女の あたしから見ても美人だし、こんな女の子滅多にいないよね。 あたしがそう思っていると、芹香ちゃんは申し訳なさそうに呟いた。 「………………………」 「え? お詫びに何か出来る事はないですか……って、そんなのいいってば!! 誤解させ ちゃったのはあたしの方なんだし、初対面の人からいきなりそんなこと………」 「………………………」 「え、じゃあ今宵二人出会った事を記念する思い出になる物をって……えーっと」 あたしはどうにも返事に困ってしまった。芹香ちゃんには好感を抱いてるんだけど、だか らこそ何かを貰うような事はしたくない。それじゃ折角の出会いが物品に汚されてしまう事 になるもの。だけど、この場合断るのは却って失礼に当たるよね。 どうしたものかと空を見上げた時、あたしの目にまたあの美しく大きな月が飛び込んでき た。その途端、あたしの瞳からまた涙が零れそうになる。一度思い出してしまった想いは、 もう消す事は出来ないらしい。これじゃもうこんな良い晩には外に出られないね。外に出る 度にこの切ない想いを感じる事になってしまうもの。 今宵限りの美しく大きな月、それに我知らず見入っていたらしい。気が付くと芹香ちゃん は何事かを決めたらしく、箒に括り付けたバッグから何か取り出そうとしている。あたしは じわっと涙腺が緩むところを見られていた事に気付いて、心臓から滲むような気恥ずかしさ に囚われた。何故か魔王としてのプライドは感じなかった。 芹香ちゃんは魔法の儀式を箒に乗ったままで器用にこなしてゆく。すごい集中力だ。 やがて彼女は金色の漏斗と変った材質のビンを組み合わせ、それらを高々と頭上に掲げた。 「ねえ芹香ちゃん、何をしようとしてるの?」 「…………………………………」 「え? 月の雫……を作るの? 月の雫って……?」 更に聞こうとしたその時、あたしは信じられない物を見た。 あたし達の頭上に輝くあの美しく大きな月の纏う金色の光が、ゆっくりと下へ垂れ下がっ てきていたのだ。 それはなんとも不思議な光景だった。丁度水を被った鋼球からゆっくりと重力に引かれて 水が下に垂れて行くように、月という美しい大きな金色の球から金色の光の為す液体が下へ と下がり、やがてそれは静かに雫となって零れ落ちて、遥か下で芹香ちゃんの手に握られた 漏斗の中へ吸い込まれるように消える。からん、という音がして良く見ると透明の瓶の中に 月の金色をした綺麗な宝石が転がっていた。 芹香ちゃんはそれをあたしの方へとかざして、こう言った。 「……これが月の雫です……」 あたしはそのあまりに幻想的な風景に心奪われ、美しく大きな月とその月から雫を作る 芹香ちゃんにただただ見惚れていた。 続けて芹香ちゃんは雫を二つ作って、そのうちの一つを自分で取り後の二つをあたしに くれた。あたしはその美しい金色の光の結晶を握って、芹香ちゃんと月を眺めていた。 芹香ちゃんは月を見て、日陰さんの瞳と同じ色をしていますねと言った。 あたしは雫を零してもなお美しく大きな月を心に焼き付けるようにして見つめた。 もう夜に月を見る事が出来なくなっても、今宵この月は絶対に忘れないと思った。 静かな静かな夜、あたしと芹香ちゃんは二人並んで、ただじっと―――――― 「ただじっと、月を見ていた」。 「ひなたさーん! 朝ですよ、起きてくださいっ!!」 美加香のお決まりの挨拶で風見はベッドから叩き起こされてしまった。 ただ、今日の風見はちょっといつもと違ってとても眠そうに大あくびなどしていたが。 「ふぁーあ………眠い」 「昨日は晩早くから良く寝たじゃありませんか。もう、早く起きてご飯食べましょうよ」 美加香がそう言うと、風見は案外しゃんとした様子で立ち上がった。 それから重要な事を思い出した、といった調子で言った。 「そうだ、昨日の晩は夜空を飛んで月を見に行った夢を見ましたよ。とても綺麗で大き くって、あんなに素晴らしい月を見たのは生まれて初めてでした」 「は?」 美加香は一瞬面食らったようだったが、すぐにしょうがないなあ、という顔で苦笑す ると風見を見た。 「そうですか……それは良い夢を見ましたね。今日も一日、良い事がありそうですね!」 「ああ」 風見はそう答えてから、小声で一人ごちるように呟いた。 「お兄ちゃんの選んだ人が夢なんて下らない、なんて言う人じゃなくて良かったね……」 「え?」 美加香には背後で聞こえたその声がまるで風見以外の誰かの声のように聞こえ……… 思わずぎょっとして振り返った。 「ひなたさんっ!?」 「ん? なんだ?」 だがそこにいたのはやっぱりいつもの風見だった。ぽんぽんと美加香の頭を叩き、笑い ながら毒のあるセリフを吐く。 「どうしました、朝っぱらからお馬鹿な顔して。とうとう貧乳菌が頭に回ってきましたか?」 「貧に……そんな菌なんていませんもんっ!! もー、ひなたさんの意地悪っ!!」 「はっはっは、貧乳菌が頭に回ると脳までぺったんこ♪」 おどける風見をふくれっ面で見ていた美加香だが、ふとその手に握られている物に気付 いて指で差し示した。 「あの……ひなたさん、その宝石は?」 「え? ああ、これか? これは………」 風見は一瞬言葉に詰まった後、ひどく優しい目をして答えた。 「夢の欠片、さ」 完 ========================================== ひなた「長い上にバトルもドタバタもない作品、読んでくれた方はいらっしゃるのかなあ?」 みかか「Lメモの基軸からは随分とかけ離れた作品ですね(笑)」 ひ「もうあんまりにもSS書きたくて思わず書いちゃいました(笑) しかもファンタジー。 Lメモで純粋なファンタジー作品書いたのってなかったような気がするので、新しいかと」 み「新しいというかなんというか、これってどうにも読者のニーズに合ってない気が(苦笑)」 ひ「でもいつもいつもダークばっかりじゃ食傷するしなあ(笑) たまには図書館SS掲示板 に投稿されるような作品がLにあってもいいじゃないですか。あんま行ってないけど(笑)」 み「大体ひなたさんってファンタジーの人じゃ……(笑)」 ひ「だからこそ修行になるのです(笑) 一応今の僕の全力で書いてみましたが」 み「頑固オヤジのラーメン屋……(笑)」 ひ「あー、もういいんだよ僕は書きたい物を書くだけなんだから(笑) それが僕のSS道(笑)」 み「開き直りましたね(笑)」 ひ「あと、新しい試みとして日陰のモノローグでやってみました。親しみが出るかと」 み「ハイドさん辺りは『親しみなんてなくていい、威厳があれば!!』って言われそう(笑)」 ひ「やっちゃったものは仕方ない(笑) 皆さん、魔王日陰はこんな奴です。完全な悪ではなし」 み「あと異様に独白が多いんですけど(笑)」 ひ「効果です(笑) まああれですね、即興で思いつくままに書いたにしては上手く行ったかと」 み「え……プロットは?(汗)」 ひ「ない(笑) チャット中にイメージが浮かんだからチャット落ちてそのまま行き当たりばったり」 み「プロットぐらい書きましょうよぉぉぉぉぉ!!(汗)」 ひ「こういうもんはプロットない方が却って上手く行ったと思うぞ。やはり当初のイメージが大事だな」 み「要するに、ひなたさんはとにかくSS書きたかったから勢いに任せて、ってことじゃ……」 ひ「そうかもな(笑) あと、今日ナイトライターやったから雀鬼の連中出てきたり(笑)」 ひ「あと、ギャグおまけは付けようかどうか迷ったのですが結局付ける事にしました。 最近ギャグが低調だし、本編の感動を破壊する恐れがあるけど(笑)」 み「本編で万が一幸せな気分になれた人は、読まないように!!(笑)」 =============================================== おまけ1「今日のハイドさん」 ハイド「ふ……日陰は行ったか………」 ハイドラントはぎゅっとカイロを握り締めてぽたりと涙を垂らした。 言えない。絶対に言えない。特に日陰には。 ハイド「俺が今日ダーク十三使徒大掃除をサボって逃げ出したら、そのまま弥生さんに見つかっちゃって 『この極寒の夜、カイロ一個で高層ビルの屋上に置き去り果たして彼は朝まで生き延びる事が出来 るか!?』の刑に処されてる事なんて絶対に言えねぇぇぇぇぇ!!!!(涙)」 葛田「おーい、導師〜〜〜!!(バラバラバラ)」 ハイド「おおっ、その人力飛行機(足こぎ式)で高層ビルの屋上までやってきたのは葛田君!? もしや俺を助けに来てくれたんだな、さすがは俺の弟子だっ!!」 葛田「いえ、弥生さんが導師に食事を与えてやれ、と………」 ハイド「助けに来たんじゃないのか……だがまあいい、弥生さんにも一滴の血が通ってたんだな!?」 葛田「とゆーわけで食事ですー(ぽいっ)」 ハイド「…………………………………………」 葛田「……………………………………………」 ハイド「…………何だ、これ」 葛田「何って、アイスモナカですが」 ハイド「アイスモナカは解るわっ!! こんなものこの極寒で食ったら腹の底から凍え死ぬぞ!?」 葛田「と、言われましてもそれが食事だ、それ以外は一切与えるな、と……」 ハイド「畜生あのアマ、今度こそ俺を殺す気だな!? そうなんだな!?」 葛田「あと、伝言があります」 『拝啓、導師お元気ですか元気じゃないとは思いますが。こちらはこたつの中で美味しい焼うどんを 戴いてます。しかも導師の食費で。アイスモナカは美味しいですか? それだけで空腹は十分癒さ れるかと存じますが、念の為に追加をもたせました。大変美味しいアツアツの焼うどんです』 ハイド「おおおおおっ!! 弥生さんも人が悪いよなぁー、俺とした事が慌ててビビって……」 葛田「えっと……伝言に続きがあります(汗)」 『食いたければはいつくばって【弥生様、申し訳御座いません】と言う姿をビデオに納められて下さい』 ハイド「あ・ん・の・ア・マ・ァァァァァァァァァーーーーーーーーーッ!!(血反吐)」 葛田「ハンディカメラも渡されてきましたぁぁぁぁぁぁぁ!!(汗)」 ハイド「こ…この俺がそんな辱めを受けるくらいなら、いっそこの場で凍え死んで(ぐぅぅぅぅぅ〜〜!)」 葛田「導師ィィィィィィッ、腹の虫がァァァァァァァァァ!?」 ハイド「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?(涙)」 葛田「大丈夫です、僕のほかは誰も聞いてません!!」 ハイド「せ、背に腹は代えられぬっっっ…………………!!」 葛田「3・2・1・キュゥゥゥー!!」 ハイド「弥生様………申し訳御座いませんでしたアアァァァァァァァァッッッッッ!!!(滝血涙)」 葛田「導師……ご立派な……ご立派で御座いましたァァ!!」 ハイド「特に日陰には絶対にバラすなよっっっ!!!」 葛田「はいっ、この葛田、決して口外いたしませんッッ!!」 日陰「…………マスターったら、もう(くすっ)」 日陰、五感拡大によりしっかり聞いてたり。 =============================================== ひ「では、またー!!(笑)」 み「早くお会いできるといいですね!!(笑)」