Lメモ私的外伝10「銀狼と暗殺者」後編 投稿者:ハイドラント
【鶴来屋旅館、従業員用通路――暗殺者】


「……ん?」
 俺はふと、疾走していた足を止めた。
「……どうした?」
 半瞬遅れて立ち止まったスエインが、訝しげに聞いてくる。
「ん、いや……」
 自分でも咄嗟に止まった理由が分からず、俺は口を濁した。
(……今、何かを感じた……?)
 何か。
 そうとしか形容しようのないものを、俺の感覚のどこかが捉えていた。
 何か……何かの、強烈な気配。
 そう、野生の肉食獣のような……。
(エルクゥか?)
 胸中に一瞬浮かんだその考えを、俺はすぐに打ち消した。
 柏木一族の血に眠る鬼の力、エルクゥ。
 柏木家の本拠とも言えるこの鶴来屋でその気配を感じてもおかしくはないが、
事前調査によれば、今夜ここに強力な鬼の力を持つ柏木一族の男はいない筈だ
った。
「ハイドラント……?」
「いや、気のせいだったようだ。急ごう」
 スエインの声に答えると、俺は再び走り出した。
 彼もすぐに続く。
(気のせい……だ)
 胸に残る不安を打ち消しつつ、俺は通路を駆け抜けた。
 目標のいる部屋は、もう間近だ。




【鶴来屋旅館、運搬用通路――目覚めた獣人】


「はあっ……はあっ………」
 オレは荒い息をしつつ、がっくりと膝をついた。  
 体が熱い。
 とてつもなく熱い。
 まるで体の中で炎が燃えているかのように。
「何が……起きたんだ……?」
 辺りを見回す。
 真っ先に目に入ったのは――
「……血!?」
 そう。
 コンクリートの壁に、べったりと真紅の液体が張り付いている。
 オレは慌てて自分の体を見渡した。
 怪我は見当たらない。
 あちこち触ってみるが、やはり異常は無い。
 腰には尻尾が、頭には大きな耳がちゃんとある。問題無い。
「…………尻尾? 耳?」
 オレはその場で、腕を組んで考え込んだ。
 尻尾。確かに生えている。
 耳。大きくてふさふさと毛が生えている。
 …………。
「なんじゃ、こりゃあああああああああ!!!」
 オレは思わず絶叫した。
 当たり前だ。
 一体何が悲しくて、突然犬人間にならなくてはならんのだ?
「なんでだっ、なんでこーなるんだ!?
 これじゃまるで伝説に出てくる獣人……獣人?」
 その言葉は、オレの記憶の底に触れた。
 そう言えば、小さい頃に親父に聞いたような気がする。獣人の話を。
 その時、確か親父がふざけた口調で、「父さんも獣人なんだぞ」と言ってい
たように思う。
「……もしかして、オレの家って、そーいう一族だったのか……?」
 オレは呆然と呟いた。
 頭の、妙に冷静な一部分が、オレの推測の正しさを認めている。
「……そーか、そーなのか。まあ、現実は受け止めないとな……うん」
 後から考えると奇妙なくらいあっさりと、オレは現状を受け入れていた。
 異常な事態が続いたせいで、脳のどこかが麻痺していたのかもしれない。結
果的にはそれが幸いした。
 ともあれ納得すると、オレが次に考えたのは、これからどうするかだった。
 最初に浮かんだのは……
「……そうだ、楓ちゃん!」
 楓もこの鶴来屋にいるのだ。もしかしたら危険に晒されているかもしれない。
例えそれはなくとも、黒衣の男たちは明らかにこの鶴来屋に対して害になる事
をしようとしている。それはつまり、楓にとっても害だということだ。
(行かないと)
 走り去っていった二人を追い、阻止しなくては。
 恋する少年特有の一途さと単純さで、無謀な行動を決意するオレ。
「よし――って、たっ、わっ!?」
 立ち上がり、駆け出そうとして、オレは足元に転がっていたものにつまづい
た。
 転びかけるが、何とか踏みとどまる。
「何だ……っ!」
 あの男だった。
 ヴィンビとか名乗った、オレを殺そうとした魔術士。
 右腕の肘から先が、何かに引き千切られたように分断されている。
 壁に付着した血は、この傷口から噴き出したものらしい。
「!」
 その時オレは気付いた。
 両手がべったりと血に塗れていることに。
(オレが……やったのか……!)
 ぞっとしながら、オレは慌てて男の生死を確かめた。
 ……呼吸はしている。気絶しているだけのようだ。
 安堵の息をつくと、オレはふと思い付いて男を担ぎ上げた。
 長身と言っていい体格だったが、今のオレは片手で軽々と持ち上げることが
出来る。
(こいつを人質にしよう)
 この男の命を楯にすれば、残り二人の男とは戦わずに済むかもしれない。
 力を得たとはいえ、自分でも正体が良く分からないような力だ。出来れば危
険を犯すのは避けたかった。
「よし、行こう!」
 オレは走り出した。
 あの二人が消えた方向に。 
 



【鶴来屋旅館、従業員用通路――暗殺者】


「これで……最後だ」
 体を密着させつつ警備員の背後に回り、首を極めると、俺は呟きつつ一瞬で
へし折った。
 男が吐血し、びくりと痙攣する。
「ああ。こちらも終った」
 スエインの周りにいた警備員たちも、既に全員血の海に沈んでいる。
 全部で七人。
 予想よりは多い人数だったが、問題無く始末した。
 残るは突き当たりの扉の向こうにいる筈のターゲット、伊藤だけだ。
「……ヴィンビの奴、遅いな」
「そうだな……」
 ふと洩らした俺の呟きに、スエインも来た方向を振り返った。
 あれから既に十分近く過ぎている。とうに追いついてきていていい筈なのだ
が。
「死体の処理に手間取っているのか?」
「かも知れんな。どうする、待つか?」
「いや」
 俺はかぶりを振った。
「もう警備員は始末した。障害はないのだから、戦力を集中する必要も無い。
 伊藤を先に片付けるぞ。合流は、その後でいい」
「そうだな――」
「待て!」
 スエインの返事に被せるように、誰かの声が響いた。
 ぎょっとしたようにスエインが振り向く。
「誰だ――っ!?」
 絶句する。
 俺も似たような表情だ。
 そこにいたのは、先程の少年だった。肩に人間を担いでいる。
「ヴィンビ……」
 引き千切られた右腕から激しく出血し、息も絶え絶えな様子だった。
 放っておけば間もなく死ぬだろう。
 それも信じ難い光景だったが、俺達の言葉を失わせた原因はもう一つあった。
 少年の頭に生えた、獣のような耳。
 それは、俺の記憶から一つの言葉を導いた。
「獣人……」
 ライカンスロープ。獣に変身する力を持った種族。
「ただのガキではなかったか……」
 俺の隣でスエインも呻いた。
 完全に予想外だったのだろう。俺もそうだ。
 獣人の少年は、警備員たちの死体を見てしばし呆然としていたようだったが、
やがて俺達を見据え、口を開いた。
「余計なことは聞かない。だから、さっさと帰ってくれ」
「……なに?」
 思わず尋ね返す俺。
「帰れと言ったんだ。オレは出来れば戦いたくない。
 おとなしく帰れば、こいつは助けてやる」
「っ!」
 少年の言葉に、スエインが顔を歪めた。
 面倒なことになった、と表情が言っている。
「ふん……?」
 が、俺はむしろ、余裕を取り戻していた。
 腕を組んで壁に寄りかかりつつ、少年に尋ねる。
「嫌だと言ったら?」
「そ、その時は、こいつの命はない!」
 叩き付けるようにそう言うと、少年はヴィンビの体を俺に見せ付けるように
突き出した。
「見れば分かるだろ、このままだとこいつは死ぬ!
 助けたいなら――」
「プアヌークの邪剣よ」
 皆まで言わせず、俺は魔術の構成を解き放っていた。
 腕から放たれた熱衝撃波が、熱波を撒き散らしつつヴィンビに飛ぶ。
「うわっっっ!!」
 二人の体を熱線が呑み込んだ。
 強烈な光が網膜を焼く。
 眩んだ視界の端に、熱波の渦から転がり出る獣人の姿が映った。
 熱が拡散し、俺の視界が回復した時には……
「……!」
 少年が声にならない悲鳴を上げた。
 殆ど炭化し、生前の面影など微塵もないヴィンビの死体を視野に認めて。
「証拠は抹消しないとな……」
 含み笑いを洩らしつつ、俺は言い放った。
「ハイドラント!」
 我に返ったスエインが、小さく叫んだ。
 俺はそちらを見ずに返す。
「何だ?」
「何だじゃない! 何故殺した?」
「邪魔だからさ。決まってるだろ」
 肩を竦める俺。
 スエインの眉根が吊り上がる。
「邪魔!?」
「そうだろうが。冷静に考えてみろ、重傷のヴィンビを抱えてここから脱出す
ることが可能だと思うか? 陽動に引っ掛かって外に出ている警備員たちも、
時間が経てば戻ってくるんだぞ?
 となれば、足手まといは処分するしかねえだろ」
「しかし……」
「済んじまったことをあれこれ言うのはよせ。時間の無駄だ。
 それより、こいつの始末をつけようぜ」
 俺は少年の方に顎をしゃくった。
「!」
 愕然としていた少年は、俺の仕草に気がついてか正気に戻り、さっと立ち上
がる。
「……そうだな。まずはこのガキを片付けてからだ」
 スエインは唸るように言うと、ナイフを構えて獣人に飛び掛かった。
 シュン!
 銀色の刃が閃き――
 ――そして、虚しく空を裂いた。
「何っ!?」
「上だ!」
 スエインと俺の声が重なる。
 咄嗟にスエインは体を横に投げ出した。
 ブンッ!
 一瞬前まで彼の頭があった位置を、重い風切り音と共に拳が薙いでいく。
 あの瞬間、獣人の少年は飛び上がってナイフを躱し、そして着地しながら破
壊的な拳を叩き付けてきたのだ。
 息を呑むほどに素早い動きだった。
「くっ……」
 転がりながらも、スエインは魔術の構成を編み上げる。
「光――」
「させないっ!」
 が、彼が呪文を叫ぶより早く、獣人がその腕を掴んだ。
 そのまま力任せにスエインを振り回す。
 彼の体は、まるで木の人形のようにあっさりと宙に舞った。
「がぁっ!」
 壁に叩き付けられ、顔面から床に落ちるスエイン。
 止めとばかりに獣人が彼の脇腹を踏みつけた。
「ぐっ……」
 一つ呻きを残し、動かなくなる。
「ふぅ……」
 獣人はそれを一瞥し、一つ息をつくと、俺に向き直った。
 ぱちぱちぱち。
 拍手してやる俺。
「お見事。大したもんだ」
「……」
 獣人は答えず、硬い表情で俺を見据えていたが、数秒の沈黙の後でゆっくり
と尋ねてきた。
「……お前は、どうする……?」
「そうだな。取り敢えず…」
 俺は無造作に手を突き出した。
「プアヌークの邪剣よ」
 ゴォッ!
 光熱波がスエインに直撃し、一瞬で焼き尽くした。 
「お前、また仲間を……!」
「さっきの話、聞いてたんだろ? 邪魔なんだよ」
 睨み付けてくる獣人に、俺は鼻を鳴らして答えた。
 そして、寄りかかっていた壁から離れ、体を奴の方に向ける。
「つまらない任務だと思っていたが、お前みたいな奴に出会えるとはな。
 少し遊んで貰おうか、ライカンスロープ」
「お前は……許さねえっ!」
 叫んだ瞬間、獣人の体から何かオーラのようなものが立ち昇った。
 激しいエネルギーの波動が、俺の肌をちくちくと刺激する。
(闘気……!)
 こちらが身構えるのと同時、獣人が突進してきた。
 残像すら残さぬ、凄まじいスピード。
 俺は紙一重で見切って躱した。
「しゃあっ!」
 そのまま、獣人は腕を横薙ぎに叩き付けてくる。 
 それをしゃがみ込んでやり過ごし、続いて飛んできた蹴りは飛び退いて外し
た。
 奴は止まることなく、連続攻撃をかけてくる。
「うおおおおおおおっ!!」
 拳、肘、肩、膝、足。闘気を帯びて殺人的な破壊力を持ったそれらの凶器が
間断なく襲い来る。
 だが俺は、その全てをすれすれで見切って躱していた。
(パワーもスピードも申し分ない、だが――)
 右に左に、最小限の動きで攻撃を外しながら、俺は胸中で独りごちた。
(見切るのは難しくない。つまり――)
 上段蹴りを躱しざま、その足を下から弾いてやる。
「っ!?」
 奴が僅かにバランスを崩した。
(こいつは、力を使いこなしていない! 振り回しているだけだ!)
 隙。
 俺は一気に踏み込んだ。
 魔術の構成を編み上げつつ、奴の懐に潜り込む。
「エルクゥの拳よ!」
 俺の右拳を魔術の光が包んだ。
 そのまま奴に全体重と共に叩き付ける。
「ぐぉぁっ!?」
 確かな手応え。
 獣人の体が吹き飛んだ。
 俺は追わない。
 その場で右腕を突き出し、左手を支えるようにその肩に当てる。
 そして一気に魔術の構成を編み上げ、解き放った。
「プアヌークの邪剣よ!」
 迸る熱線。
 それは、転がった獣人を避ける間も与えず押し包んだ。
「がぁぁぁぁああああああっ!!!」
 奴の喘鳴が鼓膜を震わせる。
 肉の焼ける音。そして匂いが、俺の耳と鼻を刺した。
 苦痛にのた打ち回る奴の姿が、充満する熱波の中に見える。
「プアヌークの邪剣よ! 邪剣よ! 邪剣よ!」
 その姿に向けて、俺は二度三度と熱衝撃波を叩き付けた。
 光が俺の視界を埋め尽くし、奴の苦悶が俺の耳を塞ぐ。
 ――数十秒後――
 そこに立っているのは、荒い息をつく俺だけだった。
 魔術を連続で放ったせいで、かなり体力を消耗している。
 獣人は、殆ど全身を焼き焦がされ、ぐったりと床に転がっていた。
「……しぶといな。まだ生きてやがる」
 半ば呆れ、半ば感心して俺は呟いた。
 これだけ魔術の攻撃を受けたのに、まだ奴の胸はかすかに上下している。
 そう言えば、獣人という種族は高い回復能力を備えていると聞いた事がある
ような気がした。
 さっさと止めを刺した方がいいようだ。
「……か……」
 その時、獣人の唇が僅かに震えるのが見えた。
 何かを呟いている。
「か……かえ……で……」
「……楓?」
(女の名前か?)
 俺は失笑した。
 今際の際に女の名を呼ぶとは、面白い獣人もいたもんだ。
「安心しな。次に生まれてくるときはそいつと結ばれるように、祈っておいて
やるよ」
 そう言い捨てると、俺は最後の魔術の構成を編み上げた。
「プアヌークの邪剣よ!!」
 ゴゥッ!
 光熱波が獣人の姿を覆い隠す。
 焼き尽くされたであろう獣人の体を見ることなく、俺はその場に背を向けた。
 遊びは終わりだ。任務のことを考えねば。
「侵入してから……そろそろ二十分か」
 予定では、もう仕事を終らせて撤収している筈だったが。
(遊び過ぎたな……)
 手早く伊藤を片付け、鶴来屋を去った方が良さそうだ。
 そう思いつつ、足を進めようとした時。
「!」
 圧倒的な気配が俺の脳髄を貫いた。
 一挙動で背後を振り返る。
 そこには未だ熱波の残滓が漂っていた。
 そしてその中に、ぼんやりと浮かび上がる影が一つ。
「……狼?」
 次第にはっきりしていくその姿を見て、俺は呟いた。
 野犬をより狂暴に、そして雄大にしたような体格。
 鋭い牙。光る爪。
 全身を包む、銀色の体毛。
 銀色の狼。
「銀狼……」
 伝説の獣が、先程まで獣人のいたところにすっくと立っていた。




【鶴来屋旅館、従業員用通路――現れた銀狼】


 体中に力が満ちている。
 今のオレに出来ないことはない。
 そうとすら思えるほどの、圧倒的な力だ。
 オレは真の姿に戻っていた。
 すらりと伸びた四肢。全身を覆う銀糸。
 自分の姿を見ることは出来ずとも、オレには分かっていた。
 銀狼。
 今なら分かる。これが本当の、オレのあるべき姿なのだ。
 つい先程までオレを苛んでいた全身の火傷は、既に見る影もない。跡形もな
く消えていた。
 めりめりと音を立てて増殖した新しい皮膚と肉が、焼け爛れた古いそれに代
わってオレの体を覆ったために。
 不滅という言葉すらふさわしい再生能力。これが今のオレの肉体が有する力
なのだ。
 オレを殺しかけた男――そしてオレを目覚めさせた男は、ぽかんと口を開け
てこちらを見ている。
 信じ難い出来事を目の当たりにして、意識がどこかに飛んでいるらしい。
 チャンスだ。
 オレは四本の足で床を蹴ると、一息に飛び掛かった。
 自分でも信じ難いほどのスピード。
 ほんの、一刹那。
 それだけの時間で、オレは男を爪の届く範疇に捉えていた。
 呆然としていた男が、はっと正気を取り戻す。
「ちぃっ!」
 オレが爪で切り付ける寸前、男はその場から飛び退いた。
 銀色の閃光が何もない虚空を縦断する。
 が。
「ぐっ…!?」
 男の口から押し殺した苦鳴が洩れた。
 噴き出す鮮血がオレの視界を埋める。
 僅かにかすめただけなのに、オレの爪は男の胸を深く裂いていたのだ。
「シヌークの……温泉よっ!」
 激痛に朦朧としながら、男が必死の形相で声を絞り出した。
 傷口に新たな肉が盛り上がり、塞いでいく。
(治癒の魔術か……)
 だが、それも万能ではないはずだ。かすっただけでこれだけの傷を負わせる
ことが出来たのだから、直撃すれば一撃で戦闘力を奪えるだろう。そうなれば、
もう魔術は使えまい。
「くっ……」
 男もそれは分かっているのだろう。大きくバックステップし、オレから距離
を取った。
 オレはゆっくりと近づき、慎重に間を詰めていく。
 距離――五メートルほどか。
 男は動かない。
 オレは滑るような足取りで接近していく。
 ――あと四メートル。
 男がゆっくりと腕を振り上げた。
 右腕が真っ直ぐにオレを向く。   
(来るか!?)
 オレは四肢に力をためて身構えた。
 魔術を放ってきたら、それを躱して懐に飛び込み、仕留める。
 躱すことさえ出来れば、オレの勝ちだ。
 ――数瞬、沈黙――
 男が口を開く。
(来る!)
「プアヌークの邪剣よ!」
 呪文と共に、光熱波がオレに向かって――
(なにっ!?)
 飛んでこなかった。
 ゴガァッ!
 熱衝撃波は男の右手に放たれ、窓と壁とを打ち砕いた。
 大きく開いた穴から外の夜気が流れ込んでくる。
(――逃げる気だ!)
 オレは反射的に飛び掛かっていた。
 獲物を逃がすまいとする獣の本能が、オレに命じたのかもしれない。
 が、一瞬早く、男は虚空に身を躍らせた。
「ククルカーンの車よ!」
 呪文の声を後に残して。
 オレが壊れた壁に駆け寄ると、男は自然の法則に逆らい、木の葉のようにゆ
っくりと落ちていきながらこちらを見上げていた。
 それに応えるように、オレも取り逃がした獲物を見下ろす。
 覆面に隠れた男の表情が、笑っているような気がした。
 ひどく、楽しげに……そして、名残惜しそうに……。




【隆山の夜空――堕ちてゆく暗殺者】


 雲間から月が顔を覗かせた。
 砕けた壁の上に雄々しく立つ奴と、地面に舞い降りていく俺の姿とを、蒼い
月明かりが照らし出す。
 銀色の狼。
 この世で最も美しい獣は、湖面のような静かな眼差しで、落ちてゆく暗殺者
を見下ろしていた。 
「銀狼か……。妙なところで面白いものを見たもんだ。
 一体何だったんだろうな、奴は……」
 月光を浴びて輝く銀色の姿を見上げながら、俺は誰にともなく呟く。
「最後まで戦ってみたかったな、奴と……」
 だが、今回の任務の重要性の低さを思えば、そんなリスクを背負うことは出
来なかった――単なる一人の魔術士としてはいざ知らず、『塔』の暗殺者ハイ
ドラントとしては。
(任務か……)
 結局、鶴来屋の中で伊藤を殺すことは出来なかったが。
「まあ、いいさ。最低限のことはやった」
 俺は懐に手を入れると、そこにあるものを抜き出した。
 一振りの短剣。
 刃長二十センチほど、酷く細身で、見るからに格闘戦には不向きな刺突剣だ。
 先端には、僅かに血が付着している。
 シャドウ・ニードル。”影の針”。
 この世で『塔』の暗殺者のみが使う、純粋に暗殺のための短剣。特殊な加工
と塗られた薬品のため、刺されても痛みを感じることはない。
 俺の手にあるそれは、既に役目を終えていた。








【結末――そして再会する銀狼と暗殺者】


 鶴来屋の若き幹部・伊藤取締役は、翌日の朝、突然大量の血を吐いて昏倒し
た。直ちに救急車で運ばれたが、病院に着いた時には既に死亡していた。
 検査の結果、心臓に開いた小さな穴が吐血の原因であることは判明したが、
その穴がいつ、何によって開けられたものかは、全く分からなかった。
 伊藤が死んだ前日、鶴来屋の前で彼にぶつかった少年がいたことと、その穴
とを結び付けて考える者は、誰一人としていなかったのである。


 XY−MENは、この事件のしばらく後、忽然と隆山から姿を消した。
 誰にも行方を知らせることなく……。


 ハイドラントはこの後、吉川教師の失脚、強化人間弐型『紫音』の追走、R
uneとの私闘などを経て、『塔』を出奔することになる。




 そして、二年後――




「やれやれ……死ぬかと思った」
 負傷した体を抱えながら、それでも割としっかりした足取りで、XY−ME
Nは校舎へと歩いていた。
 昼休みももう終わりだ。すぐに授業が始まる。
「引き分けだったか……」
 疲れた気分で呻く。
 西山との戦いは、XY−MENの自爆技で両者共にぶっ倒れ、最終的に楓の
闖入によりそこまでとなった。
「楓ちゃんと一緒のクラスだと分かった時は、幸福街道まっしぐらだと思った
のにな。あんな強力なライバルがいるとは……」
 やれやれと呟く。
 その呟きを受けてかどうか、何者かが彼に声をかけた。
「……力を貸してやろうか?」
「!?」
 XY−MENは慌てて声のした方を向いた。
 いつから聞いていたのか、一人の男が木の陰から現れて彼を見詰めている。
 黒いジャケット。黒いズボン。
 完全に黒衣で身を固めた、見るからに怪しげな男だった。
「……誰だ? あんた……」
「私の名はハイドラントだ、XY−MEN。
 ……やはり、分からんようだな。当然か、あの時は顔を隠していたしな」
「………? どういう意味だ。あんた、オレと会ったことがあるのか?」
「いや、詮無いことだ。気にするな」
 男は小さく笑うと、木の幹から体を離した。
 そして、再び告げる。
「力を貸してやろうか? XY−MEN」
「どういうことだ?」
「楓をその手に抱きたくないか、という意味さ」
 ハイドラントは笑みを浮かべたまま続けた。
「もう既に充分理解したことと思うが、西山は強い。
 お前一人で片付けるのは、少々難しいだろう」
「……」
 黙り込むXY−MEN。
 確かに彼の言う通り、西山の強さは桁違いだ。今日のように自爆して引き分
けに持ち込むことは可能でも、勝つのは極めて難しい。
 それに、事は殴り合いだけで済む問題ではない。楓と西山がどの程度の関係
なのか、お互いの気持ちはどうなのか、それらも知っておく必要があった。
 協力者の出現は望むところである。
 このハイドラントという男、得体が知れないが、少なくとも只者ではないこ
とは分かる。味方にして損は無さそうだ。
「あんたは、オレに協力してくれると言うんだな?」
 XY−MENは確認した。
 彼は小さく頷く。
「ああ」
「理由は?」
「西山は私にとっても敵だ。これが理由の一つ。
 もう一つはお前に興味があるからさ、XY−MEN。いや……」
 ハイドラントがふっ、と口の端を歪めた。
「……銀色の狼」
「!!!」
 絶句するXY−MEN。
(そんな……親しい人間にも秘密にしてきた事を、なぜこの男が……!)
 この男は誰だ?
 やはり、以前にどこかで会っているのか?
 しかし、記憶にはない……
「!」
 はっと気付いた時、ハイドラントは再び木の陰に消えようとしていた。
「待てっ!」
 慌てて追うXY−MEN。
「誰なんだ、お前は!? なぜオレの正体を知っているっ!?」
 答えはない。
 彼は叫びつつ、木の陰へ回った。
 が――
「…………」
 そこにはもう、誰の姿もない。
 痕跡すらも残さず、黒衣の男は消え失せていた。
 まるで幻のように。
 キーン…コーン…カーン…コーン……
 午後の授業の開始を告げるチャイムの音をどこか遠くに聞きながら、XY−
MENはただ呆然とその場に佇んでいた。




             Lメモ私的外伝10「銀狼と暗殺者」 END


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 と、言う訳で、久々の過去編でした。
 殆ど不眠不休で一気に書き上げてしまいました。たまに書くといいもんです、
過去編てやつも。
 って、次に書くのは前世編だったり……(笑)

「ヴィンビ」と「スエイン」は……単なる遊びです。
 ザコ級リーフキャラの名前を使おうかとも思ったんですが(鈴木とか貞本と
か)、既に伊藤を使っていることだし、一つの作品でザコとはいえ三人ものリ
ーフキャラを使い潰すのは気が引けたので、こうしました。
 
 さーて、前世編書く書くと言いつつその間に私的外伝を二本も上げてしまっ
たが、今度こそ本当に書くぞっ!
 ……けどその前に何よりもまず、寝ろよ俺(笑)