☆☆☆ 「導師のもとに集った集団がある程度の規模を超え、ダーク十三使徒として学 園の表舞台に躍り出たのが、今年の春……」 滑らかな口調で、氷上が語り始めた。 既に先刻のダメージの後遺症は見受けられない。外見通り、タフな男である ようだ。まあ、打撃に対する過剰なまでの耐久力は学園生徒の標準装備と言え ばそうだが。 「その後も順調に勢力を拡大し、五月には『四大使徒』が揃い、現在の組織の 基盤が完成します。 しかし、それで即座に学園の支配に乗り出すということは、不可能でした。 学園の体制側の戦力……平和維持を目的とした戦闘集団が存在したからです。 来栖川警備保障。 エルクゥ同盟。 ジャッジ。 校内巡回班――」 「……その連中は、脅威ではありませんよ……」 水流に指を差し入れるような口調で、葛田が口を挟んだ。 「……精鋭ということなら、彼らは我々に劣りません。 しかし、数が少ない。 全てを制する最強の力は、数の暴力です。数に劣る彼らは、警戒対象ではあ っても脅威ではない……」 「はい。 その意味で、十三使徒の最大の脅威となるものが、もう一つの体制側武装集 団でした。 ――風紀委員会――」 氷上は、そこで一度大きく息を吸った。 芝居気めいたものも持っているらしい。 「その性格上十三使徒と協調、どころか中立を求めることすら非現実的。かつ、 規模は数百人に達し、まともに戦って最終的な勝利を得ることはまず、不可能。 そのうえ、風紀委員会こそは平和維持の具現であるとの認識――外界におい て市民が警察に対して抱いている印象と同じもの――が生徒間にはあり、その ため先ほど脅威ではないと断じた小規模集団が風紀のもとに集い、大きな力と なる可能性すらありました。 彼らが健在である限り、十三使徒が武力によって学園を制することは不可能 だったのです」 弥生は、相変わらず書類の処理を続けている。 が、時々書類へ向けた視線が泳いでいるところを見ると、話を聞いていない 訳ではないようだ。 「この風紀委員会に初めて動揺が見られたのが、いわゆる『美咲の楼閣』事件 の前後ですね。 久々野彰が風紀委員長を辞任し、代わってその座に就いた広瀬ゆかりは、地 盤固めのために生徒指導部を設立。しかし彼らの高圧的な言行に反感が集まり、 風紀委員会は久々野派と広瀬派に分裂しかけた。 ……聞いたところによると、導師はこの機会を捕らえ、決起すべく準備を整 えていたということですが……」 氷上はそこで、問い掛けるような視線を弥生に向けた。 反応はない。 これ見よがしに――という訳でもないのだろうが――弥生が書類を一枚、は らりとめくる。 思わず苦笑を洩らしそうになりつつ、葛田は氷上の方を見て頷いてやった。 「だがこの時は、久々野が隠遁し、また広瀬も生徒指導部を解散させたことで、 風紀委員会は分裂を回避してしまった。 十三使徒の決起も、未遂に終わってしまった訳です。 …………あの、葛田師兄」 氷上はそこで、ふと口調を変えて問い掛けてきた。 「……何です……?」 「少々疑問があるんですけど。 これは機密事項でしょうが……広瀬ゆかりは、『塔』の配下ですよね? 導師も『塔』と繋がっている。 なら何故、協力して動かなかったんでしょう? あの時、広瀬が生徒指導部を解散させたりせず、その権限を更に強化すると かして風紀の分裂を促進していれば、十三使徒の学園制圧は成り、それは『塔』 の意向にも沿ったことでしょうに」 「……ああ、それはですね……」 それはかつて、葛田自身がハイドラントに投げかけた疑問だった。 ハイドラントが何と答えたのだったか、咄嗟に思い浮かばなかったが、彼の 憮然とした顔は良く覚えていた。 「……『塔』の意向、と言っても、それは一つではないのですよ。 『塔』にあって、広瀬に指示を出している人間と、導師と結託している人間 とは、同一ではないのです。 詳しくは知りませんが、『塔』は最近、分裂状態にあるらしくてね…… 足並みの揃った行動を取れる状態にはないようなのです……」 「なるほど……」 氷上は得心したように頷いた。 「それで、納得がいきましたよ。この後のことも。 風紀を分裂させるために、何故あのような回りくどい手段を用いねばならな かったのか。 ――七月末、『嵐の戦争』。 勢力を拡大しつつあった来栖川を牽制するため、『塔』の指令を受けた導師 が十三使徒を率いて警備保障を襲撃した――」 「……来栖川が目障りだ、という点では広瀬サイドと導師サイドの意見が一致 しましてね。この作戦中は風紀委員会を出動させないという形で広瀬サイドの 協力が得られましたよ。 しかし……」 「そう、しかし」 葛田の言葉に、氷上がにやりと笑って続く。 「この作戦の真の意味は、戦闘が終了した後にこそあった。導師にとってね。 戦後、風紀委員会と十三使徒との戦い――言わば同士討ちになります――を 避けるべく、広瀬は『人質の返還と引き換えに無罪にしろ』という、導師の無 茶な要求を飲まざるを得なかった。 そしてそれは、癖はあるものの有能な委員長だと信じられていた広瀬ゆかり の信望を一気に失墜させ、風紀委員会に再び分裂の種を播くことになった。 ……『塔』にいる広瀬の上司さんが、もっと学園の状況をよく把握していれ ば、このようなことにはならなかったでしょうにね…… それともここはやはり、そのことを見切ってこのような策略を企てた導師の 才に、賞賛の拍手を送るべきなのでしょうか!?」 「違います」 それまで黙っていた弥生が、これ以上ないというくらいきっぱりはっきりと した口調で、氷上の浮ついた言葉を否定した。 「『嵐の戦争』の日の朝、『暑いからやっぱヤだ。やめる』とか言って駄々を こねていたあの人をドライヤーで炙りつつ、この作戦を実行すれば風紀の分裂 を促せるかもしれないと言って動かしたのは、私です。 あの人は、何も考えていませんでした」 「…………」 「…………」 沈黙が降りた。 精神的に窒息しそうな真っ白い空気が室内を満たしてしまっていたが、それ を生み出した当人は既に再び書類へと向かっている。 葛田は思わず四十八の死殺技の一つ『殺意の視線』で弥生を睨みそうになっ たが、かきーんと跳ね返されそうな気配がとても恐い感じだったのでやめた。 「……ま、まあ導師はそういう、ややこしい策略を巡らすタイプではありませ んしね……」 「はあ……」 「……それに、だからこそ、僕たちの存在意義があるとも言えますし……」 「そ、そうですね!」 その言葉で、氷上は元気を取り戻したようだった。 気を取り直そうと言うのか、ぱんぱんと軽く額を叩くと、解説を再開する。 「とにかくそんな訳で、火種は撒かれました。そしてそれは、程なく炎になり ます。 ディルクセン。 かつて生徒指導部にいたこの男は、風紀委員会の反広瀬派をまとめ上げ、己 の古巣を復活させることに成功。更にとーるが策動した結果、緒方英二を顧問、 保科智子を部長とした監査部が分派。 強大であった風紀委員会は、かくして三つに分かたれた訳です」 「……そして、今……」 葛田は、彼の後を引き取って続けた。 「一時期、やや強大になり過ぎるかとも思われた生徒指導部は、学園諸団体と の衝突、特に情報特捜部との抗争により、その力を適度に弱めている。 広瀬は、まだ権威を回復していない。 監査部は、もともと他の二者に比べて勢力が低め。 分裂した風紀委員会は各個撃破出来る。もはや彼らは脅威ではありません。 他に警戒すべきものと言えば、エルクゥ同盟、警備保障、ジャッジ、巡回班 といった小規模治安団体くらいのもの……情報特捜部や格闘部のような、一部 の部活動も注意はしておくべきでしょうかね……」 「情報特捜部もですか?」 「…………」 何故そんなことを聞くのか? 葛田が顔に疑問符を浮かべると、氷上は慌てた風で言葉を続けた。 「いや、あの……気にかけねばならない程の連中だとは思えませんでしたので」 「……? 甘いですね。確かに戦闘員は少ないですが、一度は生徒指導部を壊 滅寸前にまで追い込んだ連中ですよ? 恐れる必要は無いですが、目を離していていい存在でもありません……」 「はっ!」 ぴし、と氷上は気を付けの姿勢になった。 先程までとは打って変わって、引き締まった表情である。 この男、成功に浮つく一方で失敗は真摯に受け止めるタイプなのだろうか… … と葛田が思った時、その顔がへにゃ、と崩れた。 「それで、あのー……『試験』は合格でしょうか?」 「…………」 視線を転じる。 弥生は――相変わらず無視。 だが少なくとも否定はしていないことを確認すると、葛田は氷上に向き直っ て小さく笑った。 「……ま、一応合格、というところですか。 これからよろしく、氷上さん……」 ☆☆☆ 何故だろう。 何故だろうか。 俺は何故、EDGEと戦うのだろう。 「っちぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」 ハイドラントは、絞り出すような声で吠えた。 既にその姿は満身創痍である。 吠えながら、右手を横薙ぎに振った。 黒い火球がそこから撒き散らされる。 神威の技、『影の虎』。 しかし、火球は何も無い空間を燃焼させただけであった。 EDGEはいない。 何かがハイドラントの顔に影を落とした。 上。 舞い上がったEDGEの足が、閃く。 喉。 水月。 金的。 三階崩しの蹴りがハイドラントに叩き込まれる。 「ぐむっ!」 両腕を固めて受けはしたものの、その勢いの強さに彼は地に転がされた。 同時に、EDGEが着地する。 彼女の身体は、まだどうというダメージも負ってはいない。 余りにも明らかに明暗が分かれていた。 この戦いが、技の優劣を競うためのものであったのなら、これ以上続ける意 味はなかったであろう。 格闘者として、神威の技の使い手として、実力差は歴然としていた。 ここで、止めるべきであった。 ここで、止めさせるべきであった。 しかし、ハイドラントは立ち上がり、再び突っ掛ける。 EDGEも、彼に向けて踏み出す。 ハイドラントは、再び攻撃を仕掛ける。 EDGEも、それを迎え撃つ。 EDGEと戦いたいと初めて思ったのは、いつのことだったろう。 最初からでは、なかったはずだ。 最初は、力が欲しかった。 EDGEならば、俺が欲する力を与えてくれる。 そう思ったから、彼女の弟子となったのだ。 彼女の寝首を掻くことが目的ではなかった。 気持ちが変わったのは、いつのことだったろう。 「きぃぃぃぃぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」 ハイドラントが、獣のように咆哮した。 ああ。 今、何かがちらりと見えた。 髑髏? 髑髏だ。 俺が良く知っている人間の、頭蓋骨だ。 柏木賢治。 人間という存在の限界を極めていたとすら見えた男。 俺を作った『塔』の教師。 ――ああ。 これを見た後だ。 俺がEDGEに会うたび、どす黒い戦意を催すようになったのは。 柏木賢治の骸を見て、それからだ。 「ちぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぇらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」 EDGEが、獣のように咆哮した。 俺は失敗作だった。 俺を拾い、育ててくれた柏木賢治が欲した人間にはなれなかった。 だから俺は、力が欲しかった。 彼の理想に近づくための力が欲しかった。 だが、いくら欲しても無駄なのだということは分かっていた。 EDGEに師事し、神威の力を得ても、柏木賢治が俺に見出した欠点は、そ んなものでは埋まらないだろうことは分かっていた。 だから俺は、殺して欲しかった。 柏木賢治に、殺して欲しかった。 中途半端な代物と成り果てた自分を始末して欲しかった。 だが、彼は俺を殺してくれなかった。一人で勝手に死んでしまった。 EDGEは、その代わりなのだ。 俺はEDGEの姿に柏木賢治を見ている。 EDGEの拳に、強大な力が宿る。 神威のSS、絶神奥義――闇黒天鳳拳。 それは、具現せし死神であった。 俺は、EDGEに、 殺して欲しかったのだ。 「――――――――――――――――――――――――――――――!!!」 ハイドラントが、歓喜の叫びを上げた。 その時、 俺の意識の中に、 その時、 二人の間に、 《駄目だよ、マスター!!!》 「駄目ぇぇぇぇぇぇっ!!!」 絶叫が、響いた。 ☆☆☆ ふと、氷上は足を止めた。 第二茶道部を出て、少し。 街路樹の陰から、ゆらりと現れた男がいる。 知らない人間ではなかった。 「やあ」 「……先輩」 手を挙げて挨拶してきた男に、軽く頭を下げる。 首の後ろで結わえた髪が、風で揺れるのが見えた。 いささか鬱陶しそうに髪を撫でつけつつ、彼がにっ、と笑う。 「どうだい?『表』の一員になった気分は?」 「どう……と言われても困りますけど」 氷上はひょい、と肩を竦めた。 「導師のために働くという意味では、これまでと変わりませんしね。 まあ、どうにかうまくやっていけそうな感じなんで、ほっとしてはいますよ」 「そいつは良かった。 ……しかし、少し焦ったよ。君が口を滑らせた時は」 「ああ、情報特捜部のこと……」 答えかけて、ふと眉根を寄せる。 「盗み聞きしてらしたんですか?」 「人聞きの悪い……まあ、暇潰しにね。 導師に報告に来たんだが、いないようだから」 「導師なら、昼過ぎに出掛けたきりですよ。何でも、片づけなくてはならない ことがあるとか」 「ふうん?」 小さく首を傾げた後、男は表情と声をやや厳しいものにして続けた。 「とにかく、今後は気を付けてくれよ。『蛇』は、敵はもちろん、十三使徒の 同胞にも正体を知られてはならないのだから。 そんなことは、『蛇』の一員、『蛇の舌』だった君なら、良く分かっている だろう?」 「ええ……情報特捜部を指揮するあなたが『蛇』の一員、つまり十三使徒の一 人であることは、おなじ『蛇』の他には、導師しか知らないこと。 忘れることにしますよ。あなたが『蛇の牙』であることはね……」 そこで一度、言葉を切る。 ふふ、と低い含み笑いを洩らし、氷上は密やかな声で、その名を口にした。 「YF−19――シッポ先輩」 ☆☆☆ 綾香は、叫びを上げた口を閉ざすこともなく、呆然と立ち尽くしていた。 EDGEの拳は、ハイドラントの顔面に突きつけられたまま、止まっている。 既に、そこに死神はいない。ただの拳だった。 ハイドラントは、どこかぼんやりとした眼で、その拳を見つめている。 風が吹いた。 残暑の熱を伴ってはいない……肌に心地よい、清涼な秋の風であった。 EDGEの拳が、ゆっくりと引かれる。 引かれ、降りていく拳に合わせるかのように、ハイドラントは顔を俯かせた。 俯きつつ、立ち上がる。 数秒ほども、二人は顔を見合わせていたようだった。 EDGEは、寂しげなような、或いは何かを悔いているかのような、微妙な 表情を浮かべている。 ハイドラントの表情は、綾香には見えない。 風に乗って、彼の声だけが聞こえた。 「次は……」 囁くように。 彼は、EDGEに告げていた。 「あなたを、殺すかもしれない」 それを聞いて、EDGEは小さく微笑んだように、綾香には見えた。 ハイドラントが身を翻す。 立ち去りかけて――ふと、気を変えたかのように足を止め、こちらに近づい てきた。 彼が、目の前に立つ。 「ハイド……」 来た、と綾香は思った。 自分は武道者同士の闘いを、決着がつく直前で止めてしまったのだ。 それは、同じ武道の世界に在る者として、許されないことであったのかもし れない。 スポーツマンの試合ならば、ルールによって、一方の技術が優越している事 が証明された時点で決着がつく。だが、武道者の闘いは、唯一、一方の死によ ってのみ決着する。武道とは、敵を殺すという性質を、また死の寸前まで闘う という性質を具えているからだ。 綾香はそれを、実感としてはまだ知らなかったが、そういうものだと聞いて いたし、信じてもいた。 ハイドラントが、す、と手を上げる。 ――殴られるか。 仕方ないだろう。 綾香は、眼を閉じ―― ……ようとして、彼の手が、掌を上にして差し出されているのに気付いた。 「綾香」 「……なに?」 「金貸してくれ」 ………… …………………… 綾香は、頭の中身が真っ白になっていくのを感じつつ、辛うじて問い返した。 「……は?」 「だから、金。腹減ったから何か食いたいんだが、今月の小遣いはもう使い切っ ちまったし」 「……」 「来月分から、ちょっと前借りってことで。千円でいいから」 「……」 「む。分かった、八百円」 「……」 「六百円」 「……」 「五百円! これ以下は無理だぞ、コンビニ弁当すら買えなくなる。 俺を餓死させないために、この辺で妥協を――」 「……!」 綾香は。 取りあえず、彼を蹴り倒した。 何時の間にか、陽は落ちようとしている。 長い夜が、始まろうとしていた。 Lメモ私的外伝15「夜が始まる刻」 END *********************************** そんなこんなで。 風紀動乱総括+神威編でした。 最初は風紀関連だけでまとめた話にするつもりだったんですが、動乱関係者 が集まってあーだこーだ言い合うだけのLが果たして面白いものか、かなーり 疑問だったもので、神威関連の話を加えた次第です。お陰で随分とまとまりの ない話になってしまっているよーな。 二つの話を、もっと明確に関連させられれば良かったんですけどね。自分の 力不足をまたも実感。 つー訳で、私的外伝13から一年近くも引っ張った、謎の使徒『蛇の牙』の 正体は、あの人でした(笑) いくつかヒントも出していたし、大方の人にとっては予想通りだったんじゃ ないでしょかね。 それでなくとも、彼、IRCで自分を「導師」って呼んでたりしたしねー。 これでバレんほーがどーかしてるのかもしれん(笑) 今回のLを書くにあたっては、せーじさんとこの投稿スペースにある、神海 さんの「第三次風紀動乱概説(第一稿)」、及びでぃるくせんさんの「動乱の 道筋」を大変参考にさせて頂きました。 この場でお礼申し上げます。べりーさんくす。(笑) んでは、また。 近いうちに会いましょうと建前の陰に当分無理だろうという本音を隠しつつ、 今回はこれにて〜。