格闘部合宿編第一日目『祭りの始まり』 vol.2  投稿者:悠 朔


 それから30分後。
 部員達はそれぞれ道着に着替え、道場で悠朔、悠はじめの両名の前に整列していた。
「それでは、改めまして」
 部員を代表し、主将の綾香が音頭を取る。
「この忙しい時期に無理を聞いて頂き、ありがとうございます。急な話で準備にも苦労さ
れた事と思います。その恩に報いるためにも、いつもに増して、気合を入れた練習をして
いくつもりです。……これより一週間の間、お世話になります。よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします!!」
 部長の声に続いて、部員達全員の声が唱和する。
「こちらこそ、こんなに大勢の方を一度にお泊めするのはなにぶん初めての事ですから、
いろいろ不都合が出るかもしれません。その時はどうか遠慮なさらずに、私共にお伝え下
さい。その時は出来うる限り、善処いたします」
「ここは本来宿泊施設ではないからいろいろ不満も出る事だと思うが……自分達の家のよ
うに、くつろいで過ごして頂ければ幸いだ。……ま、同世代の人間同士で、堅苦しい挨拶
はこの程度で良いだろ。しっかり稽古に励んでくれ」
「それでは私共は仕事がありますので、これで失礼させて頂きますね」
「暇な時には私も顔を出すつもりだ。……頑張ってな」
 双子の姉弟が退出すると、いよいよ本格的な稽古の始まりである。
「さてと、それじゃまずはディアルト!」
「押忍ッ!」
「T−star−reverse!」
「はいはい」
 綾香に名を呼ばれ、二人が前へと進み出る。
「後は任せるわね」
「はい。部に貢献できる事ですからね、喜んで」
 にこやかな笑みを浮かべているディアルトと、相変わらず眠そうなTを残し、綾香が部
員達の列の中に混じる。
 それを見届け、ディアルトは口を開いた。
「まずは武道の精神から、精神的な修行をしたいと思います」
「簡単に言うと、つまり座禅をやってもらおうというわけですね。……あ、YOSSYく
ん。窓から逃げようとしている来夢くん、捕まえといて下さいね」
 Tに言われるまでもなく、すでにYOSSYは窓枠に足を掛けた来夢の服のすそを、し
っかりと握り締めていた。神速の動きは何処へ行っても健在である。
「ったく。しょーがねーな〜」
「放せYOSSY! 武士の情や! そんなまだるっこしいことやってられるかぁぁぁ!」
「あなたも気功を使う者なら、精神を安定させる事がどれだけ大切かわかるでしょう」
「う……」
 ディアルトに痛い所を突かれ、ジタバタと暴れていた来夢が動きを止める。
 戦いにおいて精神を平静に保つ事は、勝敗に大きく影響する。
 まして気功術は、肉体の一部を精神でコントロールして、初めて技を使う事が可能にな
るのだ。
 来夢は感情にムラがあり、そしてまたそれを自覚してもいた。
 それ故にこそ自分の気功術がディアルトのように明確な形を取らないでいた事も、薄々
気付いている。
 神威のSSの門を叩きその弱点をある程度は克服したものの、それも今の段階では成功
したとは言えない状況だった。
「座禅をやっていれば集中力もつきますし、雑念に悩まされる事も減りますよ」
「う……ううむぅ」
「精神の平静を得られれば気分もスッキリしますし、やってみて損はないと思いますが」
「……チッ! しゃあないな」
 度重なるディアルトの説得に、とうとう来夢が折れた。
 窓枠に掛けていた足を下ろし、列へと戻る。
「そこまで言うんやったらやってみたる! けど効果が無いようやったら次からはやらへ
んからな!」
「……最初から心の平静を得られるかどうかは、個人によるんですけどねぇ。ま、始めて
みましょうか」
「ではまず、座禅の組み方から教えますね。座禅を組むのが初めてという方もいらっしゃ
るでしょうし」
「そうですね……」
 Tは腐っても仙人。ディアルトは単一能力者といえども気功術師である。
 この手の修行はお手の物だ。
 最も彼らの場合、純粋に精神修養だけを目的としたものなので、厳密に座禅の作法を知
っている訳ではないのだが。
「ではまず3日ほど禅を組んで……」
「ちょ、ちょっとTさん!?」
「……なんでしょうか?」
 いきなり説明を中断されて、珍しく少し不機嫌そうにTがディアルトを見上げた。
「なんですかその3日って! 合宿を座禅だけで終わらせるつもりですか!?」
「しかし禅を組み気を巡らせる修行をするなら、最低でもこれくらいはしないと……」
 そこでハタと、ディアルトは自分の勘違いに気付いた。
 こうして身近に接しているとついつい忘れてしまいがちだが、Tは仙人である。
 彼の格がどの程度なのかはわからないが、仙人の最上級。天仙ともなれば天上の人。す
なわち神に等しい存在だ。
 ――この俗界に属している以上地仙……ですよね?
 地仙と天仙では実力に大きな隔たりがある言われているが、それでも仙人は仙人。
 本来は俗物に関わらず、霞を食い、朝露を飲み水とし、不老長生のその膨大な時間を修
行に費やすと伝え聞く。
 そんなことで生きていけるのかと疑問に思うかもしれないが、体内の気を操る事でエネ
ルギーをコントロールし、食事も睡眠もほとんど必要としないのだそうだ。
 もしTがそういった感覚でものを言っているなら、早急に正す必要がある。
「あの……まさかとは思いますが、3日貫徹で座禅を組むとか……」
「基本でしょう」
 さも当然と言わんばかりに平然と答えるT。
「誰も仙人の修行をするなんて言ってません!!」
「………………………………おお!」
「おお、じゃないでしょう! 困りますよTさん。いきなり呆けないでください!」
「まぁまぁ。ちょっとした勘違いじゃないですか。そう怒らなくても……彼もきっと反省
してますよ」
「だぁっ!! 貴方だ貴方ぁっ!」
 部員達のあいだからクスクスと笑い声が漏れる。
「ちょっと、いつまで漫才をしてるつもり? そろそろ始めてくれない?」
「す、すみません副部長。じゃ、まずは敷布団を……三段程度に折り畳んで、それに腰掛
けて貰いましょうか。あ、経験がある方はそのまま座禅に入って頂いても構いませんので」
 好恵の不機嫌そうな声に押されて、ディアルトが慌てて指示を出す。
 それに従って、部員達が道場の端に積まれていた敷布団を、順次道場の床に並べていく。
「別に布団なんて敷かなくてもいいんじゃないですか?」
「そうかもしれませんが……初心者にはあの姿勢は結構辛いですからね。禅の目的はあく
まで精神統一で、我慢大会じゃないですし」
「なるほど……」
「準備が整いましたら布団にお尻だけ乗せるようにして座って下さい。両足の甲をそれぞ
れ太股の上に。両足が上がらないようでしたら片方だけでも構いません。手は印を組んで
いてもいいですし、ただ足の上に置いているだけでも結構です。出来るだけ自然な姿勢を
心がけて下さい」
「目を閉じると雑念に囚われやすくなりますので、視線はだいたい自分の前方2mほどの
床を見つめるような感じで……。ただし顔は上げておいて下さい。そうすると、半分目を
閉じたようになります。仏像なんかで半分瞳を閉じたものがよく見られるのは、禅を組ん
でいる姿を表しているからでもあるんですよ」
「あとは背筋を伸ばし、自分の内面を見つめながら意識を外に向ける……」
「つまり心を無にし、己の属する世界と一体となる訳ですが……」
 そこでディアルトとTが言葉を詰まらせた。
 言葉にするのは非常に簡単だが、それを実践できるように説明するというのは至極難し
い。
 特に彼らのように、座禅を組む姿勢に入れば半ば無意識のうちに精神統一状態に入れる、
そういった"感覚"を身につけてしまっている者にはなおさらだ。
「……まずは内面を高めるために意識を内に集中させる方がいいでしょうか?」
「……それも難しいんじゃないかと思いますよ。なんと言っても初心者ですし……」
 Tにあっさりと却下されてしまったが、提案してみたディアルト自身上手く行くとは思
わなかった。
 集中する事で意識を無にする。
 禅の第一歩だが、それがすんなり出来るようになるまでかかった時間は2時間3時間で
は済まない。
 どう考えても半日程度で初心者が出来るようになる事ではないのだ。
「どうしましょう?」
「ちょっと反則気味なんですが、ゆっくりと数を数えてもらいましょう。数を数える事に
集中する事で、意外と早く心を無にする事が出来ます」
「あまり修行には……」
「ええ。なりませんが、これはまず心を無にするためのものだと割り切りましょう」
 "感覚"さえ掴めば、あとはそのうちなんとかなる。
 Tはそう考えたのだ。
「そうですね……。では私とTさんは警策(きょうさく)を持って皆さんを見て回ります。
肩に警策を置かれたら頭を垂れて下さい。そうしたら左右の肩を一度ずつ叩きます。姿勢
が崩れていなかったか。雑念に囚われていなかったか。そういった事を自分でチェックし
てみて、また精神統一に励んで下さい」
「それでは……始めて下さい」




「しかしなんでまた、格闘部の連中が来る事になったんだ?」
 境内の掃除をしている途中、朔は先程から気になっていた事をはじめに尋ねた。
 神道では何よりも穢れを嫌う。
 雑事が済んでしまえば、あとはほとんど掃除に追われる事になる。特に祭りが近いこの
時期ともなると、神殿や拝殿に始まり、摂社、末社、手水舎、神池、灯篭に至るまで、徹
底的に掃除する必要があった。
 そういう理由で、大抵の神社はこの時期は人手不足になるのだが……。
「あ、それって昌兄の紹介らしいよ」
 どうもひづきの実家である降雨神社は、そういった神社の常識からは離れているらしい。
 ――ま、大手だからな。
 言葉を選んでいたはじめより先に答えたひづきの方に視線を向ける。
「昌斗の?」
「うん。昌兄、いつもみたいに昼休み葵ちゃんと会えないからって、休み中は格闘部の練
習に顔出してるの」
「………………」
「?」
「それで?」
「それだけ」
 説明が足りないような気がする。
 朔は姉の方に視線を向けてみた。
「?」
 ニコニコと微笑んでいる。
 いやそれはいいのだが、状況を説明してくれそうな気配ではない。
 どうでもいい事だが2人とも着慣れているだけあって、巫女装束が似合っていた。
 ――綾芽も居ればなぁ……。巫女が3人になるのに……。
 埒もない事を思い浮かべる。
 朔はチャラチャラした洋服よりも、質素な和服の方が好きだった。もちろんこれは朔の
主観で、洋服ならなんでも華美。和服ならどれでも質素と言う訳ではない。
 それこそどうでもいい事だが。
 ふと、長い黒髪をなびかせて振り返る、浴衣姿の綾香なんかを想像してしまう。
 ――似合うだろうな。
 和服美人という言葉がぴたりとはまる。
「悠さん?」
「え?」
 呼びかけられてふと我に帰ると、女性陣2人の視線が白い。
「何鼻の下伸ばしてるんです?」
「あ、いや。……ちょっと考え事を」
「なんかや〜らしい事でも考えてたんじゃないのぉ?」
「妄想と呼ぶほど下世話なものじゃないと思うが……」
 その言葉にひづきがキャハハと笑う。
「悠さんって、変なところでマジメなんだね」
「そーか?」
「うんっ」
 元気一杯に肯定されてしまった。
 はじめはと見ると、やはり微笑んでいるだけでフォローを入れてくれる様子はない。と
いう事は彼女も同じような認識をしたと言う事だろう。
 ――むぅ。
「まぁいいけど……。部活の合宿って、大抵決まったところに行くものだろう? さっき
もあや……部長が『急な話だ』とか言っていたが、ここに決まった理由、本当に知らない
のか?」
「あ、それは……」
「いつも使ってる旅館で食中毒が出て営業停止になっちゃったから、急遽代替の場所とし
てここが選ばれたんだって。やっぱりこの時期だと旅行シーズンだし、団体で泊まれるよ
うなところが無くて困ってたみたいだよ。それで、たまたま合宿の相談してるところに昌
兄が来て、ここの事教えたって言ってた」
「昌斗はどうしてここの事を?」
「私が教えたもん」
 今度はひづきとこの神社が繋がらない。
「? ……ああ。そういえば、『またお世話になる』って言ってたな。よく来るのか?」
 救いを求めるように、視線を姉に向ける。
「うん。隆雨さんのところとは家ぐるみで交流があったから……長期休みに入ったらよく
来てたよ。それに、今年からは絶対来るんだって」
「どうして?」
「高校に入る時の条件だったんだって」
「そう! せっかくだから進みたい学校に行きたいでしょ? そしたら親がすっごい反対
して……。それでちゃんと修行する事を条件にして、進学させてもらったの」
「ちゃんと修行……な」
 話し始めたせいでひづきに向いていた視線を、また姉に向ける。
 相変わらず、はじめはニコニコと笑っている。
「自分で望まないと、修行にはなる様な事は回ってこないんじゃないか? ……姉貴はあ
あいう性格だし」
「う……」
「ま、そういうのは自分の為にするもので、誰かに強要されてすることでもないしな。仕
事さえちゃんとやってくれれば、俺は別に構いはしないが……」
「あうううう……」
 正論である。
 嫌になるくらい正論である。
 正論であるからこそ、遊ぶことをメインの目的としてやって来たひづきの耳には痛かっ
た。
「……マジメに掃除しよ」
 ささやかな説教を食らい、ひづきはほんの少しだけやる気を出した。




 場所は戻って再び道場。
 精神統一を始めてそろそろ一時間になろうとしている。
 ちゃんと修行している者。サボっている者などそれぞれだが……。


『佐藤昌斗の場合』

 ――大丈夫だ。この手のことは家でもやらされてたし、大丈夫だ! 集中しろ! 集中
するんだ!!
 傍流とはいえまがりなりにも神社の家系。
 ひづきがそうであるように、昌斗もそれなりの修行を受けている。その中にはもちろん
精神修養は含まれていたのだが……今の昌斗の状態は、意識を集中させるには程遠い。
 ――これから一週間、葵ちゃんと同じ屋根の下で生活するんだ……。
 しかもたまたまだろうが、その葵ちゃんが今は隣にいるのだから、落ち着いていられる
訳が無い。
 彼は幸せ一杯だった。
<主……>
 ――はっ!?
 運命の呆れた声に我に返る。
「だ、駄目だぁ!! 初日からこんな浮ついた気持ちでどうする俺ぇぇぇぇ!!」
 スパァァァァァァァァァァン!!
「人様に迷惑をかけないように、静かに瞑想しててくださいね」
 頭を抱えて絶叫する昌斗の脳天に、ディアルトは警策を叩き込んだ。


『そーしゅの場合』

 傍らの昌斗の叫びもどこ吹く風。
 微動だにせず精神統一を続けるそーしゅ。
 さすがに座禅の姿勢は無理があるのか、彼は正座しての参加である。
 ――感心感心。
 その後ろをディアルトが通り過ぎる。
 人間の脳とHMのボディを持つ、学園唯一のフルボーグそーしゅ。
 生命維持を除くボディとの接続を切断して爆睡しているという事実は、彼だけの秘密で
ある。


『ガンマルの場合』

 見事な禅であった。
 完全に無となっている。
 完璧なまでの自然との調和。
 それは仙人のTでも驚嘆するほどであっただろう。
 彼は人が手本とするに充分な成果を上げていた。
 だが……悲しいかな完璧すぎた。
 気配を完全に殺した人間が視界に入っても人として認識されないのと同じように、彼は
一個の自然物としてそこに存在していた。
 背景として。


『来栖川綾香、松原葵、夢幻来夢の場合』

 たまに身体が小刻みに動く以外、意外と静かに禅を組んでいる。
 要注意人物として注目していた来夢も、今のところ暴れ出す様子はない。
 他の部員にしても、特に問題はなさそうに見える。
 しばらく様子を見ていたTに、ふと悪戯心が芽生えた。
「今だ! ボディ!!」
 Tが叫ぶと同時に、綾香、葵、来夢が一瞬で脇に拳を固め、それを突き出す。
「あ……」
 その自分の手を見つめ、三人が三人共呟いた。
「だ〜れ〜が、イメージトレーニングをしろと言いましたか?」
「あ、あはははははははは」
「し、しもた! いつのまに……」
 笑って誤魔化そうとする綾香。
 言い訳する来夢。
 真っ赤になって俯く葵。
 にこやかなTが、嫌に怖かった。


『坂下好恵の場合』

 禅を組むその背後に、仏の姿が見えた。
 後光まで刺しているような気がする。
「いや、別にそこまでしなくても」
 監督であるディアルトが思わず呟く。
 たまに仏が仁王に見えたのは、多分目の錯覚だろう。


『YOSSYFLAMEの場合』 

 彼は3時間の座禅のあいだに12回の居眠りを記録し、勇者として皆の尊敬を一身に浴
びた。




「だぁ〜〜〜〜。ようやく終わったぁ〜」
 道場を出ながら首の骨をゴキゴキ鳴らし、YOSSYは大きく伸びをした。
 時刻は6時。
 すでに練習終了予定の時間を1時間も過ぎている。
 というのも、あまりに頻繁に居眠りを繰り返したので自主トレに無理矢理残されたのだ。
「あ〜くそっ。綾香のヤツ、手加減抜きで蹴り入れやがって……」
 座禅を終えたのが4時。
 それから1時間の基礎練習で、今日の予定は終了だったのだが、大半の部員が自主トレ
に参加していた。体力の有り余っているメンバーには、少し物足りなかったのかもしれな
い。
 自主トレ自体は1時間程で、食事の時間に差し支えが出る可能性があるということで部
長が終了させたのだが……。
 たかが1時間。
 されど1時間である。
 実戦さながらの練習組み手で、YOSSYは満身創痍だった。
 剣士としては学園でも五本の指に入る彼だが、素手での格闘は今のところカラッキシだ。
敏捷性では他の追随を許さないにしても、超一流どころの格闘家達との組み手は荷が勝ち
過ぎた。
「来夢も来夢だ……。延々とじっとさせられてたからって、張り切りやがって……」
 逃げるのを邪魔された恨みも、多少入っていたかもしれない。
 少しフラつきながら手水舎に向かい、その水面に自分の顔を映し出してみる。
 ところどころ腫れ上がったり青痣になってたりしている。
「だぁ〜。色男が台無しじゃね〜か」
 ――う〜む。はじめちゃんに治療してもらおうか……。いや、これを機に葵ちゃんと親
しくなるという案も捨て難いな。
「ここの温泉は打ち身にも効くそうですよ。その程度ならすぐ治るでしょう」
「温泉?」
 付いてきていたのだろうか?
 いつのまにか背後に現れたディアルトに、訝し気な視線を向ける。
「ええ。なんでも氏子さんの中にこの下で小さな温泉宿を経営されてる方が居て、好意で
湯を分けて頂いているんだそうですよ」
「へ〜。じゃ、早速行ってみるか。その温泉ってどこだ?」
「それは教えられません」
「なんで? 善は急げって言うだろ?」
「男子の入浴時間は8時以降となっていますから」
 軽い気持ちでそう言ったYOSSYの態度に反し、ディアルトは重々しい口調でそう告
げた。
 ギラリとYOSSYの瞳に光が宿る。
「と言うことは……今は女子の入浴時間と言うことか!!」
「行かせると思いますか! 私がここに居る以上、貴方を浴場に近づけさせる訳にはいき
ません!!」
「ホザケ! 邪魔をすると言うなら仕方ない! 腕ずくで押し通るまでだ!!」
「やれるものならやってみなさい!」
 目を血走らせ、雷光を背景に竜虎が相打つ。
 ひたすら次元の低い争いの火蓋が、切って落とされた。


「あらYOSSY。……どうしたの? なんかさっきより怪我が増えてるような気がする
けど」
「ああ……。あのあとちょと思いたって自主トレをな」
「ふ〜ん。それは感心だけど、まだ初日なんだからあんまり無理しないようにね。今か
ら飛ばし過ぎると最後まで持たないわよ?」
「そうだな……気をつける」
「……あなた何泣いてるのよ?」

 一日千里を駆ける虎。雷爪振るう竜に、敗北。




 7時。
 夕食は道場で、全員がそろって取ることになった。
 食事の用意に割り振られたのははじめ、朔、ひづきのたった3人。
 たった3人で40人分以上の料理をするのは随分と骨の折れる作業だ。しかも全員揃っ
ての食事なので、用意するのは一気に全員の分をということになる。
 膳に載せられた料理。
 その中に紛れ込んでいる不格好に切られた野菜と、ひづきの指に巻かれたばんそうこう
が、その労力の大きさを如実に物語っていた。


 昌斗は幸せだった。
「昌兄。おかわり」
 そう言ってひづきが茶碗を突き出しても、爽やかに笑いながら米をよそおってやれるほ
ど、彼は幸せだった。
 だがどうやら世間にはそう映らなかったらしい。
「佐藤さんが降雨さんに隷属しているっていう噂は、本当だったんですね」
 哀れむような視線で、Tがぽつりと呟く。
「なんだよそれ」
「しっつれいね〜」
 それを聞きとがめ、二人が揃って抗議の声を上げる。
「だって……辛くないですか?」
「全然」
 やはり爽やかに笑って言い切る。
「上膳据膳洗い物。それに掃除も洗濯も、この合宿に参加しているあいだはどれもやらな
いでいいんだから、こんなに幸せなことはないよ」
 断言。
 それを聞いた者達の瞳に、思わず涙が浮かびそうになった。
 その傍らで当然のように肯くひづきの姿が、より一層哀れを誘う。
「しかもこの料理はひづきが作ったっていうんだから……。味はマトモだし、ひづきもよ
うやく女としての自覚が出てきたのかと思うと、嬉しくて嬉しくて。俺にはこの現実が奇
跡に思えるよ」
「そこまで言わなくていい!!」
 ひづきのツッコミを受けても、昌斗はにこやかに笑っていた。
 ――昌斗先輩は、ひづきさんの所有物じゃないはずなのに……。
 葵は自分でも理解できない感情の動きに流され、昌斗に笑いかけられ微笑む親友を、少
し恨んだ。