呼吸が荒いことは自覚していた。 足場の悪い山道を走るのは簡単ではない。下りではなく登り道だからまだましだが、油 断すればすぐに木の根や突き出た石に足を取られてしまいそうになる。 それでも急ぐ。 木々のあいだを駆け抜け、獣道をひた走る。 全力疾走を続けているせいで、呼吸はどんどん乱れていく。 少し前から足が思うように前に出せなくなり始めていた。 何故もっと体力が無いのか。 何故もっと速く走る事は出来ないのかと、気ばかり焦る。 焦りはしても、どうする事も出来ない。 ただ走る。 ただ足を前に出すだけだ。 愚痴のひとつも言いたいところだったが、そんな事をしても呼吸を乱すだけだ。 わかっているから、口には出さない。 その分だけ陰に篭る。 ――あの馬鹿。何考えてんのよ! 来栖川綾香は酸欠で白濁しそうになる意識の中でそう毒づきながら、走り続けていた。 ほんの少し時間は溯る。 その時綾香が居たのは、居ても不思議ではないが明らかに場違いな場所――オカルト研 究会の部室の前だった。 ドアをノックしようと片手を上げて、そこで動きが止まる。 ――う〜ん……。 眉間にしわが寄る。 もうそれぞれの部活が活動を始めようかという時間にわざわざここまで来ておいて、綾 香は迷っていた。 どちらかというと行動派の彼女にはらしくないことだが、長い人生いつでもどこでも即 断即決即実行というわけにはいかない。 ――どうしよっかなー? 上げたままだった手を後頭部に持っていき、髪の毛を手櫛で梳る。 艶やかな長い自慢の黒髪は、指にかかる事も無くフワリと広がり、また元の位置に戻っ た。 いつもなら格闘部ももう活動を始める時間になろうとしている。主将を務める身として は遅刻は避けたいところだが……。 ――私は……そんなに面倒見が良い方だとは思ってなかったんだけどなぁ。 コンコンと爪先で床を叩く。 部活に行かなくてはとは思うのだが、言い訳を作って問題から逃げているようで、どう も気に食わない。 かといって、扉を叩く思い切りもつかない。 「あの……」 不意に後ろから声をかけられる。 が、思考に埋没している綾香はまったく気付かないまま、大きくため息を吐いた。 ――あ〜あ。やっぱりハイド辺りにでも……。それじゃ同じよね。しかも変に悪化する かもしれないし……。 「あの〜」 「やっぱり相談してみるしかないかな〜」 ――そのために、ここに来たんだし。……でも。 「神秘系に頼むっていうのは、我ながらどうかと思うんだけど……」 「………………」 再三無視された眼鏡をかけた少年は、その言葉を聞いて傍らに浮かぶ小指ほど――約5 cm――の、妖精のような容貌を持つ少女とひそひそと相談を始めた。 「なぁ。どうする?」 『……今回はお客様みたいですね』 「こういう悩み事を相談するかどうかで悩んでいる人の背中をポンっと押すのも、精霊使 いの役目だよな?」 『役目だからとか固く考え過ぎるのも、どうかと思いますけど……』 「………………。ま、いいか。とりあえずもう一度声かけてみよう」 綾香から少し離れた位置で、こそこそと相談する東西と命。 それに注意を払う事さえせず、いつしか綾香は、自分がここに来たその原因となった少 年と自分との関係に思いを馳せていた。 付き合い自体は決して長いとは言えない。 出会ってからまだほんの1〜2ヶ月。 最初の印象は、言葉少なで無愛想。 実直そうな雰囲気があり、多弁でないところは信頼できそうな気がしたが、なんとか愛 想良くしようと四苦八苦しているところで減点。 ――ああ、またミーハーなのが出てきたわけね。 そう思って、少しうんざりしたのを覚えている。 もともと空手の世界では名前は知られている方だと思っていたが、去年のエクストリー ムでの優勝を機に、知名度のレベルが大きく上がったように思う。 ストーカー、おっかけ、パパラッチ。 言いようや意味はある程度異なるが、要は追っかけが以前より増えたのだ。 彼も、そういう一人だと思っていた。 最初のうちは。 ――今思い返してみても……あの頃のわたしって結構ヤなヤツだったわよね。 そういう輩から直接的な被害は出ていなかったにしても、嫌な思いをした経験は何度か あった。その事を考えれば、それも仕方の無い事だったかもしれない。 だがその少年は無理に親しくしようとする訳でもなく、写真を隠し撮りしたりする様子 も無く、変に付きまとったりもしない。 緊張しているところは今も相変わらずだが、出来る限り自然に接しようとしていたよう に思う。 ――気付いた時には……わたしの近くに、ポジションが出来てたって感じだったかな? 冷たい瞳で他人を見る少年。 ごく僅かな、限られた人間にだけ表情を和らげる少年。 興味を引かれたのは、いつ頃からだったか……。 『悩み事がおありなんですか?』 「え?」 声の方に振り向いた瞬間、綾香の表情が一瞬固まった。 ――まずいとこ、見られたかも……。 「恋愛運、金運、失せ物、人生相談から生活設計までなんでもござれ。オカルト研究会に は腕のいい占い師が揃ってますよ。悩み事の相談には是非、ご用命ください」 そんな彼女の反応も気にせず、にこやかに東西が部の売り込みを始めた。 「ちなみにここだけの話ですが、試験問題の的中率は70%オーバーです。ちょっと割高 になってしまいますけどね」 おどけて見せる東西に毒気を抜かれたのか、綾香の顔がほころぶ。 「今のところは試験で困るような点を取った事がないから、そっちは遠慮しとくわ。こん にちは東西、命」 「こんにちは」 『こんにちは綾香さん。オカルト研になにかご用なんですか?』 「う〜ん……。丁度いっか。悪いんだけど、姉さん呼んでくれない?」 「副部長を、ですか?」 「ええそう……だっけ? 多分中に居ると思うんだけど……」 「別に遠慮する事なんか無いですよ。もし仮に今居なかったとしても、部室で待ってれば 多分会えますし」 「あ、でも……」 「取って食おうってわけじゃないですから、どうぞ中へ」 『……取って食いそうな人もいらっしゃいますけどね』 苦笑混じりに呟く命のセリフに軽い恐怖を感じたものの、東西に誘われるまま、綾香は オカルト研究会部室に足を踏み入れた。 ――これだから中に入るのヤだったのよ〜。 占い用にあつらえたのか、防音材で完全に仕切られた、部室の中に存在する小部屋。 その中で机を挟んで綾香の前に座っているのは、いつものとんがり帽子にマントの魔女 ルック芹香。肩の上にはエーデルハイド。 机には緻密な魔法陣が彫り込まれ、その上に怪しげなカードが並んでいる。 言うまでもなく部屋は薄暗く、雰囲気を出すためかろうそくに火が灯されていた。 はっきり言って、怪しい事この上ない。 ――怨むわよ、東西。よりにもよって占い相談に来た客だなんて……。 泣きそうな心境で、カードを繰る姉の手つきを見るともなしに見ながら、綾香はこの空 間に誘い込んだ諸悪の根元に呪いをかけるのに必死だった。 『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!』 「ひえっ!?」 どこからか聞こえてくる、まるで地獄からの呪詛のような遠吠えに、背筋を凍らせる。 「………………」 「え? これでカードに霊が宿りました? ……あ、そう」 表面上は平静を保っているが、心はすでに半泣き状態である。 はっきり言って恐い。 それもハンパでなく。 「………………」 「え? 占う内容を心に描きながら……カードをかき混ぜて下さい?」 後半は不覚にも声が震えてしまった。 あ〜、とか呟きながら天井を指差し、くるくると指を回す。 次いで机の上のカードを恐る恐る、指差す。 ――これを? こくこく。 姉が無表情に。だがどことなく嬉しそうに肯く。 ――かき混ぜるの? こくん。 ――勘弁してよぉ……。 さすがに付き合いが長い分、考えている事がある程度わかったのだろう。 躊躇する綾香の手を取り、芹香は自分の手と重ねてカードの上に乗せた。 「あ……」 「………………」 「うん……。大丈夫……ね」 「………………」 「イメージして、ね。……うん、わかってる」 芹香に言われるままに、カードをかき混ぜる。 かき混ぜはじめてすぐに芹香は手を離してしまったが、恐怖感はもう気にならないほど に薄れていた。 かき混ぜたカードをひとつにまとめ、占者に手渡す。 しばらくパラパラと、カードをめくる音だけが響いた。 「………………」 「え? 聞き忘れてましたが、どういう事を占うんですか? ……えっと、最近友達がな んか悩んでるみたいなんで、それで何か力になれないかと思って相談に来たんだけど」 「………………」 「あんまりよくないです? そのお友達は自分で自分を追いつめて内向するタイプみたい ですから、助言はなかなか聞き届けられない……。そう」 「………………」 「え?」 芹香の言葉に、綾香の表情が翳った。 文科系サークルの集う学舎を出て、修技場へ向かう。 もう遅刻は確定だし、好恵の説教を受ける事になるかと思うと、少々気が重かった。 『主将がそんなことで、部員がついてくると思ってんの!?』 その光景が目に浮かぶようだ。 ――いい娘なんだけどね〜。カタブツ過ぎるのが珠に傷よね。 修技場まで走ろうかとも思ったが、止めにした。 どうせ着替えなくてはならないし、それならわざわざ身体を暖めても無駄になる。 アップからしっかり練習に身を入れた方が実りがあるし、それに何より、もう走るほど の距離でもなかった。考え事をしていたせいか、気がついたらいつのまにかかなり近くま で移動していたのだ。 目の前に迫った校舎の角を曲がれば、もう修技場の正面玄関前に到着してしまう。 気合の入った声が響くその場所に出た綾香を、意外な人物が出迎えた。 「篠塚先生?」 長い髪をきっちりと分け、スーツを隙無く着こなす、冷たい雰囲気を纏った大人の女性。 「ようやく来ましたね、来栖川さん」 「ようやくって……私に何かご用ですか?」 「ハイドラントさんから、伝言を預かってきました」 その言葉に、眉を顰める。 「先生が、生徒の伝言を?」 「あまり気になさらないで下さい。サービスみたいなものですから」 「……」 自分の姉とは違う能面のような無表情に、少し気圧される。 「本日の放課後、時間があるようなら校舎裏の山頂まで着て欲しいということです。面白 いものが見れるから、と」 「面白いものって?」 「さあ……。そこまでは存じておりませんが」 この女性はいつも事務的な態度を取る。 授業でも。どんな時でも。生徒との交流を図るべき時でさえ。 ただ無表情に。 そしてまた、今も、だ。 「本当に知らないんですか?」 「ええ」 短い返答。 「そう……。悪いけど、部活に出なきゃいけないからそんな時間はないって、もしハイド に会ったら伝えておいてもらえますか?」 「……そうですね。もし仮に、私の方が先に会うようでしたら、伝えておきます」 妙なひっかかりを覚えた。 ハイドラントとは、綾香の方が必ず先に会う。 そんな確信めいたものを感じる言葉。 「……それじゃ、私は部活がありますので」 訝しく思いながらも篠塚弥生の脇を通り抜け、修技場へと足を踏み入れる。 踏み入れかけたその時に、 「そうそう忘れるところでした。来栖川さん。あなたは確か、悠さんのお友達でしたね?」 呼び止められた。 「ええ、そうですけど……」 「最近悠さんの行動には目に余るところがあります。それとなくで結構ですので、注意し ておいて頂けませんか?」 「?」 ――最近特に際立って無茶したって話は、聞いてないと思うけど……。 「今日も三年生のジン・ジャザムさんと、真剣を抜いての決闘沙汰になりかけたとか」 かすかな薄笑いを浮かべる弥生。 その表情で、すべてを悟った。 ハイドラントからの誘い。 弥生の確信めいた言葉。 もってまわった言い方。 教師としての立場。 今から起ころうとしている事。 あるいは今起こってしまっている事。 『なにかの転換期を迎えて、悩んでいるようです。……近く災厄が訪れて、それを迎えた 時結論を出すでしょう』 先程の芹香の占いの言葉を思い出す。 ――助言や忠告をすることで結果は変えていけるはずだって言ったじゃない! 姉さん の嘘つき! 一瞬の躊躇もなく、駆け出す。 場所の指定はかなり大雑把だ。 思い浮かんだ場所は間違っているかもしれない。 行くだけ無駄かもしれない。 それでも、綾香は走るのを止めようとはしなかった。 「若いというのは、羨ましいですね」 あとには格闘部の練習の声と、その中に立つ無表情な教師だけが残る。 そして現在。 青々と茂る木々の下を走り抜け、坂道を駆け上り……視界が開ける。 「ゆーさく!!」 少しずつ沈んでいく太陽を背景に対峙する二人の剣士。 その姿を認めた綾香は片方の渾名を呼んだ。 あれから砂塵を舞わせ、打ち合う事数回。 今のところ双方に怪我らしい怪我はない。 たった一度、ジンが脇腹に手傷を負っただけで、それすら彼にはかすり傷のようなもの だ。 軽く、ステップを踏むように重心を移動させる朔の前で、ジンは腰を落とし、どっしり と落ち着いた構えを取った。 「どうやら振り回してちゃ、捕まえられねぇみたいだな」 切っ先を朔の方に向ける。 突きの構え。 選択としては恐らく正しい。 長身でありながら、朔の戦い方は小兵のそれだ。 スピードで撹乱し、的確に攻撃を叩き込む。 それをねじ伏せようとするなら、相手の攻撃を機に、的確にカウンターを放てばいい。 モーションが小さい突きは、攻め手としても有効であるはずだ。 「……いい加減ムカつくぜ」 ぼそっと、朔が呟く。 冷徹な瞳はそのままに、憤りを含んだ口調で。 「俺には本気を出す価値もない。そういう事か!? ふざけるのも大概にしろ!!」 また砂塵が舞う。 ――消えた? 後ろだとぉ!? 殺気はない。 ジンは直感のみで敵対者の位置を判断し、振り返りながら横薙ぎに剣を払う。 ――取ったぁ!! しかし振り向いたジンの視界の中で、再度、残像のように朔の姿が消える。 と、同時に剣を真下から跳ね上げられ、たたらを踏んだところで足を払われた。 アンバランスな体勢で、踏ん張りは利かない。 倒れる。 背中から。 人間の動体視力は横への移動には敏感だが、上下への反応にはわずかな遅れを見せる。 背後に回り込んでの、草を刈るような蹴り。 中国拳法で言う掃腿によって足を取られたのだ。 「くっ!」 慌てて起きようとするその首の両脇に、刀が突き刺さる。 首の前で交差した刀に阻まれ、身動きが取れない。 「チェックメイトだ」 鼻先に突き付けられたグロック17。 強化プラスチックに覆われたそのオモチャのような銃。 しかし米軍や自衛隊で制式拳銃にされている実用一点張りの――軍用であるためセフティ すら付いていない――シロモノだ。 いかに鬼と言えどもこの至近距離から急所に打ち込まれてはただでは済まない。 トリガが引き絞られる。 カキン。 気の抜けた音が響いた。 「1ポイント先取……ってとこか。まだ御不満か?」 銃を仕舞い、二本の刀を抜き取る。 「てめえ……」 倒れたまま睨み付けてくるジンに背を向け、少し距離を取るために歩を進める。 朔には自信があった。 今この状態で、不意にジンが背後から斬りかかってきたとしても、それを防ぎきる自信 が。そしてジンがそのようなことをするはずが無いという確信が。 でなければ敵の目の前で背を向けるような真似をするはずがない。 「抜かば斬り、抜かずば斬るなこの刀……。そういう唄がある。人に会っては人を斬り、 神に会っては神を斬る。……剣士とはそういうものだ。たとえそれが鬼であろうと変わり はない。変わらない……はずだ」 振り返る。 「俺は今剣士としてここに立っている。しかしお前は剣士じゃないはずだ。……違うか?」 すでに立ち上がっていたジンと、視線が合う。 苦悶。 怒り。 渇望。 さまざまなものを含んだその視線が、ジンに注がれる。 「違わねーな。確かにオレは剣士じゃねぇ。オレは戦士だ。剣士を気取ってたオレは、今 死んだ。……お前に撃たれてな」 朔は肯いた。ひどく満足そうに微笑みながら。 「マジで失礼だったと思うぜ。己の総てを賭けて喧嘩を売ってくれた奴に、全力で応えな かったんだからよ」 「……確かめたかった。先祖から伝わるこの技は、鬼に通じぬものなのか。雨月山の鬼に 挑み敗れた先祖の技が未熟だっただけなのか。それとも人の技では鬼には通じないのか。 ……暴言を許して貰いたい。こちらの都合で、貴方に失礼な事を言った」 そして、朔の目の前で、ジンの瞳が金色に輝く。 エルクゥの力を発現させた、その一端として。 メキメキと音をたてて変質していく筋肉。 質量保存という科学の大前提を覆し、踏み固められていない柔らかい大地にその足がわ ずかに沈み込む。 朔もまた、再び刀を構える。 どちらからともなく、微笑みが浮かんだ。 「試立Leaf学園三年。エルクゥ同盟がリーダーにして、科学部部長ジン・ジャザム」 「同学二年。情報特捜部部長悠朔。……封神流正当継承者として、いざ!」 「勝負!!」 二人は同時に、大地を蹴った。 「まずいな……」 「ああ」 苦り切った表情で呟く佐藤昌斗の横で、YOSSYFLAMEが肯く。 「何が?」 何もわかっていない降雨ひづきだけが、疑問符を顔に浮かべた。 「下手すると死ぬかもしれないってこった。あの馬鹿。全力を出させないで勝つのが戦術 ってもんだろーが」 独白するように、勝負から目を離さず、YOSSYが答える。 「そんな……。だって……押してるじゃない!」 そう。 確かに押している。 目の前で悲劇が起きる可能性を否定するかのように叫んだ、ひづきの言葉の通り。 今はまだ。 「こうなったらもう勝ち目なんかあるわけないんだ。彼は人間の域を出ていない。ひづき だってわかってるだろ?」 でなければ死神の翼が舞い下りるのがどちらであるか、尋ねていたはずだ。 「昌兄……」 「見守るだけだ。今の俺達に出来るのは」 「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!」 「ああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!」 男達の咆哮が響き渡る。 剣戟の音の中で。 その光景はこの戦いの勝者がどちらであるか、明確に語っていた。 刀というものは、そう何度も何度も打ち合えるようなものではない。 刃こぼれすれば当然切れ味は衰える。 勢いと重さで叩き潰す大剣と異なり、刀はその刃の鋭さで斬る武器だ。切れ味の衰えた 刀では思い切った攻撃は出来ない。刃こぼれが酷くなれば、肉を斬る事は出来ても骨を斬 る事が難しくなる。 何より、鬼の力の一端を発現させたジンと打ち合うだけの力を、朔は持ち合わせていな かった。 力。 瞬発力。 強靭さ。 耐久力。 肉体的な能力総てにおいて、ジンは朔の予想を遥かに上回ってみせた。 平常時でさえ朔を驚嘆させたジンの剣技だ。 逃げることすらままならなかった。 真正面から打ち合うしか、道は残されていなかったのだ。 ドンッという、鈍い音。 視界がモノクロになる鈍い衝撃。 一瞬、朔は何が起こったのかわからなくなった。 たたらを踏みながら、身体が後方に流れる。 チカチカと明滅する視界の中で、大剣を脇に構えたジンの姿を捉える。 ――下が……れない! 斬られる!! 足が言う事を聞かない。 バク転するには手に持った刀が邪魔。 しかし刀を捨てては勝ち目はない。 迷う暇さえ与えず、大剣が朔に向かい襲い掛かる。 野太刀がまた、剣戟という名の悲鳴を上げた。 「ただの前蹴り一発で、足を止められたな」 「………………」 「よく見ておけよ、綾香。お前にとっても学ぶところの多い、良い勝負のはずだぞ」 「何……何馬鹿言ってるのよ! これ以上はもう無理だって、あなただって見ればわかる でしょう!? あなたが止めないならわたしが止める! 邪魔しないで!」 「止める? 命懸けで我の張り合いをやってる奴等のあいだに、どの面下げて割り込むつ もりだ? ……今止めれば確実に死者は出ない。だが、二人に一生怨まれることになるだ ろうな」 腕を組み、轟然と胸を張る黒衣の男ハイドラント。 お互いを敵と認めた――だからこそ、友の心を知る者。 「奴は奴のやりたいことをやっている。そして俺にはそれを止める気がない。……綾香」 真っ青な顔をした綾香の身体が震える。 「嫌われたくないなら、動くな」 「……怨まれたって嫌われたって、生きてるほうがいいに決まってるでしょ! どいて!」 言って一歩踏み出した綾香の腹部に、鈍い衝撃が走った。 「……ハイ…ド?」 「見たくないなら眠っておけ。……残酷なものを見ないですむかもしれん」 崩れ落ちる綾香を抱き留め、ハイドラントは再び戦闘へと目を向けた。 「……ここで死ぬなら、それまでの男だったというだけだ。……悠」 そう言いながら同時に、そうはならないことを彼は確信していた。 ただの一撃。 朔の腹に決まった、たった一発の蹴り。 それが勝敗を分ける鍵。 あるいは、もともと勝ち目などなかったのかもしれない。 機動力と的確な攻撃を武器とすることで、朔は優位に立っていた。 だがただの一発。 それで、膝が折れた。 足が震えた。 もうこれまでのような動きなど出来ない。 衝撃を殺すために自ら跳ぶ――それをしなければ、野太刀ごと身体を両断されていただ ろう――ことが出来た事すら奇跡に思える。 優位――それも、先制する権利があったというだけに過ぎない。 口の中に血の味が広がる。 不快なそれを、大地へと吐き出した。 血を飲み込めば、目眩や不快感のため落ち着いた思考が出来ないことを、朔は経験から 知っていた。 ――注意を大剣に向け過ぎたな……。肋骨にひびが入った。内蔵もやられたか? 後から効くと言われるボディへの攻撃。 それを即効性のものに変えるジンのパワー。 今の蹴りが足を殺す事を目的としたものだというのはわかっていた。 ジンという男に詰めの甘さはない。 これまで朔が握っていた主導権をジンが手にした以上、次は確実に倒しに来る。 「負けを認める気は……ねぇみたいだな」 ジンが独白するように、問う。 ――負けを……認める? 勝てる要素はひとつも無かった。 ――そうだな。いい加減疲れたし……。マジで死んだらシャレにならんしな。 そう思いながらも、構えを整える。 ――でも。 「ふふ……。やっぱコレだよな。いくら綺麗な建前掲げたって、俺が戦う理由って言った らよ」 狂的な笑みが浮かんでいた。 恐怖。 生と死の狭間を漂うような、ひとつの判断が即、死に繋がるギリギリの緊張感。 いつのころからか、それが楽しくて楽しくて仕方がなくなった。 戦っている時が、最も自分が生きていると実感できる時だった。 だからそれを求めた。 敗北する事がなければ、その生を実感する事が出来た。 人を殺す事ではなく、人を押しのけて生き残る事に対する、快感。 ――マトモじゃねーよな。 これまでは勝者だった。 生き延びる事が勝利だったから。 ――今回初の敗北ってことになりかねないが……。 「まだもうひとつ、試したいものがあるからな。最後まで付き合ってもらおうか……」 狙いはただひとつ。 ジンが手にする大剣。 これさえ折る事が出来れば、鬼の爪と刀。 リーチの利は朔のもとへと転がり込む。 そうすればまだ活路はある。 が、如何に折れず曲がらずと言われる日本刀といえども、質量そのものが違い過ぎる。 同じ力で衝突させれば、折れるのは日本刀のはずだ。 ――据え物斬りの達人なら石灯籠も真っ二つなんて、よく言うけどな。……硬物を斬る なんてのは、そう簡単にはいかんだろ。まして俺じゃあ……。 例えば兜割りは据え物斬りの中で恐らく最も知られた技であろうが、滅多に成功するも のではないのだ。 撃剣興行で知られる榊原鍵吉が天皇の御前で兜割りを披露した時も、先に挑んだ幾人か の名の知られた剣士が尽く失敗している。最後に挑んだ鍵吉がどうにか三寸三分斬り込む 事で面目を果たせたという話だ。 そこまで斬り込めれば兜の中の頭も無事にはすまないとはいえ、やはりそう簡単に兜が 割れる訳ではない。 まして据え物斬りと実戦では技術の分野が全くと言っていいほど違う。戦っている相手 の剣を斬るなど、限りなく不可能に近い。 ――出来るかな? っと、不信は失敗に繋がる……だっけ? 『気とは存在が持つエネルギーだ。誰もがその資質を持っている。……刀は手の延長に過 ぎない。刀に頼るな。ただ斬るという純粋な意志こそが、それを可能にする』 師であった祖父の言葉を、唐突に思い出す。 そして、もうひとつの言葉。 『それを為した時、封神流に斬れぬものはない』 「そうだな。剣を狙うなんてのは無粋だろ……。くそっ。上手くいったら御喝采……って やつだぞ、これは」 無造作に小太刀を捨て、野太刀を肩に担ぐように上段に構える。 示源流蜻蛉の構えが、もっとも近いだろうか? 刀を全力で振り下ろす。ただそれだけを目的とした構え。 「さあ、いこうかぁ……」 「ああ。これで終わりにしよう」 応えるジンの身体が、再び変化を始めた。 「グルルルルル……。グォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」 喉から唸り声が、次いで咆哮が漏れ出でる。 メタモルフォーゼ。 鬼の力を発現させた人間から、まったく異質なものへと変質する。 人とはあまりにかけ離れた、力ある者――鬼そのものへと。 ジンが大地を駆ける。 もう小細工は必要無い。己の持つ総てを以って真正面から叩き伏せるために、朔に肉薄 する。 ――鬼の身体に俺の剣が通じるか、勝負っ!! 剣の技を磨く事に明け暮れた日々。 振り下ろす刹那の時の中に、朔はその万感の思いを込めた。 **************************************** 朔 「はい、中編終了。……本当はこれが後編で、エピローグに続くはずだったのですが、 エピローグが予想外に長くなってしまったので中編となりました」 綾香「……結局今回のコンセプトはなんだったの?」 朔 「鬼神の強さを再確認しよう! ……です」 綾香「なるほど……ね」 朔 「かつては学園でも"鬼"であるというだけで比類無き強さを誇った時代があった。そ の力はLF97の耕一、裕也を見れば一目瞭然! 実際俺のパーティだと耕一以外で 裕也に勝てるのって、綾香しか居なかったからな〜」 綾香「"風"属性だからね。それでも"飛翔"されたらどうしようもなかったわよ」 朔 「学園の生徒の中には"SS使い"ということで、常人を越えた能力を保有している者 も居る。が! よく考えてみろ。ジンや西山先生達なんか"鬼"で"SS使い"だぞ!!」 綾香「それを言いだしたら……」 朔 「キリ無くなるんだけどな。今回の話にはもう一つ目的があった」 綾香「っていうと?」 朔 「最近どうも、俺が強いと誤解して認識してる人が多いみたいなんだが……何故だ?」 綾香「………………。さて! じゃ、CMの後はいよいよ異聞録後編! 楽しんでいって よね」 ======================================== 中間CM ある雨の降る夜。 一人の資産家が殺された。 密室殺人。 莫大な遺産相続に絡んだ、人の欲望。 柏木梓「あたしは……お金なんかに興味はないんだ。どうしてわかってくれないんだよ!」 makkei「いやね。なにしろ普通の人が一生かかってもかせげないような額ですから」 柏木梓「そのせいで失ったものだってあるんだよ!」 困窮していた者。 ベンチャー企業の若き社長。 長瀬刑事「若いのに頑張ってらっしゃるようですね〜」 柏木耕一「社長って言っても名ばかりでね……。資金調達に走り回る日々ですよ」 長瀬刑事「しかし遺産が入る事で、随分助かったようですな」 柏木耕一「……何が言いたいんだよ?」 長瀬警事「そりゃもう、お察しの通りでして」 巻き起こる第二の殺人。 柏木楓「姉さん! 姉さんっ!! ……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」 血塗られたこの難事件に挑む、三人の少年探偵。 beaker「必ず犯人を挙げて見せる。……じっちゃんの名にかけて!!」 てぃーくん「犯人はお前だぁ!!」 シッポ「我々は欺くが如くして、先の命題をそうせよと初めの折に 請われしままに証明せり。 Q.E.D.(証明終了)」 犯人はいったい誰なのか? 殺人に至った動機とは? そして二つの密室殺人はいかなトリックを用いる事で可能となったのか? 『じっちゃんの名にかけて犯人はお前だQ.E.D.劇場版! 鶴来屋連続殺人事件!! 近日公開!!』