「貴方に、花束を……」『重ならない想い』 投稿者:悠 朔

「どういうつもりだ?」
 問いを発したのは影が固体化したような青年だった。
 あるいは、闇そのものか。
 黒い髪。
 ぎらついた、闇を映した瞳。
 身に纏うものもまた、漆黒。
「どういうつもり……と言われてもな。今言った言葉通りの意味なんだが……。自分が茶
番劇に出演している事実に、少し嫌気が刺した。つまり、そういうことだ」
 答えたのもまた、黒衣に身を包んだ者。
 しかしそれを覆い隠すかのように、その上に研究者が身につけるような白衣を纏ってい
る。
 二人は極めて対照的な人物に見えた。
 光と闇。正と負。混沌と秩序。有と無。
 だが同時に、極めて似通った存在でもあった。
 それらは総て、表裏一体の存在。
 決して片方だけでは存在の意味を成さない。
 大局は陰陽を以って理を為す。
 その言葉通りに。
「まいったな……。あまりそう何度も繰り返して言いたい事じゃない」
 不満そうな表情を見て取り、白衣を纏った青年は自嘲気味に、そして少し寂しそうにそ
う言った。
 黒衣の青年は無言のままその双眸に光を宿し、殺気さえ篭った視線で睨み付けてくる。
相手の真意を読み取るために。
 それに応えるように、口を開く。
「要するに……敗北宣言だよ」
 二人の隔たりは決定的だった。
 表裏を為しているからこそ。



                            「貴方に、花束を……」
                              『重ならない想い』



「少し時間を取れるか? 二、三、話したい事がある」
 1月22日。
 曇天からか平年より冷え込みを見せた一日となったが、土曜で半ドンとなれば生徒達の
表情は明るい。
 ましてたった今最後の授業が終わったばかりとなればなおさらだ。
「いいわよ。じゃ、ホームルームのあとでね」
 昼食をとった後、いつも通りに部活に出るつもりではあるが、それには充分時間がある。
 そう考えて来栖川綾香は悠朔の問いに、至極気楽に答えた。
「助かる」
 そう言って、朔はさっさと自分の席へと戻った。
 すぐにホームルームが始まり、終礼。
 授業が終わった。


 出来れば人の居ないところがいいという事で、綾香と朔は第二学年校舎アズエルの屋上
へと足を運んだ。
 さすがにこの時期に屋上で吹き荒ぶ風に晒されたいと考える人間は、そう多くない。
「ほら……。無いよりはマシだろうから羽織っとけ」
「ありがと」
 差し出された白衣を、礼を言って受け取る。
 今日は風も強いし、あまり長居したい場所ではない。
「それで話って?」
「ああ……」
 考えをまとめるためか、一度視線を空へと投げる。
 雲に覆われた空の一角に、ぽっかりと開いた空間。
 突き抜けるような青は冷気の中で澄み渡り、少し目に痛い。
「あのさ……男女の関係に、性欲は必要不可欠なものだと思うか?」
 綾香の思考が一瞬、停滞した。
 大真面目な顔をしてなにを言っているのだこの男は。
 そう思った。
 あまりに唐突な質問に、開いた口が塞がらない。
 だが、いつかこういう日が来るとも思っていた。なによりもそういった事に興味を持つ
年頃だ。
 誰かと……自分が想い、同じように想ってくれる相手とそういう関係になりたいと思っ
ている自分が居る事を、綾香は自覚していた。
 だからか、咄嗟にどう答えていいかわからなかった。
 顔が赤くなったのか青くなったのか、それすらも正確に把握できなかった。
「……ああ。悪い、聞き方が悪かったな」
 苦笑しているのだろうか?
 歪められた口元は、どことなく皮肉げだ。
 相変わらず。
 いつものように。
 斜に構え、世の中を斜めに見る青年の、いつものスタイルとも言えるかもしれない。
 でもどこか覇気が無い。
 言葉の端々に疲れ果てたような、奇妙な疲労感が見て取れる。
「……そうだな。男女間で親友という関係は成り立つと思うか?」
 言い直したのはありがちな質問だった。
 少なくとも綾香はそう思った。
 問題をはぐらかされたような、奇妙な違和感。
 それでもその質問に対しては、冷静に答える事が出来た。
「そうね……。難しいとは思うけど、私は無理だとは思わないわよ。疎遠にならなかった
幼なじみが、必ず恋人になるとは限らないんじゃない?」
「……2人が幼なじみでなかったとしても?」
 少し考えて、肯く。
「そっか……」
 微笑みながら、朔も肯いた。
 優しい笑みだと綾香は思った。
 だからか、その後に言われた事の意味を正確に把握するのに、僅かな時間を要した。
「俺はさ。これからもお前と親友として付き合っていけたらいいと思ってる」
「………………え?」
「言いたかったのはそれだけだ。時間……取らせて悪かったな」

 頬を張る音が響いた。

「あなたの顔なんて、二度と見たくないわよっ!!」
 羽織っていた白衣を脱ぎ捨て、朔に叩き付ける。
 昇降口に向って走る。
 一度も振り返らなかった。
 なにがなんだかよくわからなくなっていた。
 頭の中がグチャグチャだ。
 何故こんな行動を取ったのか。
 何故急に、こんなにも怒りが込み上げてきたのか。
 そして何故、自分が泣いているのか。
 なにもわからない。
 わかるのは走っている理由だけ。
 泣いているところなんて見られたくなかった。絶対に。
 そしてこの場所から1秒でも早く離れたかった。
 物見高い連中が覗いていたのだろう。人の集まった踊り場をすり抜け、階段を駆け降り
る。
 名前を呼ばれたような気もしたが、彼女にはもうどうでもよかった。
 答える事無く走り去る。
 誰の顔も見たくなかった。
 ただ1人になりたかった。


 綾香の姿が昇降口に消えたところで、朔はフェンスに背中を押し付けた。
「いって〜………………な」
 足を伸ばしたまま、ずり落ちるように座り込む。
 彼の口から、深い深いため息が漏れた。



「何やってんだ、お前」
 それは疑問ではなく、批難を含んでいた。
 覗き見していた中の数人が朔を取り囲み、彼を見下ろしている。
 問いを発したのはYOSSYFLAMEだったが、彼自身戸惑っていた。
 見下ろしている先には座り込み、俯いている朔。力無いその姿はアル中の酔っ払いや、
薬漬けの不良を彷彿とさせる。
「なに、やってんだろうな? 私は。……この1年、なにをしてきたのやら」
 そんな事を自嘲気味に呟くような男ではなかったはずだ。
 毅然とした態度を取る事にこだわる、やたらプライドの高い男。それが彼の知る朔とい
う人間であったはずだ。
「楽しかったからな。……多分生まれてから過ごした中で、1番楽しい1年間だった。だ
から……。いや、そうだな。潮時ということなんだろう」
「なに1人で納得してんだよ。お前な、何を言ったか知らねえが、一体何回綾香を泣かせ
りゃ気が済むんだ!?」
 胸座を掴んで引き摺り起こす。
 さぞや濁った色をしているだろうと思ったそれは予想に違わず、YOSSYを失望させ
るのに充分だった。
「安心しろ。多分これが最後だ」
「あん?」
「今日また泣かせるような事があるとも思えんからな」
「!!」
 この学園、破天荒な校風に惹かれて転入してくる生徒は多い。
 同様に、来てはみたものの、その校風が肌に合わずに転校していく生徒もまた。
 だから彼らにとって、朔の言葉は明確な意味を示した。
「転校、するのか?」
 確認するような問い。
「いや」
 だが彼は短く、それを否定した。
「退学して実家を継ぐ。明日の夜には寮も引き払う事になっている。……気が向いたら遊
びに来てくれ。歓迎する」
「……でだ?」
「ん?」
「なんでだ?」
「……まあ、理由はいろいろあるさ。聞きたいか?」
 YOSSYは無言で頷いた。


 その輪の中に、ハイドラントは居ない。
 当然だ。
 事前に朔がなにをするつもりか知っていて、わざわざ見に来るほど彼は酔狂ではない。
 それになにより、もはや彼にとって朔は興味を惹かない存在になってしまっている。
 ライバルでも、敵でも、味方でもない。
 面白味の失せた男。
 そんな男に執着する気は、彼には無かった。


 姉の命がもう長くないらしいと、彼は語った。
 その時が来るのが一週間先か、一ヶ月先か、一年先か。それとも持ち直して老衰するま
で生きる事が出来るか。それは医者にもわからない。
 わからないが、だったら側にいるべきだと考えたのだと、そう言った。
 どう言いつくろってもここは荒っぽい学園だ。
 この学園に朔が居続ける事は、姉の心的負担になる。
 実家を手伝うだけなら学歴は関係無いし、宮司に就きたいなら二人で神道系の大学に行
けばいい。4年間留守になってしまうが、誰か信用に足る人物に任せておけばそれで済む。
 行方不明の宮司――祖父だ――の代行。意外と体力を使うそんな仕事を病弱な姉に押し
付けたままというのも気が引ける事だったし、良い機会だ。
 仕事に馴れておくのは早い方がいい。
「学園を去る理由としてはそんなもんだ……。これまでも土日はなるべく帰るようにして
いたが、それじゃ万全とは言えないしな」
 病がそこまで酷いと知っていたら、もっと早くからこうしていた筈だと、そう言う。
「じゃ、綾香が泣いたのはなんでだ?」
 皆を代表するように、YOSSYが問う。
「さあな」
「…………」
「これからも親友でいられたらいい。……そう言ったらこうなった」
「……そうか」
 YOSSYは襟首を掴んでいた腕を放した。
 支えを失い、またズルズルと朔が座り込む。
 ――いったいこいつは、いつまでウダウダと悩めば気が済むんだ?
 彼が抱いた憤りは言葉に表せばそういったものだった。
 だが別な感情を持った者も居る。
「つまりアンタは、結局その程度しか綾香のことをわかってなかったのかよ! その程度
しか想ってなかったのかよ!!」
 ガンマル。
 彼もまた、綾香に思慕を向ける者のひとりだ。
「見損なったぜ!!」
 言い様きびすを返し、足音も高く立ち去っていく。
 何も言い返さない朔に失望したのか、取り巻いていた人間がひとり減り、ふたり減り。
 結局最後まで残ったのはYOSSYだけだった。
 大きく息を吸い込み。
 吐く。
 ――タバコでもあれば間が持つのかもしれないが……。
 そんな事を考えてみる。
 が、幸いというべきか、彼にはそういう、自分の健康を害するとわかっているものに手
を出すような趣味はない。
 放心したように座り込んでいる朔。
 しばらく見ていても微動だにしない。
 時間が解決してくれるというものでもないらしい。
「で?」
 だから、彼は行動に出る事にした。
「……で、って……なんだ?」
「ひとつめの理由はわかった。はじめちゃんがそんな状態なら、お前がこの学園を出て行
くって言い出すのもわからないでもない」
「…………」
「ふたつめの理由はなんだ? お前は理由はいろいろある。そう言ったよな?」
 朔の肩が震え出す。
 泣いている訳ではない。
 ふたりの他に誰も居ない屋上に、笑い声が響き渡る。
 だがその顔は。
 背をのけぞらせ、空を見上げて大笑いするその顔を見ているYOSSYには。
 その顔が泣いているように見えた。